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58 つかの間の平和

 梅雨入り前に、江尻城から駿府に移った。

 駿河守護今川義元の居城駿府城は、城というよりは館であった。

 その館も十三年前信玄に攻められ焼失していて、城が建てられるのは家康が駿河を治めてからである。

 小原が小城を建て使っていたが、堀は一重で防備は薄い。

 関東から美濃と忙しく立ち回り、城を改築する暇もないほど働かせていたのだ。


 改築を始めたのは三月に入ってからである。

 とても年内に終わりそうもない。

 「せめて堀ができるまでお待ちください。あのままでは危のうございます」

 小原は止めたが、待てなかった。


 駿府より北一里半(約六キロ)の村で、植え付けが始まっているのだ。

 イモの芽出しは江尻城で僕がやった。

 温度を下げないように管理して、一月半かけて苗十六本を育てた。

 既に綿花、サトウキビ、芋の播種、移植は、駿府の北一里半(約六キロ)の村でおこなっている。

 上手く育っているのか。──

 そう思うと居ても経ってもいられず、紗矢や家臣の引っ越しを後回しにして駿府に移った。

 ただ、小原が言うのも尤もなことなので、郡役人に変装して赴任する形をとった。


 「これは、これは。 芦田様。わざわざお運び頂き恐縮です」

 安倍郡上原村の名主、有永平太郎が村の入口で僕を出迎えた。

 使用人と二人で出迎えたところを見ると、小原が認めたように中々気の利く青年のようだ。

 村人総出で出迎えられたら、お忍びの意味がなくなってしまうからだ。


 「急ですまない。苗の育ち具合が気になったものでな」

 「では、畑に案内いたします」

 有永の案内で村に入った。

 戸数十軒の小さな村だが、道はよく整備されていた。

 「このような小さき村まで、道普請の金を頂けるとは思いませんでした」

 秀吉恐るべし。

 国中の村役に金を出し、道普請をやらせたようだ。

 どおりで費用が掛かったわけである。


 「こちらでございます」

 道を折れ緩い坂道を登ると畑が広がっていた。

 「おおっ」

 綿花は膝丈まで伸び何枚もの葉をつけ、サトウキビはススキのような葉が同じくらいに伸びていた。

 サツマイモも葉は青々とし、根が張ったのが見て取れる。


 「何とか芽をだしましたが、解らぬ事ばかりで。御指図を書かれた方様に見て頂ければと。芦田様?」

 感動のあまりボーとしていた。

 「良く出来ている。このまま続けてくれ」

 芦田は変名で、栽培手順を書かせたのは僕だ。

 作物は上出来である。何も言うことは無い。

 「はい。有難うございます」

 有永は満足そうに頷いた。


 この青年を選んだのは小原である。

 駿府城の改修工事で近隣の百姓を人足として集めたとき、手間賃に苦情を言ったらしい。

 安すぎると言ったのではない。高すぎると言ったそうだ。

 高い人足賃は、村から男手を奪い田植えや種まきが、おろそかになってしまう。

 一時は潤うだろうが、先々百姓のためにならないと言ったそうだ。

 物怖じしない態度と利発な発言に小原が気に入ったのだ。


 「芦田様。御酒を用意させております。あばら家ですがお立ち寄りください」

 「酒はいい。まだやらなければならないことがあるのだ。湯をもらおう」

 畑の先の高台の家は、大きな茅葺屋根の家で、母屋のほかに裏に建物が二、三あった。

 家の中へ誘うのを断り、僕は縁側に腰掛けた。

 門の替わりなのだろう、丸太を二本立てた入り口から綿花の葉が見えた。

 栽培は上手くいっている。


 「ようこそおいで下さいました。隠居の清兵衛と申しまする」

 声を掛けられ横を向くと有村の家人四人が平伏していた。

 父親と母親と若い嫁と幼児である。

 「気を使うな。縁側に座ってくれ」

 「い、いえ。め、滅相もありません」

 身分の違いで遠慮したのではない。

 清兵衛の目には怯えがあったのだ。

 湯を持って出て来た有永が、椀を捧げるように差し出した。

 清兵衛らは立ちあがり頭を下げると母屋に消えた。

 

 「やはり、武田は怖いか」

 「えっ! い、いえ。そ、そのようなことは」

 有永は目を見開いて驚いたあと、慌てて顔を伏せた。

 

 駿府から一里半。武田の侵攻にただで済むわけがない。

 略奪暴行は、どの家の足軽でも当たり前のように行われているが、武田のそれは輪をかけて凄まじい。

 銭になれば何でも奪う。女、子供は無論のこと、若い男も捕まえ売り飛ばす。

 若い男は、死ぬまで過酷な金山工夫にしていたのだ。


 僕は、略奪、乱暴狼藉、放火を禁止した。

 己の兵士が獣のように村を襲い、蝗のように食いつくす、怖気立つ行為に耐えられなかったからだ。

 「迷惑をかけた。すまない」

 空の椀を渡し、僕は言った。

 「いえ」

 「また寄らせてもらう」

 詫びの言葉は、一杯の白湯の礼と受け取られたようだ。


 八月になった。

 駿府城の三重の堀も完成し、外堀の内側には粗末な棟割り長屋が何棟も建った。

 家臣の屋敷が完成するまでの間に合わせの住いだ。

 門や矢倉は建築途中だが、江尻城から紗矢を呼び寄せ、本丸西に増築した御殿に移った。

 内堀の屋敷はそのままである。

 いつでも郡役人芦田に化けられるようにしてあるが、堀ひとつ越えれば外に出られたものが、三つの城門を潜らなければ、外出できなくなった。


 「面倒になりましたな。城外の郡代屋敷を使いますか」

 江尻城に移った小原が屋敷に来た。

 小原も城門を三つ潜り、本丸に立ち寄ってから外れの屋敷に来るのが面倒のようだ。

 「そなたはよいが、わたしは変わらない」

 「ハハハッ。確かに。御自身の城です。堂々とお通りになられれば良いでしょう」

 郡代屋敷で着替えればいいかと、小原の申し出を受けた。

 

 「先月の末、信長が京で帝を招き、重臣らと軍勢を並べ行進したそうです」

 「馬揃えか!」

 「ご、御存知でしたか。商人らも御馬揃えと言っておりました。出浦からですか」

 「いや、まあ」

 誤魔化すしかない。神余、出浦の報せはまだである。

 商人らには独自の情報網がある。評判となれば噂が伝わるのは早い。


 京都御馬揃え ── 信長の行った軍事パレードである。

 史実では二月に行っているはずだが、半年ほどズレたようだ。

 「帝、公達が観覧したそうです。信長の宮中における威勢侮れませぬ」

 立ち消えになった官位も信長の斡旋である。

 史実でも「東夷武田を討て」と、信長に勅命を与えたのは、今上天皇、つまり正親町天皇なのだ。

 朝廷は信長の言いなりと思った方がいいだろう。


 「摂津の荒木、本願寺顕如に圧力をかけたのであろう。もしくは西の毛利か」

 和睦しているとはいえ、朝廷を牛耳られていては、荒木、顕如も心中穏やかではない。

 毛利もいつ何時、朝敵にされるか、気が気でないはずだ。


 「三条卿に、献金しておくか」

 「それが、よろしいかと」

 異を唱えられる公家がいれば、少しは違うかもしれない。

 まったく。つまらない金ばかり出て行く。

 信長は和睦を守り、今のところ東には目を向けていないのだから猶更である。


 「京といえば。京の米値段は、今いくらぐらいだ」

 「京の米? 一石、千五、六百文だと思われまする。それが何か?」

 小原が怪訝な顔をした。

 「あ、いや。信長とは関係ない。有永に銭を支払うためだ」

 「上手くいきましたか!」

 僕は頷いた。

 収穫が終われば、それらは来年の種苗となり耕作面積を大幅に増やせる。

 一粒万倍。駿河国中に広がるのには、そう時間はかからないはずだ。


 「綿から糸、甘庶から黒糖。芋は食うだけではない、酒もつくれる。まあ、これらを作るのには職人が必要だが道筋はついた」

 「はい。それがしも見とうございましたが、顔が知られていますので・・・」

 「栽培記録も良く書けているようだ。有永は小村の名主では惜しいな」

 召し抱えて、村々に栽培の指導をさせたい。

 何役と言うのはわからないが、農業普及所、農業指導員を作りたい。


 「有村を召し抱えまするか」

 小原の顔が曇った。

 「まずいか?」

 「有村の家は、今川では代々五村を束ねた総名主で、騎乗を許されておりました。役を外され小村ひとつの名主に落されては、武田を恨んでおりましょう」

 農村から兵を徴集していた頃は、農民を統括する名主は小領主のようなものだ。

 家の子数人を連れ参陣する地侍と比べても、百姓二、三十人も従えて参陣してくる名主の方が重要視されるのは当然のことで、重臣の高坂弾正も石和郷の名主の子だった。


 「そうか・・・・」

 信玄の駿河侵攻だけではない。

 今川氏真は家康について、長篠で戦死している。

 清兵衛が武田を恨んでいても仕方がないが、若い平太郎ならどうだろう。

 だめもとで、口説いてみよう。


 「このように多くは頂けません」

 金を渡すと有永は即座に言った。

 二分金を二枚、一分金を一枚、二分銀を二枚、一分銀一枚と文銭五百枚を渡した。

 つまり六千文である。

 米ならおおよそ四石分(約六百キロ、十俵)買える金額だ。

 田一反歩あたりの収穫量は、豊作で二石(五俵)が精々。不作なら二俵という年もある。

 そこから四割り年貢を納めるのだ。

 五反歩ほどの畑で、田三反歩の米に匹敵する作物などあるはずがない。


 「見事に成し遂げた褒美だ。種苗の管理と来年の耕作者への指導の手間賃でもある」

 褒美のほかに狙いは二つある。

 新貨幣がどの程度認識されているのか試してみることと、召し抱える事ができないなら、作物の指導者として繋がりを残しておくことだ。

 「わかりました。喜んでお引き受けいたします」

 有永が笑顔で答えた。

 「干鰯はこちらで用意する。種苗の管理を頼む」

 綿花の肥料には干鰯が必要になる。

 耕作面積が拡大すれば、漁民、商人も潤うだろう。


 満足できる結果であった。

 有村が貨幣を珍しがる様子がなかったのは、新貨幣が街道筋から徐々に浸透しているからだ。

 作物の出来も良い。

 有村が村々に広げれば、良い特産物となるはずだ。

 

 


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