57 嫌な築城
天正九年(一五八一年)正月 ──
仮病を使ったとは言え、寝て居られるわけではない。
元日を紗矢と祝っただけで、二日からは小原と顔をつき合わせ、宿場、湊の定めや番所の役務、人事などの概案を作成した。
正月二日からの仕事であるが、小原にとってはいつものことで、僕の仮病を仕事が進むと喜んでいたぐらいだ。
山県、内藤、和田、馬場が、躑躅ヶ崎館の年賀の議を終え江尻城に来たのは、六日のことである。
挨拶を終えた後、酒宴となった。
「道普請も始めたようですが、まだまだですな」
山県の案通り穴山に親族衆を説得させ、やっと始まった道普請はあまり進んでいないようだ。
三河まで進んでいる秀吉と比べものにならないほど遅い。
「まったく。あれでは人足代ばかりかかりまするぞ」
内藤が言うのもわかるが、農閑期の手間取りとして甲斐の領民が潤うなら仕方がないことだ。
普請を始めただけマシと思うしかない。
「伊豆の金を充てているのだ。逍遥軒様が申したアレもそうだろう」
和田が杯を飲み干し言った。
「高遠では役務に支障があるのはわからぬでもないが、岐阜遅参で依怙地になっておるのだろう」
内藤が瓶子を傾け、和田の空の杯を満たしていると、
「築城の話しでございますか?」
馬場が割って入った。
「それ以外になかろう。いざとなったら御当主を迎え入れると申したではないないか」
「さよう。さよう。いざとは何だ? 我らが不甲斐ないということか」
一体何の話しだ? 築城? いざとなったら?
「よさぬか。韮崎の七里岩なら堅牢な城になる」
山県の言葉を聞いて噴き出しそうになった。
築城‥‥ 韮崎の七里岩‥‥ まさか⁉
顔に出ないように気を張ったが、酒に酔った山県らは気が付かなかった。
「それはわかるが、築城が攻込まれた時のためというのが気に食わんのだ」
「逍遥軒様も案外に気が小さいのだ。そう思えばよい。ワハハッ」
山県の笑いに内藤、和田が釣られて口角を上げた。
「実は黙っておりましたが、既に築城は始められているようです」
「なんだと! いつからだ」
「八月の頃よりと聞いております」
三人は呆れたように首を振った。
岐阜城から帰国して直ぐなら、僕が恥を掻かせたためだろう。
嫌な城を造り始めたものだ。
釜無川と塩川の間に伸びる七里岩に築かれる城とは、史実では新府城と呼ばれることになる。
信長の侵攻に完成が間に合わず、小山田の岩殿城に落ちるため勝頼自ら火をかけた城だ。
躑躅ヶ崎館から三里半(十四キロ)ほど、当主の警固の城だと言い張れば、陣代の僕でも文句は言えない。
「民部。その話しどこから聞いた」
出浦の配下が壊滅状態で巷の噂が入ってこない。
山県は馬場が掴んだ情報が気になったのだ。
「新しく召し抱えた風間孫右衛門からです。この者も北条の家臣で下妻城の多賀谷の押さえとして、飯沼向城の城代を務めておりました」
相模の旗頭に据えた馬場には、北条の旧臣を召し抱えるように命じていた。
北条家を滅ぼした憎き武田への仕官を拒むものは意外に少なかった。
駿河や遠江の半領地安堵の緩い仕置きが浸透しているのだ。
「ほう。風間とやらは、甲斐に懇意な者でもおるのか?」
馬場も食いついた。
逍遥軒の築城の話題が終わったのは有難い。
「いえ、風魔の一族と睨み、諜報をやらせております」
「風魔ぁ⁉ 民部は北条の透破を召し抱えたのか」
「本人は否定しておりますが、土地の者だけあって重宝しております」
「風間、風魔。なるほど。読みを替えただけか。しかし、風魔小太郎は身の丈七尺二寸(二百十六センチ)の大男ではなかったか」
「ワハハッ。その様に目立つ者が、透破など務るまいよ」
「さようです。いたって普通の武士。かえって目立ちませぬぞ」
酔いが回り広間に濁声が響き渡る。
目立たない武士か。使えるかもしれない。 ──
「民部。風間をわたしにくれないか」
「おお。それは良い。主水の立て直しが思うように進んでおらぬのだ」
「御神代が、ぜひとおっしゃるなら構いませぬが、北条の者ですぞ」
馬場が得意気に言った。
鬼美濃の後を継いで家老の列に加わっているが、山県ら宿老から見れば四十を過ぎていても青二才である。
宿老らにさきがけ風魔を召し抱えたことで得意になっているのだ。
「やはり、そなたはまだまだだ。御神代様だぞ。心配はいらぬ」
内藤が呆れたように首を振った。
「さよう。御神代の器量に触れて心を打たれぬ者はおらぬ。透破や海賊ほど敬うことになる。それを見抜けぬようでは、まだまだだ」
山県が真顔で言った。
馬場が肩を落とした。藪蛇になったようだ。
それにしても、僕が勝頼になったばかりの頃とはえらい違いである。
だが、この信頼こそ僕が最も必要としていたものだ。
逍遥軒が新府城を築くというのなら、丁度良い。
今の武田なら縁起の悪い城になるとこともないだろう。
僕が駿府に移りやすくなると思えばいい。
天正九年三月 ──
「良く成し遂げた。褒美に江戸をやる。五万石だ」
「へへぇ。あ、有難き幸せ。‥‥‥ え、江戸とは?」
秀吉が街道整備を終わらせ江尻に戻ってきた。
次は家康にやらせる予定であった江戸づくりを秀吉にやらせるのだ。
「鎌倉の東だ。大河が湾に流れ込んでいる。運河を通し物の流れを良くすれば発展間違いない」
「ははっ」
秀吉は満面の笑みを浮かべた。
「縄張図と金は小原から貰え。期待している」
「か、金までちょでーできますか⁉」
涙まで浮かべる秀吉には悪いが、江戸は東と南は鄙びた漁村で、北の台地にぽつり、ぽつりと百姓家が点在する僻地である。
江戸城は太田氏の居城であったが、要地ではないためか、今では陣屋と見間違えるほどの粗末な建物になってしまっている。
大雨が降れば低地には塩混じりの水が溜まり作物も作れないような土地である。
しかも、遠く離れた上野、下野の大雨も江戸に流れ落ちて来るのだ。
ただし、治水事業が成功すれば、北東に広がる湿地帯や茅原を広大な穀倉地帯にできるのだ。
米の生産量が増えれば百姓が潤うばかりではなく、年貢も増収となる。
そればかりではない。
川船により、上野、下野、常陸、下総、武蔵から特産物を運ぶことができる。
船で石材や米などの重い物を大量に江戸の町に運び、それらを北や西に送ることができる。
城は小規模でもいい。大坂のような商業の町を造りたい。
「御屋形様。よろしいですか」
小原が執務室に来た。
秀吉に渡した工事費のことだった。
「利根川を曲げるとなると、あの金だけでは足りますまい」
渡瀬川と利根川を繋ぎ常陸川に流す土木工事である。
湾に流れる利根川は水量も減り江戸川と呼ばれるようになる。
川を曲げ支流を止め遊水地をつくり、水路で広大な田畑に水を行き届かせる大規模治水事業である。
小原は秀吉に渡した金では足りないと思っている。
史実でも完成まで六十年もかかっているのだ。
工事費は莫大なものだったはずだ。
だが、暗中模索の事業とは若干の違いはあるのだ。
うろ覚えだが、川のどこら辺を直したか図面に書いて渡してある。
秀吉なら要領よく短期に成し遂げるこもしれない。
「足りなければ、赤川の銀を使えばいい」
大久保新之亟に命じていた魚沼東、赤川上流の上田銀山は発見に至っている。
前人未到の秘境のため道造りから始めているが、それほど時間がかからず堀だせるようになる。
「また、上杉様の金山頼りですか」
小原がため息まじりに言った。
伊豆の金山は叔父の逍遥軒に押さえられている。
僕が自由に使える金は、上杉、河田の領地の金銀山だけだ。
これを使うしかないのが現状だ。




