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55 同じ境遇?

 江尻城に続く道は黒山の人で溢れていた。

 僕を一目見ようと、沿道に人々が押しかけたのだ。


 赤黒蛇の馬標を押し立て馬を進める山県の赤備え。錦御旗の本隊。殿には天賦の御旗を掲げる関東管領上杉の軍勢。── 将軍の凱旋ともとれる軍列に大歓声上がった。

 殿に景虎がいるだけに、真実味があるのだろう。

 嬉しくはあるが、逍遥軒ら親族衆がどう受け取るか。

 面倒事にならないことを祈るばかりだ。


 本郭の広間には主だった家臣たちが平伏し僕を迎えた。

 城に残した家臣らは、北条との戦で怪我を負った者が多い。

 末席に控える須賀もそうだ。

 小山田隊から引き抜き、本隊鉄砲隊の頭に据えた男だ。


 「須賀。傷はもういいのか。その方がおらぬと鉄砲隊が締まらない」

 突然声を掛けられ須賀は目を白黒させた。

 「あ、有難きお言葉。お、恐れ多いことでござります」

 須賀は葦名の狙撃に成功しているが、僕の体面を保つため伏せられている。

 名門武田が狙撃という卑劣な手を使ったからだ。


 事情を知らない将らが、振り返りながら須賀を凝視した。

 身分の高くない鉄砲頭に、僕が声を掛けたのを不思議に思ったのだろう。

 岡崎の戦では、鉄砲はあるものの射手がおらず苦労した。

 須賀の地位をいま少し上げ、鉄砲兵を育成しなければならない。

 

 「お疲れのところ恐縮ですが、お話ししたいことがありまする」

 広間を出る僕に、跡部が小声で言った。

 跡部勝資は、相模統治を終えたあと留守居役として江尻城に入っている。

 「ワシも居た方がよいな。よろしいでしょうか、御神代」

 居城の浜松城を素通りしている山県は、直ぐにでも発ちたいのだろうが、跡部の真剣な面持ちを見て取り同席を願った。

 「そうしてくれ」

 隣りの小部屋に跡部を誘った。

 

 「木下にやらせている街道の整備のことです」

 座るなり跡部が言った。

 「なにか、藤吉郎がやらかしたか」

 秀吉は山県から貰い受け、道普請奉行に据えている。

 山県も他人事ではない。


 「いえ、人足らからも慕われており、驚くほどの働きぶりです。ちと金を使い過ぎますが」

 秀吉は後世、人たらしと言われるほど人心掌握に優れている。

 だから、国々を貫く面倒な街道整備に抜擢したのだ。

 正解だったのだろう、跡部もコロッとたらし込まれているように見えた。

 「では、なにが問題なのだ?」

 山県が眉を顰めた。

 「甲斐に入れませぬ。敵の進行を良くするものだと架けた橋まで壊す始末で」

 「御親戚衆の指示か?」

 「はい」

 山県が腕を組んで考えこんだ。


 確かに道路がよくなれば大軍の通過も容易であり、敵が時間をかけず攻込んでくるのは脅威だろう。

 だが、それを承知で始めたことだ。


 「来るかどうかもわからない敵を恐れていては、街道整備などできない。どこまで進んでいる?」

 「甲州往還は万沢、甲州街道は上野原まで、上杉領は手つかずですが、上野の三国街道、信濃の北国街道の整備は直に終わりまする」

 「うっ。もう、そんなに進んだのか」

 驚きの速さだ。

 相模、武蔵は北条の整備が行き届いていたので早いのはわかるが、上野、信濃までわずか八ヵ月ほどで終わらせてしまうとは想定外だ。


 「武藤喜兵衛殿が、上野、信濃の諸将に助力を頼みました由」

 「喜兵衛が?」

 「はい。なにやら木下と意気投合したようです」

 武藤喜兵衛は、史実通りなら表裏比興の真田昌幸である。

 秀吉と昌幸。二人を組ませて大丈夫なのだろうか。

 少し不安になる。

 

 「諸将らに手伝わせただと。遠江の道普請はワシがやるのか。ハハハッ。藤吉郎やりおる」

 考え込んでいた山県が、突然声を出した。

 「御神代。いずれ御親族衆も折れもうす。甲斐だけ取り残されては、商人どもが黙っていない」

 景虎が城にいるのだ。街道の整備を打ち出せば帰国後直ぐに着手するだろう。

 そうなれば、越後からの物の流れは、信濃から上野を通り関東に流れる。西も飛騨を通り尾張に流れる。逆もそうなる。

 甲斐の商人だけが割りを食うというわけだ。


 「ご不安でしたら、穴山殿を使っては如何か。商人と揉めれば事態の収拾に動くのは、あの御仁でしょう」

 穴山氏は代々武田宋家と婚姻関係を結んでいて、信君は信玄の次女を娶り親族衆として重責を担っているが、叔父らの扱いはあまり良いといは言えない。

 叔父らにすれば、穴山信君など外姻の家臣にすぎない。

 面倒ごとを押し付けられるのは、穴山信君になるだろう。


 「なるほど。左衛門を動かせばよいか。木下はいまどの辺にいる?」

 「信濃路の目処が立ち、箱根路に取り掛かるためこちらに向かっております」

 秀吉が箱根山を後回しにしたのは、甲州往還で山道整備の大変さがわかったかららしい。

 平坦なら五倍の速さで普請ができる。人足代も掛からないと、豪語したそうだ。

 「城に来るようにと言ってくれ」

 「はっ」


 普請の状況を確認したいというだけではない。

 武田家中で唯一、丹羽長秀を見知っているからだ。

 秀吉なら丹羽の逸聞を知っている可能性があるのだ。


 「まあ、これが新しい貨幣ですか。綺麗なものですね」

 紗矢が一両小判を翳しながら言った。

 「それ一枚が文銭四千枚、この二分金が二千枚。一分金が千枚だ。こちらの二分銀は二百枚、一分銀は百枚とするのだ」

 景虎から渡された貨幣を床に並べた。

 江戸の貨幣とそっくりだが、小判の打刻は武、文銭は天正通宝としている。

 それに江戸では金貨と銀貨が等価であったが、銀貨の価値を金貨の十分の一とした。


 「これで万華鏡のような異国の物が購えるようになりますのでしょうか」

 「そうしたいと思っている。万華鏡を気に入ったのか?」

 「それはもう。ふふっ。父や兄は目の周りに痣が出来るほど覗いておりました」

 甲斐を離れた紗矢は、よく笑うようになっていた。

 僕は万華鏡を贈ってきた信長に嫉妬を覚えた。


 「道々見ながら帰国致します。関東に負けない道普請を致しますれば、御館にお越し願えますか」

 街道整備を話すと、直ぐに取り掛かると景虎は帰国を決めてしまった。

 わずか三日の滞在である。

 「うむ。必ず伺うと五郎様に伝えてくれ」

  三国街道の越後側が整えば、一度は行くべきだろう。

 上杉憲政の御館には、鋳造所の他に僕の屋敷もあるのだ。


 十日経ったあと、秀吉が江尻城に来た。

 既に山県は帰城の途についていた。

 秀吉は長篠で負った傷が痛み、箱根で湯治をしていたらしい。

 「無理をさせて済まない。もう、古傷の痛みはいいのか?」 

 跡部に連れられて部屋に入ってきた秀吉は、脚を引き摺っていた。

 この怪我がもとで、長浜城を取り上げられ、減俸のうえ伊勢に追いやられたのだ。


 「御屋形様の御優しき心使い、感涙致しまする」

 秀吉は平伏し、殊更に感動したような素振りを見せた。

 人たらしの本領発揮だ。

 「甘やかしてはなりませぬ。こやつ、湯治と称し白拍子と戯れておりました」

 跡部が普請帳を差しだしながら秀吉を睨んだ。

 「あひゃ。そぎゃぁおそがい(そんな恐ろしい)ことを。大炊助様、そりゃ誤解だわ」

 「誤解? 呼びに行った家臣が申しておったぞ。三日も離さなかったらしいな」

 史実でも秀吉の女好きは有名で、名家の姫君ばかり二十人を側室にしていたのだ。

 湯治場で羽目を外すことなど可愛いものだろう。


 「ハハハッ。まあ、よい。息抜きは必要であろう。さて、普請ついてだが」

 僕は帳面を開き、書き込まれた文字に目を通すふりをした。

 事前に近習に読み聞かせて貰っていたが、格好をつけるためだ。

 若干経費が予定より多いが、指示通り良くできていた。

 道の拡張整備のほか、一里を三十六町とし、街道横に目安の一里塚の構築した。

 宿場、宿場には番所となる土地の確保及び造成。新しく造る宿場の整地。橋の設置。

 短期間によくここまで仕上げたものだ。


 「うむ。良く出来ている。次は箱根から東海道か?」

 「はっ。小一郎もおるんで、早急に仕上げたく存じます」

 秀吉は安堵の表情を浮かべた。

 土屋から秀吉の弟小一郎を貰い受け、秀吉の下につけている。

 「東海道は大河が多い。遊女にかまけている暇はないぞ」

 跡部が秀吉を揶揄った。


 東海道には大河が幾本もある。

 予定では大河は、橋は架けず両岸に船番所を設置し船で渡河することになる。

 ただ、上流の浅瀬に橋を架けるため、川沿いの迂回路の整備が必要になるのだ。

 「大炊助様。その話しは許してちょうせ。お寧に聞かれたな大変だがね」

 秀吉は関東、信濃の諸将らを上手く使いこなしたというから、滞りなくできるだろう。

 

 普請帳を手に跡部が部屋を出て行った。

 前もって命じていた人払いである。


 「藤吉郎。丹羽越前守とは、どういう御仁だ」

 「はあ。丹羽様ですか。お静かな方です。それがし随分目を掛けて頂きました」

 ただの世間話と思ったのだろう。

 秀吉は人懐っこい顔を向けた。

 「荒々しい武将ではないのか。関ケ原では苦戦を強いられたが」

 「丹羽修理亮様の御次男で、兄の将監様は清州合戦で御討死されております。静かな方ですが根っからの武人ですがね」

 「藤吉郎は那古野城の頃から仕えていたのであろう」

 丹羽は、信長がうつけと呼ばれていた一五、六の頃からの家臣である。

 どこで入れ替わったのか、秀吉なら知っているかもしれない。


 「それがし、出目ゆえ織田で嫌がらせを多々受けましたが、丹羽様だけは優しく接してくれました」

 「ほう。最初から丹羽殿だけが優しく接してくれたか」

 「はい。い、いや。仕えたばかりは軽輩ゆえ挨拶も返してくれませんでした。はて、いつからだがや」

 秀吉は天井を見上げ考え込んだ。


 「あ、あれだぎゃ。厩で名前を何度も言っていたときからだがね。あっ。失礼いたしました」

 「何度も名前を言った?」

 「はい。木下藤吉郎秀吉、秀吉と。それから目を掛けられるようになりました」

 豊臣秀吉と気づいたたのだ。

 やはり丹羽は僕と同じだ。


 「もしや御屋形様は、丹羽様に調略をと、お思いですか」

 聞き過ぎたか、秀吉が真顔になった。

 「調略か。どう思う?」

 「お止めになった方がよろしいかと。あの方は戦を好みませぬ。出世する気概がない。それゆえ、うつけの信長さまに遊び相手として丹羽家を追い出されたのです。尤も信長様が大層気に入ったそうですから、わからにゃもんですわ」


 戦を好まない? 出世する気がない? 

 なるほど、滅ぶはずの武田の台頭に、変わらざる得なかったということだ。

 「そうか、丹羽越前守は、戦を好まないか」

 秀吉の話しを聞いて確信した。

 当面、信長が武田領に手を出すことはない。

 信長との和睦は休戦である。

 一時凌ぎの感は否めないが、歴史が変わったために打つ手に迷いが生じ、不可侵協定を結んだと考えられる。

 

 丹羽長秀を味方に引き込めないだろうか。

 万華鏡を贈ってきたのは、その気があるということか。

 慎重に見定めなけばならない。


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