54 信長の進物
「では、一万両の半分は城下復興に充て、残りは三条様にお贈りしてよろしいですな。では、こちらにお運びいたします」
小原は、進物品を部下に運ばせると、土屋とともに荷を解き始めた。
信長からの進物品は、一万両の他に、羅紗、天鵞絨、綿などの織物や伽羅などの香木、ガラス瓶。孔雀の羽。帽子など、南蛮との交易で手に入れた物ばかりだった。
甲斐の山猿なら、見たこともないほどの珍品だろうと、信長がほくそ笑むのが見えるようで気分が悪い。
信長は財政の豊かさや見識の広さをひけらかしている。
なにしろ、地球儀や金平糖まで贈ってきたのだ。
石コロの意趣返しとも思ったが、あの盆暗石は、盆山と名を変え安土城の天守閣に鎮座しているのだという。
あの名高い信長の石。盆山である。
史実であれば、土屋が言ったように霊験あらたかな石と家臣を拝ませるのだが、どうなるかまでは知ったことではない。
「ふむ。鴨の塩漬けをはぶいたのは、まずかったでしょうか」
土屋が広げた進物品を見て腕を組んだ。
さすがに石コロだけとはいかず、武田からの進物品は、馬や鷹、名槍、名刀など武辺が好みそうなものを贈った。
鴨の塩漬は、嗜好があるだろうと取りやめている。
進物品を並べると舶来品だけあって、武田の進物が見劣りするように感じたのだろう。
「右衛門。信忠から武具を取り上げている。槍や刀を贈ったところで返しただけではないか」
「はははっ。違いありませぬ」
小原が目録を広げ進物を確認し始めた。
「てんがじゅうとは、これのことか」
目録を覗き込んだ土屋が天鵞絨を触った。
「ビロードと言うそうです。いい手触りでございましょう」
「うむ。いいな」
「右衛門。それを陣羽織に仕立ててみたらいい。良いものになるぞ」
「誠に! それがしが頂いてよろしいので」
僕は気分が悪いが、やはり武田の将には珍しい物なのだろう。
土屋の笑顔が物語っている。
「御屋形様。土屋様だけというのは困ります。お渡しになるなら恩賞として下さい」
「そ、そうだな。ここで頂けば、抜き盗ったと皆から思われるな」
未練があるのだろう、言葉と裏腹に放そうとはしない。
「構わない。異国と交易を始めるつもりだ。すぐに珍しきものではなくなる」
「異国と交易⁉ そ、それは凄い!」
直接は無理でも、、堺や博多の商人を通じて取引をするのだ。
東と西の湊から、整備した陸路を通じ領国津々浦々に物を流す。
僕が目指す領国経営の一歩めだ。
「このような品々が、甲斐で買えるようになりますか。おっ、これはなんだ」
土屋が手にしたのは蒔絵をほどこした円筒である。
なにを入れた筒なのだろう。舶来品の中に一つだけ雅なものだ。
「マンハナカガミ? マンカキョウ?」
目録を見ながら小原が言った。
「開かぬぞ。上の蓋に穴があるが、なんだこれは? どうすればいいのだ」
僕は土屋が手にする筒を凝視した。
間違いない。
「その穴を‥‥ の、覗いてみろ」
悟られぬように言ったつもりだが、声が震えた。
「おお! 美しい! このような物、初めて見ました。下総も覗いて見よ」
「これは! 何とも言えぬ美しさ。 紗矢の方様のよい手土産になりまするぞ」
「どれ、下総。今一度それがしにかせ」
「いやいや今少し。おお、回すと模様が変わる」
二人のはしゃぐ声が、遠くに聞こえる。
万華鏡 ──
鏡三枚を合わせ、円筒に入れ底にビーズを置いただけの簡単な仕組みの玩具で、古代からあるように思えるが、それほど古くない。
1800年初頭、スコットランドの科学者が偏光の実験で発明した物だ。
日本には、江戸の文化二年(1819年)に持ち込まれ、大流行したと本には書いてあった。
二人に話しかけられても、耳には入って来ない。
上の空である。
いつの間にか一人になっていた。
この時代にない。──
いや、それほど難しい造りではない。あっても不思議ではない。 ──
打ち消そうとしても、頭の中はひとつの答えに辿り着いてしまう。
信長の近習のなかに、僕と同じような人間がいる。──
そうとしか思えない。
思い当たるのは、ただひとり。
丹羽越前守長秀だけだ。
もしかすると、僕と同じ別の時代の人間なのかもしれない。
「御尊顔を拝し、恐悦至極でございまする」
下条忠親が平伏して言った。
「堅苦しい挨拶はいい。気楽にしてくれ」
下条は河田長親の弟で、病の長親に替わり越中勢の大将を務めていた。
「采女。御屋形様、いや、御神代様はこのような御方だ。肩の力を抜け」
景虎が言うと、後ろに控えていた北条景弘がしゃしゃり出た。
「さよう。御神代様は、主が兄と慕っている御方ぞ。御身内と思ってよい」
「これ。丹後。要らぬことを申すな」
北条景広は鬼と恐れられるほどの上杉家中一の武辺の士だが、おっちょこちょいである。
恩賞に渡した柴田勝家の馬標も忘れていったこともある。
鎌倉でも調子にのり、父の高広を心配させていた。
だが、そこが何とも言えない魅力であり、景虎や同輩から愛されているようだ。
「足労願ったのは、若狭攻めを聞きたいと思ったのだ」
三人を前に話を切り出した。
若狭は丹羽長秀の領土だ。
家康が言っていたように、本当に信長を操るほどの影響力があるのなら、織田軍の撤退も必ず丹羽が絡んでいる。
「若狭でございますか? 越中勢に攻込ませましたが、何か気障りなことでも」
景虎が怪訝顔をした。
越前から近江に侵攻した景虎に、若狭だけを口に出したのは失敗だったようだ。
「いや、深い意味はない。越前から若狭を狙ったのは、理由があるのかと思ったまで」
慌てて誤魔化したが、景虎に凝視された。
「ああ、それは憎き上条政繁が、若狭にいると聞いたからでございますな」
北条が脇から口を挟んだ。
気まずい雰囲気が、北条の性格で助けられた。
「上条政繁が若狭にいるのか。なるほど」
家臣を捨て逃げ出した謙信の養子である。
馬場美濃守信房を亡くした手取川の戦で、信長に加担し罠を仕掛けた。
上条政繁が頼ったということは、裏に丹羽がいたということだろう。
「船商人から聞いた噂です。確かめるため攻めさせましたが、出てきませでした」
景虎の言葉に、若狭に侵攻した下条が肯いた。
「丹羽の居城、後瀬山城は若狭の南。そこまでは攻めることは敵いませんでした」
北に攻め入っただけなら、僕が聞きたかった情報はないだろう。
後瀬山城下が、どのようなものなのか聞きたかったのだ。
「若狭とは、どのような国なのだ」
無駄とわかっていたが、聞いてみた。
「一郡だけですが、裕福なようです。道もよく整備され、湊には異国船が見えました」
「船商人の話しでも、若狭の湊は異国のようだと、聞き及んでおります」
河田、景虎の話しを聞いても、これといった確証はなかった。
湊の話しも信長同様、南蛮から硝石や織物、砂糖などを輸入しているだけかもしれない。
何か、目的があって万華鏡を贈ってきたはずだが、手懸りさえ掴めなかった。
「新発田も信長に唆されたということですかな」
「味方は加治、竹俣ら一族のみ。揚北衆もそれがしに従っては、勝ち目など到底ありませぬ」
後ろで山県と景虎が轡を並べ、笑いながら新発田重家との戦を話していた。
梅雨が明けた六月初め、関東の内藤を皮切りに諸将らが帰城を開始した。
小原、阿部、小宮山が、新領地の美濃、伊勢の統治を手伝うため本隊の大半を残した。
替わりに山県の赤備え五百と景虎の上杉勢千が、警固役として同行していた。
景虎は越後、越中勢を信長に承諾を取りつけてまで、北国街道から帰城させているのだ。
鎌倉の上杉屋敷に立ち寄るためだと言ったが、どうも違う狙いがあるようだ。
「しかし、弾正少弼殿。新発田らの残党を警戒しなくてよろしいのか」
「なあに、黒川、鮎川が目を光らせておりますれば、問題ありますまい」
「山県様。主人は出来上がった金を江尻城にお送りしてあるので、同行を願ったのですよ」
後から馬を進める北条景広が口を挟んだ。
眼を剝いたのは景虎だ。
「なっ! た、丹後! この粗忽者め」
「あー。内緒でしたか。これはしたり」
山県の豪快な笑い声が響く。
「江尻に送ってくれたのか! それは楽しみだ」
僕が振り向いて言うと、景虎は小さく頷いた。
鋳造が出来たことは手紙で知っていたが、景虎は現物を一枚も持って来なかった。
戦で気が回らなかったと思っていたが、驚かせようと江尻城に送っていたのだ。
紗矢に会うだけではなく、もう一つ楽しみができた。




