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51 必然? 

 タン。タン。タタン。 ──

 響き渡る銃声は、内藤信成ら旧徳川家臣団に向けられたものだ。

 裾野の郭を落としても、休む暇なく攻め続けている。


 吊るした人参が効いたのであろう。

 岐阜城攻撃が決まると、先手を願い出て、長良川沿いに陣を張る織田兵を瞬く間に蹴散らし、裾野の郭を落としてしまった。

 松平家再興に加え、本貫地三河一郡と尾張三郡を与えると言ったことが、家康旧臣らに漏れ伝わり、猛烈な攻めを展開したのだ。

 信成は既に松平を名乗っている。

 牢人になるか、松平の家臣に戻れるか、集まった家康旧臣にして見れば命を賭けるだけの価値があるのだろう。


 しかし、三日とかからず裾野の郭を落とした信成勢も岐阜城に攻め上ることは出来なかった。

 岐阜城は百八丈(約三百二十八メートル)の山城で主郭は頂上にあり、中腹の郭に鉄砲隊を並べ、信成の攻撃を跳ね返しているのだ。

 内藤、土屋隊も北側の山の峰つづきから攻めたが、打ち破ることはできなかった。

 朝比奈、依田が東を押さえているのにである。

 鉄砲隊で固めた岐阜城は、正に難攻不落。

 信長でさえ内部からの寝返りでしか落とせなかったのは伊達ではない。


 「兄上! 待てませぬ。松平と我が隊を替えて下され」

 長良川西岸の本陣で仁科が床几から立ち上がり言った。

 仁科隊は信長の再進攻の備えとして、本隊付にしてあった。

 「まだだ。今少し待て」

 信成勢は、五日の間力攻め繰り返し死傷者がかなり出ている。

 十分すぎるほどの働きであり、一度下げるべきだとわかっている。

 だが、信成勢を下げるのは、山県が来てからだ。

 山県が来れば停滞した戦況を変えられる。


 陽が傾き出した頃、東から歓声があがった。

 「山県様! 着陣にございます」

 長良川沿を進んでくる軍勢が見えた。

 先頭には、紅白の禿の小馬標を掲げた秋山二千。その後ろは真っ赤な軍勢、山県の赤備え五千である。

 武田最強の軍団は、岐阜城内の信忠に見せつけるように、長良川沿いをゆっくり進んでくる。

 黒赤の蛇の馬標見えた。馬上の山県が弓杖を振っている。


 「五郎。三左衛門と交代せよ」

 「はっ」

 飛び出していく仁科の背を目で追った。

 山県に、いいところを見せようと無茶な力攻めをやりそうだ。

 釘をさすべきか。いや、仁科隊は攻撃を仕掛けることない。

 松平勢と交代すれば、直ぐに仁科を軍議で呼び戻すことになるのだ。


 「三郎兵。岡部の二千だけで伊勢は大丈夫なのか?」

 内藤が山県に言った。

 本陣として使っている屋敷に家老だけを集めた。

 山県、内藤、土屋の三人である。


 「ハハハッ。修理、心配は無用。松永勢の兜首一千余。暫くはおとなしい」

 「か、兜首千⁉ それは見事なお働き!」

 土屋が感嘆の声を出した。

 「おう。その中にな、小笠原信興の首があったわ。彼奴め、松永を頼って大和に逃げ込んだようだ」

 山県の伊勢侵攻に、大和に逃れた小笠原信興は、領地奪還を狙い松永に加担したのだ。

 「口惜しや。与八郎の首は、それがしが挙げたかった」

 土屋は、配下に裏切られた雪辱を果たすため小笠原を討ち取りたかったのだろう。

 握りしめた拳が震えている。

 「大手柄だが、我らがやられては松永どころではなかったのだぞ」

 「修理。お主は何もわかっておらぬ。信長は退いたであろう。なぜだ?」

 山県が目配せして口角をあげた。

 「‥‥‥ わからぬ」

 「御神代様だからよ。ワハハッ」

 小原は意図的だが、山県は恣意的だ。

 都合がいい時だけ、僕は神になるようだ。


 「戯言を。信長が舞い戻って来る前に、城を落とさなければならないのだぞ」

 僕が睨むと、山県は真顔になった。

 「北畠右近殿、神戸蔵人殿を連れてまいりました。伊勢勢を切り離します」

 元の家臣らは、信長の子が養子となって家督を継いだため従っているのだ。

 特に北畠は、信意を討ち取れていて当主不在である。

 幽閉されていた具房が兵を率いて来たとなれば、織田から離れる者が出るだろう。


 「城内との繋ぎはどうする? 伊勢勢とはいえ、信長につけられた家臣がいるぞ」

 内藤が言った通りだ。

 北畠も神戸も将格は、信長の旧臣である。

 具房、盛具の旧臣だけに、繋ぎをつけることなど出来る訳がない。

 「北畠は伊勢国主の家柄。隣国伊賀と深い繋があり、なかなかの透破を抱えておるのだ」

 「くっ。伊賀者か! 出浦が嘆くぞ」

 出浦の配下、渡辺、富田らは、家康の配下の忍びに壊滅状態に追い込まれている。

 服部ら伊賀者に狩られたのだ。

 「さすがは、三郎兵衛様! 城門を開けさせれば、堅城岐阜とはいえ早期に落せますぞ」

 土屋の言葉に、山県は満足そうに頷いた。


 「仰せのままに! 必ずや」

 北畠具房と神戸盛具が頭を下げると、背後に自在鉤が見えた。

 長良川西岸の宿舎は、中位の武士の屋敷だったのだろう。

 広間と呼べる部屋はなく、客間で軍議を開いた。

 空堀や土塀に囲まれているものの、母屋は小さく、庭に面した客間だけでは二列に並んでも家臣らが入りきれず、板戸を外し囲炉裏間を下座とした。

 右に山県、内藤らが並び、左は仁科、葛山ら、対面の囲炉裏間に北畠、神戸、小原、阿部らが床几に座っている。

 顔を紅潮させる北畠に対し、仁科らは憮然としていた。

 信長に家を奪われた隠居に頼ることが気に食わないのだ。


 具房は滝川一益に、盛具は近江日野城に幽閉されたあと、許されたものの隠居させられている。

 若い仁科、葛山には、北畠、神戸が伊勢の名門だけになおさら無能に見えるのだろう。

「あてにならぬ帰り忠より、松平殿が落とした西門より攻め上るほう早いのではないのでしょうか」

 仁科は信成旧徳川勢の手柄を強調したが、今布陣しているのは己の隊だ。

 つまり、自分が攻めたいのだ。


 「五郎様、攻め手を緩めろと申しているのではありませぬ。がつがつ攻めて結構」

 「さよう。皆も今まで通り油断なく攻めよ。一郭でも攻め取れれば足場になる」

 山県と内藤の言葉に、仁科をはじめ居並ぶ諸将が満足そうに頷いた。

 内部からの手引きにより城を落とすのは、武田武士としての矜持が許さないのだ。

 だが、信長の動きがわからない。

 早期に岐阜城を落とさなければ取り返しのつかない事になる。

 僕は諸将らに激を飛ばしたものの、内心では北畠らに期待していた。


 「主水からは?」

 諸将らが持ち場に戻ったあと、小原を居室に呼んだ。

 「ありませぬ。出浦自らが動くような状態です。期待はできません」

 「早々に手を打たなければならないか」

 「はい。もし、首尾よくいけば、北畠の透破を引き抜いてはいかがですか」

 「伊賀者だぞ」

 金で雇われる伊賀者の信用は低い。いつ裏切られるかわからない。

 出浦の手下を壊滅させた服部は、家康に武家として仕えていたのだ。


 「京の探索なら問題ありますまい。神余殿の話し通りなら、公家にも眼を光らせるべきです」

 「‥‥ そうだな。市井の噂だけでも無いよりはましか」

 透破では内裏の情報を得ることは無理だろう。拾えるのは市井の噂だけだ。

 出来れば有力公家を味方につけたいが、無位無官の陣代のため、内裏との関りは蚊帳の外だ。

 「この戦が終ったら、上杉様に根回しを頼み三条卿に献金いたしましょう」

 「ハハハ。勝てるかどうかもわからないのに、気の早い話だな」

 僕が笑うと小原は目を吊り上げてにじり寄った。

 「必ず勝ちます。御屋形様が負けるはずがありませぬ」

 「どうして?」

 「それはっ、いや‥‥ そうでなければ武神の生まれ変わりにはなれませぬ」


 何を言いかけたのだろう。

 気にはなったが、問い質すことはしなかった。

 小原は僕を武田家当主に押し上げたいのだ。

 それには、信玄の遺言を覆せるほどの、頭領のとしての器量が必要なのだろう。

 武神の生まれ変わり。天運。何でもいい。

 信玄を越えた力を示せれば、叔父らを黙らせることができると考えているのだ。


 残念なことだが、僕の考えと若干違う。

 僕は当主などに成りたくはない。遺言通り当主は嫡男信勝で構わない。

 家臣を従わせるためにカリスマ性が必要なだけなのだ。

 勝頼のまま、平穏で長く豊かに暮らすために戦っていると言っても過言ではない。

 だが、実に不思議な事に山県や小原が言ったようになるのだ。

 しかも、北畠具房が失敗したのに、である。


 「も、申し訳ありませぬ。我が家臣、山頂の郭に移されました」

 北畠が膝まついて悲痛な声を出した。

 信忠は、北畠具房、神戸盛具の出陣を知り、伊勢勢の寝返りを警戒し、中腹の郭から山の天辺に移動させてしまったのだ。

 こうなっては、いかに優秀な忍びでも北畠の家臣に連絡を取ることはできない。

 が。── 山県が悔しがるその日に、その朗報が舞い込んだ。

 山浦が男を連れて戻ったのだ。


 「上杉弾正少弼様が御家臣、鞍田又一郎殿です」

 男は山浦と同じ商人姿だった。

 余り身分は高くないようで、山浦に何度もうながされ、やっと部屋に入った。


 「ご、御尊顔を拝し、きょ、恐悦至極でございます」

 平伏した男が震えながら顔を上げた。

 どこかで見た顔だ。

 「其の方、越後三条城にいた上杉の聞者役ではないか」

 「ぎょ、御意。お、恐れ入まする」

 ますます縮こまってしまった。

 下越揚北の戦いで、諸将配下の忍びを動員した。

 新発田、佐竹、葦名、伊達の動向を探らせ流言で罠を仕掛けたのだ。

 山浦とは、この作戦で見知りになったのだろう。

 景虎の諜報役であるが、どの家でも素破の身分は低い。

 震えているのはそのせいだ。

 

 「鞍田殿、恐縮ばかりしていては役に立ちませぬぞ。身分など気になさらず、アレをお出しください」

 山浦の言葉に、鞍田はぎょっとし、顔を上げた。

 透破頭ふぜいが、主君に対し軽口を聞くのが信じられないのだ。

 とはいえ、山浦も最初から、こうではなかったのだ。

 勝頼になった頃の家臣らの態度は、身分などどうでもよくなるような酷いものだった。

 まさに慇懃尾籠。ならば慇懃など要らないと身分などにこだわらなくしたためだ。


 狐につままれたような腑抜けた顔をしたまま、鞍田は小さく折り畳んだ紙を差し出した。

 襟元にでも隠していたのだろう。

 密書だ。

 頷くと小原は膝を進め紙を手に取った。

 「なんと! 上杉様は越前に侵攻なされたのか!」

 小原の絶叫に、鞍田は平伏すばかりだ。

 「御意。越前から若狭までも攻め、今は北近江に布陣なされているようです」

 変りに出浦が言った。

 「鞍田。弾正少弼殿は、如何ほどの兵を連れて来た」

 「は、はひっ。さ、三万二千で、ございまする」

 小原と目が合った。

 信長が退いたのは、上杉の侵攻のためだったのだ。

 「御家老衆をお呼び致します!」

 小原は二人を下がらせ部屋を出て行った。



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