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50 軍神の条件

 「土屋右衛門尉様! お戻りになりました」

 「小宮山内膳殿、入城!」

 「城内に負傷兵が溢れかえっております。二の建屋に収容致したく」

 窮地を切り抜けた兵らが次々に戻ってきた。

 負傷者ばかりである。

 「二の郭に負傷者を入れ、坂板らに治療させよ。足軽も全部だ」

 「はっ」


 近習と入れ替わりに、土屋と小宮山が広間に入ってきた。

 「申し訳ありませぬ。五郎様は織田の進軍を止めると垂井から離れませぬ」

 土屋が膝をつき、甲冑が音を立てた。

 黒い埃が舞うのは、返り血が渇いたものだ。

 「無事なら良い。右衛門。動ける者を集めておけ」

 労いの言葉も感謝も無用だ。

 まだ、戦は終わったわけではない。

 「はっ」

 土屋とて退く積りはない。瞬時に理解した。


 退却してきた諸隊から、近習に報告される死傷者は膨大な数だった。

 多くの将格が戦死している。

 小原がいまだ戻らず、小宮山の話しでは丹羽勢迎撃に向かった飯島も仁科のもとには戻っていないらしい。

 心配だが、顔に出すわけにはいかない。

 武田の総大将として、兵士をまとめ信長に備えなければならないのだ。


 動ける兵は半数ほど、総勢一万四千に満たない。

 戦死者は、子、いなければ兄弟に、家を継がせ賞さなければ犬死である。

 そのためにも、大垣城を捨て逃げ出すことはできない。

 「内藤と土屋をここに」

 「はっ」


 すぐに内藤、土屋が入ってきた。

 どうやら、二人も僕に話しがあるようだ。

 「退けと言うのではあるまいな」

 二人を睨み僕は言った。

 「まさか」

 「信長に一泡吹かせるために、兵を集めさせたのでは」

 失言であった。

 内藤も土屋もおそらく仁科も退き気はない。

 「たったいま小原が戻りした。南宮山の裾野を抜け大垣に辿り着いたとか」

 土屋の言葉に腰が浮きかけたが我慢した。

 近習とはいえ一人の将にだけ、特別な感情をみせるわけにはいかない。

 「そうか」

 わざと素っ気なく言った。

 「どうやら、丹羽は大垣城を攻めようとしていたようです」

 内藤は身を乗り出した。

 「丹羽? 別動隊は丹羽若狭か?」

 僕は取り合わなかったが、家康は仕組まれたと言った。

 そして、信長を裏から操っていると。


 「背旗は黒地に白筋違。間違いありませぬ」

 土屋は関ケ原で追いすがる丹羽の軍勢と戦っている。


 家康の忠告を聞くべきだったか。 ──

 丹羽は信長と別行動で大垣城を狙っていたのだ。

 ところが岐阜の信忠勢が総崩れになり関ケ原に矛先を変えた。

 一見信長の策のように見えるが、自らを囮として武田を関ケ原に釘付けすることなど、あり得るのだろうか。

 丹羽の進攻が遅れれば、窮地に陥ったのは信長の方だ。

 事実、仁科、土屋は押し込んでいたのだ。

 よほど丹羽を信頼しているか、あるいは、信じられないことだが家康が言った通りなのかもしれない。


 「御神代。如何でござるか」

 内藤の言葉に我に返った。

 丹羽のことを考えていて上の空だった。

 「夜襲を仕掛けとうございます」

 土屋が助け船とばかりに膝を寄せた。

 「夜襲⁉」

 「はっ」

 同時に頷いた。

 「関ケ原に五万もの兵が野営しており、夜襲とて北の山に陣取る信長には届きませぬ」

 「だが、東から混乱する北の山をつけば」

 中山道から夜襲をかけ、別動隊が伊勢街道から信長本陣を襲撃する。

 勝ちに驕り油断していることを踏まえた奇襲だ。


 悪い手ではない。

 だが、迂回路を知っているのは、戻ったばかりの小原だけである。

 小原は丹羽勢を止めることが出来ず、関ケ原への進行を許した。

 武田は総崩れとなり、小原は桃配山に戻ることをあきらめ南宮山沿いを迂回したのだ。

 「下総を使うのか」

  顔に出たようだ。

 二人はあわてて、

 「いや! これは小原が申し出た策でございますぞ」

 「現に、下総は夜襲の指揮を取っておりまする」

 寄れば口論となる二人だが、妙に息が合っている。

 「わかった。それでいこう」

 僕が兵を置き去りに逃げ出したように、小原には敵の突破をゆるし、本隊を離れ逃走したたという負い目があるのだろう。

 武名を落とさないためには、僕も小原もやるしかないのだ。


 白襷をかけ、杯を噛ませた馬に跨る。

 夜襲の兵は選りすぐった五千人で、二千人が迂回路を進む信長本陣襲撃部隊だ。

 小原、土屋がそれぞれ千を率いている。

 僕と内藤は三千を率い中山道を進み、仁科と合流し関ケ原に攻め入る陽動部隊である。


 内藤も土屋も僕の出撃を渋ったが、小原は違った。

 「御屋形様が出なければ、天運は到来しませぬ。御二方とも重々承知ではありませぬか」

 さも当然とばかりに、言い放ったのだ。

 小原は自分の武名ではなく、僕の威厳を保つために夜襲を言い出したようだ。

 

 先松明の一本の灯りで千の兵士が静々と進んで行った。

 少し間をおいて土屋隊が続く。

 上弦の月明りは頼りなく雲が張り出し、辺りは暗闇になった。

 「よし。我らも出るぞ」

 先松明を目印に三千兵がゆっくりと進軍を開始した。


 仁科が陣所で出迎えた。

 白襷を着けた兵士らが整列している。

 「兄上。御指示通り準備は整うておりますが、二千でよろしいのですか」

 関ケ原には七万弱の軍勢がいるのだ。たとえ仁科の五千を投入したところで焼け石に水である。

 「五郎。我らは敵を誘き寄せるのだ。兵の出し入れが要となる。多くは要らない」

 「分り申した。残す兵には、いつでも出撃できる体制を取らせておきます」

 五千の兵を十隊に分け、そのうちの二隊が鉄砲隊である。

 一里四方に七万近くの兵が野営していれば、同志打ちを誘発できる。

 場合によっては、前方に味方がいようと発砲を命じなければならない。

 少兵でなければ味方を撃つことになる。


 相川の支流を越えた辺りで、物見が戻ってきた。

 「関ケ原に野営の敵兵無く、西の山々に数万の篝火が焚かれております」

 「な、なにぃ! 信長は動いておらぬのか!」

 内藤の声が夜の帳に響き渡った。

 信長は勝ちに驕れて油断などしていなかった。

 織田軍の陣所は、笹尾山や松尾山から動いていないのだ。

 「各隊の将を集めよ!」

 関ケ原まで半里(約二キロ)ほどの地点で、作戦を変更する事態になった。

 

 「こちらの動きを読まれたようです」

 内藤が口惜しそうに言った。

 物見の報せでは、燻っている焚火のあとが、原っぱに幾つも見られたという。

 武田の出撃に、あわてて松尾山に退いたのだろう。


 「兄上! それがしが騎馬五百を率い、信長本陣に斬り込みまする」

 血気に逸る仁科が口火を切った。

 「五郎様。信長本陣の前には、佐久間、蒲生らがおりまする。突破などかないませぬぞ」

 「それに鉄砲で固めておりますれば、斬り込む前にやられまする」

 「なにを弱気な! ここまで来て退けと申すのか!」

 内藤も小宮山も押し黙った。


 二万七千でも崩せなかった陣形である。

 丹羽の一万が加わり更に堅固になっているはずだ。

 打つ手がない。それが現状である。

 「関ケ原に出て、土屋様と合流しては?」

 阿部が言ったが、皆無言である。

 五千が七千になろうと形勢は変わらない。

 「合流はどうでも、右衛門尉に伝令を出さねばなりませぬな」

 内藤は腕を組み言った。

 「し、しかし、それは‥‥‥」

 小宮山が言葉を止めた。

 徒歩では間に合わない。

 使番が、関ケ原を進み伊勢街道を馬で駆けるには、発見される恐れがあるのだ。


 「ならば。いや‥‥」

 葛山信貞が言葉を発した。信玄の六男。仁科とは同腹で若干二十歳。将の中では一番若い。

 「なんでもよい。十郎。申して見よ」

 弟であるが、仁科と違い前に出る性格ではない。

 今も将らの目を意識して押し黙ってしまったようだ。

 「十郎! 兄上に思し召しだぞ。早う答えぬか」

 仁科に言われ、葛山は意を決したように顔を上げた。


 「軍勢を三つに分け、先手の騎馬隊が裾野の敵に攻め掛かります。これは、信長本陣を狙うのではなく敵を引き釣り出すため。釣られた敵を二陣が叩く。敵は大多数。ズルズルと押されるように見せかけ、後方の三陣が鉄砲で迎え撃つ。これなら関ケ原は敵兵だらけになりまする」

 犠牲を顧みない荒っぽい策だ。全滅もあり得る。

 だが。──

 「よし。十郎の策でいく」

 策を考えている時間が惜しい。


 先手を小宮山、高坂の騎馬隊千。中央に仁科、内藤二千五百。後方に本隊五百と鉄砲隊千である。

 先手には鉄砲隊より足の速い兵を選抜し五十をつけた。

 足の速い兵にしたのは、騎馬隊とともに忍び寄り、斉射後、後方に駆け戻って来るためだ。

 

 関ケ原に入ると眼前に松尾山の篝火が見えた。

 物見は数万と言ったが、想像していた数より少なく感じた。

 先手の小宮山らは中央辺りまで進んでいるはずだ。

 僕は軍列を止め、左右に鉄砲隊を並べた。

 「篝火が少ないような気がしますが、何か策を用いたのでしょうか」

 阿部が近づき小声で言った。

 「わからない。罠があれば・・・」

 破滅である。

 阿部は続きを聞かず、持ち場に戻った。


 「火縄を装着!」

 鉄砲兵は胴火から火縄を引きだし、火挟みにはさむ。

 蛍のような小さな光が浮き上がり、左右に広がっていく。

 静かな時が流れた。

 誰もが眼前の篝火を見つめている。


 タン。タタン。 ── 鉄砲の音が響き渡った。

 先手が発砲したのだ。

 遅れて、ドドドドッと、蹄の音が聞こえた。

 

 しばらく静かになり、喊声が上がった。

 が、── 喊声は中央の内藤らからだ。


 「仁科様、内藤様。敵陣に打ち掛かったようです」

 「修理亮が前に出たのか!」

 「はっ」

 予定にない行動である。

 だが、内藤が動いたということは何かあるはずだ。

 「押し出すぞ!」

 「はっ」

 陣形をとったまま、ゆっくりと進む。


 「伝令! 伝令!」

 大声を出しながら、一騎がこちらに向かって来た。

 「織田陣営はもぬけの殻。修理亮、仁科様、敵陣地を押さえました」

 駆け込んで来た使番が膝をつき言った。

 「な、なにぃ⁉ 罠ではないのか! 南北に廻り込み取り囲む策ではないのか!」

 阿部が使番に駆け寄り大声を出した。

 「高坂様が確認しております。織田軍は柏原辺りまで退いているとの事です」

 暫く間があった後、兵士から歓声が上がった。


 「ご覧下さい。鉄鍋が架けたままです」

 出迎えた内藤が指差し言った。

 天満山の裾野には篝火の他に焚火がいくつもあり、架けられた鍋の中身が黒焦げになり煙を上げていた。

 立てられた旗の紋は揚羽蝶。池田恒興の陣所だ。

 「他の陣所も同じような有様。よほど慌てて退いたようです」

 「なぜだ?」

 内藤は首を振った。

 大勝した織田が、その日のうちに撤退しているのだ。

 しかも、布陣しているように見せかけるための偽装までしている。

 「如何致します」

 内藤でさえ、この事態に戸惑っている。

 「直、右衛門らが来よう。それから決めよう」

 街道脇の高台に鉄砲隊を配置して、別動隊の到着を待った。


 半刻(約一時間)ほどで、報せを聞いた土屋と小原が、隊を部下に任せ駆け込んできた。

 「いったい、何がっ!」

 土屋が陣幕を潜り入って来るなり声を出した。

 「わからぬ。岐阜の信忠を見捨てるほどの事態が起こったのかもしれぬ」

 内藤の答えに、居並ぶ仁科ら将格が一斉に頷く。

 「それがしにはわかりまする。これぞ御屋形様が軍神の生まれ変りである由縁。大方、信長の留守を狙って挙兵した者がおるのでしょう」

 土屋に続いて入ってきた小原である。

 このおかしな事態を僕の神格化に役立てようと、大言を吐いたのだ。

 「おお、さすが兄上! そうだ! そうに違いない」

 仁科がまんまと乗せられた。

 内藤、土屋も破顔している。


 確かに小原の大言は、まんざら嘘ではない。

 手取川では家康が尾張に攻め入り、家康の謀反では荒木が本願寺と手を組み、信長の出撃を遅らせている。

 「軍神ならば、こうも信長にやられはすまい。今後の動きに掛かっている」 

 しかし、僕が軍神の生まれ変わりなら、信長も同じだ。

 勝てたのは史実を知っていた長篠だけ。あとは大敗を喫している。 

 しかし、小原の言葉で、将らの緊張感が緩んだような気がした。


 「関ケ原の東側に一隊を置き、大垣城に戻りましょうぞ。あとはそれからでよろしい」

 内藤が言った。

 妥当な所だ。敵は七万。こちらは垂井の兵を合わせても一万である。

 まともにやり合って勝てるはずがない。

 「それでは面白うござらぬ。せめて城のひとつ、ふたつ、焼きましょうぞ」

 近江を攻めるべきだと仁科が言い出した。信長に一泡ふかせたいのだ。

 「五郎様。岐阜城を落し、信忠の首を獲る方が面白うござるぞ」

 土屋は現実的だ。奪えない近江より、獲れる美濃に狙いを定めている。

 「岐阜城を攻めるとなれば、信長の押さえが必要です。兵数が足りませぬ」

 「さよう。退いた理由がわからぬ以上、油断はできません」

 小宮山、阿部らは、信長が再侵攻を恐れていた。

 岐阜城を攻撃すれば、再度信長が侵攻する可能性がある。

 口には出さないが、甲斐、関東の軍勢を呼べと思っているのだ。


 「確かに今少し兵が欲しゅうござるな。如何でしょう。御親族衆を動かしては?」

 「いや、関東から呼ぶべきでしょう」

 内藤の進言に土屋が即座に否を投じた。

 「なにをいう。馬場は治めたばかりの小田原を離れるわけにはいかない。和田は上野で遠すぎる。とな れば甲斐の逍遥軒様しかおるまい」

 「まあ、たしかにそうですが‥‥ 幾日かかるか・・・」

 土屋の歯切れは悪い。

 親族衆が直ぐに駆け付けるとは思っていないのだ。

 「うむ。馬場を呼ぶとして、小田原に和田を入れるか。これも幾日かかるか・・・」

 内藤が珍しく土屋の意見を取り上げたのは、叔父らがわざと遅れて来ると内心思っているからだろう。

 手柄として新領地を得るためには、窮地を救ったという状況が必要だからだ。

 援軍がいつ来るか分からないのでは、戦にならない。

 皆、考え込み押し黙った。


 「万一を考え御親族衆に参陣を命じておいて、山県様を呼び戻すのは、如何でしょう」

 沈黙する諸将のなか、小原が発言した。

 「三郎兵衛殿をか? 伊勢を離れるわけにはいくまい」

 土屋が怪訝な顔で小原を見た。

 「信長が退いたとなれば、松永ら大和勢が粘るとは思えませぬ」

 「ふむ。・・・ そうかもしれぬ。・・・ 御神代」

 内藤と目があった。

 「叔父上と山県に使番を送れ。監視の兵を関ケ原に留め置き、岐阜城を攻める」

 「はっ」

 小原が笑顔を向け肯いた。

 叔父らがわざと参陣を遅らせた場合、窮地になっていれば手柄だが、戦が終っていれば大恥である。

 汚点を残すことになり、権威も落ちる。

 僕は、何が何でも、逍遥軒らが来る前に岐阜城を落とす気になった。


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― 新着の感想 ―
いや~( ´-ω-)武田の親族衆は何にも功績上げないし、言うことも利かんしムダ飯ぐらいだな。
2024/11/09 18:33 ざまぁ好き
丹羽長秀が転生者という可能性はあるのかな?
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