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49/74

49 大敗

 草深い盆地を挟んだ東西の小山を陣所にして、織田軍五万四千、武田軍二万七千が対峙した。

 二日の間、小競り合いさえない奇妙な戦場だった。


 「物見が戻りました! 内藤様の使番も一緒です!」

 昼前である。

 近習とともに、物見、使番が駆け込んで来た。

 「我が隊、岐阜織田軍に勝利! 三千余討ち取り信忠は岐阜城に逃げ帰りました」

 「よし! 各陣に伝えよ! 信長を攻める」


 賭けには勝った。

 あとは信長と雌雄を決するだけだ。

 日が中天に差し掛かったころ、法螺と太鼓が響き渡った。

 「前に出る」 

 本隊を引き連れ桃配山を降りる。

 敵陣の慌てようが手に取るようにわかった。

 まだ、信忠の岐阜勢が負けたことを知らないのだ。


 信長はこの攻撃をどう取るのか。

 信忠が負けたとは思わないだろう。

 信忠が大垣城を突破したことにより退路を断たれた武田が活路を求めて、攻撃に転じたと思うはずだ。

 武田の捨て身の攻撃をいなせば勝ちが転がり込んでくると思わせればしめたものだ。 

 信長得意の逃げ足が鈍る。


 左陣の仁科が猛然と突撃を開始した。

 狙うは松尾山の裾野に陣取る河内、和泉勢だ。

 回り込まれることを防ぐことと、東側は鉄砲の数が少ないと見て取ったのだ。

 ドドン。ドドン。ドドン ── 

 銃声が響き渡ったが、直ぐに喚声に変わった。

 仁科の先手高坂の突撃に、多羅尾、沼間らが打って出たのだ。

 釣られるように、磯野、梶川ら近江勢が進行を開始、葛山隊と壮絶な戦が始まった。


 ドドン。ドドン。ドドン ── ドドン。ドドン。ドドン ──

 中山道を進んだ土屋隊に織田の銃撃が向けられた。

 信長の本陣前というだけに、凄まじい鉄砲の数だ。 

 ドドン。ドドン。ドドン ──

 土屋も負けてはいない。三段に揃えた鉄砲隊で応射した。

 「かかれいっ」

 濛々と白煙漂う中、頃合いと見た土屋隊が突撃を開始。池田恒興、佐久間盛信隊と衝突した。

 武田の兵士はやはり強い。倍近い敵兵を相手に押し込んでいる。

 

 信長が本隊を引き連れ天満山を降りてきたのは、押し込まれている現状を打開するためだろう。

 木瓜の背旗の大軍が二手に別れ、仁科、土屋隊に突撃を開始した。

 だが、仁科も土屋もこの時を待っていた。

 騎馬隊が一斉に信長目指して疾駆したのだ。

 凄まじい破壊力である。黄色の背旗を切り裂き信長に迫っている。  

 「内膳、信長本陣を突け!」

 「はっ」

 小宮山は小躍りしながら手勢のもとに向かって行った。

 味方は押しに押している。

 間隙をつけば、小宮山隊千でも信長を討ち取れる可能性はある。

 最大の武名、手柄を得る好機を与えてもらったと思っているのだ。


 小宮山隊の出撃とともに、本隊を十町(約一・一キロ)ほど前に移動した。

 突撃した騎馬隊に森長可、仁科隊に蒲生氏郷が本隊から迎撃に出て、凄まじい白兵戦を繰り広げていた。


 これでは、小宮山は信長には辿りつけない。──

 前を塞がれた小宮山は森長可に攻め掛かった。

 干戈を交えていた小幡にとれば、横から獲物を掠め取られるようなものだが、僕の命令ととなれば文句は言えない。その怒りを森にぶつけた。

 小宮、小幡隊の攻撃に森勢はずるずると後退した。

 信長の本陣前が手薄になっている。──

 新手を投入すれば切り崩せる。

 僕は小原を見た。

 小原は左を凝視していた。


 「あれは?」

 仁科の後詰飯島民部隊が伊勢街道を南に進んで行くのだ。

 飯島隊から騎馬武者が駆け込んで来た。

 「伊勢街道に織田の援軍が現れました」

 「兵数は?」

 「い、一万を超える模様」

 愕然とした。迂回した兵ではない。織田の増援部隊だ。

 迂回した敵を迎え撃つため飯島が隊を離れたのだ。 

 「如何ほどの兵数で向かった!」

 小原が伝令に怒鳴った。

 「八百です」

 足止めできる兵数ではない。

 仁科も八百を出すのが精一杯なのだろう。


 「下総。飯島の援軍にいけ」

 「しかし、それでは」

 「急げ!」

 小原三千が飯島隊を追いかけ東に向かった。

 僕は伝令を走らせ、土屋、仁科に下がるように命じた。


 「御神代! 陣所にお退きくだされ」

 近習の阿部が叫んだ。

 僕は首を振った。この状況で本隊だけ動くわけにはいかない。

 本隊が桃配山に退けば、仁科、土屋の後方に隙間ができ、敵に回り込まれる恐れがあるのだ。


 押していた両隊が徐々に後退を始めた。

 防戦一方だった敵は、これ幸いと一息いれ、攻め掛かることを戸惑っている。

 今なら退き鐘を鳴らせば、双方退くように見えた。


 だが。──

 タン。タン。タタン。

 東の方角からだ。飯島隊が鉄砲を放ったようだ。

 喚声が前方より起こり動きを止めていた敵が攻め掛かってきた。

 

 「神代! お退き下され。兵はそれがしが纏ますゆえ」

 土屋が馬を寄せ叫んだ。

 仁科は自ら先頭に立ち、攻め寄せる敵に血槍を振るっている。

 「加賀! 御神代をお連れせよ!」

 「はっ」

 「場合によっては大垣まで退け! 急げ!」

 土屋の一喝に阿部は馬廻とともに僕を取り囲み、無理矢理後方に鼻面を向けさせた。


 東から喚声があがった。

 小原らを突破した敵が、関ケ原に雪崩れ込んだのだ。

 「大垣にお連れしろ! 者ども! 我に続け!」

 群がりくる敵に、阿部が本隊を率いて向かって行った。

 僕は二十数騎の馬廻りに囲まれ、関ケ原から逃げ出した。


 手綱を握る手がぶるぶると震える。

 強兵であることに過信して、斥候を怠ったのだ。

 勝った信長との戦は、史実を知っていた長篠だけ。

 用兵術も戦術も信長の方が遥かに優れている。

 考えれば考えるほど、自分の無能さが嫌になる。


 しばらく馬を走らせると垂井に内藤が布陣していた。

 敗戦の報に兵を動かしたようだ。

 内藤が馬から降りた僕に、駆け寄ってきた。

 名だたる武将たちは敗戦したとき、家臣らにどういう態度で接したのだろう。

 強がりを言えばいいのか、敗戦の原因を言えばいいのか、それさえわからない。

 「情けない。大負けだ」

 正直に言った。

 五千の兵で二万を打ち破った内藤には、歯がゆい大将に見えるだろう。

 「なあに、御神代が無事なら、いくらでも巻き変えせます」

 内藤はこともなげに言った。

 土屋、仁科の安否さえわからない状況でだ。

 「信長は六万を超える軍勢だ。巻き返しなど無理だ」

 「これは、珍しきこと。御神代の弱気初めて見ましたぞ。六万だからこそ武田の武威が示せます」


 内藤の言葉にあらためて思い知った。

 敗戦さえ己の実力を示す場なのだ。弱ければ死に強ければ生きる。

 勝ちだけが武名を上げるのではない。

 負け戦でさえ立ち回り方により、天晴な武者と称えられる。

 家臣は主君のために命を捨てる。それで家名を上げるのだ。

 無理矢理でも、当然のことだと割り切らなければならない。

 それが勝頼になった僕がやらなけらばならないことだ。

 「大垣城に入る。修理も続け」

 僕は馬を煽った。


 西日に照らされた大垣城の門を潜ると大勢の負傷した兵士が目についた。

 内藤隊も激戦だったのだ。

 「修理。あらためて礼をいう。よくぞ、信忠に勝ってくれた」

 内藤が負けていたら巻き返しもない。

 「いや、それが・・・ お詫び致さなければ・・・」

 内藤が俯いた。

 「詫びとは?」

 「じ、実は。それがしの五千だけで信忠を破ったわけではござりませぬ」

 「内藤勢だけではない?」

 内藤の歯切れは悪い。

 「申し訳ありませぬ。勝手に松平家再興を約し、内藤三左衛門を使いました」

 「それは構わないが、三左衛門をどう使った」

 戦が終れば家康の庶弟内藤信成には、三河二郡を与え松平を名乗らせるつもりだったのだ。

 再興を約束しても独断専行とは思わない。

 「徳川の残兵五千が瞬く間に集い、その兵力をもって信忠軍の横腹を突かせました」

 「それっ・・・」

 言葉に詰まった。

 家康主従を切腹させてふた月と経っていない。

 徳川とは暮れから血で血を洗う戦いを続けていたのだ。

 松平家再興、領地安堵とはいえ、怨敵武田によく味方したものである。

 「徳川の旧臣らは大丈夫なのか? 家康のようになっては困るぞ」

 内藤信成らは、岐阜城の押さえとして赤坂辺りに布陣しているという。

 ぞくぞくと兵が集まり、六千を超えているらしい。


 「御神代の仕置きを意気に感じたようです。寛大で慈悲深かく、尊厳を重んじ罰する。そのような大将を頂く武田が羨ましいと申しておりました」

 「甘い、緩いと散々言われたが、少しは役に立ったようだな」

 贖罪だと思い、なるべく仕置きは軽くしていた。

 不思議なものである。

 それがここにきて、役に立った。


 陽が落ち辺りが薄暗くなってきた。

 城門の前には内藤の命により盛大に篝火が焚かれた。

 空上の計などの策略ではない。勝頼健在を示す火だ。

 内藤は言葉通り諦めてはいない。

 退却してきた兵を収容し、信長に挑む気なのだ。


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