48 迷走
「前方の山に敵陣あり! 背旗は笹竜胆。磯野丹波ら近江勢と思われます」
「兵数は?」
「四千ほど!」
すでに磯野員昌が中山道を遮るように布陣していた。
磯野は元は浅井長政の家臣で、信長に降伏し臣下した武将だ。
家康の弟、内藤信成につけ清州城においた浅井の元家臣らからは、憎き裏切り者である。
土屋隊につけていたら、真っ先に躍りかかっていただろう。
ただし、磯野とて無条件で家臣になったわけではない。
信長の甥、津田信澄を養子に押し付けられたのだ。
伊勢の国人同様、家の簒奪である。
尤も信玄も海野、諏訪、仁科と己の子を養子に入れ、家を奪ってきたのだから、この時代のやり方なのだろう。
史実では、信澄の家督譲渡で信長の怒りを買い、城を捨て出奔している。
二年前に起きている事だが、長篠の敗戦で情勢が変り、信長の無理強いが無くなったのだろう。
「初戦の景気づけに、血祭りにあげましょうぞ」
仁科が馬を寄せて言った。
四千だけなら、討ち取ることは容易い。
それは、磯野も承知だろう。承知のうえで布陣したのだ。
「敵に構うな。陣を敷く」
琵琶湖東岸の諸将らが先手となったのは、美濃に一番近いからだけではないはずだ。
武田を引き込むための陽動なのかもしれない。
逃げる磯野を追って関ケ原を抜けたら、大軍が待ち構えているというのもあり得る。
信長の動向がわからない以上、迂闊に動いてはいけない。
山県隊八千の到着を待つのが得策だ。
関ケ原東側の小高い山を本陣にして、中山道に土屋隊一万、伊勢街道に仁科隊一万が布陣した。
本陣前の裾野には小原三千。後方の後詰は小宮山千である。
本隊はわずか三千。士気は高いが不安が残る兵数だ。
陽が沈み出したころ、眼前に大軍が現れた。
やはり、柏原辺りに罠を仕掛けていたのだ。
軍勢は関ケ原の西の山沿いに布陣した。
磯野と合わせて一万四、五千になった。
この兵数なら蹴散らすことは容易だが、これは多分先兵隊だろう。
後には信長の本隊がいるはずだ。
ウオオッ ──
突然、大地を震わすような鯨波が起こった。
敵陣からである。
信長が到着したのだろう。
中山道を起点に左右に兵が移動しているようだが、松明を灯していないため兵数がわからない。
焚かれた篝火を見て唖然となった。
山を取り囲むような膨大な数なのだ。
「しまった! 変わったのは武田だけじゃなった!」
使番の凶報に、思わず僕は口走ってしまった。
夜更けに山県からの伝令が、松永秀久ら大和勢と交戦中と伝えてきたのだ。
僕はうっかりでは済まない、とんでもない思い違いをしていた。
武田が変わったように、当然織田も変わっていた。
信貴山城の松永久秀の謀反も根絶やしを計った天正伊賀の乱も起こってはいないのだ。
大和の松永久秀は、何の警戒もなく伊賀を通り抜け、伊勢に攻め込めたのだ。
当てにしていた山県隊八千が、関ケ原に来ることはない。
この布陣の兵だけで織田と戦わなくてはならない。
一睡もできないまま、東の空が明け染めてきた。
だが、霧が張り出し敵陣は見えない。
「北の山に木瓜の大旗が立ているそうです」
馬廻りが物見の情報を伝えてた。
武田の兵のほとんどが、関ケ原の地名を知らない。
北の山とは笹尾山のことだ。そして、僕が本陣としたのは桃配山だ。
信長の本隊は笹尾山に陣を構えたのだ。
「兵数は?」
「おおよそ二万! 裾野に二万の兵を展開させております」
篝火の数から覚悟はしていたものの、がくがくと膝が震えた。
河内、和泉の兵士だけではなかった。
毛利の脅威が薄れたことにより、丹波、山城の兵まで引き連れてきたのだ。
五万四千対二万七千である。
圧倒的な不利の状況に追い込まれた。
やってやる! ここで終わらせてたまるか! ──
全身がかっと熱くなり、何故だか震えが治まった。
猛将と謳われた勝頼の身体が、勝手に反応したのかもしれない
「前に出るぞ。後詰の小宮山も続くように伝えよ」
本隊を引き連れ坂を駆け下りた。
「下総。鬨を上げよ!」
「はっ」
小原は安堵の表情を浮かべた。。
動揺を抑え士気を鼓舞するためには、僕が必要だったのだろう。
総大将が及び腰では戦にならない。
「えい。えい。えい」
小原が刀を突き上げ吠えた。
「おう」
六千の兵が拳を突き上げる。
怯えはない。闘志が溢れ出していた。
「えい。えい。えい」「おうっ」「えい。えい」「おうっ」
たちまち左右の仁科、土屋隊に伝播した。
霧深く視界がきかない関ケ原に、武田の鬨の声が響き渡る。
合わせるように織田からも鯨波が起こった。
戦いの合図だ。
両陣営から法螺の音が響き渡り、押し太鼓が打ち鳴らされた。
視界を遮る霧の中を左陣の仁科隊がゆっくりと前進を開始する。
遅れて土屋も諸隊を前線に展開した。
ドドン。ドドン。ドドン ──
前方で多数の銃声が起こり喚声が響き渡る。
織田の先手とぶつかったようだ。
霧が晴れ上がってきて、前線より戦況がつたわってきた。
仁科隊は、先手の高坂昌澄、春日信達兄弟が松尾山の麓に陣取った磯野、進藤、梶川ら近江衆と、土屋隊は同じく先手の多田昌吉隊が、原政茂、金森長近と激突していた。
織田は劣勢になった近江衆を下げ、多羅尾、沼間ら河内、和泉衆を投入。
原、金森も後方に下り佐久間信盛隊に変えてた。
一方、仁科も土屋も先手を下げない。
土屋が佐久間の出撃に、増援として小幡昌盛隊を出しただけだ。
「左手より新手! 背旗は丸に二引両!」
細川藤孝が高坂隊に突撃を開始した。
即座に仁科は、遠山隊を出撃させ熾烈な白兵戦が続く。
一刻(約二時間)ほどの戦いは、次から次へと投入される織田の部隊に一進一退を繰り返している。
織田の陣から退き鐘が鳴らされた。
佐久間、細川が退き始めたが、土屋も仁科も追わなかった。
北と南に大きく張り出した部隊が展開しているからだ。
深追いすれば横腹を突かれる恐れがあるのだ。
兵を温存していた土屋には物足りないだろうが、退かせた方がいい。
「退き鐘を鳴らせ」
死傷者を収容して両将が戻ってきた。
「聞きしに勝る弱兵揃い。兄上。次は信長の本陣を狙いまする」
確かに、仁科、土屋隊の死傷者は少ない。
横腹を突かれようと対応できる部隊は残していたのだ。
「いえ、五郎様。迂闊には攻められませぬぞ。あれをご覧あれ」
土屋が、敵の布陣のやや上、山の中腹辺りを指した。
「あれは⁉」
鉄砲をずらりと並べている。
信長は白兵戦では敵わないのを見て取り、陣所を鉄砲で固めた。
いや、端から勝てるとは思っていないのかもしれない。
陣所を固め、信忠を待つ気なのだろう。
「修理亮様からは?」
僕が首を振ると土屋は考え込んだ。
土屋の思いも同じだ。
信忠岐阜勢の進攻を内藤が押し返ささなければ、武田は負ける。
「ならば、信長本陣に攻め掛かり、素っ首あげて見せましょうぞ」
仁科は長篠も手取川も参陣していない。
信長との鉄砲戦の恐さを知らないのだ。
土屋と目が合った。
「気に食いませぬが、修理亮様の駆け引きは家中一。信忠ごときに遅れを取るとは思いませぬ」
犬猿の仲でも内藤の実力を認めているのだ。
「しかしっ」
仁科を手で制し、僕は内藤に賭けることにした。
僕は内藤から兵を引き抜いている。
それなのに勝敗を握るのは関ケ原ではなく、大垣城の内藤になってしまったのだ。
完全に僕の失策である。




