47 和議
岐阜城を囲んでひと月が経った。
信忠が打って出ることはなく、僕は本隊とともに清州に戻っていた。
山県は落とした安濃津城に入り、幽閉されていた北畠具房を解放した。
北畠具房は自ら協力を申し出て、神戸盛具、長野藤具ら信長に家系を奪われた伊勢の国人衆らを調略した。
岐阜城に一族、郎党が入っている者が多くいたが、武田の緩い処分は伊勢にも聞こえており、案じることなく鞍替えしたようだ。
伊勢の制圧は目の前である。
「下総。そろそろ美濃から退くか」
「大垣城は如何致します?」
「捨てる」
小原は一瞬眉を顰めたが、
「内藤様の説得が大変でしょうな」
顔も上げず笑みを浮かべた。
小原は送られて来た手紙を読んでいる。
関東、中越、東海の各将からは頻繁に使番が来ている。
伝えられる内容は十日から二十日も経った前のことだが、貴重な情報である。
「弾正少弼様、揚北を制圧。新発田因幡守を討ち取りました。やっ⁉ ひと月も前です」
「それは聞いた」
「さようですか」
景虎が新発田重家を討伐したことは、近習から聞いていた。
「ああ、こちらが新しい文ですね。ほう。ごる。しる。こっぱ。全て出来上がったそうですぞ」
「おお。やっとか! 見てみたいな」
「はい」
越後の御館で進めている貨幣の鋳造が完成したのだ。
表向きは上杉の貨幣である。
親族衆に知られないよう、金をごる。銀をしる。銅をこっぱ。と隠語にしている。
ゴールド、シルバー、コッパーというわけだ。
あとは、馬場と和田が関東の情勢を報せる文と、鎌倉を離れた上杉憲正、江尻城から紗矢到着の報せであった。
読み終えて、小原が文を束ねた。
読み聞かせは、近習より小原の方が数段分かりやすくていい。
子どもに教えるように説明してくれるのだ。
情けない話しだが、僕は癖のある草書が全く読めない。
特に古語を使われていると意味さえ分からないのだ。
書く方もだめだが、祐筆がいるので何とかなっているのが現状だった。
「御親族衆からは?」
甲斐から手紙など来たことがない。
「来たところで、戦況の確認ばかりだ。叔父上らは勝敗だけにしか興味がない」
敗けて領地を失う事だけを恐れている。
それなのに勝つために援軍を出す気など、さらさらないという身勝手ぶりだ。
「参陣っ、いえ」
小原の言いたいことはわかる。
親族衆を動員すれば、二万は増兵できるのだ。
膠着状態の岐阜城攻めも打破できると言いたいのだろう。
だが、小原も承知している。
僕を陣代としか見ない親族衆が参戦すれば、家臣らとの間に不和が生じる。
岐阜城の信忠より酷い結果になり兼ねないのだ。
「上杉家の神余様の使者が見えられました」
「通せ」
京で上杉の代官を務める神余親綱からである。
三条西家など越後特産の青苧の販売で公家と親密であり、出浦らでは得ることができない情報を報せてきたのだ。
近習に連れられ男は入って来ると平伏した。
揚北の陣所で見た覚えがあった。
神余の家老である。
「確か、佐々木と申したな」
「ははっ」
名前を覚えられていたのがよほど嬉しいのか、身体を震わせた。
「主より、こちらを託されました」
差出た書状を小原が受け取り、僕に視線を送ってから読み始めた。
「な、なんと!」
小原の顔色が変わった。
「本願寺顕如様、有岡城の荒木摂津守殿。信長と和睦したよし」
「なっにぃ!」
思わず呻いてしまった。
信長が摂津の騒乱を治めてしまったのだ。
本願寺も荒木も僕と同盟を結んでいるわけではない。
降伏しようと和議をしようと自由だが、この状況で摂津が治まってしまうのは、予想外の出来事だ。
「それだけではありませぬ」
佐々木が膝を進めた。
神余が使者に重臣を充てたのは、書にできない重要な事柄があるからだろう。
「公家の噂ですが、伯耆の南条と備前の宇喜多が織田に与したようです」
ここにきて、南条、宇喜多が毛利から離れた。
史実通りだが、織田に押されての寝返りではない。
よほどの利を提示したのだろう。
武力で恭順させることを諦め、利を与え従わせる。
史実では考えられないやり方を始めたのだ。
「播磨の小寺や別所もか」
小寺らが寝返れば、毛利の侵攻に、備前、伯耆、播磨と、大きな壁が立ち塞がる。
本願寺顕如が和睦し、京への道が塞がったとなれば、毛利は東上を諦めるしれない。
「いえ、その噂はありませぬ」
「ならば、毛利方だな」
史実でも毛利は信長に屈してはいない。
傘下に降ったのは、信長の死後、秀吉にである。
「今のところですが・・・」
「今のところ?」
「近衛卿が調略に動いておりますれば、これもどうなるか」
佐々木が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「近衛卿と上杉家は懇意ではなかったか」
小原が疑問を投げかけた。
信玄の頃は、謙信と近衛前久は血書の起請文を交わすほど親密だったのだ。
「亡き御屋形様のときは、そのようなことがありましたが、今は信長にべったりでござる」
佐々木が吐き捨てるように言った。
謙信が武田、北条に関東平定を阻止されると、近衛前久は謙信から離れ、足利義昭を担ぐ信長に近づいたのだ。
謙信は怒り心頭だったらしいが、信長とは鷹狩で獲物を争うほど親密な関係をたちまち築いてしまった。
その関係は今も続いている。
宮中での権力を牛耳るために有力武家を利用する、実に公家らしい行動だ。
だが、近衛の存在は厄介である。
信長の調略に朝廷の承諾があると思わせる事ができるからだ。
「有難い報せだ。隼人尉にくれぐれも宜しく言ってくれ」
「ははっ」
佐々木が退出するのを待って、小原がにじり寄った。
「如何いたします」
「大垣城に向かう。それと、山県に伝令を出せ。伊勢を捨て大垣に移れと」
「お、お待ち下さい。伊勢を捨てまするか⁉」
小原が血相を変えた。
血を流し苦労して攻め取った伊勢を簡単に手放すとは思えないのだろう。
だが、山県なら瞬時に捨てるはずだ。
信長は、摂津に向けていた兵を岐阜の援軍に切り替えるのだ。
山県が占領地に拘り、信長との一戦を見逃すはずはない。
武田軍の移動に岐阜城からの攻撃はなかった。
信長の救援前に、余計な損傷を避けたのだろう。
「近江の海の諸城の動きが、俄かに慌ただしとのことです」
出浦の手下は、家康にやられ壊滅状態で、報せはそこ止まりである。
兵数も信長の出陣もわからない。
目と耳を塞がれたような形だった。
大垣城で諸将を集め軍議を開いた。
「尾張に退くのは如何か。大垣では挟撃されまするぞ」
「愚策なり! 信長に岐阜城に入られては尾張で防ぐことなどできいるわけがない」
「なら、どうする! このまま大垣に籠るのか!」
内藤、土屋、仁科の旗頭でさえ、明確な策がない。
軍議は荒れに荒れた。
「進路を断ち、織田の先手を叩くのが肝要と存ずる」
朝比奈の意見は僕と同じだった。
籠っても退いても劣勢になる。
ならば、前に出るしかない。
近江から美濃に進軍してくる織田勢を叩くのだ。
後方に信忠二万がいる以上厳しい戦になる。
だが、野戦なら武田の兵は強い。倍の兵士を向こうに回しても引けは取らない。
「内藤。無茶を承知でいう。五千の兵で信忠を押さえよ」
「はっ。お任せ下され!」
内藤が破顔した。
難しければ、難しいほど将らは喜ぶ。
信頼の証と思っているのだ。
大垣城から西に四里(約十六キロ)の中山道、北国街道、伊勢街道が交わる要所をおさえるために、仁科、土屋隊が進軍を開始した。
突き進む先には、伊吹、鈴鹿の山脈に囲まれた狭隘な盆地がある。
── 関ケ原だ。




