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46 思惑〈しわく〉

 「御尊顔を拝し恐悦至極。家臣までの御恩情、伏して感謝申し上げまする」

 家康に憔悴は見てとられない。

 恵林寺での初対面のときより、清々しく見えた。


 「わたしに話とは?」

 「はい。恥を覚悟でそれがしの言い分をお聞き頂きたく」

 言い分。謀反に至ったわけか。僕が聞きたかったことだ。

 「二十万石が不満だったのか?」

 家康は笑顔を浮かべると首を振った。

 「親として信康を見捨てることはできませんでした。あのような仕儀になったは、松平一族の定めと思っております」

 家康の父、祖父も家臣に殺されている。信康も宿命と割り切ったのだろうか。

 

 「徳姫を操った者がおりまする」

 「ほう」

 「丹羽越前守長秀。側近中の側近ならが、あまり表には出ませぬ」

 「‥‥‥」

 表にでない? 織田家の次席家老のはずだ。

 柴田が死んで筆頭になったのではないのか。

 「あの信長さえ、恐れ従っている節があります」

 「バカいえ。そんな話し読んだ事もない!」

  思わず素が出てしまった。


 「北条、佐竹、葦名、伊達。── そして、信康、小笠原。── 皆、丹羽越前守に操られたのです。我もうまうまと乗ってしまった」

 気がつかなかったのか、家康は話を続ける。

 「信康を懐柔されたとはいえ、いつの間にか我も勝てると信じておりました」

 「信長の援軍か?」

 「はい。三万を率いて来るとなれば、土屋様も太刀打ちできますまい」

 

 信忠、家康、小笠原、伊勢勢に加え、信長三万では、尾張どころか三河さえ奪い取られていただろう。

 荒木の謀反で窮地も逃れることができた。

 つきと呼ぶには出来過ぎているような気がする。


 「御神代様は、神に選ばれた御方なのでしょう」

 家康は深々と頭を下げ退出した。

 確かに神に選ばれたのだ。

 勝頼になったのだから、そういうことだろう。

 そして、僕が住みやすい国を作るために戦に明け暮れている。


 僕が作る国は、江戸幕府の政治、経済、文化を模倣するのだ。

 制作者当人がいれば、模倣ではなく短期間に本物に近いものが作れると思っていた。

 家康を失うことは、僕の知識だけで模倣の国を作るしかないということだ。

 時間が限られている僕にとって、実に残念な結果に終わった。


 翌日、家康主従は切腹し、遺骸は内藤信成に引き渡し弔いを許した。


 「氏家左京亮。降伏を申し出ました」

 内藤からの使番が、広間に入るなり跪いて言った。

 大垣城を攻めさせて二十日が経っていた。


 「いつも通り、脇差一本で放逐せよ。手荒に扱うな」

 「はっ」

 氏家直昌の籠城兵に手古摺ったが、ある意味いい餌になってくれたのだ。

 救援に出た信忠軍を叩けたのは、氏家の粘りのお蔭だ。

 伊勢の山県と甲乙つけがたい役割を果たしてくれた。

 全軍をあげ打って出られたら、いかに武田三万とはいえ勝てるかどうか分からなかった。

 焦りが判断を狂わせたのだろう。

 織田一族それぞれの思惑が、窮地となり暴発したのかもしれない。

 

 仁科隊に追われた信忠は、援軍の伊勢勢とともに、堅固な山城の岐阜城を頼り籠城した。

 時を稼ぎ信長の出陣待つ積りだったのだろう。

 それを逆手に取った。

 大垣城攻めを約束通り内藤隊一万に命じたのだ。

 先に侵攻を開始した山県隊は北伊勢の諸城を次々に落としていた。

 滝川一益の居城長島城を落とし、神戸信孝の居城神戸城に攻込んだときだ。

 これを知った神戸は、己が兵六千のみで打って出たのだ。

 二万の武田を突破することなど出来るはずがない。

 半数もの兵を討ち取られ城に逃げ帰った。

 城から援軍が出なかったことを見ると、神戸の単独行動だったのだろう。

 

 山県は神戸城を焼き払い、南下を続けた。

 信忠、信包、信意も静観することできなかった。


 信忠は大垣。信包、信意はそれぞれの居城である安濃津城、松ヶ島城の救援に打って出たのだ。

 よほど、不和を生じていたのか、纏まりのない攻撃であった。


 突破を計る織田信包、北畠信意軍は、土屋、仁科の餌食になり、大垣城援軍の信忠軍も依田に横腹を突かれ、内藤隊に殲滅された。

 兜首三千余を討ち取る大勝利である。


 それだけではなかった。

 信長の次男北畠信意を討ち取ったのである。

 織田信雄とならないうちに、北畠の養子のまま戦死したのだ。


 「御神代。そろそろ本腰を入れ岐阜城を落としましょうぞ」

 大垣城を三枝に任せ、内藤が陣所に戻った。

 七千の兵が新たに岐阜城攻めに加わったのだ。

 武田三万の力攻めなら、二万が籠る岐阜城でも落とす自信があるのだろう。

 内藤の鼻息は荒い。


 「岐阜城は難攻不落。修理亮様が手古摺った大垣城の数十倍は上ですぞ」

 土屋が嫌味を言われたと思ったようで、よせばいいのに言い返した。

 「はん。信長落とせた城を難攻不落とは片腹痛し。ワシは無傷で城を手に入れるため手加減したのだ」

 「斎藤龍興の頃とは構えが違う。その上鉄砲で固めている。古い頭でもおわかりでしょう」

 「なにぉ」

 だから二人を組ませるのは嫌だったのだ。

 だが、斬り合いになるような険悪さはない。まるで親子の言い合いのようだ。

 小原さえ止もせず、にやついて見ているのだ。


 「二人ともいい加減せよ」

 めんどうだが、僕が止めるしかない。

 二人は慌てて頭を下げ押し黙った。

 「修理の申す力攻めをするとして、右衛門。敵はどのように備えている」

 信長が斎藤龍興の稲葉山城を攻め取ったのは、十三年も前の話しだ。

 斎藤の重臣らを内応させ、力を削いだあと奪い取ったもので、籠城した斎藤勢を力攻めで落としたものではない。

 稲葉山城を岐阜城と改め、信長は居城としたのだ。

 堅固な山城は、さらに隙のない構えに改築している。


 「ご覧下され。遠目よりの図ゆえ不確かですが、このように布陣しております」

 土屋が近習に命じ、見取図を広げさせた。

 「うっ」

 覗き込んだ内藤が呻いた。

 山の裾野を取り巻くように兵数が書かれていた。

 「これら全てが鉄砲兵です。神戸を城門近くまで追いましたが、攻め込んでいたならば、上り口に辿り着く前に殲滅されていたでしょう」


 これでは、城下どころか長良川にさえ近づけない。

 信長が攻め取った当時、鉄砲は重要視されていなかった。

 それでも難攻不落の堅城だったのだ。

 相手は、僕が見習った織田である。

 鉄砲数は武田を上回っているはずだ。


 纏まりを欠いた出撃で多大な犠牲を出した信忠が、もう一度打って出ることはないだろう。

 もしかすると信忠は、次弟信意が戦死したことにより、家臣らを御せるようになったとも考えられる。

 信長の援軍を待つことに反対する者がいなくなったということだ。


 出てこなければ攻めればいい。

 岐阜城ではない。一気に安土を狙うのだ。

 大垣城に内藤一万を押さえとして残し、近江を散々に荒らし廻る。

 信長と対峙する荒木や本願寺の援護にもなるだろう。

 

 「修理っ・・・」

 いや、待て。信忠に尾張を攻められたらどうする。

 岐阜城には二万もの兵がいるのだ。

 兵を割き尾張と大垣城を同時に攻撃されれば、内藤の一万は信忠を押し返せるとしても、尾張までは手が回らない。

 そうなれば留守居しかいない清州や名護野はやられる。


 「なんでござりましょうか?」

 内藤が顔を向けた。


 「信忠が打って出るのを待つことにする」

 「はっ」

 岐阜城を囲み、打って出た兵を叩いていれば、伊勢は山県が制圧する。

 もともとこの戦は家康、信康親子の謀反が発端である。

 欲張るのはやめよう。

 伊勢を奪えれば上出来なのだから。


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予想外の展開。少し不安。
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