表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/74

45 加護

 「御神代。北の郭からも攻めれば、一日で落とせますぞ」

 山県が腰を叩きながら言った。

 鉄砲ばかりで飽きたのだろう。

 兵の損傷を押さえたいため、本郭への力攻めは禁じている。

 互いに鉄砲を打掛け睨み合っているだけだった。

 

 「だめだ」

 北の曲輪の城門は籠城兵の逃げ道として、敢えて囲んでいない。

 「家康に付き合う必要はありますまい。さっさとかたずけて右衛門に合流した方がよろしいのでは?」

 家康の粘りは援軍を期待してのことだろう。

 士気の乏しかった徳川軍が豹変したのは、伊勢勢二万が動いたからだ。


 「三郎兵。今は兵を休ませておけ。寝る暇もないほど働いてもらうぞ」

 「はあ・・・ お、おおっ! 承知致しました!」

 思い込みとは恐ろしいものだ。

 伊勢勢強襲を命じた仁科軍の結果待ちなのだが、山県は神託と受け取ったようだ。


 その日の夕方、予想以上の戦況がもたらされた。

 「仁科様。織田信忠軍を強襲! 土屋様と織田軍を切り崩し、伊勢勢に攻め掛かりました」 

 「な、なにぃ⁉」

 百足衆の伝令に、本陣が騒めいた。

 「五郎は伊勢勢ではなく、加賀野井の信忠を突いたのか?」

 「はっ」

 これには僕も驚いた。


 北上して美濃から尾張に進攻する伊勢勢を襲撃するのが、仁科に命じた事だ。

 土屋と対峙する信忠軍を襲撃することなど予想すらしなかった。

 「ハハハッ。やはり将監は食わせ者。当意即妙よ」

 山県は豪快に笑ったが、血気に逸る若武者を押し留めるために、老獪な貞勝をつけたのではないのか。

 僕が睨むと、

 「見込んだ通りですな。気を見て敏なり!」


 山県は、ころころと主家を替え生き残ってきた奥平貞勝を信用はしていないが、洞察力は認めていたのだ。

 史実でも奥平貞勝は徳川から武田に臣下したが、長篠の戦の前に家督を譲った嫡男定能が一族の大半を連れ徳川に再属している。

 貞勝は隠居の身でありながら、次男とわずかに残った家臣を連れ長篠に参陣した。

 織田、徳川に歯向かった隠居として表舞台から消える存在だった。

 しかし、僕が歴史を変えた。

 隠居の貞勝が勝軍になった。

 貞勝の恩賞と引き換えに、嫡男定能は許している。

 隠居の権力が更に強まっただけで、もとの奥平家のまま生き残ったのだ。


 「せ、戦況は如何に! 仁科様は伊勢勢と、どう戦っておるのだ」

 岡部からである。

 皆、食い入るように身を乗り出し使番を凝視した。

 「織田軍救援に駆け付けた神戸信孝、滝川一益の軍勢を瞬く間に敗走させ、土屋様と追撃に移っております。今頃は・・・・・・」

 「い、今頃は?」

 「やっ。そこで、それがしは伝令に出ました。後報をお待ち下され」

 岡部が床几からずり落ちそうになった。


 鉄砲の轟音が鳴り響くが、誰も気にも留めない。

 名護野城攻めで、もたもたしている間に仁科、土屋が信忠、伊勢勢を打ち破ってしまったのだ。

 「北の郭を攻めましょうぞ」

 山県ほどの武将でも、遅れを取ったとの思いがあるのだろう。

 また、四方からの総攻めを言い出した。


 「いま少し待て」

 山県が恨めしそうな視線を送った。

 仁科と土屋である。続報を聞なくても優勢に進めているのは間違いない。

 織田一族を屠る手柄を完全に逸したということだ。


 「使番が来ました。百足衆ではありません」

 近習の上ずった声とともに、ひとりの武者が駆けて来た。

 「内藤が家臣、工藤玄馬にございます。主、沓掛に到着。ご指示をお願い致します」

 内藤からの先触れである。


 「でかした! 直ぐに那護野城包囲に動け。御神代。よろしゅうございますな」

 山県が床几から立ち上がった。

 内藤と那護野城攻めを替わる気なのだ。

 僕は頷くしかなかった。

 岡部も朝比奈も依田も爛々と眼を輝かせている。

 死に体の徳川より、織田なのだろう。

 「山県様の御家臣三千人は、こちらに向かっておりますので、もうじき着きまする」

 工藤が山県に膝を進め言った。

 「おおっ! よくぞ連れて来てくれた。修理亮に礼を申すぞ!」

 八百だった赤備えが三千の増兵である。存分に戦えると山県が小躍りしている。


 「工藤。修理亮はいかほど兵を連れて来たのだ」

 「はっ。我が隊一万、遠駿三の一万。山県様三千。合わせて二万三千でございます」

 「おおっ」

 感嘆の声が上がった。

 「流石は御神代! これを待っておられたのか!」

 山県の勘違いが、ますます酷くなるような気がした。

 僕は、ただ仁科らの後報を待っていただけだ。

 百足衆より先に、内藤の使番が来たてしまっただけだ。


 求めていたカリスマ性は、もう揺るぎのないものになったのだろう。

 謙信ではないが、僕が諏訪大明神の生まれ変わりと言い出せば、武将らは信じるはずだ。

 良いか、悪いかは別にして、家臣らは武田勝頼を軍神と崇めている。


 「修理亮の到着次第、軍議を開く」

 「ははっ」

 四万を超える軍勢なら、信長を相手にしても引けは取らない。

 本願寺、荒木に脅かされているいまなら、叩き潰すこともできるかもしれない。


 「御屋形様。遅れたことお詫びいたします」

 小原が陣所に来るなり、頭を下げた。

 木下藤吉郎の意見に従い、船荷を鉄砲優先にしたため乗れなかったのだ。

 「いや、正直鉄砲が不足していた。あれが無ければやられていたぞ」

 小原は苦笑いになった。

 新参の普請奉行に押し切られたというのもあるのだろう。

 「あの木下という男は何者ですか。ふざけた男ですが、中々の慧眼」

 「まあ、それは後ほど、ゆっくりと話そう。修理亮らが来たようだ」

 「はっ。それでは座に着きます」


 内藤が、三枝、小幡らを引き連れ入って来ると、左一番前の床几に腰を落とした。

 右の一番前は山県である。

 僕は二列に並んだ重臣らを見回し、わざとゆっくりと話し始める。


 「五郎と右衛門尉が、二万八千を打ち破り、岐阜に追撃を開始したそうだ」

 使番の後報を軍議まで隠していた。

 既に仁科は長良川を越え、岐阜城に迫っている。

 「おおっ!」

 妬み混じりの歓声で、舌打ちした者もいる。

 期待通りの反応である。


 「山県、秋山、岡部隊は、伊勢に向かえ。朝比奈、依田隊は美濃だ。内藤隊はわたしと家康にあたる」

 山県がにんまりと頷く。

 伊勢攻めは山県が申し出たことだ。

 仁科らの戦況も隠すように指示したのも山県である。

 家臣らを競わせるためらしい。


 「お、お待ちください。到着したばかりとはいえ、伊勢は我らに命じて頂きたい」

 やはり内藤から物言いがついた。手垢のついた城攻めより伊勢制圧に向かいたいのだ。

 「修理よ。遠征で兵は疲弊しておろう。それにワシは伊勢を一度攻めておる」

 にやにやと山県が内藤に言った。

 「肉刺ができただけだわ。三郎兵こそ、家康を放っぽり出して、それで良いのか」

 「肉刺は馬鹿に出来ぬぞ。坂板らに見てもらえ。家康は死に体、休ませるのには丁度良い」

 酒席のような会話だが、いつものことだ。

 内藤は兵の休息が必要だと分かっている。

 それでも山県に、してやられたと絡んでいるのだ。


 こういう時はあれだ。

 「修理亮。すまぬが、今回は従ってくれ」

 なるべく弱々しく言うのだ。

 「はっ。い、いえ。出過ぎた真似を。お許しください。御命令喜んで従いまする」

 「ワシも言い過ぎました。ご勘弁願います」

 二人は居住いを正し頭を下げた。

 こういう操縦法を最近覚えてしまった。

 しかし、不思議なもので家老らが、急に態度を改めることにより、下位の諸将らには、神秘性を際立させるようだ。

 全員が畏まり頭を下げた。


 内藤ら二万の軍勢が到着したことにより、本陣を近くの寺に移した。

 油断は禁物だが、山県が言った通り家康に反撃の余地はない。

 部屋に小原を呼び夕餉を一緒にとった。

 「木下藤吉郎は、草履取から二十万石の城主にまで出世した男だ。百姓の出で信長に仕えたのもいい齢になってからだ」

 約束した通り、秀吉のことを話した。

 記憶を失ったはずの僕が秀吉のことを語れば、なぜ知っているのかと不思議に思うだろうが、小原は黙って聞いていた。

 勝頼になった僕に、話し方や作法まで教えたのは小原だ。

 もしかすると、中身が別人であることに気づいているのかもしれない。


 「なるほど。使える男なのですな」

 僕が創る国を小原には話してある。

 「家康ようになっては困る。何かと気にかけてくれ」

 「はい」

 小原が含み笑いのあと頷いた。

 「山県様、内藤様がお見えです」

 小姓の伺いとともに、廊下を踏み鳴らし山県と内藤が部屋に入ってきた。


 「どうした?」

 「下総だけとは、つれのうござる」

 内藤が真顔で戯言を言った。

 小原が脇に控えると、二人は正面に座り込んだ。


 「出浦からの報告では、北門から織田と思われる兵が多数逃げ出しているそうです」

 「数は?」

 「すでに四、五百は、逃亡した模様」

 信忠が撤退したため織田の増援部隊が、家康に見切りをつけたのだ。

 「家康に使者を送れ」

 山県が破顔した。

 「そう言われると思いました。これで心置きなく伊勢を攻め取れまする」

 僕のやり方を良く知っている。二人で訪れたのはそのためだ。

 「降伏の条件は、如何致します」

 謀反を企てた以上、斬首か、恩情で切腹。

 しかし、家康はおしい。秀吉と組ませることが捨てきれない。


 「駿河の寺に蟄居させようと思う」

 「家康をですか! 謀反人ですぞ!」

 「御神代が家康めを買っていたのは存じているが、それは余りにも緩い!」

 内藤、山県が声を荒げる。

 まあ、当然だろう。

 謀反人は、残虐な殺し方で見せしめとするのが常識なのだ。

 斬首でも緩い処分だろう。

 「すまぬ。わたしの我儘だ」

 頭を下げて見せる。

 「お、お止め下さい。ご、御命令従いまする」

 「御神代が仰るのだ。我らには考えも及ばぬことよ」

 二人は先を争うよう部屋を出て行った。

 「御家老衆の扱いが、上手くお成りで」

 小原が小声で呟いた。


 翌未明。赤黒の蛇の馬標を掲げ、山県が進軍を開始した。

 一度北上し渡河するため、美濃攻めに向かう朝比奈、依田隊も途中までは一緒である。

 総勢一万三千の大部隊だ。


 「これなら家康も応じるでしょう」

 内藤が傍にきて言った。

 一万三千を出撃させても、那護野城包囲には一万五千もいる。

 織田攻撃に移ったのを見れば、家康も旗を巻くしかないだろう。


 「御神代。使者が戻りました」

 その日の昼、内藤が家康の回答を持って陣所にきた。

 「降伏はいたすが、憐れみは無用。何卒切腹を賜りたい」

 これが家康の条件である。

 嫡男、正室、親族衆を岡崎で失っている。

 恥を晒してと生きるより、武士として潔く死にたいということだ。

 「そうか。止む負えまい」

 家康を二の郭、重臣ら八名は三の郭に移送し、他は武器を取り上げ放逐することに決めたが、内藤が不満顔である。

 到着してわずか一日でけりが着いたのだ。

 山県が対応するのが筋だろうと言いたいのだろう。


 「兵の状態はどうだ?」

 「道々、坂板殿に治療はしてもらっていました。戦に支障はありませぬ」

 坂板卜斎は、いわゆる軍医だ。

 僕が始めたわけではない。信玄の頃から戦に何人もの医師を従軍させていたのだ。

 ただ、医師とはいえ、傷の痛み止めに馬糞を水に溶いて飲ませるなど摩訶不思議な治療方法が横行していた。

 僕が勝頼になった時、飲まされたようだが、よく死ななかったものだと怒りを忘れ感心したものだ。

 僕は常識の範囲で逆効果となる治療を坂板と相談して止めさせた。

 従軍医師には、蒸留酒による消毒、薬草から作られた血止め軟膏、痛み止めの飲み薬による簡易の治療方法を徹底させている。

 「そうか。では、存分に働いてもらうぞ」

 「ははっ」

 家康の処分が終わり次第、美濃に出陣する。

 内藤には別にやってもらいたいことがあったのだが、先手を命じるしかなくなった。

 揃いも揃って好戦的なのにも困ったものである。


 「家康が御神代との面会を望んでおります。それと」

 内藤が三の郭を任せている三枝に視線を送った。

 「重臣ら三名が、殉死を願い出ています」

 本郭を受け取り、約定通り家康は二の郭、重臣らは三の郭に拘束している。

 家康と対面するのは、構わないとして重臣らの切腹は条件に無い。

 どうしたものかと考えていると、

 「仕方ありますまい。放っておいても追い腹を切りますぞ」

 内藤が言う通りだ。

 家康に殉じたい者を止めても無駄ということだ。

 

 「望むままにしてやれ」

 家臣で僕が知っているのは酒井忠次だけだった。

 あとの二人は初めて聞く名だ。

 家康を支えた本多忠勝も榊原康政も大久保忠世もいない。

 長篠で討死したからだ。

 史実なら勝頼は長篠の合戦で多くの有力家臣を失い衰退し滅亡した。

 本来勝頼が辿る零落への道を家康が歩むことになったのかも知れない。

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
面白い
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ