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44 援軍

 「伊勢勢が桑名に⁉ ううむ。少々厄介ですな」

 桑名から那護野は七里(二十八キロ)ほどだが、間に揖斐川、木曽川、長良川の大河があり越えるにはかなりの時間が掛かる。

 一旦美濃に北上するのが定石であり、信忠軍に合流するのには三日は必要だろう。


 「包囲を解き清州城に入るしか、手はありませぬ」

 山県も那護野城包囲の不利を認めた。

 三日の内に城を落とすのは不可能だ。

 外郭を占拠したところで、徳川軍と伊勢勢に挟撃される恐れがあるのだ。

 「清州に撤退か・・・」

 「御意」

 家康と立場が逆転したようだ。城に退いて籠城する以外術はない。


 その時だ。──

 歓声が響き渡った。

 「お、御屋形様! 軍勢が向かって来ます。背旗は、丸に割り菱!」

 馬廻りが駆け込んで来た。

 仁科の先発隊が到着したのだ。

 「五郎様が来れば、伊勢勢など物の数ではござらぬ」

 山県の上ずった声は、予想以上に不利な状況だったことを表している。

 仁科の到着で救われたのだ。


 「如何ですかな」

 山県が、食い入るように見取図を覗き込む仁科に言った。

 ウオッ ── タン。タン。タタン ──

 陣幕越しに遠くから喚声と銃声が聞こえてきた。

 秋山らだ。

 大手門への攻撃は中止しているが、馬出しは猛烈に攻め立てている。


 「おおっ。面白い! 織田一族の首、我が取って見せましょうぞ!」

 紅潮した顔を上げ吠えた。

 「五郎。伊勢勢二万に信忠軍八千だ。生半可では困るぞ」

 土屋五千がいるとはいえ、仁科軍は一万であり兵数はかなり劣っている。

 信包、信勝、信孝を狙っていては逆襲をくらう恐れがある。


 「兄上。このような戦に奮い立つなというのは無理な話し。攻めに、攻めて、土屋より先に信忠の首級を掲げる所存」

 「ハハハッ。頼もしきかな! ワシが替わりとうござるぞ」

 仁科がはにかんだ。山県に認められたのが嬉しいのだ。


 猛将の誉れ高いが、まだ二十三歳の若武者である。

 敵の挑発に乗り、無茶な突撃をしかねない。

 山県が老獪な奥三河衆の奥平貞勝を補佐としてつけたのは、それを危ぶんでのことだ。

 持ち上げても、押さえる所はきちりと押さえる。

 山県らしいやり方だ。


 「各自、敵鉄砲兵を狙え!」

 三度繰り返した百挺の鉄砲斉射の後、腕利き百人の狙撃に移行した。

 「進め! 進め!」

 尖頭丸太を吊るした屈強な足軽二十人が門扉めがけて駈け出した。

 「えい。おう。えい。おう。えい。おう」

 ダン。── ダン。 ── 

 敵の銃弾に足軽が倒れるが勢いは止まらない。

 バキッと門扉に丸太が突き当たり門柱が軋んだが、閂は壊れない

 「矢倉を狙え! 矢倉だ!」

 ドン。── ドン。 ── ドドン。──

 敵の鉄砲兵を狙った銃撃だ。

 命中したのだろう、敵からの射撃がなくなった。


 「えい。おう。えい。おう。えい。おう」

 一度後方に下がり、門扉が壊れるまで何度でも繰り返す。

 「伝令! 岡部様。東門を突破!」

 日の出とともに始まった総攻めは、やはり馬出しを占拠していた岡部隊が一番早かった。

 馬出しから戻された秋山は臍を噛む思いだろう。


 バキッ。ギギッ。──

 三度目の衝突で閂鎹が曲がった。左扉に人ひとりが通れるほどの隙間ができたのだ。

 槍兵がすかさず入り、門扉を開け放った。

 「止まれ! 竹束を持て!」

 「鉄砲隊! 前へ!」

 満を持して乗り込んだ秋山からの指示だ。

 門の内側は桝形虎口になっている。

 迂闊に突撃すれば両脇の矢倉から撃たれることになる。

 さすがは歴戦の雄。冷静である。


 「秋山に伝えよ。火矢を使え」

 虎口での敵の攻撃は三方から来る。

 竹束を立て銃弾を防ぐとしても、斉射による鎮圧は困難である。

 火矢なら放物線を描き、後方に落ち敵兵を攪乱できるはずだ。

 「火矢放てっ!」

 左の矢倉目掛け、次々に火矢が射かけられた。

 ダン。ダン。ダダン ── バチッ。バチッ。

 敵の銃撃が弓隊に向けられた。竹束が音を立てる。

 カッ。カッ。──

 竹束に矢が刺さり煙が上がっている。敵も火矢を射かけてきた。

 「鉄砲隊! 矢倉を狙え!」

 ドン。ドドン。ドドドン。 ── 

 ダン。ダン。ダダン ── 

 バチッ。バチッ。バチッ。──

 絶え間なく弾を浴びせるが、敵は怯むことはない。


 「ええい。埒が明かぬ! 全軍、後方に撤退!」

 山県の怒号に兵士らは竹束を立て、じりじりと門まで退いた。

 敵から鯨波が起こった。

 武田を追い払ったことによる歓喜の声だ。

 

 「ちっ。忌々しい。岡部様が廻り込めば皆殺しにしてやるのに」

 馬廻りから呟く声が聞こえた。

 岡部もそう簡単に行くとは思えない。東城門の先にも虎口があるのだ。

 最近流行の馬出しの内側に桝形虎口を築いている。

 防御の備えは、大手門以上に固いはずだ。


 備えが固い⁉ ・・・・・・ ならば・・・・・・ やってみるか。

 陽が落ち兵を後方に下げ、山県を呼び計った。

 「西門の依田隊をそれがしの替わりに呼びましょう」

 本隊だけで充分だと思うが、山県に従うことにした。


 「放てっ!」

 数十の火矢が屋根や柱に刺さり、鏃に巻き付けた布から炎が立ち上がる。

 「火をかけよ!」

 松明が矢倉や門に投げ入れられた。

 朝靄の空に、黒煙が立ち昇る。


 鉄砲隊は、堀の外で竹束を立て筒先を並べている。

 「御神代。彼奴等出て来るとは思えませぬが」

 西門から回ってき依田が、紅蓮の炎を巻き上げる大手門を眺めながら言った。

 「ならば、こちらから攻める」

 「はあっ? や、やりまするか!」

 依田でさえ、火をかけたのは敵兵を出撃させないためと見ているのだ。

 山県ら主力を二の郭攻略に切り替えたと思わせるために、赤備えを餌に使った贅沢な罠を仕掛けた。

 聞こえて来る喊声や銃声は、山県らが猛攻を仕掛けたのだろう。

 山県が奮戦すればするほど、こちらに隙ができる。

 それが狙いだ。

 

 「残骸を片付ける熊手、鉤縄を用意しておけ」

 「はっ」

 依田が口角を上げ頷いた。

 手柄を立てる好機到来と思ったのだ。


 「ええい。もうよい! どけ! 依田常陸介、押し通る!」

 火の粉を巻き上げ依田隊が駆けて行った。

 まだ燻り続ける大手門の残骸を足軽達が鉤縄や熊手で退かしている途中である。

 門が崩れ落ちる前に、山県らが虎口を突破して二の郭に入ってしまったのだ。

 建屋の敵兵は本郭に逃げたが、踏みとどまった兵を掃討中らしい。

 二の郭の制圧が終れば、三の郭に兵を向ける。

 そうなれば依田は、手柄を立てようがない。

 家康の二十万石が目の前にぶらさがっているのだ。

 焦って突っ込んだのは、そのためだろう。


 タン。── タタン。 ──

 敵からの銃撃音に、矢倉が手薄になっていることがわかる。

 すでに山県らは三の郭攻撃に移ったのかもしれない。

 「御屋形様! 我らにもお許しを!」

 近習、馬廻りが、突撃の許可を願った。

 「降伏する者には手を出すな。行け!」

 雄叫びをあげ兵士らが虎口に向かっていく。

 本隊の将も分け前にありつこうと必死である。


 「依田隊。左矢倉を制圧」

 「阿部殿、右矢倉を押さえました」

 「竹内様、三の郭建屋を占拠!」

 二刻(約四時間)とかからずに、三の郭を制圧した。

 山県らより早かったが、名のある武者は本郭に引き上げており、依田も近習もさしたる手柄は挙げては

いない。


 「本郭の普請は終わっておりませんぞ。如何致しますか」

 土橋を渡り、二の郭から山県が来て言った。

 本郭は外郭に比べ、二間(約三、六メートル)ほど高く、本郭と三の郭の間には、幅に三十間(約五十四メートル)ほどの水堀がある。

 元々池だったようで、東の二の郭まで続いているが、幅が狭くなり水の量も少なく沼地のような様相なのだ。

 本郭と二の郭の出入り口には、石垣を廻し堅牢な門があるが、三の郭から見える本郭の周囲は赤土の土塁で、その上にいかにも慌てて築いたような柵があるだけだ。

 名護屋城は兵が参陣するための繋ぎの城である。

 露骨な備えは謀反が露見しかねないため、普請が間に合わなかったのだろう。


 「家康の出方が見たい。鉄砲を撃ち掛けよ」

 ドドン。ドドドン。ドドドン。 ──

 百挺の斉射が三回行われ、土塁や柵に当り砂埃や木片を巻き上げる。

 鉄砲隊からどよめきが起こった。


 「家康です。家康が出ました」

 馬廻りが叫んだ。

 土塁の柵の向こうに、厭離穢土欣求浄土の旗がわずかに見える。

 

 ダダン。ダダダン。──

 敵の鉄砲隊が柵に取りつき銃撃した。

 バチッ、バチッと竹束に弾が当たり音を立てる。

 敵から鯨波が起こった。


 「家康め。諦めるつもりはないようですな」

 山県が嬉しそうに言った。






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