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43 拍子抜け

 「秋山、山県隊に伝えよ! 本隊は清州まで進む」

 「はっ!」

 百足の旗を靡かせて馬が走り去った。


 日暮れまであとわずかだ。物見を出し慎重に進まなければならない。

 山県の読み通り、家康は城を出て丘を取り囲むように布陣していた。

 野営地に夜襲をかけるつもりだったのだ。

 しかし、秋山隊に徳川の先鋒隊が殲滅されると、散らばった部隊を集め陣形をとった。

 そこに迂回した山県が強襲し、岡部、朝比奈隊の突撃に切り崩され家康は那護野城に撤退した。


 四手、五手の依田、天野隊および本隊の出番がないほどの圧勝である。

 正直、あまりの歯応えの無さに拍子抜けである。


 山県、秋山が追撃すれば家康は那護野城から動けないだろう。

 清州城を囲む織田信忠に、夜襲を仕掛けてもいい。 

 闇の中に清州城の篝火が見えた。

 物見の報せでは織田軍は加賀野井まで兵を退いていた。

 夜襲をかけなくても自ら囲みを解いたのである。

 労せず入城できたものの、肩透かしだ。

 思う以上に織田、、徳川に歯応えがない。

 何が起こっているのかわからないが、こちらとしては有難かった。


 広間に将らを待たせ、まずは小部屋で土屋と二人きりで話すことにした。

 「何度使者を出しても戻らず、心配しておりました」

 土屋が頭を下げた。やつれた様子はない。

 「出浦が申すには、、徳川の伊賀者にやられたようだ」

 出浦配下は壊滅状態に追いやられている。

 岡崎で僕を殺るため、徹底した情報封鎖を計ったのだ。


 「さようですか・・・ 家康めの寝返りを見抜けなかった己を恥じ入るばかりです」

 「いや、よくぞ攻撃に耐えた。清州が奪われれば尾張を失っていた」

 「浅井、朝倉の旧臣が、家康に背かなければ危のうございました」

 越前を襲撃した浅井、朝倉の残党らだ。

 家康が怨敵信長に与したため土屋に鞍替えしたようだ。


 「どうにも織田信忠の攻め方が解せない。何か掴んでいるか?」

 「いえ・・・・・・ 家康が動いた後、一夜の内に信忠も川向こうに退きました。我らは御神代の侵攻に対処するとためと思いましたが、違うのですか?」


 土屋らの捨て身の反撃を避けたと取れるが、家康の戦況もわからないうちに退いているのだ。

 どうも腑に落ちない。


 「失礼いたします。山県様、秋山様が入城いたしました」

 小姓が襖を開け、平伏していった。

 荒小姓のようだが、色白の華奢な美男子だ。

 「いましばらく待てと伝えよ」

 僕が答えると小姓は、「はっ」とも「ひっ」ともつかない声を出し、器用にも頭を伏せたまま後退りして退出した。


 「あれは?」

 「ご、ご無礼お許し下さい。御神代様を敬う余りの無作法。後で叱っておきます」

 確かに海老のように後退りするのは滑稽だが、僕はそれを気にしたのではない。

 「名は?」

 「はっ。井伊万千代と申します」

 やはりだ。後の井伊直政だ。

 史実では、武田滅亡のあとの武田の家臣を召し抱え、赤備えで徳川四天王と称えられる武将になる。

 あまりの出世に家康の色小姓であったと陰口を叩かれるのだ。


 土屋も信玄の色小姓と嫌う者もいる。

 信玄と家康の色小姓。この二人を一緒にさせておくのは、いかにもまずい。

 「よき若武者。山県に預けようと思うが、どうだ」

 「はっ。えっ、万千代を赤備えに⁉ ・・・・・・わ、わかりました」

 精鋭ばかりを集めた赤備えは、家中の憧れである。

 井伊が務まるかどうかはわからないが、引き離すには丁度良い。


 広間の上座に足を進めると、平伏した十二人が着座と同時に頭を上げた。

 出浦がいた。──


 「出浦が戻りました。信長の出陣はないようです」

 山県が言った。

 那護野の陣を朝比奈に任せ来た理由は出浦のようだ。

 「信長が兵を出さない⁉ なぜだ?」

 家康を篭絡して作り出した千載一遇の好機を信長が見逃すとは思えない。


 山県は出浦を視線で促がした。

 「摂津の荒木が背いたようです」

 出浦の言葉に、並ぶ将らが歓喜の声を上げた。

 僕が調略を用いたと思ったのだろうが、勘違いである。

 僕は何もしていない。


 史実でも荒木村重は信長に反旗を翻している。

 天正六年のことだから一年以上遅い。

 「本願寺顕如と組んで京を脅かしたか?」

 「よ、よくご存じでっ・・・ そのようです」

 史実では、今年顕如は信長と和睦し寺を退去するのだ。

 嫡男の教如が反対し本願寺に籠ったが、半年と持たず火が放たれ本願寺は灰燼と化す。

 この二人が組んで信長に抵抗すること自体が、歴史が微妙に変わった影響とも取れなくはない。


 「御神代! 何卒、信忠攻めをそれがしに御命じください」

 土屋が膝を進めて叫んだ。

 やられたままでは沽券に係るのだろう。

 「よし。天野をつける。存分にやれ」

 「はっ」

 「三郎兵衛。わたしは那護野攻めに回る。早々に落すぞ」

 「はっ」

 直に内藤、仁科隊が来るはずだ。

 一気に信長と雌雄を決してもいい。


 この時代の那古野城は、のちの名古屋城のような堅牢な城とは全く違う。

 熱田大地の西北端に築かれた三つの城門と一つの丸馬出しがある平城である。

 馬出し、空堀、曲輪など家康が増改築していて、小規模であるが侮ることはできない。

 それに六千の兵士が籠っているのだ。

 早期に落すのにはアレをやるしかない。


 「火蓋切れいっ!」

 鉄砲隊の頭の命令がとんだ。

 百の筒先が矢倉の敵兵に向けられた。

 「放てっ!」

 耳をつんざくような爆音が響き渡る。

 白煙漂う中、銃撃の終わった隊は退き、新たな筒先が並ぶ。

 三百挺の三列斉射。城門、馬出しすべてに配置した。

 「放てっ!」

 ドン。ドドドン。──

 「もたもたするな! 三番組! 前へ!」

 ドン。ドドドン。 ── ドン。ドドドン。 ── ドン。ドドドン。 ──


 「ゲホッ、ゲホッ。もしや小田原もこれで落としましたか?」

 脇の床几に腰掛ける山県が、流れて来た白煙を手で払いながら言った。

 山県、秋山らが、僕のやり方を知らないのは当然のことである。

 本隊以外に、小田原城攻めに出陣した将格は誰も居ない。

 そのため、各持ち場に副将として張り付けなければならなかったのだ。


 「腰掛けて眺めていればいい」

 小田原同様、圧倒的火力を見せつけ敵の士気を削ぐのだ。

 出口を鉄砲で固めていれば、家康軍が打ち掛かってくることはない。

 矢倉や門、柵に、数万の弾丸を撃ち込むだけだ。

 

 「右衛門の方が面白そうですな」

 山県は首をコキコキと廻し、溜息を吐いた。

 土屋は、木曽川を挟んで織田信忠と対峙している。

 天野隊を加えて五千を率いているが、織田軍は八千だ。

 数の上では織田が有利だが、兵の強度は土屋の方が数段上。

 伍して劣ることはない。


 タン。タタン。タタタン。 ──

 夜の静寂を破り銃声が響き渡った。

 「御屋形様! 敵が夜襲を仕掛けたようです」

 幔幕を捲り馬廻りの武者が入ってきてた。

 那護野城を取り囲んでの三日間、絶え間なく鉄砲を撃ちかけている。

 そろそろ家康が動くころだと予想はついていた。

 信忠と土屋は川を挟んで睨み合ったままである。 

 家康が行動を起こさなければ、戦況が変わらないからだ。

 

 「支度を」

 「はっ」

 具足を纏う間、木霊のように銃声と喚声が聞こえた。

 どうやら、徳川の夜襲は一ヵ所ではないようだ。

 大手門前の陣所に向かうと、山県が指揮を取っていた。


 「ちっと早く撃ちすぎましたわ。彼奴等、門を閉ざしてしまいました」

 門前に屍を晒しているのは、徳川の夜襲兵だ。百人ほどか。随分少ない。

 「秋山隊が、見えぬが」

 「ハハハッ。善右衛門は馬出しに攻め掛かっております」

 陽動と見て取った山県は、東の馬出しに秋山を送ったのだ。


 タン。タタン。タタタン。 ──

 聞こえる銃声は馬出しからだろう。

 激戦なのだろうか。時折、敵の応射らしき銃声も聞こえる。


 辺りが明るくなったころ、百足衆が駆けて来た。

 「伝令! 岡部隊、馬出しを制圧いたしました」

 「秋山は?」

 「馬出しから東城門を攻めておりますが、苦戦を強いられております」

 城門を破れば三の郭だ。家康は兵を割き守備を固めたのだろう。

 「先尖丸太を出せ」

 「はっ」

 山県が小躍りして指示を出し始めた。

 丸太で門扉を壊し、城に乱入するのには丁度良い頃合いなのだろう。

 東門に兵士が集中すれば、大手門には援軍が来ない可能性があるのだ。

 

 「矢倉及び城門の敵鉄砲隊を狙わせよ! 息を吐く暇もないほど撃ち掛けよ」

 山県は鉄砲隊の頭に命じると、赤備えを集め馬に乗った。

 門を破り次第自らも乗り込むつもりだ。

 「三郎兵衛。そなたが行かなくともいいのではないか」

 「ワハハッ。右衛門や善右衛門にばかり手柄を立てられたのでは、面白くありませぬ。御容赦」

 筆頭家老でさえこうなのだ。武田の強さはこういう所から来ているのだろう。

 

 「ご、御神代様! 大事が出来致しました」

 出浦が駆け込んできて跪いた。

 遥か後方に野良着姿の男が平伏している。手下の透破だ。

 「大事とは?」

 「織田信包、北畠信意、神戸信孝ら伊勢勢、桑名に集結。兵数おおよそ二万」

 「の、信長も動いたか?」

 「いえ、今のところ動きはありませぬ」

 信長は伊勢勢を尾張侵攻に使うつもりであったが、謀反により迷いが出たのだろう。

 荒木討伐か、尾張攻めか。信忠への援軍が遅くなったのはそのためだ。


 「山県を呼び戻せ!」

 「はっ」

 二万の敵の出現だ。

 場合によっては制圧した馬出しからも兵を退かなければならない。


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