42 殲滅
「たわけたことを! それで其の方らが参ったのか!」
山県の一喝に、平岩ら岡崎の重臣が縮こまり平伏した。
降伏の使者であるが、ただの降伏ではない。
城主信康が、後見の石川数正に刺殺されて、籠城する意味が無くなった末の降伏である。
「如何様な処分も覚悟しております。何卒、兵らの命だけはお許し下さい」
平岩らは死を覚悟しているようだ。
停戦の間に行った首実検では、大将格の松平真乗、松平長勝、榊原清政を討ち取っていた。
将格三十人余、兜武者首二百六十余、端武者首八百超。──
山県が力攻めで落とせると看破した通りボロボロであったのだ。
その上、瀬名の命令で説得にあたった石川と諍いを起こし、信康は刺殺され石川はその場で切腹し果て、それを知った瀬名も築山の自室で自害したのである。
こうなっては平岩ら重臣が、おめおめと生き残るわけにはいかないのだろう。
もっとも、石川も瀬名も自害したと言っているが、真偽のほどはわからない。
家名を落とさないために始末したのかも知れない。
岡崎城に向井正重ら二千の兵を入れ、平岩親吉、石川春重、松平家広を東郭に拘束した。
平岩らに切腹を命じなかったのは、解放した兵士らの反発を押さえるためというのもあるが、岡崎の仕置きに時間をかけるわけにはいかなかったからだ。
翌早朝、岡崎城の稗田門から出陣した。
兵数は八千となったが、士気は極めて高い。
狙うは西五里(約二十キロ)の小笠原信興の沓掛城だ。
タン。タン。タタタン。 ──
遠くから銃声が聞こえた。
あと一里(約四キロ)ほどで沓掛という場所である。
百足の旗を靡かせ騎馬が疾走してきた。
「伝令! 前方半里に敵兵おおよそ三千。小笠原の兵と思われます」
先手の秋山からだ。
やはり小笠原は城を出て待ち構えていた。
山県の読み通りだ。
「山県に伝えよ。那護野に向かえと!」
「はっ」
先手の秋山に朝比奈、依田隊をつけ二千五百としているのは、小笠原が打って出てきたときのためだ。
山県、岡部隊は、那護野城からの兵を迎え撃つ。
清州城を囲んでいる以上、織田、徳川からの援軍は少数であると見越してのことだ。
「天野隊を出せ」
「はっ」
天野隊千に遊撃を命じてある。
野戦なら、秋山が負けるわけがない。
退却する小笠原に、天野隊が食いつくのだ。
「小笠原、大島隊は秋山の援護に迎え! 本隊は山県らの後詰に移動する」
「はっ」
那護野城から二里ほど離れた小高い丘には、数百の篝火が並べられていた。
「御神代。家康が囲みを解き、那護野城に入ったようです」
岡部を連れ迎えに出てきた山県が小声でいった。
「兵数は?」
「織田を含めておおよそ七千。信忠は清州に張りついておりますが、与力を出したようです」
「信忠が、兵を割いたかのか・・・・・・」
信長の動きが、まだつかめていない。
戦になり出浦らも動きやすくなっただろうが、まだ何も報せがないのだ。
「緩やかな丘陵が続くこの地なら、大軍を向こうに回しても引けはとりませぬ」
山県なら七、八千の敵兵を翻弄することなど容易いのであろうが、それでは勝ちとはならない。
万一、初戦で後手を踏めば、兵数が多いだけに嵩に懸かかって攻めて来る恐れもある。
「三郎兵衛。反転し沓掛城を突く!」
「なんとっ!」
岡部が目を剝いた。
五里(約二十キロ)を移動し、一睡もせずに戻るとなると、騎馬はどうにかなるが徒士は疲労で使い物になるはずがないと思ったようだ。
「うむ。面白しろうござる」
山県は瞬時に乗った。
那護野城の徳川軍が動き出す前に小笠原を叩き潰せば、兵数は互角になるうえ、初戦を制せば士気も上がると考えたのだ。
夜陣を装い篝火はそのままにして、来た道を引っ返した。
月明かりだけの進行で、徒士の長槍、鉄砲隊が遅れがちになるのを待ちながら、二刻(約四時間)で踏破した。
「小笠原は沓掛より半里の高台に陣を張っておるそうです」
山県の馬廻りが馬を寄せていった。手下の透破の調べだろう。
「秋山は?」
「はっ。沼地を挟んだ高台に陣を敷いておられます」
沓掛城は小笠原陣所の半里南だ。城と連携し秋山に対抗しているのだ。
迂回して沓掛城を突くか、小笠原陣所を攻めるか。僕は迷った。
「御神代。やれますぞ」
月明りに照らされた山県の顔が怪しく笑う。
小笠原の陣所は砦ではない。
秋山隊に対し沼地を堀替わりの防御としているが、後方は堀がなく簡素な柵だけらしい。
押されれば城に逃げ込み、篭るつもりなのだ。
「陣所を攻める」
城に逃げ込む小笠原を秋山が指を咥えて見ているわけがない。
「かかれ!」
山県の号令に騎馬武者が、一斉に敵陣めがけて馬を走らせた。
徒士武者、足軽も騎馬武者らを追い駈け出す。
敵を目の前にして、血が滾り疲れを感じさせないのだ。
ダン。ダン。ダダン。 ──
敵陣の発砲などお構いなしだ。
柵を押し倒し騎馬隊が小丘を駆け上がっていく。
銃声。喊声。悲鳴。──
東の空が段々明るくなっていく。
ドドン。ドドン。ドドドン。──
凄まじい銃声が響き渡った。
回り込んだ鉄砲隊が後退する小笠原兵に斉射したのだ。
「よし。丘の上に移動する」
高台から沓掛城が一望できた。
眼下のあちらこちらで、戦闘が繰り広げていた。
城門を開いて数百の城兵が出て来るのが見えた。
味方を収容しようするためだろう。
ところが、その城兵に襲い掛かった隊があった。
遊撃の天野隊だ。
城の近くに潜んでいたのだ。
百ほどの小隊がわらわらと逃げ込む敵兵とともに城内に雪崩れ込んだ。
真っ赤な塊が城門に殺到する。
山県の赤備えだ。
敵は城に逃げ込むのを諦め、散り散り逃げ始めた。
「伝令! 山県様、城を制圧!」
使い番が丘を駆けあがってきて声を上げた。
「城に入るぞ」
「はっ」
城に向かう田畑、野原は骸だらけだが、小笠原が裏切ったためか、不思議と罪悪感はない。
城門を潜ると兵士らが敵の骸を片付けていた。
降伏すれば死なずに済んだ要領の悪い者達だ。気にもならなかった。
「信興は?」
「彼奴め、兵を置き去りに大野城に逃げたようです」
山県が首筋を掻きながら言った。
小笠原信興は城に戻っており、陣所にいなかったらしい。
武田の夜襲が、去ったはずの山県隊だと知り、城を捨て重臣らと連れ逃げてしまったそうだ。
降伏した敵兵に身分の高い者はいなかったため、武具を取り上げ解放した。
信興を追うのも自由だが、裏切った者を許すつもりはない。
戦場に屍を晒しても自業自得だ。
「秋山隊に、小笠原を追わせよ」
「ハハハッ。御心配なく。既に追っておりまする」
小笠原と対峙していた秋山、朝比奈、依田らにすれば、鳶に油揚げを獲られたようなものだ。
信興の首級をあげなければ収まるはずがない。
「明日の出撃までには戻るように伝えよ」
「はっ」
兵は疲弊している。
たった一日でも休みを与えなければならない。
流々と旌旗を靡かせ、軍列が街道を進んで行く。
一日であったが、休息を与えたため徒士、足軽の足取りはしっかりしている。
鼻腔を突く焦げた臭いは、沓掛城からだ。
振り向けば濛々を立ち上がる煙と噴き出す炎が見えるはずだが、焼き払った城など興味がなかった。
「お疲れのようですな」
殿の山県が馬を寄せ言った。
僕は欠伸を噛み殺し頷いた。
一日で首実検を終わらせたのだ。
夜戻ってきた秋山ら追撃組の検めまで終わらせている。
そのため寝る時間があまりなかったのだ。
ただ残念なことに、小笠原信興の首はなかった。
秋山らの追撃に大野城も捨て船で逃げたらしい。
伊勢の織田一族を頼ったのだろうが、家臣らを見捨てている。再起は不能だろう。
「また八事の丘陵に布陣いたしまするか」
山県が隊を離れ馬を進めて来たのだ。ただの世間話をするためではないだろう。
「何かあるのか?」
「ワシなら八事附近に兵を伏せ待ち構えまする。やられたままでは士気に係わる」
「物見は?」
「善右衛門が出しておりますので、間違いはありませぬな」
山県の目が笑っている。実に楽しそうだ。
ということは、──
「徳川を蹴散らしたあと、一気に那護野を突くか・・・ いいだろう」
「御意っ」
僕は後方で床几に腰掛けているだけだ。
山県の好きにやらせるのが一番だ。




