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40 長久手の戦い

 「かかれ!」

 梯子を担いだ兵士らが城門、塀に群がっていく。

 大草城も屋敷と見間違うような小さな城だ。

 ドン。ドン。 ──

 敵の鉄砲は少ないようだ。

 瞬く間に、堀を渡った兵士らが塀に梯子をかけ乗り越えていった。

 大草城は半日とかからず落ちた。

 岡崎城から出た援軍が、秋山に襲撃され逃げ帰ってしまったのだから、留守居の兵に闘志などなかったのだ。


 「いや、寒うて、寒うて難儀しました。御神代のためと、兵を叱咤し歯を食いしばって」

 「恩着せがましく何が言いたい。ワハハッ。欲しい物があるならはっきり言え」

 秋山の軽口に山県が破顔した。


 「まあ、手柄は確かだ。小馬標ならやるぞ」

 秋山には小馬標を与えるつもりだった。

 武田の先手一番として相応しい標だ。

 「おおっ! なんと⁉ さすがは御神代様。お見通しでございますか」

 「紅、白の禿でどうだ」

 立花宗茂の馬標である。禿とはざんまら髪の鬘のようなものだ。

 宗茂は、まだ婿には出ていない。豊後の高橋家に居るはずだから使っても問題はない。

 「あ、ありがたき幸せ!」

 甲冑をガチャッと鳴らし深々と頭を下げた。

 岡部らの目の色が変わっている。岡崎城攻めにはいいことだ。


 「本題に移るぞ。岡崎城は如何であった」

 小姓らが岡崎城の見取図を広げた。

 支城まで綿密に書かれている。内藤信成らが作成したものだ。

 「徳川の本貫だけあってかなりの堅城。この兵数で落とすのは、まず無理と思いまする」

 秋山の言葉はもっともなことだ。

 岡崎城は輪郭式の平城だが、巴川を引き込んだ水堀は複雑に入り組み郭の全てを囲んでいて、本丸を取り囲む外郭は石垣を用いており、上には矢倉が建ち並んでいる。

 刻々と兵は増えてはいるが、まだ七千に満たない。

 兵を待てばいいのだろうが、時間をかけていては土屋がもたない。

 どうすればいい。──

 山県と目が合った。

 「城周りを攻めてみてはいかがでしょう。ここと同じ小城ばかり。火をかけられれば怒りに我を忘れ打って出て来るやもしれませぬぞ」

 徳川は上杉ほどではないが、野戦はかなり強い。

 寄せ集めの兵で簡単に勝てる相手とは思えない。

 「留守居の小城をか。うむ」


 支城を落とし孤立させるのは城攻めの基本だ。

 だが、戦力的価値のない小城をいくら落としても、敵が動かなければ、ただの嫌がらせだろう。

 あまり上策とは言えない。


 「やっ。意外に効果があるかも知れませぬぞ。どうも岡崎兵に粘りがない」

 秋山が僕の顔色を読んで口を挟んだ。

 「粘りない・・・」

 やる気がないというのは、どういうことだろう。

 「それがしと一戦交えた岡崎兵もあっという間に逃げ帰りましたぞ。第一、このような小城の本陣なら一挙に攻め掛かれば崩せるはず。攻めて来ぬのが証左でござる」


 確かにそうだ。鉄砲で固めていようと、夜襲ぐらいはあってもおかしくはない。

 「よし。兵を進めよ。まずは羽根城を落とす」

 「はっ」


 岡崎城の南一里ほどの羽根城は武田の進軍に自落した。

 無人となった城を陣所にして、東の岡城、生田屋敷、西の矢作川を越えた本郷、桑子、高木の小城を焼き払った。

 ほとんどが逃げ去っていて無人だったのである。

 岡崎兵は打って出ず、城に籠ったままだ。

 城を攻めるには乙川南岸の城下を焼き払う必要がある。

 だが、焼いたところで乙川があり、北岸の川沿いに築かれた白山郭を容易に突破できるとは思えない。

 民衆から恨みを買うだけになる。

 かと言って、西側を攻めるには、本流の矢作川を越える必要があり、まず北の支城を先に落さなければ、野営など危なくてできない地形である。

 必然、東側から攻めるとしても、二の丸、東の丸の二つの郭が立ち塞がり、北側や南側を押さえておかなければ、横腹を突かれるおそれがあった。


 もう少し兵が増えるのを待つか。 ──

 日々兵は増えていて、今は一万を越えているが、それでも、六千が籠る岡崎城を攻めるのには足りない。

 纏まった兵数がほしい。

 内藤にも出陣を命じたが、関東からでは八十里(約三百二十キロ)もあるし、仁科は雪山を越えなければならず、どちらも到着にはあと二十日は見なければならない。


 「御神代。主水が戻りましたぞ」

 廊下を踏み鳴らし山県と出浦が居室にきた。

 二人とも顔色がさえない。

 

 山県がにじりより小声で言った。

「家康どころか、小笠原も寝返ったようです」

「なっ! ・・・・・・ しゅ、修理亮はどうした!」

  確かに小笠原信興は、家康が尾張を奪い取ったとき味方している。

 しかし、謀反にまで加担しているとは思わなかった。


 「清州城は、織田、徳川に囲まれており、近づくことが出来ませぬ」

  出浦が話し始めた。

 岐阜の信忠が清州の西北、加賀野井に布陣したのは十日も前のことだという。

 信忠の進攻に合わせ家康が挙兵したため、土屋は兵を引き籠城したらしい。

 

 「十日も前⁉ 修理亮から何の報せもなかったぞ」

 「小笠原でござろう。伝令も透破も家康と組んで始末したのでしょう」

 山県の言葉に、出浦が肯いた。

 「渡辺組は全員殺られました。富田、望月組からも多数の不明者がでております」

 岡崎城に入る予定は八日前だった。

 家康は情報を遮断して、僕を岡崎城で始末するつもりだったのだ。

 秋山が襲撃を受けなければ、まんまと家康に殺されていた。


 「信長は動いたか?」

 「いえ、信長も伊勢勢も城に兵が入っているようですが、出てはおりませぬ」

 岡崎の信康も信長の出撃を待っているのだ。

 そうでなければ、城に籠っているはずがない。

 信長が出て来れば、野田城留守居役の本間が言った通り四方を囲まれる。

 土屋だけではない。僕もだ。

 仁科、内藤らを待っている場合ではない。

 何かをやらなければ、後手に回り窮地に陥る。


 「三郎兵衛。秋山と赤備えで、五千の岡崎勢を押さえられるか?」

 秋山の兵は岩村城から呼び寄せ千になっている。

 山県の兵も集まっては来ているが二千ほど、合わせて三千である。

 「野戦なら、たとえ一万でも蹴散らしてご覧にいれましょうぞ」

 頼もしい言葉に、思わず山県を凝視した。

 忘れていたが、僕は戦国最強と言われる兵士らを抱えているのだ。

 多少の無茶でも押し通せる。

 「よし。この策でいく」

 僕の策に山県がにやりと笑った。


 「岡部隊より伝令! 多数の松明がこちらに向かってくるもよう」

 夜陣を張った小山の裾は、兵士らの怒号が飛び交っている。

 「敵は、岡崎、小笠原のどちらだ」

 「岡崎勢と思われます」

 「よし。岡部は山を下り、街道に布陣しろ」

 「はっ」

 全軍を動かしたのだ。岡崎城の信康が放っておくわけはない。

 「山県は?」

 甲冑を持ってきた近習に聞いた。近習は既に甲冑を纏っていた。いや、脱いでいないのだ。

 「山県様は、すでに出撃したようです」

 「あとを追うぞ」

 「はっ」


 矢作川を越え北上し名護野を迂回して清州に向かう進攻を装った。

 秋山は「同じ手は、食わぬのではないでしょうか」と訝しげに言ったが、それならそのまま清州城に向かっえばいい。


 仕度を整え仮屋を出ると既に兵士らは整列していた。

 内藤信成ら松平勢も二百ほどの兵を連れ並んでいる。

 「内藤。この辺りは何という地だ」

 「はっ。長久手の外れかと」

 「長久手⁉」

 天下を獲った秀吉と家康が唯一干戈を交えた場所だ。

 場所的に偶然なのだろうが、不思議な感じがした。


 山県は二町(約二百二十メートル)先の冬枯れ茫々の野原に陣形をとっていた。

 すでに岡部も山を下り左陣を固めている。

 「御神代。どうやら岡崎勢だけのようです」

 山県が駆け寄ってきて言った。

 「織田も家康も動いてない⁉ どういうことだ?」

 岡崎勢はせいぜい五千である。単独で一万の武田に追撃をかけるなどあり得ない話だ。

 「さあ。功を焦ったか、報せが届かなかったか。なめられたものですな」

 

 僕の策では、山県と秋山で岡崎勢にあたる予定であった。

 仕掛けて来るなら、小笠原や家康、信長親子のいずれかとの挟撃だと思っていた。

 秋山が言ったように三方ヶ原と同じやり方なのだ。

 岡崎勢だけで攻め掛かってくるとは、山県ではないがなめられたようで気分が悪い。


 「よし。徹底的に叩け! 岡崎城まで追い詰めよ」

 「ははっ」

 薄らと明るくなった野原に法螺の音が響き渡った。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] うーん、三方ヶ原の戦いで浜松城を素通りされそうになった事に怒り、三方ヶ原に誘い出されて大敗した事を覚えている家臣が、信康の周りにはいなかったのかな? もしくは信長の娘婿という気負いと…
[良い点] 続き楽しみすぎる。
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