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38 謀反

 「江尻城より駿府城のほうがよろしかったのでは」

 山県が馬上より話しかけてきた。

 当面駿府城には小原を置く。目途がたてば江尻と交換するつもりだった。

 「いずれそうしよう」

 鎌倉を出たとき、上杉憲政は春になったら越後に帰ると言っていた。

 北条が滅亡したいま、鎌倉に戦略的価値はない。

 僕が鎌倉にいる必要もなくなったのだ。


 「梶原の船が着いているようです」

 荷運びに使う梶原ら伊豆水軍の船が湾内に三隻見えた。

 城の近くに湊があり、二隻が入っているようだ。

 巴川の河口に建てられた江尻城は馬場美濃の縄張りで、川の水を引き込み水堀で囲んだ広大な平城である。

 大手門前に山県の家臣らが列を作って出迎えた。


 山県に誘われるまま、いくつかの橋を渡り本丸の広間に落ち着いたが、荷運びが再開され罵声や奇声が聞こえてきた。

 「随分騒がしいな。何とかならぬのか」

 山県が近習に、苛立ちの声を発した。

 「いや、面白そうだ。わからぬように見てみたい」

 僕とわかれば手を止め膝まついてしまう。

 作業の邪魔をしないよう変装が必要だろう。

 「物好きなことですな。では辻に案内させましょう。ほどほどに願いますぞ」

 山県が用意した羽織、袴に着替え外に出た。


 東西が四町弱(四百四十メートル)南北が二町(二百二十メートル)の広さの城だ。

 水堀を回した本丸を二の丸が取り囲み、二の丸は地続きであるが東と西に別れており、それぞれに丸馬出しがある。

 西二の丸の前には三の丸、東二の丸の南側にも丸馬出しがあり、こちらも全てに水堀を回していた。

 かなりの堅城だ。


 東二ノ丸の馬出しに大勢の男たちが列を作っていた。

 巴川の湊の船に積む荷の改めをしているようだ。

 「いかんがや! 米は証文書くでぇ、浜松で貰ってちょーせ」

 船頭だろうか、杖をついた初老の小さな男が大声を出していた。

 離れていてもよく通る声だ。

 「たーけ! 武田の武者は戦はうみゃーが、頭はとろくていかんがね」

 随分なことを言っている割には、周りの男たちは腹から笑っているように見えた。

 初老に見えたが、そこまでの齢ではないようだ。

 脚を引きずっていて尾張言葉。どうにも気になる。


 「あの者は、梶原の手下か」

 「ああ、土山藤吉郎と申しまして、新しく召し抱えた者です」

 「土山藤吉郎? どこの出だ」

 「はっ。伊勢攻めの折、織田からの返り忠です。長篠の前までは近江の城持ちだったそうです」

 間違いない。秀吉だ。

 羽柴のように土屋と山県の一文字をとり苗字を変えたのだ。

 僕は本丸の山県の元へ取って返した。


 「秀吉を召し抱えたことを何故黙っていた!」

 山県は帳面を閉じ、僕を凝視した。

 「何ぞ、藤吉郎と関りがございましたか・・・」

 怪訝な顔の山県を見て我に返った。

 山県にすれば秀吉は織田で頭角を現し始めたが、長篠で大怪我を負って隠居した男にすぎない。

 わざわざ召し抱えたことを報告するほどの価値のある男ではないのだ。

 「な、なに、これからのことで、秀吉のような百姓出の家臣が必要なのだ。それだけだ」

 僕は慌てて誤魔化した。

 「よくご存じで。戦には使えませぬが、人使いは上手うござる。お使いになりますか?」

 伊勢に攻込んだとき、臣下を望み陣所に押しかけて来たのだという。

 案内として使ったところ、伊勢の城の弱点をよく知っていて、田丸城、神戸城を焼き払えたのも秀吉の助言があってのことだと山県は言った。

 「弟が家督を継いだと聞いたが、まだ伊勢にいるのか?」

 「いえ、一族、郎党引き連れ、右衛門尉に仕えておりまする」

 尾張中村の出とはいえ、城を捨て土屋に仕えるとは、ただ事ではない。

 一体何があったのだろう。

 「小城ひとつの捨扶持を与えられ、伊勢勢にも組み込まれず、留守居の役もない。嫌気がさしたようですな」

 信長はいずれ廃家にしようとしていたようだ。

 その前に逃げ出したのだろう。

 「羽柴、いや、土山を貰うぞ」

 「ワハハッ。直臣に取り立てるなら、たわけた苗字はやめさせてくだされ」

 山県が破顔した。

 秀吉を家康の与力にし、まずは道路の改修をやらせよう。

 天下人二人の道普請である。

 さぞや立派なものができそうだ。


 「兄上! お待ちしておりましたぞ」

 浜松城の城門前で、先に着いていた仁科盛信らが出迎えた。

 冬の水枯れと軽く見ていたが、雨により川が渡れず予定より大分遅くなってしまったのだ。

 防衛のため東海道の大河に橋はないが、これも対策を考えなければならない。

 「弾正病重く、源五郎を連れて参りました」

 盛信が小声でいった。

 高坂弾正は小田原攻めのころから体調崩しており、嫡男の昌澄が指揮をとっていたのだ。

 「よほど悪いのか?」

 「おそらく、年は越せませぬ」

 史実では去年で亡くなっている。昌澄を長篠で失い、三年後病死しているのだ。

 心労が祟ったものと考えていたが、病を抱えていたようだ。


 「昌澄を戻せるよう、直ぐに始めよう」

 「お待ち下され。善右衛門尉がまだです」

 浜松城に入る山県と副将も合わせてやる予定だった。

 「五郎様。アレはほっといよろしい。ワハハッ 婿様ゆえ難儀しているのだろう」


 秋山の居城岩村城は、前城主の未亡人と婚姻し奪い取ったものである。

 未亡人は信長の叔母で養子は信長の五男であったが、養子は甲斐に送り人質とした。

 史実では武田の長篠大敗あと織田に攻められ降伏したが、妻共々逆さ磔で処刑されるのだ。

 家臣らも城を出たところで挟撃され皆殺しになるのである。

 人質の養子は天正九年に信長に戻されている。

 僕はこの人質を長篠のあと、送り返している。

 戻したところで、一年と経たずに攻込まれ殺されるのだ。

 価値の無い人質だ。


 論功行賞も終わり祝宴となった。

 「兄上。ひとつお聞きしたいが、我の馬標は含みがあるのでしょうか」

 酒で真っ赤になった仁科が瓶子を手に前に来て言った。

 飛騨、木曽、東美濃、中、南信濃の旗頭仁科盛信。副将高坂昌信、葛山信貞、小笠原信嶺。

 遠、駿、三の旗頭山県昌景。副将秋山信友、岡部正綱、朝比奈信置である。

 秋山は岡崎城、岡部は野田城、朝比奈は吉田城を居城とし東に通じる街道を固めるのだ。


 仁科に与えた馬標は、井伊直政の金の蠅取である。

 蠅取とはラッパのような形で、広がった方で蠅を捕え、細い口先から袋などに落す金属具だ。

 井伊直政はまだ十八歳。万千代を名乗り土屋の家臣になっているので問題はない。

 「含みとは?」

 「蠅とは、親族衆のことかと・・・」

 仁科は身を乗り出し小声で言った。

 「い、いや。違う。そのような考えは断じてない」

 仁科の言う親族衆は叔父らのことだ。

 宴の出席者では、仁科、葛山が弟、木曽が義弟であり親族衆なのだ。

 よりによって誤解を招く物を渡してしまったようだ。

 「あ、いや、兄上。密かに専横を見張りまする。お任せください」

 仁科は親族衆の監視役も兼ねている。

 そういう意味では心強い言葉だが、対立を煽っているようで気が引けた。


 「何事だ!」

 山県の怒声が飛んだ。

 先行する兵士らが足を止め、どよめきが起こっている。

 「先触れの倉科殿が戻ってきたようです」

 豊川を越えたばかりだ。岡崎城までは七里(約二十八キロ)はある。

 先触れ役の倉科が戻ってくるほどの大事が起こったのだ。


 騎馬武者の一団が兵士らを掻き分け向かって来る。

 よほど急いだのだろう、徒士武者や足軽ははるか後方を走っていた。

 馬をおり四人が駆け寄ってきて膝まついた。

 三人は先触れ役だ。

 左鎖籠手だけ着けた奇妙な姿の武者を連れて来たのだ。


 「大島ではないか⁉ なにがあった!」

 山県が武者を知っていた。

 秋山の近習である。

 「はっ。岡崎城謀反!」

 「な、なにぃ」

 鞍からずり落ちたように見えたが、見事に着地し大島に歩み寄った。

 「主、善右衛門尉は山中の廃城に籠り抗戦中!」

 大島は縋るような目をした。

 「敵数は、如何ほどだ」

 山県は落ち着いた声を出した。さすがは百戦錬磨の武人である。

 「五、六千と見ました」

 「うむ。・・・・・・ 御神代。野田に向かいましょうぞ」

 引っ越しのため城に兵を残してきている。

 鉄砲隊百を連れているものの、本隊五百、山県隊八百での行軍である。

 道中は城で宿泊するため、兵糧、武器弾薬を運ぶ荷駄隊も少数だった。

 浜松で別れた岡部が野田城、朝比奈が吉田城に入ったはずだが、やはり連れてきた兵は少ない。

 「倉科。野田城に報せよ」

 「はっ」


 豊川沿いを北東に三里(約十二キロ)進めば野田城である。

 「大島。一体、その格好は何なのだ」

 山県は馬を進めながら戦況を確認した。

 秋山は浜松城に向かう前に、己の新居城を見たくなり岡崎を通ることを思い立ったのだという。

 入城するつもりはなく、城下をかすめ遠目より城を眺め見ればよかったらしい。

 矢作川の支流乙川の辺りで襲撃を受けた。

 わけの分からぬまま山中に逃げ込み、探りを入れると岡崎城には兵士が入り戦仕度を整えていた。

 山道を通り浜松に向おうとしたが、秋山は山中の廃城に立て籠もった。

 大島がおかしな格好なのは、甲冑を纏っていない者がいて、置いてきたのだといった。

 「面目ありませぬ。引っ越しに手を取られ、油断致しました」

 秋山が連れてきた兵数は五百ほど、軽武装のうえ鉄砲も三十挺だけらしい。

 大島は馬上で縮こまった。


 「いや。秋山の手柄だ」

 「はあ、・・・ ははっ」

 秋山の気まぐれがなかったら、やばかったのは僕だ。

 家康は僕を殺るため岡崎に兵を揃えていたのだ。


 「御陣代。出浦に探らせていますが、渡辺との連絡が取れぬようです」

 山県が馬を寄せて言った。

 透破頭の出浦の下には、渡辺、富田、望月、西山の四人を侍身分に引き上げ就けている。

 領土が大きくなり、出浦だけでは賄えなくなったためだ。

 出浦が頭領として本隊につき、渡辺、富田、望月が西。西山が東を探っている。

 東に比べ西には伊賀、甲賀、根来、雑賀と、間諜、傭兵を生業とする者が余多いて、徳川は伊賀の服部を召し抱えている。

 渡辺は服部に殺られたのかも知れない。


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― 新着の感想 ―
[一言] 仁科盛信が前のめりになるのも無理ないですよ 窮地の状態から武田を立て直し、逆に織田や上杉を打ち破るほどの采配を武田勝頼がしているのに、ろくに活躍してもないくせに今だに兄を見下して親族衆とい…
[一言] コキーン(例の謀反の音) うーん家康くん…信じてたのに…(゜゜) そして秀吉登場で草 この人は、裏切らんで欲しいかも
[一言] 機を見るに敏い神君、想像通りなら思っていたロードマップ崩壊ですがさて
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