36 軍制改革
小田原は好景気にわいた。
北条の金蔵から町屋の再建に金を出したということもあるが、幾らでも人手が必要で、武蔵、伊豆から も人々が仕事を求め集まってきたのだ。
人が集まれば商人らに金が落ちる。
火をつけたのは北条の兵ということもあり、武田を憎むものは少なかった。
伊豆の梶原ら水軍も木材の買い付けや運搬で紀伊辺りまで船を出している。
独占されたと不満を漏らしていた紀之湊の佐々木とは対等な取引になったようだ。
僕は小田原を内藤に任せ、鎌倉に移動した。
屋敷を造らせているが、まだ屋根も乗っていない状態で、しばらくは寺に間借りすることになる。
「お待ちしておりました」
景虎、憲政が重臣とともに、烏帽子、直垂姿で出迎えた。
儀式を行うため上杉の重臣が集まっているのはわかるが、僕を出迎えるのに烏帽子、直垂姿というのは、困惑するしかない。
景虎はすでに安芸にいる将軍義昭から関東管領就任の許可を得ているのだ。
これでは僕が、関東管領の上の存在と世間に示しているようなものだ。
関東管領は、鎌倉府の長官である鎌倉公方を補佐する目的でつくられた役職名だ。
最初は鎌倉執事と呼ばれ二人が任じられていた。
次第に上杉氏が関東管領を世襲するようになったのだ。
関東で関東管領が、下に控えなければならないのは、足利将軍家一族の公方だけなのである。
「五郎殿。この出迎えはまずい。わたしは無位無官の武田家の陣代なのだ」
憲政はにこりと笑った。
どうやら、わざと出迎えたようだ。
「将軍家より祝儀の品が届きましたが、その中に御神代への御品がございました」
「わたしの品?」
献金の礼でもあるのだろうか。まさか、今更偏諱でもないだろう。
広間に誘われ上座に座らされた。先ほどの注意など聞いていないのだ。
憲政は恭しく、朱房黒漆の箱を差し出した。
「こちらでございます。お気に触るでしょうが、北条征伐後にお渡しするようにとのことでした」
意味深な言葉だ。勝たなければ渡す必要がないと言っているようなものだ。
「本来、北条攻めは鎌倉占領までであったが・・・」
「さて、拝賀の儀式の前にお渡しすればよろしいかと、愚考いたしました」
差し出され箱を紐解く。中身は絹布だった。
僕は取り出し広げてみた。
「おおっ!」
上杉重臣らから、どよめきが起こった。
「これはっ⁉」
僕も絶句した。
とんでもないものが出てきた。
「将軍家の御陣旗。錦御旗にございます」
憲政が目を細めていった。
白絹に日の丸、金字で天照大神、八幡大菩薩と書かれた大旗である。
武田の御旗、上杉の天賦の御旗を越える武家最高位の旗だ。
これで、憲政らが正装で出迎えた訳が分かった。
僕は将軍の後継者にと義昭から目をつけられたようだ。
信長に対抗できるのは武田だけとの思いがあるのだろう。
迷惑な話だが、旗は有り難く頂戴することにした。
鶴岡八幡宮での儀式は、恙なく執り行われ、景虎は名実ともに関東管領に就任した。
北条攻めで傍観を決め込んだ成田、里見、小田、梁田の使者が祝儀の品を持って鎌倉を訪れた。
それだけではない。佐竹や宇都宮、結城まで使者を寄こしたのだ。
形骸化していても関東管領の権威はまだ生きているようだ。
そして、どういうわけか、僕にまで祝儀の品を持って来る。
北条氏政に圧力をかけるため、鎌倉の扇が谷に屋敷を建造したのがいけなかったようだ。
武田、上杉の家臣らが、屋敷を鎌倉御所と呼び始めていて、義昭から送られた陣旗が更なる誤解を招いていたのだ。
九月に入り、景虎が越後に帰った。
「関東管領の名にかけて、新発田らを討伐してご覧にいれまする」
僕と憲政、北条高広が見守る中、悠々と天賦の御旗を掲げ街道を進んで行った。
景虎本隊の後には、北条景広が金の御幣の馬標を掲げさせ馬上から手を振っていた。
「身に余る御拝領品、北条の誉でございます」
高広が涙を浮かべ景広に手を振った。
「首実験の場に忘れていったので、いらないのかと思っていたぞ」
「いや。それは。・・・ 倅め抜けている所がございまして。面目ござりませぬ」
憲政が声を出して笑った。
僕は完成した屋敷に入り、武蔵、相模の税額の決定、貨幣、度量衡制の統一、水陸関所の把握、商人座の管理など、それぞれに責任者を選任し割り振った。
小田原城、韮山城の再建、八王子城の新築も合わせて行っているが、論功行賞は後回しにしている。
重臣を交え、軍制改革を行いたいからだ。
尾張、三河、遠江、駿河、伊豆、甲斐、信濃、飛騨、上野、武蔵、相模。一部だけだが、美濃、下野。上杉の越後、越中、能登。佐渡島を合わせれば、総石高四百五十万石。
四十石で一人を動員兵力するとして、ざっと十一万人を超える大勢力である。
今のところ信長の総石高は三百五十万石くらいだろう。
動員兵数は八万七千ほどで、僕のほうが上回っている。
だが、西の反信長勢力がいつ寝返るかわかない。
兵数など一晩で変わってしまう可能性がある。
山県らが岐阜を攻めたため毛利は窮地を脱したが、蒲生ら中国遠征軍に毛利は対抗できなかった。
摂津に侵攻した小早川らも、最初こそ勢いは良かったようだが、攻めあぐね撤退している。
本願寺の援護があってそうなのだから、毛利では織田を打ち破る力はないのだ。
再度、中国遠征軍が侵攻を開始したら、宇喜多、南条も毛利を見限る可能性がある。
軍制改革をおこなうのは、信長の目を東に向けさせないためでもあるのだ。
「ここが鎌倉御所ですか。まさか御神代が、公方様になるとは思いませんでしたぞ」
尾張から戻ったばかりの山県が、笑いながら広間に入ってきた。
「戯言はよしてくれ。待ちわびたぞ。修理らが来るまでに伊勢の状況をきかせてくれ」
美濃が固いのは聞かなくてもわかっている。
それより、信長が、次男や弟を配した伊勢が気になった。
「はっ。それがしも予定になかった伊勢を攻めましたが、御神代のように上手くいきもうさず、面目次第もありませぬ」
「比べてどうする。信長相手ではこうも上手くいくはずがない」
勝ち戦と言っても北条の自滅に助けられたようなものなのだ。
山県が詫びる事ではない。
「織田の鉄砲の多さに辟易しました。小城でさえ数百の鉄砲を所持しておりました」
どこの大名でも鉄砲は所持しているが、数はそれほどでもない。
信長の長篠での敗退が、鉄砲の所持に歯止めをかけているのだ。
手取川でも鉄砲を並べた織田を破っている。増々鉄砲は軽く見られるだろう。
僕は逆だ。
城に籠った北条兵に対しても徹底的に鉄砲を使った。
「信長は、一度や二度の敗戦では戦法を変える気はないようだな」
信長は二度試み、二度とも武田に破られたが、鉄砲に絶大な信頼を置いているようだ。
確かに、武田得意の野戦でも、陣を固め鉄砲を並べられたら攻めようがない。
鉄砲だけで、打って出る必要のない戦もできる。
攻め掛かってくる敵に、息を吐く暇もないほどの鉄砲の斉射で迎え撃てばいいのだ。
「夜襲により何とか恰好だけはつけましたが、主力が留守でなければ無理でした」
山県が城を焼き払ったのは、鉄砲だけでは城は守れないと見せつけるためだった。
赤備えだからできた城攻めだ。ほかの隊では到底できない芸当である。
今の武田は、山県、内藤、和田、土屋が、軍事の旗頭で、土屋は尾張から離れられず、内藤と和田の三人が鎌倉にいる。
山県の報告は、これから行う軍制の改めの会議に重要なことになるはずだ。
「御神代。良く練られた改めと存じますが、御親族衆が黙っているとは思えませぬが」
内藤が絵図と名簿を見比べながら、表情を強張らせた。
「甲斐に加え信濃半国ではないか。四十三万石だぞ」
親族衆は十八人。筆頭の逍遥軒信廉の知行は五千貫(約一万石とする)である。
これでも僕が陣代となってから、大幅に増やしてやったのだ。
なにしろ信玄のときは三千貫が家臣の最高知行であり、逍遥軒ばかりではなく、城を任されていた山県、内藤、和田も三千貫であった。
戦になれば上級の武士のもとに、中級、下級の武士が集う寄親寄子制をとり、知行をおさえ戦費に充てていたのだ。
「加増が絡みますゆえ、御親族衆と一度諮られては如何か」
和田が名簿を手に取り言った。
軍制改めには異議はないようだ。
当然であろう。
検地も進み貫高から石高に改めたが、譜代の重臣には八万石から十五万石を宛がっている。
大盤振る舞いである。文句など言うはずがない。
軍制改革は、七人の旗頭を中心に三万から八万石の将を三、四人つけ、一万の軍勢をつくるのだ。
旗頭には、甲斐、信濃半国は、逍遥軒信廉。残りの半国と飛騨が仁科盛信。上野に和田業繁。武蔵に内藤昌豊。相模、伊豆に馬場昌房。駿河、遠江、三河に山県昌景。尾張に土屋昌次の七人である。
副将として逍遥軒には川窪、穴山、一条。和田には真田、原などの将をつけ、各軍には最低でも三千挺の鉄砲を所持させる。
領国経営に力を注ぐための防御に徹底した備えで、版図拡大は一区切りとした改革である。
僕は駿河の江尻城で港の整備と西南北を貫く道の整備をやるつもりだ。
北陸の湊から奥州や九州、関東や東海の湊から摂津や安芸と交易をする。
整備した街道で北陸と関東、東海の特産物を運べば交易の幅は更に広がるはずだ。
まずは富士川道を整備して宿場を造り、駿河と越後を繋ぐことから始める予定だ。
街道、脇往還の整備とあわせて、度量衡の統一を急がなければならない。
北条は小田原を物流の中心にするよう伝馬宿駅制度を整備したが、一里が六町(約六百六十メートル)としていた。
駿河の今川は一里、六十町(約六・六キロ)と十倍も違うのだ。
一里を三十六町(約四キロ)と統一したのは江戸幕府の家康である。
本人は面食らうだろうが、家康にやらせる計画である。
「御神代。逍遥軒様らは承諾しますぞ。この改めを反対すれば御自身の立場が悪くなる」
陣代が家臣らの働きを認め、大幅に加増しようとするものを親族衆が拒めば、憎しみは逍遥軒らに向けられるというわけだ。
家臣らに背かれれば権威は失墜するだろう。
「全て承諾すると思うか?」
逍遥軒らが丸呑みするとは思えない。
「息のかかった者の要職就任を求められるでしょうな」
山県が苦く笑った。まあ、そうなるだろう。
「御神代。ひとつ伺いたいことがありまする」
和田がずいっと身を乗り出した。
「巷では将軍家継承の噂で持ちきりですが、如何致す御所存ですか」
「錦御旗は将軍家の証。足利家を譲りたいとの意味ではなのですか?」
内藤も膝を進めてくる。山県だけはにやにやしながら無言である。
「馬鹿を申せ。わたしに馬標が無いのを気の毒に思ったのだろう。現に旗だけ送られてきたのだ。将軍家継承など一言もない」
あったところで、僕は将軍になるつもりはない。
天下など知ったことではない。勝頼のまま平穏に暮らせればいいのだ。
「さようですか・・・」
和田が肩を落とした。
「ひ、ひとつお願いがございます」
内藤がおずおずと小声で言った。
「なんだ?」
「はっ。御神代が錦御旗を掲げるのに、我ら旗頭に馬標がありませぬ」
旗頭では山県と土屋には与えている。
同じ身分なら内藤の要求はもっともなことだ。
「分った。意匠は考えておく」
「あ、有難き幸せ!」
内藤、和田が仰々しく頭を下げた。
一万の兵を率いる馬標。それを束ねるのは錦御旗。確かに絵になる。
だが、僕は将軍からの拝領とはいえ、錦御旗はそのまま使えない。
信玄の遺言で禁止されている八幡大菩薩の文字があるからだ。
旗は手直して使うつもりだが、蔑ろにしたと思われないよう、将軍家に遠慮したと噂を流す必要があるだろう。
ただの日の丸の旗なのだが、御旗とはそういうものだ。




