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35 小田原城炎上

 燻りが残っている町に法螺の音が鳴り響いた。

 西に内藤。仁科、葛山。東に高坂、馬場、原を配し、海側の大手門の前に僕と上杉勢が布陣した。


 小田原城は町全体を土塁で囲んだ総構えのため見落としがちだが、中々の堅城なのである。

 本丸、二の丸のほか東西に四つ曲輪あり、そのすべてが水堀で囲まれていて、それぞれに橋はひとつかふたつあるだけだ。これが内堀の中にあるのだ。

 外堀との間にある侍屋敷がぐるりと城を取り囲んでおり、外堀から中に入るのには、東、西、大手門の三か所だけである。


 外堀の幅は五間(約九メートル)ほどだが、堀に添って塀や矢倉があり、北条は兵を配置し固めていた。


 「放って!」

 ドンドドドン。ドンドドドン。ドンドドドン。──

 ドンドドドン。ドンドドドン。──

 バチッ。バチッ。バチッ。 ──

 塀の上や矢倉から敵鉄砲隊の応射が竹束にあたり音を立てた。

 「鉄砲隊を下げよ。後方に三段横列を敷け」

 北条は橋を切り落としていた。

 外堀を取り囲んでいれば北条は動けない。

 とりあえず、これでいい。


 「真田は?」

 「はっ。すでに作業に取り掛かりました」

 近在の百姓と逃げ出した町人を脅し人足とした。

 相場の五倍の賃金に加え、三食つきという厚遇だ。

 脅さなくても人は集まるが、無理矢理やらされたという形をとった。

 難しい作業ではない。

 東の山王口から久野口、西の箱根口から早川口の城門や矢倉を壊し空堀を埋め、土塁を崩しなだらかにしてしまうのだ。

 作業は三日で終わり、土塁は海側を残したまま、東西を貫いた。

 最早小田原城は総構えではない。水堀に守られた平城になったのだ。

 その間、北条は打って出ることはなかった。


 「使者を送れ。氏政の切腹が条件だ」

 城内の寺の住職らを使者として送ったが、斬られ外堀に投げ捨てられた。

 もはや領民さえ敵なのだろう。


 「あれを用意しろ」

 「はっ」

 梶原の安宅船にあった船戦用の焙烙玉を小さく改良した花火である。

 焙烙玉のように爆発はしない。火を吹き上げるだけだ。

 「放てっ」

 投石器から放たれた焙烙は尾を引いて、外堀の柵を越えていく。

 ドンドドドン。ドンドドドン。──

 バチッ。バチッ。バチッ。 ──

 敵の鉄砲隊が焙烙玉を投げ込む兵に向けられた。


 「敵鉄砲隊を狙え。撃てっ」

 ドンドドドン。ドンドドドン。ドンドドドン。──

 ドンドドドン。ドンドドドン。ドンドドドン。──

 砲煙が濛々と立ち込める中、焙烙玉が次々に投げ込まれる。

 ドン。ドン。ドドン。──

 敵の応射に勢いがない。焙烙玉を消し止めるのに躍起になっているのだ。

 「それ! 橋を架けよ」

 木材を繋いだだけの橋が、一斉に堀に架けられた。

 ドン。ドン。ドドン。──

 バチッ。バチッ。バチッ。 ──

 竹束を立てて渡る兵士に銃撃が集中する。

 先頭の兵士数人が、撃たれ堀に落ち水柱をあげた。


 「塀に張りついてる鉄砲隊を狙え! 撃てっ!」

 ドンドドドン。ドンドドドン。ドンドドドン。──

 何組かが堀を渡り切った。

 兵士らは竹束の縄を解き、中から梯子を取り出す。

 足掛けをつけた簡単なものだが、塀に立てかけ昇り始めた。

 敵兵も槍で突き落とそうと身を乗り出す。

 塀を挟んでの攻防である。

 こうなると武田の兵はおそろしく勇猛で強い。

 敵の槍を掴み踊り込んでいく者もいれば、敵兵を突き殺し投げ捨てる者もいた。

 塀に群がった兵士らは、梯子を昇り次々に乗り込んでいった。

 

 ドン。ドン。ドドン。──

 銃声と喚声のなか、大手門が開けられた。

 兵士らは簡易橋を渡り雪崩れ込んだ。

 遅れて西の内藤らも外堀を突破したようだ。

 東の高坂らに本隊から援軍を送り、全軍が外堀を越えた。


 北条兵は、内堀側の屋敷に入り抵抗を続けた。

 曲輪に渡る橋全てが壊されていて、退却ができないのだ。

 「降伏を促せ。武器を捨て投降せよと」

 三千人ほどが投降したが、二千人が屋敷に籠っている。

 北条一族の隊だろうか。降伏する気はないようだ。

 「火をかけよ」

 いくら救おうとしても、拒否する者をいつまでも相手にしている訳にはいかない。

 降兵を城外の陣屋に拘束し、東西南から侍町に火を放った。

 上位の家臣たち屋敷ばかりだ。

 怒りで打って出て来るかもしれない。

 出て来るとすれば北側の山あたりだろうと、原と内藤隊を張り付けた。

 火は瞬く間に燃え広がり、屋敷に籠っていた北条兵は具足を脱ぎ捨て内堀を泳いで渡ったようだ。

 

 次の朝、真田信綱が首級を持って陣所に来た。

 真田はまだ手付かずの水之尾口の陣所にいたのだが、夜中に城門から出た騎馬隊五十が箱根路を駆け去るのを発見し、追いかけ討ち取ったのだという。

 

 「降兵は口を噤んでいますが、装いから北条相模守ではないのかと思いまして」

 「なにっ⁉」

 氏政は山側から打って出たのではなく、逃げ出したというのか。

 「弾正少弼を呼べ!」

 氏政の顔を知っている者は、味方の中では弟の景虎ぐらいだ。


 「氏政に違いありません」

 景虎は言い切った。

 嫌ってはいてもやはり兄なのだろう、涙を浮かべている。

 「家臣を置き去りに逃げるとは。同じ血が流れていると思うと情けなさに涙がでます」

 景虎が顔を伏せた。


 嫌がる僧侶に首桶を持たせ使者として送り出した。

 三人もの住職が斬られているのだ。嫌がるのは当然のことだろう。

 莫大な寄進を約束してやっと承諾した。

 ただ、僧侶が斬られることはないはずだ。

 氏政はすでに首級に成り果てている。


 水之尾口で待っていると、僧侶が首桶を持って帰ってきた。

 「降伏は承諾しましたが、首は相模守様の影とのことでありました」

 「影武者と言ったのか?」

 「はい。ただ、逃げ出した影とはいえ、懇ろに弔ってほしいと頼まれました」

 僧侶を下がらせ真田を呼んだ。

 「影武者だと言い張っているが、氏政に間違いない。褒美を与えたいが、なにがいい」

 真田は目を輝かせた。

 「何卒、馬標を!」

 まあ、こうなると分かっていたので聞いたのだが。実に金が掛からなくていい。

 しかも、真田の馬標は考える必要がないのだ。

 「では、金の市女笠の二段通しというのはどうだ」

 「き、金の市女笠⁉ あ、有難き幸せ!」

 甥の真田信之の馬標だ。生まれてないので信綱が使えばいい。

 「北条が降伏する。人足を使って消火を急ぎ、橋を架けてくれ」

 「はっ」

 脱兎のごとく陣所を出て行った。

 俄然やる気になったようだ。


 内藤、真田、高坂、原を小田原降兵にあて、内堀を兵で囲んだ。

 北条の兵は二万人、家族を合わせれば三万人を超えていて、城から出し城門口の陣所で改めるだけでも 大変手間がかかるうえ、油断はできない。

 ぞろぞろと急造した橋を渡って、北条の将らと家族が大手門に引き出された。

 すすり泣く声は女やこどもらだろう。

 更地となった己の屋敷跡を見たのだ。


 「北条安房守ら、隙をついて建屋に立て籠もりました」

 内藤の近習が慌てて駆け込んできた。

 本丸で北条一族を拘束しようとしたとき、抵抗されたのだという。

 「本丸から煙が上がっております!」

 近習の報告に、僕は本丸に急いだ。

 「申し訳ありませぬ。嫡男氏直が素直に従いましたので、油断致しました」

 内藤が駆け寄り言った。


 本丸が紅蓮の炎を吹き上げている。油を撒いて火をかけたようだ。

 捕虜を良しとせず、自刃したのだろう。

 氏邦、氏光、氏舜ら北条一族が、自ら幕を引いたのだ。

 「消火を急がせろ」

 「はっ」

 氏光、氏瞬は玉繩城で降伏して、氏邦は鉢形城を捨て逃げ出して小田原城に入っている。

 恥だと思うなら、城になどに引き籠らずに打って出れば良かったのだ。

 死にたくなければ捕虜に甘んじればいい。

 全てが中途半端で北条は自滅したのだ。


 小田原城陥落より山中城は降伏した。

 城将は氏光の弟氏忠と氏舜の弟、氏勝であったが、嫡男氏直が生きていることを知り恭順した。

 僕は氏直を駿河の臨在寺に蟄居させるつもりだ。

 実はこの寺、信玄が駿河府中の町に火をかけたとき、宇堂の全てが焼けている。

 再建されるのは、勝頼が死んで武田が滅亡した年に家康によってである。

 

 僕にとってあまり縁起の良い事ではないので、駿河平定後、臨在寺を再建していた。

 蟄居謹慎させ、しばらく経ったら小領地あたえ北条家を再興させる。

 北条の家臣らを押さえるのに、必要な処置だ。

 



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― 新着の感想 ―
[良い点] 武田家はとてつもなくでかくなりましたね。どうやって統治するんだろう。続き楽しみにしてます。
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