34 思わぬ効果
ダンダン。ダダン。 ──
南の早川口の方からだ。
懲りもせずに北条が夜襲を仕掛けたようだ。
北条は氏康のとき、川越、国府台と夜襲により劣勢を挽回してきた。
氏政もそれに倣ったのだろうが、僕は最大限の警戒をさせている。
鉄砲隊は三交替制で、常に撃てるようにしているのだ。
城を囲んでひと月が過ぎた。城門前は死屍累々の態である。
梶原の誘いに乗り、伊豆の水軍の大半がこちらについていた。
山中城、韮山城は完全に孤立している。降伏も間近だろう。
「水之尾口を攻めてみてはいかがでしょうか」
景虎が重臣を連れ力攻めを願い出た。
早く戦を終わらせ、鶴岡八幡宮の神前で、関東管領の就任と上杉家督を継ぐ拝賀の儀式を行いたいのだろう。
「すまぬが、今少し待ってくれ」
今動かなくても、そろそろ報せが来るはずだなのだ。
「何か、報せをお待ちなのですか」
景虎のうしろから北条が問いかけた。
喜多条を名乗っていた高広だ。
上野より荷駄部隊を率いて小田原に来ていたのだ。
「なぜ、そう思う」
「いかな堅固の山城とて、山県殿、秋山殿が出張って落とせぬことなどありえません」
前橋城で涙を浮かべながら感謝していた男とはとても同じに思えない。
食えない老将だ。
「北条の風魔が入り込んでいるので黙っていたが、山県は韮山に向かったのではない」
出浦は雑役として入り込でいる北条の忍び風魔を見つけて始末している。
百姓人足の中にも大勢いたようだ。
「山中、韮山の増援では無かったのですか」
景虎が膝を進めて、重臣らもおなじように詰めてきた。
風魔に聞かれないためだろう。
「岐阜を狙わせた」
わざと小声で言う。
「ぎ、岐阜⁉」
驚嘆の声をあげ、慌てて口を噤んだ。
信長の嫡男信忠の居城岐阜城を攻めさせたのだ。
越後府中のときとは違い、徹底的にやるよう命じている。
城下に火かけることも辞さない攻めだ。
恨みは武田よりも守れなかった織田に向くはずだ。
「山県殿は落としましたか?」
僕は首を振った。
山県、秋山に加え、信長防衛線の将である土屋、徳川、小笠原、坂西、木曽、小里、遠山らを総動員しての攻めであったが、岐阜城は落としていない。
信長の援軍が大垣城に入ったため、木曽川沿いの犬山城、伊木山城、三井砦辺りに兵を引いたというのが、最後の報せだ。
信長、信忠と一戦交えたのか、今でも対峙中なのか、勝ったのか、負けたのか、──
それがわからない。
景虎の訴えは、美濃の戦況が分かってからということのした。
だが、それより先に、韮山城が落ちた。
寝返った兵士が城門をあけ侵入を許したようだ。
城主北条氏規は氏康の四男である。
本館に閉じ籠り、降伏を拒否すると、城に火を放ち自刃した。
高坂、馬場ら八千に囲まれて、八十余日耐え抜いた武将は、味方の裏切りよってあっさりと幕を閉じた。
焼失した韮山城はそのままにして、高坂、馬場ら七千を小田原に呼び久野口に配置した。
引き続き山中城攻めは岡部、朝比奈の八千である。
ここは落とさなくていいので、問題ないだろう。
城門を囲む各将から力攻めの願いが、頻繁に来るようになった。
敵兵の士気が落ちているのが、手に取るように分かるのだという。
山県の報せを待っている場合ではなくなったようだ。
「総攻めの仕度を急がせよ」
「やられるのですか?」
やりたくはないが、ほっとけば勝手に攻め掛かる者が出そうだ。
特に上杉勢は、我慢の限界を迎えている。
「美濃より手下が戻りました」
明朝総攻めを決めたその夜、出浦が居室にきた。
待ちわびた報せだ。
「聞こう。酒でもどうだ」
「はっ。頂きまする」
満たした盃を一気に飲み干し、出浦はひとつ咳払いをした。
「山県様、伊勢の田丸城、神戸城を焼き払い、安濃城に迫りましたが、織田の進行に尾張に兵を引いたそうです」
「伊勢? 伊勢を攻めたのか!」
頷く出浦の盃を満たしてやる。
伊勢には信長の弟や子の城がある。岐阜城がだめなら、伊勢を狙うのは悪い手ではない。
が、信長、信忠が指を咥えて見ているわけがない。
挟撃を受け壊滅させられる恐れがあるのだ。
織田の押さえに徳川、秋山をあて、その隙に伊勢を襲ったのだろうか。
「織田信包、北畠信意、神戸信孝らが、播磨三木城攻めに出陣し留守だったようです」
「詳しく聞かせてくれ」
「はっ」
大垣城に入った織田勢は安土城を任されていた信忠だった。
つまり岐阜城は留守居兵だけだったのだ。
信忠は己の居城を攻撃され近江の兵を掻き集めて打って出たものの、山県らの兵数に対抗できず信長の出陣を待った。
信長は京にいて、山県の侵攻に信包ら伊勢勢を呼び戻した。
近畿の兵と伊勢勢で大垣に打って出るつもりだったようだ。
伊勢勢の撤退が、美濃に武田が乱入したためと知った毛利の小早川隆景、吉川元春、備前の宇喜多直家、伯耆の南条元継は、三木城を囲む蒲生ら中国遠征軍に攻め掛かった。
蒲生らは持ちこたえられず摂津に撤退。
小早川ら毛利勢は、宇喜多、南条とともに摂津に侵攻を開始した。
毛利は九州の大友宗麟からの攻撃を警戒しなければならないが、武田が動いたとなると大友も不用意に動けないと考えたようだ。
「九州の大友宗麟? わたしは九州などに興味はないが」
「日の本の大名で御神代様を意識せぬ者はおりませぬ」
出浦は笑いながら言った。
伊勢侵攻など計画になかったのだ。
山県を岐阜の攻撃に向かわせたのは、信長に越後のような小細工をさせないためだった。
史実では三木城は秀吉中国遠征軍に落され、宇喜多、南条は毛利は頼りにならないと織田に従属する。
だが、山県の美濃侵攻が毛利の窮地を救ったのだ。
「憶測ながら、毛利の侵攻に信長も京を離れるわけにもいかず、山県様が暴れ回ったのではないかと」
山県の伊勢攻撃は信長に武田の機動力を見せつけた。
伊勢など簡単に落とせると脅しをかけたのだ。
「各陣所に伝令。北条の夜襲に備えよ」
武田の総攻めは、北条も気づいている。
信長が動けないのも風魔が報せているだろう。
なら、先に仕掛けてきても不思議ではない。
ドンドドドン。ドンドドドン。ドンドドドン。──
漆黒の闇を切り裂く銃声が鳴り響いた。東の井細田口からだ。
喚声がおこる。
待ち構えていた真田隊が、城門から打って出た北条の夜襲部隊に突撃した。
「放てっ!」
ドンドドドン。ドンドドドン。ドンドドドン。──
本隊の久野口への攻撃を合図に、一斉に城門の攻撃が始まった。
これに乗じ真田は逃げる敵に張りつき城内に侵入し井細田口を占領した。
原隊が逃げる北条兵を追ったが、先に進めなかった。
大勢の町人が城門から出ようと殺到したのだ。
北条は城に撤退するに際し、町屋に火をかけた。
「ええい。これでは先に進めぬ。城外に追いやれ!」
大勢の町人を城外に出すまで、原らは先に進めなかった。
海風に煽られ紅蓮の炎が薄明るくなった空を照らす。
濛々と立ちあがる煙は西に流れ久野口を覆った。
「一番隊! 二番隊! 櫓狙え! 放って!」
ドンドドドン。ドンドドドン。──
鉄砲頭は城門横の櫓の兵を狙わせた。
応射しようと顔を出した敵兵が吹き飛んだ。
「門を打ち破れ!」
えい。おう。えい。おう。えい。おう ──
尖頭丸太が門扉を破壊する。
「かかれっ! かかれっ!」
雪崩れ込んだ兵士らが久野口を制圧した。
門を潜ると田畑の先に火を吹き上げる町屋が見えた。
侍町や寺社にも飛び火したようで、幾つも煙が立ち昇っていた。
「陣形をとれ。火が消えるまで待つ」
「はっ」
城門を中心に陣形をとった。
「高坂、荻窪口を裏から攻めよ」
「はっ」
上杉勢は荻窪口、水之尾口を攻めている。城内から援護するのだ。
「南からも煙が昇りました」
南の箱根口、早川口あたりからだ。
仁科、内藤らの攻撃に撤退した北条兵が町屋に火をかけたのだろう。
おそらく町人がまだいたはずだ。
北条は良政を行っていたはずだが、秀吉の小田原征伐の際、共に戦うと集まってきた百姓二百人を邪魔だと斬り殺したと、何かの本で読んだ覚えがある。
誇張された逸話だと思っていたが、氏政の本性なのかもしれない。
上位の侍の屋敷は、城の周りの外掘りと内堀の間にある。
そこが残ればいいのだろう。
「外堀周りの侍町には伏兵はおりませぬ。内堀との間にだけ兵を置いているようです」
出浦が膝まついて言った。北条兵は門を閉ざし城に閉じ籠ったようだ。
「ならば、侍町も燃やしてしまえ。丸裸にしてやれ」
「はっ」
火は三日三晩燃え続け、外堀周りの侍町は焼失した。




