32 北条攻め
天正七年五月 ──
僕は北条討伐に打って出た。
甲斐は逍遥軒ら叔父に任せ、信長の押さえとして、尾張に土屋、徳川、小笠原。岐阜の信忠に対し坂西、木曽、小里、遠山を配しての出陣だった。
北条攻めは、甲斐より仁科、葛山、小山田の一万が八王子の滝山城を攻め、駿河より岡部、朝比奈、小幡、高坂、馬場の一万五千が伊豆の韮山、山中城を攻める。
上野前橋城に内藤を配し、上杉勢一万、山県、秋山、原、和田、真田、浅田、三枝ら三万。総兵数四万が侵攻を開始した。
真っ先に城門を開き降ったのは、深谷城主上杉氏憲である。
景虎が前橋に入った時から参陣を願い出ていたが、城において降伏させた。
景虎は北条氏政の弟である。その弟が関東管領として、関東の秩序を乱す北条を成敗する。
上杉氏憲は北条を裏切ったのではなく、関東管領に恭順した形を取らせたのだ。
それにもまして、憲政の出陣が関東の国人衆に衝撃を与えているようだ。
土豪や地侍が馳せ参じ、深谷上杉と合わせて一万五千の大軍勢になっていた。
「秋山、和田、原は鉢形城へ向かえ! 弾正少弼殿は川越城を!」
「はっ」
川越城を上杉が攻める。憲政には感慨深いものがあるのだろう。
涙をぬぐうのが見て取れた。
武田信玄、今川義元、北条氏康らと川越城を巡り何度も戦い、多くの一族、家臣を失っている。
上杉が衰退した原因ともいえる城だ。
「御神代様! この御恩上杉は代々忘れませぬぞ! 天賜の御旗を掲げよ!」
憲政が馬上から叫んだ。
金蔵が御館にあるのだから、憲政が恩と思ってくれることは良い事だ。
鉢形城攻めに一万を割いたのは、北条氏邦は城に籠り打って出ないと踏んだからだ。
囲んで閉じ込めておけばいい。
僕は悠々と軍勢を率い小机城に向かった。
小机城は小さな丘の上に築かれた城で、城主は北条一族の北条氏光である。
氏光は武田の侵攻に、小机城を捨て玉繩城に移ったようで、もぬけの殻だった。
「山県。三浦城を攻めよ」
「はっ」
二匹の蛇が絡んだ馬標が進軍を開始した。
小机城に三枝隊を置き後詰とし、玉繩城に兵を進めた。
玉繩城主は、北条一族の北条氏舜。信玄、謙信も攻略できなかった堅城である。
小机の兵を迎え入れ兵数は五千ほどになるだろう。
小田原から援軍が来れば、窮地になるのは僕の方だが、駿河、甲斐からの同時攻撃に氏政が玉繩救援を決断できるとは思えない。
氏政の思い切りの悪さを利用した攻撃だ。
武田の侵攻に氏舜は打って出ることはなく城に閉じ籠った。
玉繩城を中心に東西に長尾、二伝寺、村岡、御幣山砦が連なり城塞のようになっており、一万五千の兵も跳ね返せると踏んだのだ。
「二伝寺、村岡、御幣山砦は真田、浅田隊が攻めよ」
東側の長尾砦は本隊が攻めることにした。
「須賀に狭間筒の用意をさせよ」
織田から鹵獲した狭間筒と須賀の鉄砲隊は、小山田から譲り受けている。
「一番組火蓋を切れ! 放てっ!」
ドンドドドン。ドンドドドン。──
遠距離からの狭間筒の斉射が砦門に向けられた。
敵の鉄砲隊からの応射はない。無駄弾になるとわかっているのだ。
「二番組放てっ!」
ドンドドドン。ドンドドドン。──
濛々と漂う白煙が視界を遮った。
ダンダダン ───
砦の裏側からだ。喊声も聞こる。
回り込んだ小原の二千が砦と城の間に攻め掛かったのだ。
「安間! 須賀隊を連れ小原の後詰にまわれ」
「はっ」
左陣から安間隊千が走り出した。須賀は狭間筒をから六匁筒に変え後に続く。
「前に出るぞ」
武田菱の大旗を従え本陣を前に出す。
陣旗としては、なにか物足りないものを感じる。
諏訪法性旗、孫子の旗のように個性が強いものが欲しい。
味方を鼓舞し、敵を恐れさせる陣旗だ。
だが、勝頼は信玄の遺言により武田家累代の旗、全てが禁じられている。
史実でも勝頼の陣旗は真っ白な大旗なのだ。源氏の白旗と聞こえはいいが、僕と同じく嫌味だったのかもしれない。
ダンダダン ダンダダン ダンダダン ───
鉄砲隊の斉射が砦の門や櫓の敵兵をなぎ倒した。
「かかれっ!」
槍を揃え武田菱の背旗を靡かせ兵らが空濠をよじ登り砦門に殺到する。
「えい。おう。えい。おう。えい。おう」
十数人が尖頭丸太を抱え門扉に打ち当てる。
バキッ ── 門扉に穴が開いたが閂までは壊せなかった。
「えい。おう。えい。おう。えい。おう」
三度目の衝突で左扉が吹き飛んだ。
兵士らが雪崩れ込み、建屋に籠った砦兵は降伏した。
降伏兵に対する武田の恩情ある扱いは、隅々まで伝播しているようだ。
砦兵が早々に降伏したのも武田なら殺されることはないと思っているからだろう。
勝頼のぬる仕置きなどと呼ぶ国人衆もいる。戦国武将として僕の対応は大甘なのだ。
だが、殺すよりは、ぬるい処分で終わらせたい。
この身体を手放さないため、何百、何千と殺している。
殺した数に見合っただけ、命を救いたいのだ。
僕の贖罪だ。──
「武器を取り上げ逃がしてやれ。玉繩城に入れてはならぬ。脅して放て」
「はっ」
長尾砦を修復して本陣とした。
「玉繩、平城なれど、なかなか厄介な城でござりますぞ」
「二伝寺、村岡砦は、城に繋がり館のようです。真田殿らも苦戦を強いられている様子」
小原、安間が玉繩城攻撃に難色を示した。
南側と北側の二伝寺砦に馬出しがあり、兵の出し入れが自由自在にできるうえ、城の堀に幾重にも柵を回し鉄砲並べているらしい。
確かに真田からは御幣山砦は落としたと伝令があったが、その後は何も報せはない。
村岡砦で苦戦しているのだろう。
「小原、柵に張りついている敵鉄砲隊を須賀に狙わせよ。安間は南の馬出し前に兵を敷け」
「はっ」
僕の方に敵の目が向けば、真田らも攻めやすくなるだろう。
焦る必要はない。僕の得意なぬるい攻めを行なうのだ。
銃撃だけの戦が五日も続いた。
敵は馬出しから出てくることはなかった。
真田らは一度は村岡砦を落としたものの、二伝寺砦からの奇襲に御幣山砦に押し返されていた。
しかし、他の戦況は武田の圧倒的な勝利を伝えてきている。
「報告! 山県様、三浦城、新井城を落としました」
「上杉弾正少弼様、川越城を攻略!」
三浦城代、北条氏規は韮山城に入り、水軍の梶原景宗が任されていた。
梶原は熊野の出で、水軍を纏めるため氏康が召し抱えた男だという。
元々命を掛けるだけの義理はなかったのだろう。山県の侵攻にあっさりと降伏した。
上杉の攻めた川越城は、憲政の出陣に城内から内応する者が多数出て、二の館、三の館の侵入を手引きした。
城主大道寺政繁は一の館に籠り抵抗を続けるが、鉢形城も和田らの攻撃に劣勢で援軍は期待できず降伏を願い出た。
景虎は、城主大道寺政繁及び重臣ら三人の切腹を条件に受けたが、大道寺側が拒否。
本丸籠り戦を続けたが、兵士らの逃亡が相次ぎ、上杉の侵入をゆるすと一族郎党、重臣らとともに自刃して果てた。四人の切腹で終わる戦が、女こどもまで巻き込んで四十数人を犠牲にしたのだ。
救いようのない話だ。
景虎は川越城に五千を残し、一万を率いて鉢形城攻めに参戦している。
他の隊の戦況が耳に入ったのだろう、真田らが猛反撃に出た。
夜襲をおこなったのである。
村岡砦を落とした勢いをかって二伝寺砦を焼き払ってしまった。
玉繩城は裸城同然になった。
「使者を送れ。条件は脇差ひとつで立ち去れ。で、よい」
氏光らは降伏を受けいれ、直垂姿で城を出て行った。
「彼奴等、小田原に籠りますぞ」
真田の言う通りだ。
小田原城に増兵したようなものだが、これが僕のやり方だから仕方がない。
焼けた二伝寺砦に仮小屋を建て、修復を急がせた。
玉繩城は鎌倉防御の要であり、小田原城攻撃の拠点となる。
簡易な修復が終り、兵を配置を終えたとき、驚く報せが届いた。
甲斐から侵攻した仁科盛信が、八王子の滝山城を攻め落としたのだ。
滝山城は小田原城防御の要の城だ。
小山田をつけたとはいえ、落とせるとは思っていなかった。
盛信は信玄の五男で猛将で知られていた。僕のすぐ下の弟である。
史実では織田信長、信忠五万の大軍を相手に、屈することなく高遠城で壮絶な最後を遂げている。
勝頼を裏切らなかった弟であるが、猛将と言われる武将によく見られる兵士の犠牲などなんとも思わない強引な攻撃を行うので、僕は遠ざけていたのだ。
滝山城も攻めに攻め多大な犠牲を払い、城主氏照を追い詰め、城に火をかけ自刃させていた。
僕が甘いのだろう。この戦果に眉を顰めたが、効果は絶大だった。
滝山城陥落に、鉢形城の氏邦が近習のみを連れ小田原城に逃げてしまった。
残された家臣らは降伏した。
北条領の東側を狙った侵攻は、八王子の占領により、氏政を小田原と伊豆に封じ込める形になった。
「左衛門、五千を率いて天徳寺辺りに陣を敷け」
「はっ」
真田を平塚に侵攻させ小田原を窺がわせる。
安間に三千を与え三浦城に送り、山県を呼び戻した。
予定になかった小田原城を攻めるためだ。




