30 利得の同盟
「そ、そのよう、きっ・・・ き、奇策を用いるのですか」
景虎が目を剝いた。奇策と言ったが、汚いと言いかけたのだ。
武田が三条城を去って八日が経った。
黒滝城、加茂山砦、戸倉城の兵を三条城に移し上杉勢五千、雷城、福連城の秋山二千、それと僕の本隊の五百だけとなった。
「確かに汚い策だが、やられたまま帰すのはおもしろくない。そこでだ」
僕が全てを語り終えると、景虎は絶句した。
「妙策でございます! それがしもお使いくだされ!」
乗ってきたのは神余である。ここで敵を叩かなければ、居城の三条城が危険にさらされるからだろう。
「まあ、あまり褒められた策ではない。名を落とすだけだ。これはわたしがやる」
透破の調べでは武田の撤退に五十公野らは勝利を宣言し、揚北の地侍を引き込んでいるようだ。
それに五十公野は新発田家を相続し、新発田因幡守を名乗り始めたらしい。
冬の間に下越を治めてしまおうと考えているのだ。
だが、そうはさせない。
「手筈通りに動いて頂きたい」
「ははっ」
僕は真田を連れ十騎ばかりで三条城を出た。
八日の間に五百の兵は福連城に居る秋山のもとに送り込んでいた。
「神余殿を使えばよろしかったのでは」
真田が馬を寄せ言った。二千五百では不安なのだろう。
「ははっ。神余に手柄を取られるぞ。それでも良いか」
「い、いや、遅れなど取りませぬ。あ、だめだ。手勢がおらぬ」
真田は本隊つけで家臣は二十人ほどだ。信綱が必要だったのではない。使っている忍びが必要だったのだ。
「それより、何かわかったか」
「はい。佐竹の軍勢五百ほどが笹岡城に入りました。どうやら安田は捨てるようです」
やはりだ。葦名も佐竹も帰国の準備に余念がないのだ。二千の秋山など眼中にないということだろう。
流した噂が効いている。──
「急ぐぞ」
「はっ」
「わかりましたぞ。三日後、葦名らは帰国するようです」
雷城に着くならり秋山が言った。
「須賀は?」
「すでに潜んでおります」
「軍列の順は?」
「おそらくは、殿は佐竹か、葦名でしょう。探らせておりますが、いまだわかりませぬ」
「探りを止めさせよ。一度しか使えぬ手だ。殿を標的とする」
「はっ」
須賀は小山田の鉄砲隊頭で、腕は抜きん出て良いとのことだ。
僕は広間に入り街道が描かれた絵図を睨んだ。
「この辺りに、須賀らが潜んでおります」
安田から川沿いに一里半(約六キロ)ほど入った地点だ。
街道の横を阿賀野川が流れ、対岸まで一町(約百十メートル)あり、河原を経て深い山が続いている。
須賀ら二十人は二ヶ所に別れ、山林から狙うようだ。
山林から街道まで一町半(約百六十五メートル)。この距離なら誰もが狙い撃ちされるとは思わない。
「よし。出撃の準備を急げ」
二十挺の狭間筒が、葦名盛氏か、佐竹義重か、どちらかを狙撃する。
狙撃は失敗しても構わない。混乱を起こせればいい。
「殿の背旗は佐竹扇。佐竹一族です」
佐竹一族の重鎮、東義久らしい。
居城太田城の東に屋敷があり、宗家と区別して東と呼ばれている。
「ゆっくりと進め」
佐竹の殿を半里(約二キロ)離れて追う。追撃の兵はわずか五百。狭い山道ならどうにかなる。
街道は一里(約四キロ)ほどで人家はなくなり、辺りは鬱蒼と茂る山林ばかりだ。
清流の水音ばかりが耳につく。
ダンダダン ───
上流から銃声と、鬨か、絶叫か、区別のつかない声が聞こえてきた。
「急げ!」
ダンダダン ───
須賀ら狙撃隊の狭間筒の銃声に間違いない。一発放ったら山中に逃げ込む手筈だ。
「殿の尻が見えたら二町(約二百二十メートル)で止まれ。急げ! 急げ!」
真田の命令は、敵の殿の鉄砲を意識してのものだ。狭間筒十挺を含む鉄砲六十を用意して銃撃戦を行う。敵に大手を振って帰さないためのもの、つまり上杉の面子のためだ。
多少でも敵に損傷を与えれば、津川城の金上盛備は警戒し兵を出さないというのもある。
ダン ── ダンダン ──
須賀隊に向けての敵の応射だろうが、川を挟んで距離がある。発砲はすぐにやんだ。
佐竹の殿が三町(約三百三十メートル)先に見えた。
よほど慌てているのか兵が列を乱し駈け出している。
「御神代! 敵は放列を敷いていませぬ。突っ込んでよろしいか!」
真田が振り返って大声で聞いてきた。
狙撃が上手くいったのかもしれない。
「かかれっ!」
騎馬武者が槍を揃え疾走する。遠目にも敵の驚く顔が見て取れた。
殿軍が後方の警戒を怠っていたのだ。
騎馬が殿兵を蹴散らして槍隊が突っ込んだ。
佐竹は押され、すでに前方は潰走し始めている。
やはり、流言は信憑性があるものだった。
そうでなければ、こうも無防備なはずがない。
ダンダダン ───
予定にない狭間筒の三射目だ。須賀は退却したのではないのか。まあ、いい。
「よし。兵を退かせよ」
最後尾の足軽を襲撃しただけだが、それでも追撃は追撃であろう。上杉の面子は立つ。
笹岡城攻撃向かっている秋山と合流しなければならない。
二千の兵で笹岡城を攻めている。
無謀で無駄な攻めだ。落とせないのはわかっている。だから、やるのだ。
「城に籠り出てきませぬ」
まあ、当然だろう。
朝晩の冷え込みが厳しい。あと数日後には霜が降りる。霜が降りれば雪がちらつく。
瞬く間に、辺りは雪で覆われるのだ。
そうなれば、戦など続けられるわけがない。
敵もよくわかっていて、笹岡城も新発田城も城門を閉ざし武田が引き上げるのを待って追撃に備えているのだ。
笹岡城近くの名主の屋敷に入って三日が経った。
野陣など敷けない寒さに、七、八軒ばかりの集落を占領したが、納屋でも足りずに仮小屋を建て二千の兵が屯している。
須賀の狙撃組は佐竹の騎馬身分に、それなりの被害を与えたようだが、よくわからなかった。
「佐竹の軍列に、騎馬武者を従え、馬上で談笑する武者がおりましたので撃ちました」
狭間筒の斉射で、佐竹の軍列の中央を進んでいた騎馬武者ら五、六騎を吹き飛ばした。
二組目が斉射をするも周りの足軽や馬をなぎ倒しただけだった。
何人仕留めたのかはわからない。
退却の際、川沿いから敵の軍列を見ると、兵を掻き分けながら馬を進める騎馬武者数騎がいた。
銃架はないが倒木を使い五人が撃った。
二人が落馬したが、これもどうなったわからないということだった。
透破、軒猿、忍びのすべて北に送り込んでいて、確認のしようがないのだ。
「本庄城、平林城を内藤様が、攻め落としました!」
真田が駆け込んできた。
村は霜に覆われていた。どうやらぎりぎり間に合ったようだ。
「弾正少弼殿に伝えよ」
「はっ」
上杉景信の策の応用だ。佐渡攻めに内藤を組み入れて、佐渡制圧後、河田の船団で荒川に乗り込ませたのだ。
史実では上杉景勝は佐渡を四日で制圧している。雑田城の本間憲泰、河原田城の本間高統が健在であったのにだ。
羽茂城の本間高貞だけとなった佐渡なら、内藤、河田でも同じだろうと、伊達の引き上げを待って佐渡攻撃を命じた。
景虎に伝えたのは、神余親綱が申した和議の件だ。
新発田家相続を認める替わりに、笹岡城の佐竹兵の撤退を条件に付けた。
主家である兄を殺し新発田を簒奪したことを不問にしようというのだ。
家老という証人がいるが、これだけでは乗ってこない可能性があった。春になれば葦名らの援護があるからだ。
しかし、援軍が帰国したいま、内藤、河田の軍勢が加治城、竹俣城に迫れば、必ず乗ってくる。和議など春までもてばいいのだから。
それはこちらも同じで、冬の間に新発田勢の切り崩しを計るのだ。
「いやあ、いつ襲撃をうけるかとハラハラしましたが、彼奴等相当油断しておりました」
「佐渡の方が手ごたえございましたな」
「さよう。さよう」
内藤と河田が二千の兵を引き連れ三条城に引き上げてきた。
三十艘の船団で佐渡より荒川の湊に乗り込んでの戦であるが、本庄、色部どころか、笹平城に残した伊達の兵らまで警戒を怠っていたようだ。
思った通りだ。──
新発田重家は和睦を受けいれ、笹岡城の佐竹を帰国させ、黒川、鮎川の人質は解放した。
これで、新発田、加治、竹俣ら一族を景虎が相手にすればよい。
「春になれば、新発田重家など叩き潰してご覧にいれる」
景虎は和議を結んだばかりだというのに、春には新発田らを攻める気だ。
それでいい。
軒猿を使い主家殺しを騒ぎ立てれば、土豪、地侍は離れるだろう。
「汚き策とおっしゃられましたが、それがしには良策と思われまするが」
神余親綱の質問は、上杉方なら当然のことだろう。
武田の撤退で油断した佐竹らを打った形だからだ。
「狙撃などあまり褒められた策ではありますまい」
「はあ。さようですか」
神余は納得できないようだが、それ以上は聞かなかった。
本当のことは言えない。──
上野の半国を北条氏政に割譲し、甲相同盟を結ぶため武田が撤退したと流したのだ。
この策を思い立ったのは、連合軍の侵攻止めるため北条氏政に常陸、下野を攻めるよう要請できないかと景虎に聞いたときのことだ。
「北条氏政を兄と思ったことなど一度もござらぬ。我は氏康の種というだけです」
吐き捨てるように景虎が言ったのだ。
「北条の後ろ盾はあるのであろう?」
「有無も言わさず還俗させられ、証人(人質)とされたのです。兄らと会ったのもその時が初めてでした。そして、手切れで見捨てられた。亡き御屋形様の恩情がなければ生きておりませぬ」
景虎は、目を伏せ首を振りながら言った。
史実でも、謙信と氏康が結んだ越相同盟の証人は、当初は氏政の次男であった。
だが、氏政の反対により景虎となったのだ。
景虎は謙信が養子に迎えた際与えた名で、氏康の子であるが名前さえわからないのである。
「北条を恨んでいるのか?」
「恨むもなにも。他人と思っておりますので、何をしようが関係はありませぬ」
景虎がきっぱりと言い切ったのだ。
武田勝頼は甲相同盟により、氏政に景虎の支援を頼まれている。
しかし、仲裁に乗り出したものの、景勝から東上野割譲と一万両という金で、景虎を見捨てているのだ。甲相同盟は手切れとなり、氏政は徳川家康と同盟を結ぶ。
氏政が越後簒奪のために介入していたため、勝頼が領地と金で手を引いたというのが本当なのかもしれない。
葦名と伊達は佐竹の侵攻に対し同盟を結んでいたし、白川結城は葦名を警戒して佐竹に従属同盟を結んでいる。
佐竹は北条の侵攻を食い止めようと、上杉を頼っていたが離反し、宇都宮や結城本家と同盟を結んだ。
領土を侵す敵を協力して排除するための同盟である。
利によってはすぐに手切れとなる不確かなものだ。
宇都宮、白川結城は佐竹との同盟で出陣したとして、伊達、葦名、佐竹が越後に雪崩れ込んだのは、それを指示した者がいるからだ。
最初は北条氏政だと思った。
遠交近攻の通り、敵の敵は味方とばかりに、伊達、葦名は北条と繋がりがある。
だが、敵対する佐竹は引き込むのは難しい。
常陸南部や下野の不可侵を誓ったところで、佐竹が組するとは思えない。
しかし、織田が加わればどうだろう。佐竹を織田が説得するのだ。
手取川に信長が出て来たのも、佐竹が承諾したからではないのか。
織田と北条は裏で繋がっている。──
そうとしか思えなかった。
伊達も葦名も佐竹も織田の存在を知らないか、隠しているのだ。
北条と武田の同盟に、上野半国割譲という餌をつけて流してみたのは、三者三様、勝者は自分だと信じ油断していると思ったからだ。
その通りの結果になった。
僕は関東など、どうでもいいと思っていたが、そういうわけにはいかなかくなった。
佐渡、越中の金銀山の始末が済んだら、小田原北条を叩かなければならない。
それに、気が進まないが、僕が生き残るためには、遠交近攻もやるしかない




