29 群がる敵
「尾根沿いの櫓を狙え! 一番組火蓋を切れ! 放てっ!」
ドンドドドン。ドンドドドン。ドンドドドン。──
「二番組! 放てっ!」
ドンドドドン。ドンドドドン。ドンドドドン。──
「三番組! 城門の敵兵! 放てっ!」
小山田の鉄砲隊の斉射が、城門を開け打って出ようとする敵兵をなぎ倒した。
「かかれっ!」
槍兵が駆けだしたのを騎馬武者が追い越していく。
「深追いはするな。早出川沿いの山道を固めよ」
宇都宮、結城の兵に粘りはない。川沿いの山道が会津街道と繋がっており、葦名方の国境の城の津川城に逃げ込めるからだろう。雷、福連の両城は大した抵抗もなく、二日で落とせた。
佐竹が雷城、福連城に兵を差し向けなかったのは、阿賀野川を挟んで上杉勢と対峙していたからだ。
会津街道は北岸にあり、何としても死守したいのだ。
川沿いに柵を並べ鉄砲隊を配置していて、手取川の織田ほどではないが、かなりの数だ。
上杉の鉄砲隊の三倍はいた。
「面目ありませぬ。手こずっておりまする」
景虎が出迎え言った。
常陸北部を支配する佐竹は、金銀山を有し財力は関東でも屈指である。
豊富な資金で購った鉄砲の数は、関東一とも言われている。
新羅三郎義光を祖とする武田と同族で、佐竹の祖が武田の祖の兄であるらしい。
謙信に従って関東の秩序を守るため小田原北条に徹底抗戦をしているが、領土を接する南奥州の地は度々兵を出し奪い取っている。
言行相反と言われても仕方ない行動を取るのだ。
「弾正少弼殿。佐竹義重と面識はおありか。如何なる人物ですか?」
「いえ。御館様が申すには、利に敏く、高慢であるとか。それがなにか」
謙信が死んで佐竹が常陸南部に侵攻したというならわかる。
小田原北条は脅威だろうと、南部は容易く手に入れられるはずだ。
それが、なぜ、葦名と同盟を結んでまで越後に攻め入ったのだろう。
それに佐竹の資金源が金山というのが引っかかる。
「福連城まで下がりましょう。上流から回り込むにしても、ここよりはいい」
「はっ」
川を前に敵の進軍を阻むやり方は信長に通じる。嫌な予感がする。
「直江津の船を沼垂津に向かわせております」
阿賀野川北岸を固める佐竹に手を焼いた景虎は、能登侵攻に用意していた船を使い、新発田と合流し東から笹岡城の葦名、安田城の佐竹を叩く策に切り替えた。
「宇都宮、結城は山道を迂回し合流しておりますぞ」
雷城、福連城から追い払った宇都宮、結城は津川城に逃げ込むことはなく、迂回して佐竹の安田城と葦名の笹岡城の間の大室に陣を張っていた。
「なあに、後ろは山でござる。引っ張り出して叩くのには丁度良い」
野戦なら負ける気はしないのだろう。そう言って景虎は胸を張った。
ところが、船を待つ間に事態は急変した。
新発田城に葦名の兵が入ったのである。
新発田長敦が敵に寝返ったのだ。
景虎の前で膝まついた男は、肩で息をしていた。治療を施したため甲冑はつけていない。
白布が顔半分を覆い、腕や脚に巻かれた布は黒い染みが浮き出していた。
新発田長敦の家老である。
物見が草藪に倒れていたのを連れて来たのだ。
「あ、主、新発田尾張守は、しゃ、舎弟源太めに殺されたのです」
「なにっ! 五十公野が兄の尾張守を⁉」
よほど傷が痛むのだろう、頷くのにも顔を顰めている。
「我らにも右衛門、安芸めらより誘いがありました。源太めが跡を継ぐのに力を貸せと」
「加治、竹俣も承知していたのか!」
景虎が吼えた。
五十公野治長は、兄の長敦を殺し、誘いを断った重臣らを加治、竹俣らが襲った。
そして、新発田を乗っ取り、葦名に寝返った。影虎でもなくとも吠えたくなる事態だ。
「家中で降伏の話しがあったのか?」
僕の言葉に家老は首を振る。
「そ、そのような話し断じてありませぬ」
降伏か、抗戦かで揉めた訳ではないとなると、新発田家乗っ取りは大分前から計画されたものだろう。
加治、竹俣ら一族が、五十公野に味方しているのだ。
葦名との交戦中にまとめられるわけがない。
もしかすると、葦名の侵攻も五十公野治長が仕掛けたものかも知れない。
史実では、長敦が二年後病没し、治長が新発田を相続し重家と名を改めるが、御館の乱の恩賞をめぐって景勝と対立し、七年間も戦を繰りひろげ討死するのだ。
葦名、佐竹ら二万を味方につけた五十公野は、景勝が戦った重家と比べものにならないほどの強敵だ。
「いかがでござろう。船を荒川まで進め、黒川殿らと合流しては」
上杉景信が進み出て言った。
「荒川に上杉勢が乗り込めば、未だ旗幟のわからぬ本庄、色部も慌てて参陣するでしょう」
北に上杉が移動し、南の武田との挟撃策である。
しかし、東に佐竹、宇都宮、結城がいる。挟撃策には無理はある。
「佐竹らの動きが気になるが、黒川城を見捨てるわけにはいかぬ。それでいくか」
景信の策は愚策の部類だろう。しかし、景虎も打つ手がないのだ。
「お、お待ちください。そ、それは・・・」
傷だらけの家老が言葉を発したが、あとが続かない。
「なんだ!」
苛立った景虎がつめ寄った。
「しゅ、襲撃した右衛門めが、口走ったのです」
「加治がなにを口走ったと申すのか」
「伊達が来た。黒川らとて降伏する・・・と」
「なんだとっ!」
「斬り合いになりましたので、しかと確かめたわけではありませぬが」
「米沢の伊達が、・・・・・・ 攻め入った・・・」
呆然と佇む景虎を座らせ、僕は前に出た。
「三条城に兵を退け! 急げ!」
「ははっ」
景虎を立ててはいられない。
五十公野の新発田家乗っ取りは、米沢の伊達輝宗が動いたからだ。
間違いなく敵は反撃に転じる。
食い止めなければ越後府中まで兵を進めてくるはずだ。
三条城を本陣に、黒滝城、加茂山砦、雷城、福連城、戸倉城に兵を入れ、敵の南下に対抗しなければならない。
「本庄、色部に続き、黒川、鮎川が降伏したようです」
伊達輝宗三千の侵攻に、本庄、色部は、これといった抵抗もせず降伏した。
伊達が率いてきた兵数からみて、本庄、色部は最初から組していたのだろう。
伊達軍とともに新発田城向かうべく、本庄、色部三千が伊達の傘下に入り南下中である。
城に籠った黒川、鮎川は孤立無援となり降伏。黒川、鮎川の兵二千も伊達の配下に組み込まれた。
八千となった伊達軍が、敵に加わったのである。
「伊達が、葦名らと合流する前に新発田城を叩きましょうぞ」
景虎は血気にはやるが、下越は幾本も大河が流れ、攻めるには難しい地なのだ。
佐竹のように大河を前にして兵を配備されると、途端に膠着状態に陥ってしまう。
上杉を掌握した景勝が七年も攻めあぐねたのも、この地形のせいかも知れない。
「川を越えてくる者らを叩くしかありませぬな。兵の損傷はなるべく避けたい」
山県の言葉に景虎は押し黙った。
冬が迫っているいま、葦名らが川を越えて来ることはないと山県は読んでいる。
景虎越後勢や五十公野ら揚北衆と違い、他国の領主は春まで越後に留まるわけにはいかないからだ。
しかし、それは武田も同じなのである。
「和議を結んでは如何か」
三条城城主の神余親綱が言った。
「隼人尉! 揚北を五十公野に呉れてやれと申すのか!」
景虎は怒声を上げたが、神余はゆっくりと首を振った。
「伊達、葦名、佐竹、宇都宮、結城を五十公野は、何で誘ったのでしょうか。下越の地なら、揚北衆と揉めるのは必定。その機を待つのが得策と存ずる」
敵がよく見えている。利が無ければ葦名らが動くはずはない。
京で朝廷、幕府の折衝から特産の青苧の売買まで任されていただけのことはある。
山県もこの案を支持し和議を申し出ることに決まったが、直ぐに取りやめにした。
佐渡の変事が憲政から報じられたからだ。
雑田城の本間憲泰、河原田城の本間高統が、本間高貞に攻め滅ぼされたのだ。
佐渡はどうしても手に入れなければならない。
「能登の河田に命ぜよ。佐渡を落とせと」
景虎を飛び越えた命令であるが、もたもたしている時間はない。
「小山田。織田から奪い取った狭間筒は何挺使える」
「はっ。五十二挺になります」
「よし。三十挺に腕達者をつけ、雷城の秋山のもとへ送れ。おって沙汰する」
「はっ」
後は誘いをかけなければならない。
「山県。祖の方は帰国の仕度を頼む。わたしは内藤、秋山と越後に残る」
「お待ち下され。何をおやりになるのか。御神代様が越後に残るなら、ワシも残りまするぞ」
赤備えには何として越後を出ていってもらいたい。目立つからだ。
「汚い策を打つ。上杉も山県も関わらない方がいい」
「し、しかし、御神代様はおやりになるのでしょう。それなら」
「わたしは無位無官の陣代だ。薄汚れた毒蛇で結構。さあ、急げ」
山県が渋々頷き退出した。
「御神代様! 真田は徳次郎に任せますれば、それがしを御側に置いてくだされ」
真田信綱が膝を進めて平伏した。
真田の忍びは使える。透破、乱破、軒猿、忍び、情報を集められる者は何人でも欲しい。
僕は真田の申し出に頷いた。




