28 揚北動乱
「勝手に兵を動かしたのです! 放っておけばよろしい!」
土屋昌次が広間に響き渡る声を上げた。
「まあ、確かにそうだが、手に入れた尾張を見す見す手放すのも惜しい」
山県も歯切れが悪い。やはり根底には家康に助けられたとの思いがあるのだ。
「家康のようなやり方を皆が始めたらどう致します。現に東美濃衆らはやりましたぞ」
「御神代の命令なのだ。東美濃衆も陽動ならば仕方があるまい」
「ならば東美濃衆が出ればいい。何故それがしが助けなければなりませぬのか」
「其の方、遠駿三の筆頭であろうが!」
山県が苛ついている。土屋の言い分がもっともなことだからだ。
筆頭不在につけ込んで、調略を巡らし尾張を攻略したところで褒められることではない。
尾張切り取り次第と申し渡している以上、罰することはできないが、やられた土屋に徳川の後ろ盾になれというのは酷な話だろう。
当の家康は使者をよこし、命令通り尾張を切り取ったが、信長が奪回を計っているようなので兵を差し向けて欲しいと臆面もなく言ってきている。呆れるくらい図々しいが、手を打たなければならない。
「右衛門尉。すまない。どんな形であれ家康に助けらせたの事実だ。行ってくれ」
親族衆では遠駿三の国人衆を切り回して、信長に対抗できるとは思えない。
できるのは浜松で睨みをきかせていた土屋なのだ。
「しかし、御神代様、それがしっ」
「右衛門!」
山県の一喝がとんだ。土屋はご無礼いたしましたと、頭を下げた。
「‥‥‥ 承知致しました。ただ、ひとつお願いがありまする」
「願い?」
「は、旗頭として、し、標を頂戴致したく、い、いえ、国人衆らを従わせるためです」
土屋が珍しくもじもじと恥じらい、はっきりと言わない。
「標?」
「そ、その・・・ そ、それがしにも、う、馬標を・・・」
ああ、そういうことか。北条景広や山県の馬標が重臣の間で話題になっているのだ。
そんなのでいいのなら、やすいものだ。
「馬標か。よかろう。三つ団子、天辺の団子が羽毛で下の二つが金というのはどうか?」
家康を助けるのだ。徳川秀忠の馬標でいいだろう。当の秀忠はまだ生まれていないが。
「あ、有難き幸せ!」
「それはよい! 数々の一騎打ちで敵大将の首をあげた右衛門尉にぴったりですな」
山県が柄にもなく土屋を持ち上げた。
串団子は、敵の首を槍で串刺しにした姿に通じるらしく、武士が好んで標として使っていた。
徳川絡みからの連想だが、土屋の武勇を褒めた形にもなったようだ。
「信長の首をとり、団子を増やして見せまする」
上野から小原、跡部、馬場らを呼んでいる。土屋がいなくても大丈夫だろう。
「まあ、当面、徳川が織田と再び組むことはないでしょうが、いかがいたします」
土屋が退出したのを見計らって山県が言った。
家康をこのまま尾張に置いておけないということだろう。
「家康に元の三河を与え、尾張を右衛門尉に任せようと思う」
「いっそ徳川は遠江に移されてはどうですか」
山県は尾張が信長と家康に挟まれるのを警戒しているのだ。
「なるほど考えてみよう」
駿河では国を接する北条と組むかもしれない。能力があるだけに家康は厄介な存在だ。
「御神代様。そろそろ我らも帰らなければなりませぬが、佐渡はどういたしますか」
土屋だけではない。冬が来る前に武田の大半を戻さなければならない。
「冬が来る前にけりをつける。金山衆を呼ぶよう命じた」
「金山衆も喜ぶでしょう。今のままでは他国に流れるだけでございますしな」
甲斐では閉山が相次ぎ金山衆は土木工事で糊口を凌いでいるのだ。鉱山開発を極め集団である。引く手余多だが武田を離れたくないらしい。
景虎の名で国替えを要求して二十日が経った。
佐渡二十一地頭などと言ってはいるが、実際は本間の三家が佐渡を支配していた。
雑田城の本間憲泰、河原田城の本間高統、羽茂城の本間高貞の三人である。
真っ先に承諾したのは本間宗家、本間憲泰だった。
平野を領地に持ち豊かであったが、度重なる一族との争いで衰退していて、能登転封は渡りに船、いや宝船だったのだ。
四日前、使者をよこし受諾したのは、本間本家を名乗る本間高統だ。
憲泰の先祖の兄の血流らしい。宗家と本家。どこかの饅頭屋のように張り合っているのだ。
高統は鶴子銀山を保有し経済力は一番だと言われているが、銀山を管理していた一族の本間高次と銀の取り分めぐって対立しているというから、銀山は枯渇しているのかもしれない。
残すは本間高貞だけだが、これがどうにもわからない。
本間高次、本間秀高、本間清州を引き込み、返答を先き延ばしているのだ。
高次は鶴子銀山、秀高、清州は潟上銀山に携わっている。
佐渡に莫大な金銀が眠っていることに気づいたのかもしれない。
しかし、千足らずの兵でどうするというのだろう。上杉を押し返す力などない。
思い当たることはある。
たぶん待っているのだ。史実とはズレているが間違いないだろう。
「三郎殿、新発田に命じ、会津街道を固めて頂きたい」
「はっ。して、て、敵は?」
突然言い出された景虎は困った顔を見せたが、なぜとは聞かなかった。
神託の話しを山県が吹き込んだのだ。
「葦名修理大夫」
史実ならそうなる。
「あ、会津の葦名が攻めて参りますか! 分かり申した」
史実では謙信の死から始まる景虎と景勝の戦い、いわゆる御館の乱に、会津の葦名盛氏は隙を狙って兵を進めている。
本間高貞が待っているのは、葦名盛氏だろうか。
もし葦名が挙兵するようなら、羽茂本間を討たなければならない。
「御神代。お休みのところご無礼致す」
「かまわない。入れ」
日が昇らないうちに山県が来たとなると只事ではない。
「ご神託の通り葦名が攻め入りましたぞ。新発田ら揚北衆と安田で戦となり、新発田らが大敗を喫したもようです」
「なにっ⁉」
「葦名は二万の大軍だったようです」
会津の葦名が二万も動員できるのだろうか。
「葦名だけではないのか?」
山県が肯いた。
「旗印から、佐竹、宇都宮、白河結城ではないかと申しております」
佐竹と葦名が同盟を結ぶのは二年後だったはずだ。佐竹義重と葦名盛氏は領土をめぐり幾度も戦をしている。盛氏が亡くなり、葦名を継いだ盛隆が佐竹と同盟を結ぶのだ。
なぜ、いま、佐竹と葦名は組んだのか。謙信の死が引き金だろうか。
「弾正少弼は?」
上杉を相続した三郎は、謙信と同じ弾正少弼を名乗るようになった。
まだ叙任したものではないが、憲政がついているのだからすぐに認められるはずだ。
「城の兵だけで打って出るようです。すぐにこちらに来られるでしょう」
「わたしも出る」
「はっ。そうおっしゃると思い兵を揃えてあります」
山県と入れ違いに景虎が来た。すでに甲冑を着こんでいる。
「申し訳ありませぬ。新発田が大敗致しました」
「山県から聞いた。わたしも出よう」
「御屋形様が!」
「弾正少弼殿。御屋形様はやめて頂きたい」
僕はずっと無位無官なのだ。
「しかし・・・ わかりました。皆と同じよう御神代様とお呼び致します」
いや、それでもだめだ。だが、説明している時間が惜しい。
「出陣いたしましょう」
「はっ」
急ぎに急いで、夜には九里(約三十六キロ)北の北条城に入り、軍議となった。
武田軍は景虎の左側に並んだ。
「丹後! 戦況は!」
丹後守は景虎が景広に恩賞として与えた受領名だ。
馬標に見合った名にしたらしい。
「はっ。葦名に加え佐竹、宇都宮、結城のおおよそ二万。笹岡城、木場城を占領し新発田城を睨んでおります」
「なにっ! 山浦、山吉の残党が手引きしたのか!」
「それに本庄殿、色部殿が出陣を渋っているようで、鮎川殿、黒川殿は、黒川城に留まったままです」
半領地安堵の本庄繁長、色部長実の城は、大湯沢城の鮎川と黒川城の間にある。
黒川城の南には滅亡した中条景泰の鳥坂城があり、鳥坂城の南の加治と竹俣が新発田城に篭ってしまったのでは、黒川らが城に留まっているのはやむを得ないことだ。
「本庄、色部は信用できませんな」
隣りに座る山県が小声で言った。
本庄、色部が葦名を引き込んだのかもしれない。それにしてはお粗末だ。
北からの攻撃を本庄、色部が押さえるとしても、上杉、武田を向こうに回し勝てるはずがない。
会津街道から新たな軍勢でも来るのだろうか。
「右衛門尉殿を呼び戻してはいかがしょう。修理亮様は間に合いませんぞ」
山県の隣に座る秋山が身を乗り出して言った。同じことを考えたのだろう。
土屋と高坂は帰城させている。土屋は家康の後詰め、高坂は佐渡平定後の準備のためだ。
内藤を加賀から呼び戻しているが、怪我人がいるので直ぐには戻れない。
今武田の動かせる兵数は六千ほどだ。上杉勢がいるとしても新たな敵を迎え撃つには不安が残る。
「ワシは信長をあてにしたと見ている。でなければ佐竹と葦名が組むはずがない」
情報の伝達は極めて遅い。元号が変わったのも知らず一年も使っていたりするのだ。
葦名は織田の撤退を知らないまま兵をあげたのだろうか。
「弾正少弼殿。適わぬまでも国人衆らに、攻撃を命ぜられよ。旗幟が鮮明になる」
裏切ったのは本庄、色部だけではないだろう。炙り出さなければならない。
「御意」
上座に座った意味がない返事をした。これも後で注意しなければならない。
木場城の敵兵は、本庄秀綱らの攻撃は跳ね返したものの、上杉、武田の出撃に平地の城を捨て、東の山側、早出川南岸の雷城、北岸の福連城、そこから二里半(約十キロ)北の阿賀野川北岸の安田城、さらに二里北の笹岡城を拠点とした。
敵が木場城を放棄したことにより、新発田長敦とは連絡が取れるようになり、新発田勢も笹岡城攻撃に出ている。
だが、北の鮎川、黒川の参陣は遅れていた。
本庄、色部は、領地半減のため兵が揃わず遅れているが、景虎の命令に従うと、表明しているからだ。




