25 首実検
張り巡らされた陣幕が、篝火に照らされ菱の家紋を一層浮かびあがらせた。
江指城の三郭の広場には、陣幕を取り囲み、百ほどの武士らが呼び出しを待っている。
兜は脱いでいるが具足はつけたままだ。敵が首を取り返しにきても即座に迎撃するための古くからのしきたりだそうだ。
本来は矢を入れた箙まで背負うのだが、近年は所々簡素化されているらしい。
それでいいのならと、僕も首実検を簡素化した。
織田との戦はけりがついたが、上条政繁の始末がまだなのだ。
秋山、高坂が命令通り尾山御坊を押さえているが、織田の大敗を知った上条が、どう動くかわからない。
すぐにでも軍勢を尾山御坊に向け出陣させたいのだが、兵士らにとって敵の首は金や領地に代わる大切なもので、働きを賞してやらなければ士気は上がらない。
働け働けといったところで、出すものを出さなければ、やる気が起きないのは、いつの世も同じなのだ。
簡素でもやれば、更なる励みになると山県ら重臣に釘を刺されていた。
呼び出しのあと、陣幕が押し上げられ、景虎のあとに続いて首の乗った折敷を捧げ持った五人の武将が入ってきた。
この戦で織田勢五千の首を取っている。名のある武将は百は下らない。
ひとつひとつ見ている時間はない。簡素化である。上位の武将だけにしたのだ。
上杉勢の挙げた首級は、取りも取ったり千近くになる。
上位の武将は織田北陸方面大将柴田勝家だ。五千首級の中でも一番だ。残りの四つは勝家の近習である。これも立派な兜首だ。
景虎の横に並んでいる武将が、勝家の首ににじり寄り、髻を掴み持ち上げた。
本来は右手の親指を耳の穴に入れ、左手を顎に添え持ち上げるのだが、略式の場合、髻を掴み持ち上げても構わないないそうだ。
捕虜による面通しは済んでいた。勝家主従に間違いはない。
僕は、扇を開き顔を右にそむけると左目だけで首を見る。これも略式だ。
本来は立ちあがって弓杖を持ち、太刀の鯉口を切り、首を見た後、太刀を鞘に戻し終了となるわけだが、こんなことを何百回も繰り返していたら、身が持たないとばかりに、処所を端折っている。
だが、今回これを百回もやらなければならない。生首も百を見るのだ。
首実検のあと、しばらく食欲がなくなるが、僕が勝頼であり続ける以上我慢をして行わなければならないことだ。
何しろこの時代、少しでも首を立派に見せようと、汚れを落としたり傷を化粧で隠したりするのは、女の仕事なのだそうだ。
武士どころか、その家族まで首はお宝なのだである。
見るだけで卒倒していたら笑われるどころではすまないだろう。
柴田勝家主従の首実検は終わった。あとは感状と褒美を渡さなければならない。
これが悩みの種なのだ。
近習の首のほうは感状を渡し、後日加増をすればよいが、問題は一番手柄の北条という武将の褒美だ。
腰のもの、つまり太刀や懐剣を渡せばいいのだろうが、僕は使うつもりがないので安価な軽い刀しか持っていない。褒美として出すのにはお粗末すぎる物だ。そこで考えた。
「天晴なる働き感服した。褒美を取らす」
「ははっ」
本来、景虎がやるべきだろうと睨んだが、その景虎、妙に緊張している様子だ。
「あれを」
近習が幔幕をめくり褒美を運んできた。
並ぶ武将らから感嘆の声が上がった。
巨大な金の鉾の下に何百枚の金の御幣を五段にぐるりと貼り付けている馬標である。
柴田勝家の物で、田んぼに捨てられていたのを本隊の足軽が見つけ持ってきたのだ。
「柴田を打ち取った、そなたが掲げよ」
「はっ。ありがたき幸せ」
有難そうには見えなかった。拾ったものを褒美に出したのは失敗だったか。
「お、御屋形様に申し上げたい儀があります」
景虎が膝を進めにじり寄った。勝手に馬標を渡し蔑ろにしてしまったのだろうか。
「も、申してみよ」
山県ら重臣は外で配下の者と呼び出しを待っている。
これは困った。取り成してくれる者がいない。
ただ、当の景虎は北条と目合わせをして、僕を見ていない。
どちらが文句をいうか決めているのだろうか。
「も、申し上げます。わが父高広をお許しください」
北条が金切り声をあげた。高広・・・ 誰だ?
「佐野にいる父を越後に呼び戻しとうございます。何卒、お許しを賜りますよう」
「御屋形様に歯向かった謀反人でありますが、忠義でのこと。我からも伏して願います」
景虎主従全員が平伏す。
はて? 佐野の高広とは・・・ あっ⁉
喜多条丹後守だ。北条という武将は北条城主北条弥五郎景広だ。
紛らわしい。北条氏康が喜多条に変えさせたのもわかる。
北条、きたじょう。上条、じょうじょう。中条は、なかじょうで、本庄ほんじょうは庄なのである。
実に、紛らわしい。
「う、うむ。家臣共々許す。越後でも丹後殿は喜多条を名乗るのかな」
「有難き幸せ! 家督をついだおり、北条城の喜多条ではさまが悪いと北条に戻したしだい。関東を離れれば父も北条に戻すでしょう」
きたじょうじょうのきたじょうがきたじょうに戻る。・・・・ もう、どうでもいい。
元は毛利であったそうだが、そちらに戻すことを奨めたい。
「ハハハッ。つまらぬ褒美を出してしまったな。片づけよ」
拾った物を褒美にしなくとも、もっと金のかからないことで済んだのだ。
佐野から喜多条がいなくなるのは上野支配にとって悪い事ではない。
「お、お待ちください。う、馬標は頂きます。父に自慢しとうございます」
北条の手が馬標を掴んだ。さも大事そうに撫でている。
「なお一層、励まれい」
「ははっ」
気を使ったのだ。北条景広は馬標を忘れていった。
供養をすませ、怪我人を安吉城、槻橋砦に移して、江指城、波佐山城は使える物を運び出し空っぽにして棄てた。
織田が再び入ろうと、一向宗徒ら入ろうと構わない。加賀を治めるつもりは端からない。
安吉城、槻橋砦も、今は重症の兵士らで満杯だが、いずれ棄てるつもりだ。
内藤に後処理を命じて、尾山御坊に向け進軍を開始するのに五日を要した。
馬場美濃のほか、市川、下曽根、小幡ら大勢の将格を失い、隊の編成に時間が掛かったのだ。
織田との戦いの損傷は途轍もなく大きかった。
動ける軽傷者を除いて、五千余の死傷者を出している。
どの隊もボロボロだが、士気は異様に高い。
裏切った上条政繁に怒りをぶつける気なのだ。
出城城に秋山が来ていた。尾山御坊まで二里(約八キロ)ほどの距離だ。
「知らせを聞いたとき肝を冷やしましたが、さすがは御神代様。お見事な勝利でございました」
薄氷を踏むどころではない。完全に負けていた。
織田軍の不可思議な撤退がなければ殲滅されていたはずだ。
「弾正は?」
「御坊を囲んでおります」
「状況は?」
「相変わらず山門を閉じ引き籠っております。織田の敗戦に多くの能登兵が逃げ出しており、恐らく籠っておるのは能登勢三千と一向宗徒五千でありましょう」
能登勢と違い一向宗徒には逃げる先がない。寺に籠るしかないのだろう。
「御坊に入っていた家臣らは?」
「おそらく全員殺されたかと・・・」
秋山は唇を噛んだ。
残忍な仕打ちだが責める気にはならなかった。
釜炒り、磔、焼き殺し。信長が越前で宗徒らにおこなった処刑方法だ。
目を覆いたくなるような残酷な方法で、見せしめとして殺しているのだ。
一揆をおこし抵抗したというのもあるが、女子どもまで殺している。
宗徒から見れば武士など皆同じ、親や子の敵だろう。
だから、信長についた上条に一向宗徒が加担するとは、誰も思わなかったのだ。
「上条に知られず、御坊側と繋ぎは取れるか?」
「坊官の大谷頼白なら可能ですが」
「では、その大谷やらに伝えよ。加賀は要らぬ。顕如にくれてやるとな」
「え、ええっ! それでは、なんの・・・・・・ よろしいのですか」
多大な犠牲を払ってまで、なんのために加賀に出陣したのだと言いたいのだろう。
織田を追い払った今なら加賀を手に入れるのは容易なことだ。
ただ、一向宗が蔓延る面倒な地では、平定するまで時間がかかる。
ならば顕如に恩を売って、緩衝地帯の役割を与えるのだ。
「善右衛門。御坊を囲んでいる隊を一里(約四キロ)ほど下げさせよ」
「はっ」
攻める気がないことを示してやらなければ、乗って来ないだろう。
さて、一向宗徒らはどうでるか。それまで兵を休めるとしよう。




