20 春日山城燃ゆ
春日山城本丸を囲んで、ひと月が経った。
難攻不落と言われることだけのことはある。
春日山城は厄介な城だった。
比高六十丈(約百八十メートル)の山全部が城なのだ。裾野の四半里二町(約千二百二十メートル)には堀や土塁が築かれ、山頂の本丸に向かって、いくつもの郭がある。中腹には重臣の屋敷や三の丸、本丸の真下に二の丸があり、山頂には中央に本丸、西側にはそれぞれ堀で切り離された鐘堂や天守台、東側に護摩堂や毘沙門堂が建てられていた。
山全体が段々畑のようなもので、ひとつの郭を落としたら上へ上へ攻め上らなければ、本丸まで辿りつけないのだ。
僕は兵を二つに分け西の大手道、東の千貫門側から攻めることにした。
その結果、東側は直江屋敷、西側は二の丸を占領した。
与板攻めから呼び戻した景虎の働きが大きかったのだ。
景虎は与板城攻撃で城に火をかけ徹底的に破壊している。降伏など許さない非情な攻めだった。
新発田長敦、加治、竹俣が景虎側に鞍替えしたのも、敵対する者は徹底的に潰す景虎の戦ぶりと、上杉後継者を示す天賜の御旗を恐れてのことだろう。
寝返った新発田らは景勝派の山浦、山吉に攻撃を仕掛け、今も戦いは続いている。
本来なら景虎に指揮を取らせたいところだが、僕は景虎を呼び戻した。
能登の上条、越中の河田から救援要請があり、山県、秋山ら七千を越中に出陣させたため手薄になったこともあるが、天賦の御旗が意外に効果があることを知ったからだ。
景虎は、期待に応え、二の丸まで一気に攻め登った。
狙い通り景虎、憲政には歯向かえぬと投降する兵が多く出たためだ。
二の丸を落とした景虎は西裏側の重臣屋敷も制圧した。
これにより、決死の覚悟で抵抗する東側も毘沙門堂まで兵を引き、お花畑を挟んで対峙することになった。
僕は占領した郭を固め、兵糧攻めに切り替えた。
二の丸の米蔵が空だったところをみると、兵糧攻めに大した効果は期待できないが、籠城兵の戦意を削ぎ落せば、景勝も諦めるだろうと考えてのことだった。
最初こそ投降する兵士は多かったが、十日を過ぎると途端になくなり、尾根筋伝いに逃げ出す兵士ばかりになった。
景虎の下につく気はないが、景勝に殉ずるのも嫌な者たちだろう。
どのみち本丸から居なくなってくれればいいのだから、見逃すよう命じていた。
その結果、勝頼に付き従う兵数は三百ほどになっている。
だが、迂闊には攻められない。本丸にいるのは死を覚悟した兵士ばかりだからだ。
このひと月の間、降伏にも応じないし、打って出たこともなかった。
援軍のない籠城を続けているのだ。
景勝の意地か、一人でも多くの武田兵を道連れにしようとの魂胆か。
不気味な籠城である。
「尾山御坊の山県様から伝令が来ております」
「通せ」
山県隊は越中松倉城から加賀に進軍、尾山御坊に入り陣所としている。
尾山御坊は加賀の一向宗の拠点である。寺というものの、石垣を巡らした要塞である。
山県が兵を率いて入れたのは、能登の上条政繁の後押しがあったからだ。
謙信は信長の加賀侵攻に、本願寺顕如と講和を結んでいた。政繁の家臣らはそれを利用し一向宗を懐柔したのだ。
父信玄と顕如は正室が姉妹の義兄弟であるが、僕は関係ないと突っぱねている。
下手にかかわりを持てば、結びたくもない講和を顕如と結ばされていたかも知れない。
政繁の働きは賞賛に値する。
「柴田の軍勢、和田山、岩倉、鳥越を拠点に四万が集結。信長、出陣の噂があります」
伝令が膝をついて言った。
加賀南部に展開している織田軍は手取川は越えてはいない。武田七千含む能登、越中軍三万が要所を固めているからだ。
信長が出張るとなると、敵の兵数は有に六万近くになるだろう。
伝令は噂と言ったが、山県が伝えてきた以上、曖昧なことではない。
信長は本気で加賀を獲るつもりだ。
「春日山城本丸を一日で落とす」
僕は総攻めに踏み切るしかなかった。
ドンドドドン ──
仰ぎ見る春日山城は、噴火でもしたかのように轟音が響き渡り白煙が棚引いている。
二の丸油流し坂、本丸下御成道、お花畑に展開する小山田鉄砲隊の掃射が始まったのだ。
敵の応射は単発で、轟音のあとわずかに聞こえるだけだ。
弾薬が尽きたか、鉄砲足軽が逃げてしまったのだろう。
えい。おう。えい。おう。 ── 武田の吶喊が轟き渡る。
「ここからでは、さっぱり見えませぬな。鉄砲の煙ばかりでは面白くもござらぬ」
馬場美濃が腰を叩きながら床几から立ち上がった。
三の丸に本陣を置いて馬場を本隊付けとしたのは、すぐにでも馬場を加賀に出撃させたいからだ。
信長は早い。攻めるにしても逃げるにしても、とにかく早い。
長篠でも逃げ足の速さに織田軍を削ることができなかった。
馬場美濃、武田逍遥軒に追撃させたのに、である。
長篠で大敗したとはいえ勢力は衰えていない。
急いで手を打たなければ大変な事になる。
勝頼を殺した相手だ。やはり、僕の最大の敵は信長なのだろうか。
「申し上げます。土屋勢、天守台を押さえました」
「伝令! 上杉勢、油流しを突破。護摩堂を制圧した内藤勢と合流しました」
百足の背旗を靡かせた武者が、次々に味方の攻勢を伝えてくる。
「御神代! 押し出しましょうぞ」
馬場に言われるまでもない。本陣を構える場所は端から決めていた。
護摩堂横の諏訪堂である。諏訪上社大祝の血流の僕にはピッタリであろう。
そこに武田菱の大旗を立てるのだ。諏訪南宮上下大明神の旗を許可されなかった皮肉だ。
ドンドドドン ── ドンドドドン ──
本丸から駆け下りてくる敵兵が斉射で吹き飛んだ。
酷い戦だ。敵兵は景勝に殉ずるため鉄砲隊に突っ込んでいるのだ。
「そらっ! 突っ込め!」
竹に雀紋の背旗が本丸に突入を開始した。内藤は一番乗りを景虎に譲ったようだ。上杉の家督争いにケリをつけるのは景虎だということだ。
「美濃。おわったな」
「左様ですな。つまらぬ戦じゃた」
馬場が間延びした声で答えた。勝ちの確定している攻めなど退屈なのだろう。
ならば、解き放とう。
「加賀に向かえ。五日のうちに小山田を追わせる」
「はあ。ははっ! 左兵衛尉など待たなくとも織田を蹴散らして見せましょう」
頭を深々と下げると駆け下りて行った。
年寄に無理をさせたくはないが、鬼美濃の名は戦況を変えるほどの力があるのだ。
大きな喚声が上がった。本丸の坂下に陣張る内藤隊も騒いでいる。
「建屋から煙が上がりました」
馬廻りからの報告に僕はどきりとした。
春日山城は古い造りの城だ。石垣、瓦葺、漆喰塗りの城とは違う。
山を削っただけの地肌むき出しの城で、建物は茅葺や檜皮葺き、板張りや土壁である。
天守台と呼ばれているが、檜皮葺き二階建てのさほど大きくない建物があるだけだ。
本丸の建物も棟数こそあるが造りはほぼ同じである。
火が出ればたちまち燃え落ちてしまう。これはまずい。
「三郎に消し止めさせよ! 焼いてはならぬ!」
僕は大声で消火を命じた。
景虎なら井戸がどこにあるのか知っているだろう。だめなら破壊すればいい。
主殿などいくら壊しても構わない。金蔵だけ残ればいい。
僕は謙信の金が欲しいのだ。
家臣に貸し付けている金の利息の他にも、柏崎、府中港の船道前(入港税)や青苧(苧という布になる植物)を専売して巨万の富を貯め込んでいるのだ。
謙信の死後作成された「春日山城内惣在金目録」には、その額二万七千両と書かれている。
二万七千両は、米にすると八万石~十四万石分になるらしい。
史実でも、北条氏政との同盟により景虎救援に向かった勝頼は、景勝から金を貰い兵を退いてしまうのだ。景勝が使った金は、まぎれもなく謙信が貯えたものだ。
軍費に事欠くほど金がないのは史実通り。何としても手に入れたい。
僕の必死の叫びに兵士らは槍を放って消火従事した。
お陰で燃え上がった火は二棟を焼き尽くすだけで消し止められた。
金蔵は無事だったのだ。
「御亡骸、不明にございます」
景虎が肩を落としていった。
崩れ落ちた梁で謙信の甕棺が粉々になり、わからなくなってしまったようだ。
景勝は自害の後、油をまいて火をつけるよう命じらしい。
損壊が激しく性別どころか大人か子供の区別もわからない五十もの亡骸があった。
「お気づかい頂いたこと、感謝申し上げます」
景虎は勘違いしている。別に謙信の亡骸に気をつかって消火を命じたのではない。
金蔵だけが心配だったのだ。
勘違いのままにしておこう。慈悲深いと評判を得られれば、しめたものだ。




