19 景勝の本性
景勝の戦いは激戦となった。
半分どころではない。揚北衆と国人衆のほとんどが景勝に味方したためだ。
武田の風下には立たないというような武家の矜持でもなく、謙信の血流を奉じるという忠誠でもない。
春日山を押さえた景勝が、借金を帳消しにすると誘ったからだ。
謙信は国人衆に、城の改築費用や戦費を高利で貸し付けていた。
印判と証文を手中に収めた景勝は、これを利用したのだ。
春日山城の景勝と連携して、揚北衆の攻撃を何度も受けたが、兵を北に集中させてなんとか弾き返した。
南側から兵を割けたのは、越中最大の兵力を有する松倉城の河田長親が中立だったためだ。
しかし、この中立はいつまで続くはわからない。
河田の中立は、能登七尾城にいる謙信のもう一人の養子、上条政繁を睨んでのことだからだ。
政繁は能登守護の北畠氏の出で、景勝と確執があるものの未だ態度を表明していない。景虎が北条の出というのが気に食わないようだ。憲政の後ろ盾があるので息を潜めているのだろう。
この二人、史実では迷った末に、景勝側につくので油断はできない。
僕は憲政に命じ敵の切り崩しをおこなっている。
揚北衆の鮎川盛長、黒川清実、国人衆の北条景広、本庄秀綱、堀宗親だ。
すでに景虎側の上杉景信を加え、史実では景虎派であった家臣たちだ。
情けない話だが、自ら歴史を変えたはずなのに、その歴史にしがみついている。
いるか、いないか、確かめながら指示を出しているのだ。
景勝は手強い。
史実でも謙信薨去とともに、春日山城を押さえ、景虎の実兄、北条氏政、その同盟者の武田勝頼を向こうに回し、武略、調略を駆使して上杉家督を簒奪するのだ。
上杉の名跡を継ぐためだが、養祖父憲政まで殺している。
景虎の子を人質として連れて行く途中で襲ったのだ。姉の子もろとも皆殺しである。
正統血流の憲政を屠っておいて、堂々と名門上杉を誇るのである。戦国の武将とはいえ図太い神経だ。
景虎も追い詰められ、妻である景勝の実姉と自害している。景虎派であった北条景広は家臣まで皆殺しされている。
逆らった者を成敗しただけではないだろう。景勝が太田某に宛てた手紙が残っている。
鬱憤を散じ候。── 鬱憤を晴らし清々したと綴っているのだ。
景虎、憲政は最初から敵と見ていたと窺える内容だ。もしかすると謙信さえ敵だったのかもしれない。
「小柄で無口、笑顔など見せたこともない。どうにも薄気味悪い男です」
憲政は景勝をそう評した。
仮面をかぶり、己を騙して謙信を敬愛している振りをしていたと思えば、今の景勝の行動にも合点がいく。謙信の死で押さえていた本性が現れるたのだろう。
「越後守護の正統は五郎殿だ。家督を継がせたとはいえ謙信は守護代長尾の出。その甥である景勝には上杉の名は名乗らせぬと報せはどうか」
「やってみましょう」
景勝についたものの、態度を決めかねている国人衆も多い。
御館を攻めたのが原因のようだ。
上杉の後継者である景勝が、養祖父を攻めたことに疑問を持ったのだ。
憲政の調略は徐々に実を結び始めている。
能登の上条政繁、越中の河田長親が武田に降ったのである。
織田の北国軍が、騒ぎに乗じて加賀南部まで進軍しており、謙信亡き今、上杉を見限り武田を選んだようだ。
揚北衆の鮎川盛長、黒川清実、国人衆の北条景広、本庄秀綱、堀江宗親も憲政の尽力により景虎支援を申し出ていた。
「五十公野を口説き落としました」
景虎が自慢げにいった。史実では景虎を見限り景勝に寝返っている五十公野治長、のちの新発田重家である。
新発田城主は実兄で、加治、竹俣は一族である。
兄の新発田長敦は揚北衆の中で有数の兵力を保持しており、影響は大きい。
「三郎殿、与板城を攻めなされ。天賜の御旗を掲げ立て上杉正統を見せつけてやれ」
僕は景虎に、直江景綱の与板城攻めを命じた。
直江景綱は景勝の股肱臣であり、御館攻撃にも兵を出していた。
新発田が動かなければ与板城攻めに脅威はない。
もし、落とせなくても天賜の御旗を見せつけるだけでも効果があるはずだ。
天賦の御旗とは紺地に日の丸が描かれた大旗で、上杉家が朝廷から賜ったものだ。
この大旗を掲げることは、すなわち上杉継承者を示すことなる。
「はっ。落としてご覧にいれましょう」
景虎の兵は景信ら一門衆と景勝から鞍替えした本庄や堀の二千ほどだ。小山田の鉄砲隊から百をつけ送り出した。
愛の前立てで有名な上杉景勝の重臣直江兼続は景綱の二番目の婿である。
最初の婿は、景虎との家督争いの恩賞に不満持った家臣に殺されている。
つまり、直江兼続は歴史に登場しないのだ。
僕が景勝を攻め滅ぼすのだから、樋口のままだ。
謙信薨去。 三位以上の貴人の死ですが、謙信公明治四十一年従二位を贈位なされておりますので、敬意をこめて使わせて頂きました。