18 三郎、四郎、五郎
天正六年四月十日。未明 ──
秋山信友を先手とし三国街道を樺野沢城に向け侵攻を開始した。二手は土屋、荷駄、本隊を挟んで荷駄、真田が続く。
小山田の鉄砲隊五百が街道に三段横列で筒先を並べて、内藤とともに追撃に備えていた。
荒戸城には上杉兵四千がいる。攻め掛かってくることを見越しての進軍で、山道なら内藤の巧みな兵の出し入れで防げるだろうと考えてのことだった。
敵城兵も面食らったのだろう、小山田が去るまで鳴りを潜めていたらしい。
退却なら生かして返さぬとばかりに、追撃を仕掛けるのだろうが、味方が待ち受ける方向に進行を開始したのでは、城兵を引っ張り出すための罠と躊躇したのかもしれない。
小山田が二町(約二百二十メートル)ばかり進んだころ、二か所の馬出から敵兵らが飛び出してきた。小山田隊は坂の上に腕のいい鉄砲足軽を十人を並べ、後ろに並んだ足軽に弾を詰めさせ次々に撃てる態勢を取った。砲煙が視界を遮れば半町移動する。
敵は山道に屍を晒し内藤隊の出番はなかったそうだ。
北上する武田軍に樺野沢城、坂戸城からの迎撃はなかった。
坂戸城は謙信の姉が嫁いだ地で景勝の実家である。本来なら火の出るような攻撃を仕掛けてきたはずだ。
景勝は武田と交戦中の荒戸城にまで撤退を命じた。当然、配下の樺野沢城、坂戸城の城兵も春日山に召集しているのだ。
「出浦。野尻の山県に大熊備前を使えと伝えろ」
三国街道は越後中郡を横断して長岡に至り、そこから北国街道を南下し春日山城のある越後府中までゆうに三十里(約百二十キロ)はある。
行軍は一日せいぜい六里(二十四キロ)、山道では五里程度で、単純に計算しても、五、六日は掛かる。山県らがいる野尻からなら十里ほど、二日で越後府中に進攻できる。
尤も、武田の侵攻を睨んで、謙信が城、砦に兵を入れた以上、黙った通す所ばかりではない。大熊備前に調略させるのだ。
雨のため七日を要したが、襲撃してくる敵兵はいなかった。
どの城、砦も門を閉ざし、武田軍が通り過ぎるのを窺がっているだけだった。
どうやら、僕は賭けに勝ったようだ。
謙信は死んだ。──
二騎の武者が手を振りながら向かって来る。山県昌景と馬場信春だ。
山県に誘われて東城砦の門を潜った。
燃やされた後、早急に建て直したのであろう、門も塀も建屋も真新しい。
春日山城の守備の要、わずか半里(約2キロ)の東城砦と長池山砦は武田の手に落ちていた。
「広間でお待ちです。では、それがしはこれで」
山県が門を出て行った。
武田軍二万の兵は、この砦に本隊二千を残し、春日山城を取り巻くように陣を張っている。
景勝の援軍を迎え撃ち、春日山入城を阻むためだ。
春日山城を占拠した景勝の兵力は三千ほどだ。やはり坂戸城、樺野沢城から呼び寄せた兵らしい。
荒戸城には景勝の息のかかった兵士は少なかったようで、ある人物を通し参陣不要を命じている。荒戸 城兵は命令があるまで待機中である。
実に危ない賭けであった。もし、景勝と組み、春日山城救援を命じたなら、僕らは四千の兵に後方から攻撃を受けていただろう。地の利は敵にあり、ただではすまなかった。
だが、これは偶然の好運ではない。山県に春日山城を攻撃させた狙いのひとつなのだ。
そのため攻撃は城だけに止めた。
町や寺社に被害を出さず城方だけに武田の恐怖を染み込ませたのだ。
越後平定には重要な人物がいる。どう口説こうかと考えていたが、自ら逃げ込んでくるとは思わなかった。よほど、赤備えが恐ろしかったのだろう。山県に投降したのでわかる。
「お初にお目にかかります。武田四郎でござる。戦の常といえ、このような仕儀になったことお詫び致す」
謙信の死は交戦中の病死である。謙信と雌雄を決せなかったことを悔やんでいるような振りをした。
「いえ、お詫びなど御無用。寛容な扱いに伏して御礼を申す。上杉五郎憲政でござる」
謙信を養子に迎え、上杉の家督を譲り隠居した前関東管領上杉憲政だ。
隠居というから年寄りと思っていたが意外に若い。肌にも艶があり五十六には見えなかった。
「三郎景虎でござる」
憲政が後ろに控える若い武将に視線を送った。
親子に見えるが、謙信の養子である。家系上は孫だ。
北条氏康の七男で、相越同盟の証人(人質)として送られたが、同盟が破綻しても謙信が才を惜しんで 姉の娘と縁づかせ養子とした。景勝とは義理の兄弟になる。
「三郎景虎、願い儀がございます」
景虎は顔を上げると縋るような目を向けた。
「これっ! 三郎、控えよ!」
僕は憲政を手で制して、頷いた。
「何卒、この三郎を臣下の列に御くわえ下され! 喜平治めだけは許せませぬ!」
予想だにしない申し出だった。
影虎を後継者と認める家臣も多い。家中を二分して一年半も争うはずだったのだ。
憲政、影虎を味方につければ上杉家の半分は大人しくなる。残りの半分も武田が後ろにいれば、鞍替えする可能性はある。どう口説いてやらせるか迷っていたのだ。
「何がござった」
憲政と景虎は視線を合わせた。臣下を望んでいるのは景虎だけの考えだけではないようだ。
「我ら四郎様を頼り降伏した身、上杉の恥をお聞きください」
憲政が居住いを正し膝を揃えた。
荒戸城から戻ってすぐ、謙信は厠で倒れてたのだという。意識は戻らず寝たきりになったらしい。
謙信の側にあった景勝は、側近の直江らを使い春日山城を押さえてしまった。厳戒態勢を敷いたのである。二人は城に駆け付けたものの、追い返され城門を潜る事も出来なかった。
何度も使者を立て入城を求めたが、四日経ってもなしの礫であった。
上杉一門衆の景信が、おかしなことを言いだした。城からの軍令書が謙信の名で出されているというのだ。花押はなく印判を使っているらしい。
謙信が養父憲政を拒むわけがない。景勝が謙信を装い軍令書を出しているとしか思えなかった。
景虎は景信ら一門衆とともに、景勝を質すべく城に乗り込んだ。
「実城(本丸)は固く閉ざされ、止むを得ず二城(二の丸)に入りました」
春日山城は、四半里(約一キロ)も長さがある山城で、本丸、二の丸、三の丸とはいえ単独の城のような造りである。景虎らは実城の様子がわからなかった。
しかし、二城には懇意な者もいて、「御屋形様の御部屋には、甕棺ひとつが置かれている」との噂があることを知った。
「甘うございました。喜平次め、まさか、御館まで襲うとは」
景勝は二の丸の景虎ばかりではなく、御館の憲政にまで兵を差し向けた。
御館とは憲政の隠居所として築かれたものだが、広大な屋敷がいくつもあり、謙信は政庁を置いていた。景虎の屋敷もある。
「二城を放棄し御館にむかいましたが、すでに兵に囲まれ門から火の手が上がっており、手の出しようがありませんでした」
景虎は膝に置いた手を握りしめた。
上杉の後継者を示す、通名の「郎」をもってしても、謙信の血流には敵わないのだろう。奸詐であっても城の家臣らは景勝に従ったのだ。
「此度ばかりは一族、郎党、覚悟を致しました。まさか、山県殿に救われるとは・・・」
憲政は言葉を切って、目を伏せた。敵に救われたことを恥じているのだ。
山県が景勝軍を追い払い、御館は灰燼に帰し死者も出た。
憲政、景虎は虜であるが、山県は丁寧に扱い、支城や砦兵の懐柔を頼んでいた。
東城砦、長池山砦も二人の説得に応じ明け渡したものだ。
「お二人は、景勝憎しで宿敵武田の家臣になると申されるのか。上杉の名を落としますぞ」
家臣では今後の調略に支障きたす恐れがある。上杉正統を前面に押し出してもらいたい。
「前の武田なら申しませぬ。四郎様だからこそ臣下を望むのです」
憲政の言葉で、僕の四年間は成就した。
乱暴狼藉を禁じ、降兵にたいし緩い処分を施したのは、この評判を得るためだった。
四郎勝頼は非道をおこなわない。──
圧倒的な武力を有していればこそ、この評判は武器になる。
「わかりました。越後平定後、考えましょう」
存分に働いて貰おう。僕がこの身体を失わないために。