17 停滞
三日後、小山田信茂が戻ってきた。
荒戸城攻撃は大した成果も得られなかったようだ。
もっとも、小山田の目的は城の弱点を探ることで、意気揚々と地図を広げたところをみると、何か弱点を見つけたのかもしれない。
荒戸城は、街道から二十丈(約六十メートル)の高さの四郭構造で、郭と郭の間に竪堀を穿ち行き来は出来ない。西側以外は土塁であり、西側には大手、搦め手の曲輪があり、それぞれ馬出しをもつ軍事に特化した城だった。
手強いわけである。武田と戦うための城なのだ。
「左兵衛。どこを狙う」
時間を掛けている暇がない。
小山田が言い出す策を取りあえず、試してみるつもりだった。
「街道のこの辺りなら砲列を敷けまする。搦手曲輪をぎりぎり狙えます」
搦手の馬出しの前だ。突撃隊の助けにはなるだろうが、結局は力攻めだ。
愚策だ。多数の犠牲者を出す。
愚策だが、─── やるしかない。
「全軍に伝達。芝原峠に押し出す」
「ははっ!」
小山田が満面の笑みを浮かべた。
えい。おう。えい。おう。えい。おう。
土屋隊の鬨が山々に響き渡る。
ドンドドドン。── 馬出の土塁の上が白煙で見えなくなった。
ドンドドドン。ドンドドドン。ドンドドドン。──
外濠に近くに竹束を並べた小山田の鉄砲隊が応射するが、土塁の土を跳ね上がらせただけだった。
「兵を退かせろ」
「はっ」
街道を挟んだ、西の山腹に陣を構えて三日が過ぎた。
西側に張り出した大手、搦手を兵を二手に別け攻撃するが、巧みに馬出から兵を出し攻込むことは出来なかった。
東側の土塁も攻めさせたが竪堀が穿ってあり、横に廻り込むことが困難で、待ち構えた敵兵の餌食となった。
多大な犠牲を出し占領できたのは、外堀の前の一画だけという情けない結果である。
さすが謙信が武田阻止のためだけに築いた城だ。武田の猛攻にびくともしない。
「夜襲?」
僕は真田信綱の顔をまじまじと見た。憔悴している武将が多いが信綱の顔色は妙にいい。
「はっ。北の郭なら竪堀を登り侵入はできまする。火を放ち騒ぎに乗じて大手馬出を攻め取ります」
真田忍軍が存在するのかもしれない。仕掛けのある竪堀を登りきる者がいるのだ。
信綱の生気は膠着状態を覆す手段を持っていたからだろう。
弟同様、根は策士なのかもしれない。
「よし。北の郭は左衛門尉に任す。火の手を合図に大手馬出を攻める」
秋山、小山田を大手馬出に差し向けた。ただし、搦手馬出と違い大手馬出に砲列を敷く場所はない。五、六挺の鉄砲が、三、四ヶ所の山際から撃てる場所しかないのだ。
秋山の鉄砲隊で十分たりるが、汚名返上と意気込んでいる小山田に、花を持たせることにした。
僕は床几に腰掛、篝火を目で追った。灯りは荒戸城の外構えを浮き上がらせていた。
小さな山城だが、四千の兵が籠っている。
篝火の数を見ても闘志に衰えはない。真田の策が通じるとも思えないが藁をも掴む気持ちで実行させた。
「しくじったのではありませぬか? 竪堀を登ることなどできますまい」
「狙いは悪くないが、なにせ城兵が多い。侵入に成功しても身動き取れますまい」
後ろに控える土屋と内藤が、痺れを切らしたように言った。
城が見渡せる山の中腹に腰を据えて一刻(二時間)あまりがたった。城は静まり返り敵兵の声も聞こえない。馬出前に潜んでいる秋山、小山田も苛立っているだろう。
「御屋形様。真田殿がお見えです」
小原が近づいて言った。聞こえたのだろう。内藤、土屋が床几を蹴って立ち上がった。
「左衛門尉殿、失敗したのか!」
「いわんことではない。北側の土塁は無理なのだ」
真田は、いきり立つ二人を無視して数歩近づくと膝をついて、折り畳んだ小さな紙を捧げるように突き出した。
「申しませなんだが、北の竪堀附近に隠し通路がございます。そこで敵の伝令と遭遇しました」
僕は紙を受け取り小原に渡した。失った記憶の中に文字も入れてある。草書が読めないからだ。
「その伝令兵は?」
「見廻りと思い討ち取ったところ、兜の中からそれを見つけました」
内容は見たのだろう、攻めを中止して戻ってきたのだ。
「下総。中身は」
「はっ。城兵の撤退を命じております。やっ。謙信からではありませぬ! 景勝からです」
僕は思わず立ち上がった。景勝からの撤退命令をどうとらえればいいのかわからない。
「長尾の兵が入っているのだろう。上田城に兵を入れ、武田を釘付けにする策ではないか」
「樺野沢、坂戸の二城は国境警固の城。我らを誘い出して叩くつもりなのでは」
内藤、土屋にも一理ある。
急遽築いた山城では侵攻を食い止める事はできても、完膚なきまでに叩くことはできない。樺野沢城、坂戸城なら四方から援軍の攻撃が可能なのだ。
「左衛門尉は、どう思う?」
「討ち取った伝令は高身分の武者と推察します。何か兵を退かなければならないことが、発生したと考えられます」
隠し通路があることを黙ったまま、手柄に替えようとしただけのことはある。良く見えている。
荒戸城に兵を率いてきたのは謙信である。その本人からではなく養子の景勝からなのだ。
となると。──
僕は一か八かの賭けにでるしかないようだ。
「軍議を開く。秋山、小山田を呼び戻せ」
夜の静寂に僕の声が響き渡った。