15 戦後処理
晦日となった。
僕は占拠した厩橋城で新年を迎えるつもりだ。
戦が終ればやることは山積なのだ。
戦が終れば論功行賞を行なわなければならない。
戦目付の報告をもとに、親族衆、家老衆、普代衆、先方衆、国人衆の将格と旗本将格衆、足軽将格衆、各奉行衆の手柄による褒美を決めるのだ。
今回は親族衆と西上野以外の国人衆がいないので割と早めに決められそうだが、公平を期すため過去の褒賞を鑑み毎回大変な作業になる。
恩地の支給は、降伏した土豪、地侍の半領地の宛行分、御蔵入地(直轄地)を除いて決めるのだ。虫食いのようになった飛地まで褒美とするため、その地を統括する奉行の選任も同時に行わなければならない。
それと跡部のような裏方に回った者の褒賞も頭を悩ますところだ。
信玄は金貨を掴んで渡したらしい。織田、徳川は茶器や刀剣、はては、茶会を開ける権利、姓、家紋まで恩賞として対応していた。
何かを貰わなければ張りがないというのは、いつの時代も同じである。
新領地の恩地割り振りが済めば経営である。
概ね武田の甲州法度を用いるのだが、前領主から与えられていた特権を無視するわけにもいかない。寺社一つ見ても給恩(知行地)や不入(立入禁止)という権利が与えられている。この処理を間違えば大変なことになってしまうのだ。
税額の決定、貨幣、度量衡制の統一、水陸関所の把握、商人座の管理・・・ それぞれに責任者を選任しなければならないのだ。
やらなければならないことは腐るほどある。
跡部のような有能な文官に任せてしまえば滞りなく行うのだが、勉強を兼ねて携わっている。
越後平定後、経済政策を実施するためだ。
それに心底には躑躅ヶ崎館に帰りたくないというのもあった。なぜなら、正月を迎えるからだ。
名門武田の年始の行事は嫌になるほど多いのだ。
二日の御乗馬始めを皮切りに、御歌い始め、御吉書始め、その合間、合間に、家臣らの年始参りの挨拶を受け、酒宴も深夜まで続き休む暇などない。
もっとも、僕は嫡子信勝の陣代(代理)であり、年始の行事は第二十代代武田家当主の信勝にやらせている。
親族衆は十歳の嫡男に任せっきりが面白くないようで、わざわざ使いをたて面会を求めて来るのだ。会えばグチグチと小言である。
捻くれているようだが、偉大な父、武田信玄が決めた事だからと突っぱねていた。
天正六年(一五七八年)正月 ──
紗矢に会えないのは辛いが、こうるさい親族衆の顔を見ないで済むと思うと厩橋城暮らしも悪くはない。
元日を跡部ら奉行衆と酒宴で祝い、二日、三日は、居室でゴロゴロ寝て過ごした。
城下に出てみたいとの思いもあったが、占領したばかりの敵地では、なにが起こるかわからないと小原に止められ諦めるしかなかった。
小原は妓楼に行くと思ったようだが、僕は単純に厩橋城下を探索したかった。
ゴロゴロしている時に思い立ったことがある。
地名を厩橋から前橋に変えることだ。本来は七十年ほど後の江戸時代になってから変わるのだが、その時代は来ない。
街を築くはずの家康は三河南部の小領主に戻り、関東転封を命じるはずの秀吉は表舞台から消えた。
江戸は北条方の遠山の小城があるだけだ。この先もそのままだろう。
変わるはずの地名も変わりようがない。ならば、僕が変えようというわけだ。
「御屋形様、御家老衆が、お見えです」
書初めとばかりに、「前橋」と書いたとき、小原が家老らの来訪を告げた。
「広間に通せ」
「それが・・・・・・ わかりました」
広間の襖を開けて、小原が口籠ったわけがわかった。十二、三人もいるのだ。
家老衆の山県、内藤、土屋、秋山、高坂、将格の三枝、小幡、横田、今井、沼田城を預けた真田もいた。北条国境の原と和田は城を離れられないが、沼田城の北側は雪で閉ざされているため上杉を警戒する必要はないと訪れたようだ。
驚いたことに馬場美濃までいた。輿に乗って来たらしい。
躑躅ヶ崎の年始挨拶から、示し合わせて訪れたようだ。
正月早々輿を担がされる家臣が気の毒になった。
「大広間に酒膳を用意いたした」
挨拶が済んだのを見計らって小原が小声で告げた。
厨は大忙しだろう。引き連れてきた供回りも二百人を数える。遅れて振る舞うとしても容易な数ではない。
「こうなるだろうと、用意はさせておきました」
小原がニコリと笑った。さすがに有能である。
大広間には既に膳が並べられていた。占領したばかりの城での料理とは思えないほど豪勢なものだった。
「我が倅はお役に立っておりましょうか」
馬場美濃が瓶子を差し出し言った。
宴が始まると、山県、馬場、内藤、土屋の四人が僕を取り囲んで放そうとはしなかった。
「いますぐ鬼美濃を名乗らせてもよいくらいだ」
「左様です。民部殿は見事に勤めあげておりますぞ。静養されていても支障はありませぬ」
真っ赤に顔を染めた土屋が口を挟んだ。
かなり酔っているのだろう、僕が倅を褒めたところに被せたため、隠居しろと言っているようになったのに気づいていない。
「この足さえ痛まなければ、ワシも存分に働けたものを……」
馬場が肩を落した。
「おお、そうだ。氏邦が小田原に呼び付けられ、しこたま叱られたそうです。兄氏規の取り成しがなければ城をとりあげられるところと聞きました。がっはは。いい気味だ」
内藤が気を使い話題を変えた。
氏邦撤退は僕のせいだった。僕が二重三重の策を用いたためだ。
越後、上野侵攻に、岩殿城の小山田信茂は加えていない。密命を与えていたのだ。
武田が上野に侵攻すれば、氏邦が出て来るのは分かっていた。わからないのは北条当主氏政の動静だった。
北条全軍を挙げて氏邦軍を支え向かってきたら、上野奪取は諦めなければならない。
喜多条ら上杉方と北条軍相手に上野制圧などできるわけがないのだ。
国境の親族衆、遠江衆を動かし、留守居兵となった小田原城を攻撃させても、難攻不落の城はひと月やふた月で落とせるはずがない。
もし氏政が腹を括り乾坤一擲とばかりに、攻めてきたら武田は大敗を喫する。
これを防ぐために、小山田に八王子の滝山城攻撃を命じていたのである。
のちに場所を変え八王子城となる氏康の三男氏照の居城だ。小田原城の要の支城である。
滝山城を奪えれば小田原の喉元に刃を突きつけたに等しい。
小山田の鉄砲隊なら援軍の無い滝山城を落とせるだろうと策を講じたのだ。
だが、氏政は動かなかった。そして、上野原に兵を移動していた小山田は北条に察知された。
元々留守居部隊の滝山城奪取が目的のため、小山田の行動は無駄であったはずなのだが、これを氏政は小田原攻撃の先手と勘違いしたらしい。
国境に配備した親族衆、遠江衆も小田原攻撃の兵と思ったのだろう、あわてて氏邦を呼び戻したというわけだ。
「運があったな。次は気をつけよう」
先が分からなくなって、策ばかり講じるようになっている。下手をすると墓穴を掘ることになりかねない。
「次とは、越後攻めですかな」
山県が嬉しそうに笑った。
「我が手下の同心大熊備前を連れてまいりました。元は越後の国人。お使い下され」
すでに山県は越後侵攻に動き出しているようだ。元越後国人を使い調略を練れと言いたいのだろう。
僕の狙いをよく理解している。越後再侵攻は春日山城だけを狙って行うのだ。北東から南西に細長い越後では、国人衆を寝返らせておかなければ挟撃される恐れがあるのだ。
「よし。あとで会おう」
頷いた時、刺すような視線を感じた。家臣らからである。
「ワシも出陣しますぞ! 鬼の戦ぶりご覧頂く!」
「先手を我に!」「ワシに御命じくだされ!」「ええい、黙れ。武田の先手はワシじゃ」
馬場美濃の叫びを皮切りに、家臣らが一斉ににじり寄ってきた。
「頼もしき限りだ。存分に働いてもらうぞ」
「うおおっ!」
家臣たちは立ち上がり、拳を突き上げ獣のような雄叫びを発した。
僕を勝頼に留め置くための大切な家臣たちだ。諂っておいて損はない。