14 勝頼の度量
「沼田城からも降伏の使者が参りましたぞ。北条の動きを察知したようですな」
次の日、沼田城包囲から戻った山県は、開口一番、沼田城の降伏を報せた。
喜多条は、上野の地が北条なろうと武田になろうと、春になり謙信が越山すれば取り返せると思っているのだろう。兵の損傷を最小限に抑えるため佐野に退去することを条件にした。
「それでよい。亀のように引っ込まれては、退屈で仕方がない」
「ははは。誠に。我が手下も退屈しておりました」
山県が豪快に笑い飛ばした。
戦国最強と謳われる騎馬軍団であるが、攻城戦では持ち味が発揮できないのだろう。
ただし、山県の配下の赤備えは一騎当千の強者ばかりで、槍働きも半端ではない。
「ひと働きしてもらおう。由良式部を後ろから突くというのはどうだ」
「由良ごときでは手下も不満でしょうが、御命令とあらば」
なぜ武田の武将は、こうも戦となると嬉しそうな表情を浮かべるのだろう。
ギラギラとした眼が僕を睨んだ。
「いや待て。その役は原らに任せよう。其方では由良を壊滅させてしまう。それでは氏邦が引っ込んでしまう」
切り札を最初から使うバカはいない。赤い鎧の軍団が出現するだけで、敵は慄き逃げ腰になるのだ。使うなら大将の北条氏邦との大一番がいい。
「隼人とて、由良ごときに遅れは取りますまい」
相手が不満だと言いながらも、餌を取り上げらえた猟犬のように拗ねている。
沼田、厩橋を手に入れた今こそ、この先のことを話す頃合いだろう。
「み月後、再度越後を攻める。北条は兵力を削ぐだけいい」
ひと月前、越後攻めから反転して上野を攻めた。兵は疲労が溜まっている。
この一連の行動の最終目標は北条ではない。越後制圧なのだ。
史実通りになる確証はないが、ならなければ謙信は上野奪回に兵を挙げる。
攻込むにしても、迎え撃つにしても兵を休ませる時間がない。
山県は一瞬唖然としたが、すぐに口角を上げた。
「御神託ですかな」
家中では、僕の知識は神からのお告げになっている。
不確かなものに変りつつある今、二重、三重の対策が必要だった。
「断言はできぬが、好機になるらしい」
「わかりました。ならばワシは隼人の後詰に回りましょう。大暴れするのは、み月後に致します」
どうしても戦場を駆け回りたいのだ。止む負えず僕は許可した。
※ ※ ※ ※ ※ ※
天正五年(1577年)十二月の末。北条との一戦は意外な形で幕が閉じた。
今村城を挟んで由良軍と対峙していた内藤昌豊に、今村、赤堀の城代が降伏したのである。
武田に降伏したのは、佐野に落ちた喜多条の指示だろう。女、子どもに護衛の兵をつけて佐野まで送り届けてやったからだ。
僕は投降兵には緩い処分を施す。乱暴狼藉も厳しく取り締まっている。武田なら無体はしないと評判を取るためだ。喜多条には邪な目論見があるが、噂は徐々に広がっているようだ。
両城に内藤、和田、浅田の四千が入った。
由良式部に手の出しようがない。
もたもたしていれば、城からの攻撃で壊滅する恐れがある。
由良は陣を払い、金山城に撤退を開始した。
そこに、迂回した原隼人隊二千が突っ込んだのである。
戦が終ったとの油断があるのだろう。退却する兵士は弱い。
由良軍は原らに散々に追い立てられ五百の兵を失うことになった。
原は勢いのまま金山城を囲んで山県の援軍を待ったが、金山城はあっさりと降伏した。
討ち取られた武将の中に由良式部がいたためだ。
城主が討ち死にしたのでは、出世も恩賞もないと、留守居の兵士らは命を惜しんだのだ。
原隊は山県隊を迎え入れ、忍城の北条氏邦の攻撃に備えた。
忍城に一万二千、深谷城にも二千がいる。金山城から忍城まで七里(28キロ)程度だ。動き出せば一日で来襲する。
僕は厩橋城に三枝昌貞、沼田城に真田信綱を配し、秋山、馬場ら三千を率いて今村城に押し出した。
内藤らと合わせて七千。原、山県の金山城勢が七千。
氏邦を迎え撃つのには、十分すぎる兵数だった。
ところが。── 北条氏邦は居城の鉢形城に、引き上げてしまったのだ。
肩透かしである。当たりどころのない秋山、馬場、内藤らは、腹いせとばかりに深谷城や忍城を攻め、氏邦を引き戻そうとしたが、鉢形城からの動きはなかった。
当初よりこの行動は武蔵北部を侵食する戦ではない。北条氏邦との決着は望んではいない。
僕は金山城に原、今村城に内藤、赤堀城に和田を配し厩橋に兵を引いた。
今村、赤堀の両城は、平城のため早急な手直しが必要だが、東を固める北条方の深谷、忍城から仕掛けてくることは無いように感じていた。
忍城、深谷城とも氏邦の野心のせいで、とばっちりを受けたのだ。
忍城の成田氏は鎌倉来の名門で、前当主、長泰までは山内上杉の被官であった。
北条に寝返ったのは、謙信の関東管領就任式で下馬しなかったことを咎められたためらしい。
成田家は源八幡太郎義家にも下馬無用を認められた家柄で、それを知らなかった越後守護代長尾の出自の謙信に愛想をつかしたためだという。
おそらく後世の作り話だろうが、それほど家柄を誇っていたということだろう。
氏邦の野心に、現当主氏長は腸が煮えくり返る思いかもしれない。
甲斐守護、甲斐源氏宗家の武田になら鞍替えする可能性は充分にあるはずだ。
調略で済めば、それに越したことはない