13 上野侵攻
翌日、真田隊三千、山県隊五千が渋川に侵攻を開始した。
津久田城の須田伊賀は証人を差し出していて、白井城、渋川城を攻め落とせば、謙信の関東の軍事拠点である厩橋城と沼田城を分断することになる。
渋川を制圧次第、山県が沼田に侵攻、本隊一万二千の軍勢が厩橋に攻撃を仕掛ける手筈である。
こうも速く出撃ができたのは、あらかじめ武藤に命じ兵糧や武器弾薬を岩櫃城に運ばせていたためだ。
そもそも戦での兵糧、武器弾薬は家臣の自己負担である。
兵士一人に対し一日米五合に、味噌、塩、干魚、菜っ葉類。馬一頭に米二俵やほかの物を積んで兵士一人の百六十日分である。つまり百六十人が荷馬一頭分の食料を消費するのだ。
千六百人で馬十頭。十日で百頭分が必要なのだ。
それに運ばなくてはならないのは兵糧だけではない。武器弾薬や蓑などの生活用品もある。
重臣らは荷駄奉行を設け、兵糧、武器弾薬の運搬に滞りがないよう、荷馬隊に護衛の兵士をつけて、戦場と領地を行き来させているのだが、最短距離に拠点になる城があるなら、労力を減らせるだろうとすすめていたのだ。
兵糧、武器弾薬は、僕が用意したものだから、家臣らの負担もない。
これだけで、僕がこの一戦にかける思いが伝われば安いものだ。
それともうひとつ、内藤昌豊に西上野の和田業繁、浅田昌胤を合流させ、北条が動いたら即座に攻める役割を与えている。
箕輪城代であった内藤なら、土豪や地侍を寝返らせ上手くできるだろう。
毒蛇は上杉だけを狙うのではない。北条にも穢れた牙を突き込んでやるつもりだ。
「熾火をいま少し持ってこらせましょうか」
小原忠広が大火鉢の前で言った。
渋川城の居室である。それほど寒いとは思わないが、しきりに火箸を使い炭を弄っていた。
謙信の関東の軍事拠点である厩橋城と沼田城を囲んでひと月が過ぎた。
厩橋城、沼田城の支城は全て落城、自落して、両城とも裸城同然である。
籠城している城代らは謙信の救援を待っているのだろうが、雪解けする春まで越後の山を越えられるはずがないのだ。兵士らは良く分かっていて、わざと開けてある所からかなりの数が逃げ出していた。
力攻めを敢行すれば直ぐにでも落ちるだろうが、敢えて僕は城を囲んだままにしている。もうひとつの標的、小田原北条の動きがないからだ。
「揺さぶるか・・・」
「え⁉ はい」
僕の独り言に小原は目を輝かせて振り向いた。仕事が欲しい。顔にはそう書いてある。
暇を持て余しているのは僕も同じだった。
野戦とは違い攻城戦は総大将はやることがない。数日に一度戦況を確認するため出向くだけだ。
総大将の巡回は武将らの士気を高めるため重要なものだが、頻繁に行うとその気になり遮二無二突っ込んでしまうので、三、四日に一度に留めておくしかないのだ。
天下に名を轟かせる武将ほど、筆まめだったと本で読んだ覚えがある。
他国の有力武将に己の優勢な戦況を報せ、味方に引き込む戦略だと思っていたが、やることがないから暇つぶしに手紙を書いていたのではないかと思えてしまうほど暇なのだ。
小原相手に東上野の状況を聞いてみるかと思った矢先、小姓が襖越しに声をかけてきた。
「申し上げます。武藤様がお見えになりました。いかが取り計らいましょう」
「これへ」
武藤喜兵衛には、上野国人衆の調略をやらせていた。
謙信の救援がない今、半領地安堵でも次々に武田に降っている。
ただ、降伏など一時凌ぎと思っている輩ばかりで、謙信が動き出せば直ぐに手のひらを反すはずだ。
「厩橋城城代、喜多条丹後守降伏の意志あり。城を明け渡すゆえ、佐野への退去を認めて欲しいとのことです。いかが致しましょうか」
「ほう。意外に早かったな。持ち出しは脇差のみで受けるか」
喜多条も春を待つのだろう。
謙信が来れば失った城も奪回できると、生き残る道を選んだのだ。
「お、お待ち下され。喜多条は一筋縄ではいきませぬぞ。北条に攻められれば臣下して、謙信が越山すれば傘下に戻る。舌先三寸で切り抜ける輩ですぞ。信用置けませぬ」
武藤がにじり寄って唾を飛ばした。
上杉、北条、徳川を舌先三寸で手玉に取り、表裏比興と呼ばれるはずの武藤の言葉に吹き出しそうになった。
喜多条のことは知っていた。本来は北条と書いてきたじょうである。
北条に臣下したとき、紛らわしいと喜多条に替えられたのだ。
史実通りなら喜多条高広は、謙信の死後、武田勝頼に臣下する。
もう少しのことだ。恩情をかけておくのも悪くはない。
「反復離反は国境の武将の常だ。かまわぬ。受けよ」
「しかし……」
武藤が渋った。史実とは違い清廉を好むのだ。
もしかすると、二人の兄を失い真田家を背負ったため、表裏比興と呼ばれるほど、汚い策を用いなければ生き残れなかったのかもしれない。
僕も似たようなものだから理解はできる。
「喜兵衛。この際だからわたしの真の狙いを」
武藤に話し始めた時、小姓と野太い男の声が入交り騒がしくなった。
「何事だ! 御屋形様の陣所であるぞ」
小原が太刀を掴み部屋を出て行ったが、すぐに男を連れ戻ってきた。男は甲冑姿である。
「ご無礼ほどご容赦ください。内藤修理亮が家臣服部源八郎、お詫びいたします」
僕は身を乗り出した。待ちに待った箕輪城の内藤からの伝令である。
「戦場だ。詫びなど要らぬ。申せ」
「金山の由良式部が今村城に侵攻を開始しました。本隊は忍城に入った北条氏邦率いる一万二、三千ほど。深谷城にも二千ほどの兵が入りました」
北条がやっと動いた。氏邦なら武田が上野に侵攻すれば必ず兵を動かすと思っていた。
氏邦は北条氏康の庶子で四男と言われているが、四男と認められるのは、勝頼が、つまり僕が死んだ頃かららしいのだ。
北条家中の順列は年下の氏規どころか、養子の氏忠より下に見られているが、果敢に戦を仕掛け領土を広げ、家中に認めさせ四男なったのだ。
北条氏邦は去年から安房守を僭称している。代々上野国主を務める山内上杉の名乗りだ。
山内上杉の養子となり家督を相続したのは謙信である。
氏邦の名乗りは上野の国主は自分だという、謙信への挑発だろう。
「修理亮は?」
「今村城の西に二里の鳥名に陣を敷きました。利根川の西岸です」
内藤、浅田、和田らの兵は三千ほどである。寝返った土豪、地侍を加えても四千弱、由良には対抗できるだろうが、一万二千の北条氏邦には敵わない。
「修理亮に伝えよ。こちらからは手を出すな。氏邦が出張ってから仕掛ける」
小田原北条の用兵の欠点は、素早く動かない事だろう。従来通り農民を掻き集め兵糧を準備する。大戦ほど日にちを要するのだ。
もしかすると当主氏政の性格なのかもしれない。小田原評定と揶揄されるくらい踏ん切りが悪いのだ。
「急げ」
「ははっ」
武藤、服部が同時に頭を下げ、慌てて部屋を出て行った。
「下総。大炊介に城の受け取りを命じる」
大炊介とは、領地検地をやらせていた跡部勝資のことである。
長坂長閑斎は高齢もあり側近を外したが、跡部の文官としての能力は極めて高く側近に戻している。検地で苦労をしたためか、重臣らと衝突することはなくなりうまくやっていた。
「山県を呼び戻せ。喜多条が降伏すれば沼田も続く。それも大炊介にやらせろ」
「ははっ」
小原が張りのある声で答えた。
多少きつくても動いていたほうがいい。主従の思いは一致した。