11 動かぬ謙信
瞬く間に武田軍は姫川の東岸を制圧した。
根知城さえ押さえておけば、城の無い糸魚川に武田に対抗する兵力はなかったのだ。
清崎城と呼ばれる糸魚川の城は、後に景勝が築いたもので、あるのは平地に堀を回した陣屋だけである。その陣屋も武田の侵攻に自落していた。
陣屋と近くの寺を陣所に、兵を姫川沿いに配置して、西に二里の落水城を睨んだ。
落水城は、謙信が越中、能登攻めで拠点した城である。
加賀から越中を通り越後に入る謙信は、必ず落水城に兵を揃えるはずだ。
謙信は織田軍との決戦で四万の兵を率いている。加賀平定に半分を残すとしても二万になる。糸魚川の武田の兵数は九千ほどだ。倍の上杉と戦わなければならない。
「報告致します。山県様、越後府中に侵攻しました」
陣屋の居室の襖越しに馬廻りの倉科弥次郎が声を上げた。
同時に侵攻を開始した山県から伝令である。
「伝令か。その者をこれへ」
「下賤の者ゆえ、御目通りは・・・」
百足衆など使いようがない。春日山城と糸魚川陣屋の距離は十二里(36キロ)ほど離れている。
山県は伝令とし透破を放ったのだ。
「よい。呼べ」
「しかし・・・・・・ では、庭先に。障子越しにお声をかけて下さい」
面倒だが、対面、即答は、上位の家臣に限られた特権である。素直に従うしかない。
「山県は、どこを攻めている」
「はっ。東城砦、長池山砦を攻めておられます」
驚きのあまり声も出なかった。予想を上回る速さだ。
二つの砦は、謙信の居城春日山城のわずか半里(約2キロ)に築かれた砦である。
砦と呼ばれているが、並みの出城よりよほど堅固で、城との距離を鑑みれば総構えともとれる造りなのだ。
つまり、山県は春日山城を攻めている。ひとつの目的は達成した。
「さすがだ・・・・・・ 越後中郡、下郡の動きはどうだ」
障子があって良かった。驚いた顔を晒さずにすんだ。
「揚北衆のほとんどが加賀に参陣しているようで、城門を閉ざし動きませぬ」
北南に長い越後は、南から上、中、下に分けられる。ここ糸魚川や春日山城は上郡で、その北が中郡、下郡となる。揚北衆と呼ばれる下郡の中条、本庄、色部、安田、垂水、竹俣などは上杉家臣団の中でも武名なる者が多い。
それ故、必ず織田との決戦に城を空にしても出陣すると言い切ったのは山県であった。
怒涛の進撃も裏付けされたものなのだ。
やはり勝頼が滅んだのは、山県のような有能な家臣たちを失ったためのようだ。
陣所に入って七日が経った。深志城を発って十二日目である。
イライラは募るばかりだった。
武田を除き、ほぼ史実通りに流れていた。
織田と上杉は、二十三日手取川で激突、柴田勝家らは多数の死者を出し加賀南部まで引いた。謙信は二十六日、能登七尾城に入り兵を整える。ここまでは史実通りだ。
だが、ここに僕らが割って入った。史実にはない戦いを作り出したのだ。
当然、僕には謙信がどう動くのかはわからない。
今までの様に冷静ではいられるわけがない。居室に閉じ籠って、家臣らに落ち着きの無い姿を見せないよう努めるのが精一杯だった。
武田侵攻の知らせを聞いたのだろう、謙信は七尾城から越中の砺波城に移動した。
三万を超す大軍らしい。
忍びの報告では、手取川を渡河した柴田軍が上杉軍の奇襲を受け、退却の際、溺れ死んだ兵士が大半で衝突したとはいえない状況なのだという。
上杉軍は兵の損傷少なく、武田の三倍の兵力で向ってくる。
僕は姫川沿いに広く布陣した家臣らを一ヵ所に集め三段陣形を取らせた。
朝晩の冷え込みが厳しくなっている。交代で休ませなければ体力がもたない。
三日が過ぎた。──
謙信は砺波城から動かなかった。
僕は透破を束ねている足軽大将の出浦盛清を部屋に呼んだ。
「主水、なぜ謙信は動かぬ」
平伏していた出浦がゆっくりと頭を上げた。
「おそらく、雪を待っているのかと」
海沿いで小雪が散らつけば、山は大雪である。信濃にぬける道は通れない。
武田を越後に閉じ込め、北の留守居部隊と挟撃するつもりなのだろう。
沖を行き交う船を利用すれば、連絡に支障がない。
ここまでは僕にも読める。分からないのは柴田ら織田軍の動きだ。
「柴田らが、加賀に侵攻せぬのは何故だ。一万の押さえの兵など蹴散らかせるだろうに」
織田軍は加賀南部に引いたままで、謙信が越中に去った好機を見逃している。
「軍中に乱れが生じたようです。一軍を率いる将が柴田と揉め、引き上げたのが原因と思われます」
史実でも羽柴秀吉と柴田勝家が軍議で衝突し、秀吉が勝手に離脱している。
しかし、これは上杉との戦の前のことで、秀吉が敗戦の原因とも言われるのだ。
敗戦のあと離脱となると、若干の違いが生じている。
歴史が変わったためだろう。
「秀吉の離脱で足踏みか・・・・・・」
僕が呟くと出浦は不思議そうな目を向けた。
「信長の娘婿、蒲生忠三郎賦秀でございます。おそらく若武者の増上慢がひきお」
「秀吉ではないのか! 羽柴筑前守はどうした!」
僕の剣幕に出浦は平伏した。喋りすぎたと思ったようだ。
すぐ詫び、返答を待つ。
「羽柴は設楽原で大怪我を負い、弟に家督を渡しました。羽柴家は長浜城から伊勢の小城に配置替えになったとか。どこの城かはわかりませぬ」
出浦を下がらせたあと、僕は動く事ができなかった。
僕はこの身体を失わないため歴史を変えた。
戦死するはずだった武将を生かし、家康、秀吉を表舞台から引きずり降ろした。
だが、微妙なずれはあるが、別の人間が同じような行動を起こしている。
同じような事象が起こるのは何故だ。この先も続くのだろうか。
勝頼が自刃するまで四年と三ヵ月。
まだまだ気を抜くわけには行かないようだ。