人は伸び続ける葦である
独裁国家が駄目だというのは、日本に住んでいた俺たちにとっては当たり前の事だ。
だけれど独裁の中で、みんなが『幸せ』に生きているとしたらどうだろうか。
幸せか不幸かなんてものは、他人が決めつけて良いものではない。
それでも、そこに今を不幸と思う者がいるのなら、許される範囲内で幸せになる為の手伝いくらいはしてもいいだろう。
そしてそれが、いずれ全ての人々の幸せに繋がると思えるのなら。
『隣の芝生は青く見える』けれど、それでも自分たちの生きてきた世界を否定するのもまた難しい訳で。
だったら隣の芝生は青いのかどうか、実際に芝生の上を歩いてもらおう。
北朝鮮に向けて飛ばす、韓国のUSBメモリ風船作戦じゃないけれどさ。
幸せかどうかを決めるのは独裁者ではない。
当然俺たち他人でもない。
個人個人本人が決めるものだよね。
俺は影を移動して町へと入った。
まずは探索魔法で龍犬を探してみる。
しかし反応は無かった。
こりゃいよいよヤバいな。
おそらく殺されたと考えて間違いないだろう。
では誰が殺したか。
考えられるとしたら商人ギルド関係か、もしくは領主。
町に入れなかった以上、領主かそれに近い権力者が関わっているのは間違いない。
俺は地図で龍犬が指差した店舗予定地を巡ってみた。
買い付けは上手く行っていたようで、二ヶ所には既に『萬屋所有地』の看板が立っていた。
昨日パンを食べた場所、死んだ女性宅へも行ってみた。
特に荒らされた形跡もなく、襲われたのだとしたら別の場所のようだった。
続いて龍犬が言い争っていた商人ギルドへも行ってみたけれど、特に変わった様子はない。
後は領主の城か、或いは女性を殺した犯人が何処かに潜伏しているか。
そう言えば俺が昨日渡した金を追う事はできないだろうか。
探索魔法は基本的には生きたものを追いかける為のものだけれど、おそらく物でも行けるはずだ。
俺は妖凛ストレージや姫ちゃんCPUも利用して、魔法の解析を行った。
『妖凛何か分かったか?ふむふむなるほど。術式のこの部分が対象物を表すか』
『そうすると、昨日のお金袋の術式はこうなるんじゃないかしら?』
『おっ!流石姫ちゃん、ナイスだ!』
『エッヘン!』
『策也たまが頭の中で独り言を喋っているのです』
『なんだか面白そうで羨ましいのね』
実際自分ではない自分自身と頭の中で喋るってのは、よく分からない感覚だな。
面白いといえば面白いかもしれないけれど、妄想との違いがよく分からないから俺は普通に別人と喋る方が良いかもしれない。
『お前らも普通に俺の頭の中を見ているじゃないか?』
そもそも今は少女隊と話してなかったんだけどさ。
『覗くのも罪悪感があるのです』
『そうなのね。気分がスッキリしないのね』
その割に毎回覗いている気がするんだけれど‥‥。
『分かったよ。覗いていいから罪悪感は覚えなくていいぞ』
『本当なのね!』
『だったら大丈夫なのです!』
何が大丈夫なんだか。
まあでも少女隊が元気ならその方が良いさ。
『今嬉しい事を思ってくれたのです』
『そうなのね。嫁を喜ばせる事も必要なのね』
はいはい。
さてとにかく、俺が渡した金を追跡だ。
かなり反応が弱いな。
これはおそらく物に残った魔力を追うからだろう。
一日誰の手にも触れなければ、もう追う事はできなくなるかもしれない。
よしっ!完全に引っかかったぞ。
ふむ‥‥、金はやっぱり領主の城にあるのか。
俺は影を移動して城へと入っていった。
金の袋は直ぐに見つかった。
ただ中身が少し減っているような気がする。
袋が小さくなっているからね。
これはおそらく土地を買ったからだろう。
既にあの土地は萬屋のものだからな。
とりあえず金は返してもらう。
俺は袋の中の影にお金だけを落とした。
袋だけは奪った証拠に残しておいてやる。
さて領主は何処にいるかな。
俺は城の中を探した。
こちらも直ぐにそれらしい人物が見つかった。
「萬屋が戻ってきているだと?殺るしかないのか?」
「殺れと言うなら考えるが、あの連中は流石に強い。完璧な準備が必要になってくる」
「女の死体回収はできなかったんだろ?それがなければ坂本が金を持ち逃げしたって事で終わらせる事ができたんだ」
「殺るのを焦り過ぎたんだよ」
「民に新しい店の話が広がる前に止める必要があったんだ」
「とにかく殺しに領主が関わっている事を悟られてはいけないんじゃないのか?町に入るのを止めたのは失敗だったな」
その通りだな。
しかしもう遅いよ。
こちらの男は龍犬の友人女性を殺した奴だな。
もしかしたら暗殺者組織ワクチンと関係があるかもしれない。
「確かに。勘違いだったとして今から一応町に入るのを許可しておくか」
「その方がマシかもな。どちらにしても、何か納得のいく説明を考えておく必要があるだろう」
「とりあえず土地二ヶ所分の金を用意して、全額返して納得してもらうしかない。坂本たちの処刑がバレているようなら、この町のルールに背いた罰だという事にする。それで文句も言えんだろ」
やはり龍犬は殺されたか。
ヒデェ領主だな。
「一体どういうルールで処刑した事にするんだ?特に何かに違反していた形跡はないが?」
「ルール本には、緊急時と判断した場合領主の命令は絶対となるよう書かれてある。この町の暗黙の了解を破るのは緊急時だったとすればいい」
「住民が納得するのか?」
「もちろんだ。この町の住人は、今の状態が最高だと思っているからな」
この町の住人だと、確かにそういう価値観が植え付けられていそうだよなぁ。
ラーメン屋の近所にラーメン屋を出してはいけないって考えが当たり前だった頃の日本人なら、ラーメン屋を作ったから罰したと言えば納得するかもしれない。
それが死刑に値するかはともかくとして、正義の為だとするならその度合はいくらでも想像で良いように解釈してしまうだろう。
きっとラーメン屋を作っただけじゃなく、裏で凄く悪い事をしていたんだってね。
「それで上手く行かなかったらどうするんだ?」
「その時はお前に殺ってもらうしかない」
「正直気が進まないな。姜好も萬屋には手を出さない方がいいと言っている」
姜好だと?
一体どういう関係なのだろうか。
「あのアドバイザーの事か。萬屋の寿命がどうとか言っている奴だな」
「一応うちの顧問コンサルタントだ。萬屋狛里の寿命は長くてあと十年。早ければ明日にも死ぬ可能性があるとか。だから今はなるべく関わらない方がいい」
やはり狛里の寿命はそのくらいか。
しかし姜好がコンサルタントとするならば、わざと狛里の寿命を短くした訳じゃない?
いや、例えばこの男が暗殺者組織ワクチンの者だとして、その実績を上げる為にコンサルティングするなら、協力できる所を協力していてもおかしくはない。
その方が結果が出て信頼を得られるだろう。
「でもわしの命がヤバい時は、殺ってもらうぞ」
「萬屋狛里は人は殺さないと聞いている」
「でも東海地区にあるお前の所のは皆殺されたんだろ?」
「処刑したのは法螺貝だ。あんたは一応ルール内で行動している。堂々としていれば殺される事はあるまい」
その通りなんだよなぁ。
町のルールに違反している訳じゃない。
しかしこれでハッキリとしたな。
この男は暗殺者組織ワクチンの者だ。
「とにかくわしがお前を雇っているのは、わしの命を守る為でもあるんだ。その事を忘れんでくれ」
「分かっている」
とにかく状況は分かった。
一度みんなの所に戻ろう。
俺は影を移動して町の外へと出た。
移動用の家に戻ると、俺は早速皆に状況を説明した。
「という訳だ。天冉、どうする?」
「そうねぇ~。とりあえずお金は返して貰えるのよねぇ~」
「だが一応仲間となった者が殺されたんだ。相応の罰は与えるべきだろう」
「うん‥‥ぶん殴って‥‥説教‥‥する‥‥」
「僕は、あんなに美味しいパンを作れる人が殺されたのはショックです。プチ殺してやりたいです」
ミケコの言う通り、想香というか兎白は本当に『プチ殺す』とか言うんだな。
ちなみにミケコと言うのは、アルカディアでの俺の妹分ね。
「それに暗殺者組織ワクチンなんだお?雪月花たちを狙ってくるかもしれないんだお」
猫蓮の不安も分かるけれど、その可能性は低そうなんだよな。
東海地区のワクチンとは切り離して考えている節があった。
それに今はなるべく狛里を敵にしたくない様子だったし。
「とりあえず町に戻らないと駄目よねぇ~。まずは金を返せって言いに行きましょう~。それに土地もあるのよねぇ~」
「その通りだ。まずは町に行こう」
天冉や陽蝕の言う通り町に戻ったとして、そこから先は何ができるのだろうか。
こんなやり方で龍犬たちを殺した領主と殺し屋。
とはいえそんな領主たちを民が支持したら、俺たちは何もできないのか。
せめて民がこんな領主を批判してくれれば、俺たちにも何かができるはずなのだ。
とにかく俺たちは再び防壁門のところへと赴いた。
「先ほどは勘違いだったようです。どうぞ入ってください」
既に門番には連絡が行っているのか。
早いな。
この世界、割とテレパシーを使える奴が多そうだよ。
「それじゃあ~、土地所有の権利確認に商人ギルド、預けたお金を返して貰うために領主の城、坂本さんたちに何処で何があったのかを調べる人に別れましょうかぁ~」
暗殺者の男の強さは分からない。
領主の所にはできるだけ強い者を向かわせたいな。
「では我と天冉が当然領主の城という事になるか」
当然だけれど、二人だけでは少し不安だ。
「あの暗殺者の力量は未知数だ。狛里と想香も連れて行ってくれ」
「そうねぇ~。そうしましょう~」
「俺と尾花で商人ギルドを当たってみる。登記簿をごまかされないようするには俺が最適だろう」
「という事は、オデたちが坂本殿に何があったのか捜索だお」
『妖凛。俺と分裂して猫蓮たちに付いて行ってやってくれ』
『コクコク』
妖凛がいれば小さな事でも気がつくだろう。
現場検証なら力になれるはずだ。
妖凛は俺から分離して久しぶりに姿を現した。
だけれど体の大きさはとても小さかった。
「えっ?どうしたんだ妖凛?小さくね?何々?一寸の神なのに最近全然小さくなってないから、空気を読んでそうした、と」
なるほど、確かにそうだな。
「妖凛には苦労かけるな‥‥」
「うおぉ!凄く可愛いんだお。久しぶりの妖凛ちゃんなんだお!オデの肩に乗ってほしいんだお!」
猫蓮は急にテンションを上げて大喜びしていた。
でも当然妖凛は猫蓮の肩になぞ乗る訳もなく。
愛雪の肩に飛び乗った。
「あら可愛いですねぇ」
妖凛は愛雪の肩で丸まった猫のようになっていた。
「残念なんだお。でも可愛いは正義だからこれでいいんだお」
よく分からないけれど、猫蓮は納得してそれなりに嬉しそうだった。
そんな訳で俺たちはそこで別れた。
俺は真っ直ぐに商人ギルドへと向かった。
特に誰かの視線を感じる事もなく、建物へ入る時も問題はなかった。
俺ってやっぱ萬屋ぼったくりの中ではモブ扱いなのね。
そうなるようにしてきた訳だけれど、此処まで放置プレイされると少しショックも感じるな。
「商人ギルドにようこそ。ご要件はなんでしょうか?」
「俺は萬屋ぼったくりの者だ。土地二ヶ所の所有権が俺たちになっているはずなんだけれど、その確認に来た」
「あっ‥‥、萬屋の方でしたか。一応商人ギルドカード、或いは冒険者ギルドカードを確認させてもらいます」
俺は冒険者カードを渡した。
カードチェックを行っている間に、少女隊には建物内を探らせていた。
『問題なく登記簿には書かれているのです』
『何かしようとしていたのか、テーブルに出されたままなのね』
『分かった。そのまま影から見張っておいてくれ』
登記簿を書き換えようとしていたのだろうな。
でも下手にそんな事をすれば萬屋を敵に回すかもしれない。
そんな風に考えて思いとどまったのだろう。
或いは何か別に問題が起こったか。
金を奪っておいて正解だったか?
「確認できました。それでは少々お待ち下さい」
「分かった」
その後職員は登記簿を持ってきて見せてくれた。
間違いなく所有権が俺たちにある事が確認できた。
俺は少しの金を払って一応控えを書いてもらった。
龍犬も持っているだろうけれど、殺されているのだからきっと見つけられない。
『想香、そっちはどんな感じだ?』
『お金が城に持ち込まれたのを確認しているって言ったらゲロりました。坂本さんはやはり処刑されています。それでお金を返せと言ったら、直ぐには無理だと言って困っている様子でした』
そりゃ金は俺が奪っておいたからな。
『土地も買い取るとか言ってきたので、天冉さんが倍の価格でしか売らないと吹っ掛けました。しばらくこの町にいる事になるのではないでしょうか』
流石天冉だ。
とは言えあまり長居もしたくないんだよな。
このまま金を返してもらっておしまいにはできないけどさ。
龍犬の仇討ちは、どんな形であってもやっておかないと、みんな納得しないだろう。
妖凛の方は以心伝心全て俺に伝わってきている。
俺本人でもある訳で、視界共有も自然にされているんだよなぁ。
龍犬はどうやら自宅にいる時に襲われたようだな。
他の仲間も一緒にいたみたいで、逃げてきた女性以外は全員殺された様子だ。
血の跡も残っていて、かなり無惨にやられたのだろうと分かる。
これは許しがたい。
仲間というほどの仲では無かったけれど、この町でなんとか一矢報いる事はできないだろうか。
金だけじゃ龍犬に悪いよ。
ならばやるしかないな。
俺は一つ決意するのだった。
皆は店舗を出す予定だった土地の前に集まっていた。
「土地は当面売らない方向よぉ~。倍のお金が集まればその時考えると言っておいたわぁ~」
「坂本が持っていたお金に関しては紛失したらしいが、ちゃんと返すと言っている。それも含めて後日となる」
俺が残りに関しては既に回収しているんだけれどね。
コレくらいの仕返しは人の命と比べれば軽いものだろう。
「それでしばらくどうするんだお?この町に留まるのかお?」
「それなんだけれど、俺に一つ提案があるんだ」
俺は考えていた事をみんなに話した。
簡単に言えば、龍犬のやりたかった事を俺たちでやるって話だ。
本気になればこの程度の事はすぐにできる。
それにもしかしたら、領主は今日にもルール本に変更を加えてくるかもしれない。
やるなら今しかなく、それも早いうちが良かった。
「それじゃ必要な物を集めて早速始めましょう~」
「でも‥‥その前に‥‥何か美味しいものを‥‥」
「僕もお腹がすいたのです」
「少しだけ我慢してくれ。店を一気に完成させてパンも大量に作る!美味しいパンの食べ放題だ!」
「分かった‥‥美味しいの‥‥お願い‥‥」
「僕は三十個は食べるのです!」
「おう!食え食え!」
こうして俺たちは、亡き龍犬がやろうとしていた事の半分をやる事にした。
俺は少女隊プラスが建築や料理魔法を使えるようにしてから、総出で店舗を完成させパンを焼きまくる。
もちろんこの世界にはないパンばかりだ。
そのパンを二つの店舗にて激安価格で町の人達に販売する。
昼食の時間にはギリギリ間に合わなかったけれど、俺たちは販売を開始した。
両店舗の客席では、狛里と想香をサクラ代わりにしてパンを食わせておいた。
「美味しい‥‥こんなに美味しいパンは‥‥初めて‥‥」
「凄く美味しいのです!これならいくらでも食べられます」
外から見える席で食べさせておけば、当然通行人は気になる訳で。
いきなり店ができている驚きもあって、食事時を過ぎているにも関わらずお客さんはドンドンとやってきた。
「美味い!なんだこのパンは?」
「別の国ではこのようなパンが売られているのか」
「この町にもパン屋はあったけれど、全くの別物ね」
「店に席があって食べられるのも良い!」
「冒険者ギルドの食事処は、冒険者しか入れない空気があるけれど、ここなら利用できそうだ」
なんだかんだ言ってやはり好評なようだな。
いくら田舎のような良さに包まれた町であっても、良い物はやはり良いと感じてしまう。
新しい物には興味も湧く。
そして一度知ってしまったら、その気持が抑えられない人もいるだろう。
人は上を見続けてしまうものだ。
言うなれば『人は伸び続ける葦である』って所かな。
新しい店を出してしまえば、後で失くす事なんてできやしない。
この町は日本のようでもある。
ならば俺たちが外資系企業のように入り込んで行けばいい。
入ってきたものを追い出すのは難しいのだ。
それにコレはアレだ。
『俺の歌を聞け!』みたいな思惑もある。
俺は接客に可愛いうちのメンバーを出しておいた。
少女隊なんかでも、十分おっさん連中のハートには刺さるだろう。
「いらっしゃいなのね!」
「今日は大特価だから十個くらいは食べていくのです!」
「おっ、おう!じゃあ適当に十個握ってくれ!」
「寿司屋じゃないのね」
「ハンバーガーショップなのです」
いやハンバーガー専門店でもなんだけどさ。
まあこんな風にメイド喫茶的要素も組み込んだ。
メイド服の従業員が適当な接客をしているだけなんだけれどね。
こうして新しい文化をぶち込む事で、敵を虜にして攻略する。
さて客を沢山捌いた所でソロソロ仕上げと行くか。
「お客様!新しいパンはどうでしょうか?実はこの店、レシピ本も含めて誰かにタダで譲ろうと考えております!」
「えっ?本当なのか?」
「いや流石にそれはないだろ?」
「こんな店ならみんな欲しいと思うぞ」
やはり本音では、こういう店をやってみたい人は結構いそうだ。
「しかしこの店を出そうと考えていた人たちは、今朝早くに領主の手の者によって処刑されてしまいました!こういう店ができたら困るというのです!」
「なんだと?」
「こんな店があった方が良いに決まっているじゃないか!」
「何を考えているんだ領主は」
「皆を満足させる仕事なら、天竺教の教えにも逆らっていない」
「だからその辺り覚悟を持って店をやってくれる人を探しています。命がけでもやってやるという人は名乗り出てください」
どうだ?
これでもやろうとする者はいるだろうか。
一応この建物の中なら守ってやる事もできるだろうけれど、それ以上の責任は持てない。
「俺がやってやる!」
「いや俺だ!」
「私にもやらせてほしいわ!」
「領主には町のみんなで言えば納得してもらえるはずだ」
「こんな店は潰させやしない」
「みんなで領主の所に頼みにいくぞ!拒否しようもんなら俺はこんな町出て行ってやる!」
「私もよ!」
「前々から退屈していたんだ。今日このパンを食べて俺は目が冷めたぜ!」
いくら素晴らしく幸せに暮らせる町だったとしても、それに満足できない人は必ずいる。
つまり常に皆が最高の幸せを感じられる場所などはない。
この町は良い町だ。
それは間違いなくて、皆が心豊かに生きている。
でも別の豊かさという意味ではまだまだ足りない。
いずれそれに気がついて変わらざるを得ないなら、自らの意思で変わって行く方が楽しいだろう。
この店とレシピを貰った所で、実際に店として経営できるまでには結構な時間がかかるはずだ。
ほとんど文字が読めない人ばかりのこの世界で、レシピ本を貰った所で直ぐにはパンを作れない。
作れるようになっても、美味しく同じ物を早く作るには訓練も必要だ。
俺たちはこの町の人に、変わるきっかけを与えるに過ぎない。
龍犬の思いを、この町の人たちに伝える事はできたかな。
こうしてこの町は、町の人達の手によって大きく動き始めるのだった。
次の日、俺たちに返すお金の準備はできたようだった。
土地は領主の買い取りを拒否して民に譲渡しちゃったしね。
返すお金も少し減っていた訳でさ。
早朝からそれを領主宅へと取りに行き、俺たちは再び旅へと出発する。
「店はとりあえず潰されずに済みそうねぇ~」
「みんなが‥‥領主を‥‥ボコった‥‥」
ボコったと言っても、別に暴力を振るった訳じゃない。
一部の者が大きな声を上げただけだ。
しかしこの町の領主は日本と似ていて、大きな声には弱かった。
直ぐにそれに従い、ルール本に無いものに関してはお咎め無しとなったようだ。
今後ルールが追加されるかどうかは民の行動次第だろう。
でももう町は変わり始めている。
ルールが変わるとしたら、これからは違う方向に変わってゆくのだろうな。
「でも坂本さんたちの仇が取れなかったのは残念かもしれません」
とは言え領主を殺せば良いというのも何かが違う。
だからこういう解決の仕方を選んだのだ。
「町が坂本殿の意思を継いで豊かになる事を祈るお」
「そうだな。だが我はやはりぶち殺すべきだったと思えてならない」
「止めはしないわよぉ~」
「いや我は天冉の出した答えに逆らうつもりはないぞ」
「そう~?」
陽蝕は確実に尻に敷かれるな。
いや陽蝕じゃなくても、天冉相手ならみんなそうなるか。
何にしても俺たちは、一応心に決着をつけて次に進むのだった。




