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異国のメリークリスマス

おばあちゃんが言った。「オーストラリアに行かない?」それは唐突で、だけど何か素晴らしいものを予感させた。

 

 電車を待つ時間の、吐き出す息が白くなった季節に、ふとひとつの後悔を思い出す。あの時に、あの紙のことを忘れていなければ、何か、未来は変わっていたのだろうか。


 職場のラジオで、クリスマスの名前を冠するピアノのバラードが流れるようになって久しい。この北半球では、クリスマスの時期は寒いものだった。教育熱心な親がすこしばかり貯えをはたいて、暑いクリスマスの南半球に私を送り込んだのは、私が中学二年生の時だった。

「オーストラリア!?」

「そう! 行きたくない? 英語は、覚えられればめっけもん、くらいでさ! 十二日間のホームステイ! 大人になってから行こうと思っても中々行けないに!」

 育ての祖母が、行きの飛行機で片道十四時間かかるだの、費用は気にしなくていいから良い体験にしてくれればいいだのと、自分のほうが楽しそうにしていることに気づいていない。私が心配するのはかかるお金のほうだ。両親は居ない。祖母の貯金と、年金と、祖母の工業用ミシンでの内職で、私は養われていた。幸い大元の製品の売れ行きがよく、品質も良いということで荒稼ぎしているらしい。


 早く、自立しなくては。ずしりと重い責任感が、その頃の私をがんじがらめにしていたように思う。そのストレスが、身を滅ぼすとも知らずに。


 祖母の話を聞いているうちに、海外に出たことのない十四歳の私はワクワクしていた。異なる言語、異なる文化、異なる景色・植生・生態系……。抗えない知的好奇心が、そこにはあった。同級生が、勉強は嫌だ、とこぼす横で、普段から私は学ぶのが楽しくて仕方なかった。

「私、オーストラリア行きたい!」

 その鶴の一声で、祖母は準備を手伝ってくれた。パスポートの申請、オージードル換金。おおよそ今後使う予定もないような大きなキャリーバッグを買い、元々多くなかった服も増やした。そうして準備した旅行に、私は単身飛び立っていった。


 心は単身とはいえ、ひとりでは無かった。引率の先生ニ人ほどと、同じくホームステイする子どもたち十名ほどだろうか。静岡、愛知、三重の子どもたちだった。中学生から小学生まで、兄弟姉妹での参加もあった。最初人見知りしていた子どもたちも、初めての飛行機、乱気流、乱気流で揺れに揺れまくって飛行機酔いした人多数の飛行機内……。そして、オーストラリア大陸の、眼下に広がる日本とは違う地形、そして降り立ってからの最初の昼ご飯のツナサンドの不味さ……。時間を経るごとに、仲良くなっていった。季節は真夏のクリスマス。もう少し経つとハエがたくさん発生するのだという。日本のハエよりずんぐり太った一匹のハエを叩き潰そうと、ガイドブックを構えて振り払うと、私をあざ笑うかのように、ひらりと避けたオーストラリア産ずんぐりバエがさっき居た場所にまたとまる。

「えっ! ってことは一目惚れってことなん!?」

「ばっ! おま、声がでかいねん!」

 少し離れた場所に座っていた三重県産の男子三人が、何やらこそこそと話していた。

「気付かれるやろ! 男の約束や無かったんか!」

「男の約束やーぶるー♪」

 大人の階段を登りそうな音程で立ち上がった、三人の中では一番目がクリっとしたリーダー格の男子が、あと二人の男子に押さえつけられて座らされていた。こちらでは、私より年下の姉弟と、細身の同級生くらいの女の子が、その様子をチラチラ見てみんなして笑っていた。

「元気だねー。」

「ああいう男子のノリって面白いよね。私つい聞き耳立てちゃうの。ふふ。」

 そのあと、色んな場所に観光に行く間、私はつい、聞き耳を立てるようになってしまった。件の三人組とも打ち解けてきて、目のくりっとした男の子と、ボウズ頭で背のすらっと高い男の子と、身長は低いけれど賢そうな男の子と、普通にもちょくちょく話をしていた。周りには他の子どもたちも居たから、特別三人組とだけ喋っていたわけではないが。

「問題はあれやな、今回はいいとして、今後どうするかや。あの子、ガラケー持ってるんかな?」

「もー! ええて! 俺そんな、いいよ。見てるだけで充分や。」

「ばか! お前、そんな弱腰でどないするん! 男なら当たって砕けろや!」

「砕けるも何も俺一目惚れ初めてやもん。向こうのこと何も知らんねんで。」

「これから知っていくに決まっとるやろ。アホかいな。」

 話から察するに、ボウズ頭の男の子が、今回のホームステイ仲間の子どもたちの、誰かに一目惚れしたらしい。逃げ腰のボウズ頭の男の子と元々知り合いなのか、あとの二人が焚きつけようとしている様だった。


「わぁー! 中から見ても広いじゃーん!」

 小学校低学年くらいの男の子が、ミッション「英語を使ってお買い物してみよう!」のために立ち寄ったショッピングモールで、はしゃいでいる。大きく吹き抜けになっていて、真ん中には大きなクリスマスツリーが飾られていた。さっきまで外の暑い日差しに焼かれていたので、なんだか変な感じだ。でも、日本とは違い湿度が低いので、日陰や建物に入ってしまえば暑くは無かった。むしろ冷房がよく効いていて、肌寒いほどだった。

 けれど楽しい場所のはずなのに私は車酔いしてしまって、頭痛もしていて、フラフラしていた。無駄に広い国土のためか、移動に時間がかかったのだ。見渡す限り草原の、とても広い道の所もあった。日本ではできない「土地の無駄遣い」ってやつだ。引率の職員さんが、私のことを心配してくれる。

「大丈夫? あ、向こうにベンチがあるよ。座って休もうか。みんなもちょっと休憩しよう。」

 土地は余っているものだから大きな建物を建てたはいいが、テナントが足りず証明も落ちている所も多かった。日本と比べて静かな空間であるそこに、ベンチはあった。私が促されて座ると、ボウズ頭の男の子が隣に座ってきた。

「あーぁ。疲れた。」

 他の子達は座ってこない。

「さて、疲れた人はここら辺で休憩してていいからね。元気な人は、英語で買い物をしてみようか。オススメは、日持ちもするオーストラリア名物のチョコ菓子『ティムタム』だよ。」

「色んな味があるんだよ。普通のやつも美味しいけれどね。私のオススメはホワイトティムタムかなぁ。」

 もう一人の職員さんが、耳寄りな情報を教えてくれる。

「集合はここのベンチ。✕✕時までとします。私たちもうろうろしているから、困ったら声をかけてね。じゃあ解散!」

 ボウズ頭の男の子は、そのまま座っていた。心配した私より年下のお姉ちゃんと弟の二人が、ふたりとも大丈夫?と声をかけてくれる。

「俺はええから、買い物してきなよ。こん人の面倒は俺が見とく。」

「気にしないでいいよ? 私、一人でも平気だよ?」

 私も彼には声をかけたが、彼はそこを頑として動かなかった。

「こんな静かな所で……、独りやったら寂しいやん。」

 ボウズくんは、辺にテナントのない周辺を見回して、ぽつりぽつりと話した。

「女子ひとりで置いてったら、逆に心配や。」

 直接言われたわけではないけれど。わかってしまった。この人、私のことが好きなんだ。

「体調どう? 少しはマシになってきたか?」

「そうだね、ちょっとは落ち着いた。けどまだ本調子じゃないかな。……肩借りていい?」

「……ええで。」

 目をそらして、身体をこわばらせて、彼は肩を貸してくれた。身長が高いからか、ちょっと肩の位置が高かったけれど、寄り掛かるには支障なかった。目を閉じて、肩から伝わる優しい彼の体温を感じていた。


 戻ってきた姉弟が、冷やかすようにしていたけれど、私は一度、片目を薄く開けただけでもう寝たフリをすることに決めた。

「おー! 〇〇さん、体調どう?」

「だいぶマシになりました。」

「じゃあティムタム、お土産に買いに行く?」

「……そうしましょうか。」

 後ろ髪を引かれる思いで立ち上がると、彼にお礼を言う。

「ありがとう。付き添ってくれて。」

「いいよ、いくらでも。俺、座っとっただけやけどな!」

 私がその場を離れると、三人組のあとの二人が彼を取り囲んでいた。何を話しているかまでは聞こえなかったけど、三人とも笑顔だったから気にしなくて良さそうだ。

 そこからは、私は彼を意識せざるをえなかった。とは言え、団体行動のツアー式の観光で隙間時間などほとんど無く、親交を深めるのは難しかった。これからだったのだ、私たちは。

「なぁ! 集合時間って何時やったっけ?」

 ボウズ頭とは別の、リーダー格の目のくりっとした男の子が聞いてくる。

「え? 一時だら?」

「え? もう一回言うてくれん?」

「え? だから、一時やろ?」

「ちゃうねん、何時?」

「一時だら? ……あ! もーー!」

「アハハッ!」

 三重県も関西弁を使うらしく、聞いているうちにうつった関西弁に混じって、いつもの遠州弁が混じっていたようだ。それをからかわれたわけだが、それに不快感を感じる事はなかった。横たわっているカンガルーを横に、そんなじゃれつきを、みんなでしていた。



 十日をあっという間に過ごして、私はホストファミリーの年下の女の子と熱い抱擁を交わしてお別れした。そしてこれから一緒に帰るみんなとも、一種仲間意識のようなものが生まれていた。

 ほぼ一日かかる帰路を、急かされる思いで足早に駆けていく。

「帰ったらきっと寒くてびっくりするね。」

 小学生の弟くんが話している。

「スーツケースから上着出しておきな。」

 お姉ちゃんらしき女の子がテキパキ動く。


 帰りの飛行機は、ひどく穏やかだった。行きの時のように揺れることは少なく、私達はゆるやかに地平線をなぞった。

 仮眠を取っている私を見てか、すぐ前に座っていた三人組が、私が起きているとは思っていない様子でひそひそと話していた。

「何がお前をそこまで駆り立てるんか、俺にはさっぱりわからん。一目惚れっちゅーのもそうやけど、たった十日やで。」

「俺もよくわからん。けど、あん人の顔を見てると、こう、何ていうんやろ。あぁ、がんばろうって思うんよ。ずっと見ていたいって、思うんよ。」

 これほど想われたことなどあっただろうか。中学生の私は頭をクラクラさせていた。





「ねぇ、あなたに渡してって。これ。」

 お姉ちゃんが、三重県産三人組の方から流れてきたメモを渡してくる。ふと見ると、三人組が手をひらひら降っている。そこにはこう書いてあった。

「名前なんて言うの?」

 これまた、何ともまぁわかりやすいことで。

「〇〇〇〇〇だよ。そっちの三人は?」

「✕✕✕✕と、△△△△△と、□□□□□。」

「誰が誰かわからんじゃん。似顔絵でもつけてよ。」

 他愛もないやりとりをしていたのだが、やはりお目当てがあったようだ。

「ケータイのメアド教えて。」

 今後も関わろうとしてくれているようだ。

「私、ケータイ持ってないよ。」

「じゃあ住所は?」

「いいよ、静岡県、〇〇市……。」

 これで、手紙のやり取りができる――……。


 しかしそれができないとわかったのは、帰宅して荷解きをしている時だった。そのやり取りや、私の名前、住所を書いた紙を、私は持ち帰ってしまったのだ。乱気流か何かで、シートベルトをするようにアナウンスに促された時に、うっかりノートに挟んで持ってきてしまったのだ。

 日本の空港にやっと到着して、祖母と帰ろうという時にも、私は少しパニックになっていたり、恥ずかしかったりと、ひとりひとりにサヨナラを言っても良かったのに、そそくさとその場所を離れて帰路についてしまったのだ。あの時に、声をかけていれば……。

「挨拶しなくていいの?」

 祖母は言っていた。私は余裕ぶって、

「いい。」

 と、その場を去ったのだ。ためらって身体の向きも変えたくせに、でも挨拶もせずに帰ったのだ。何年もあとに、それを悔いるなどとは思っていなかった。



 あれから何年も経ち、人並みに恋人も出来たこともあった。けれども結局、長続きしなかった。遠距離恋愛もしてみたり、マッチングアプリも試した。けれど、祖母と二人暮らしをしていた私はストレスに過敏になってしまい、16歳で精神疾患になった。そんな精神疾患で29歳の私には、もう、恋人を作る気力すら残っていなかった。高校生で発病して悪化の一途をたどる私の病状で振り回されるのは、もう私独りと、親族だけで充分だ。

 過去、私を好いてくれた恋人たちとの信頼に溢れた日々を抱えて、もうそれで充分、と考える日もある。自分の子どもを持つことに未練がないと言えば嘘になるが、まともに考えれば、今の病状で子育てなど出来るわけがないのだ。こう毎日吐いたり、頭痛になったり、治ったかと思えば原因不明の不調でフラフラになって、ある程度寝なければ治らない……。まともに働けなくて、半年ほど前に料理がぱったりと出来なくなった私が、世の男性たちにはきっとお荷物に見えるはずだ。この状態しか知らない人たちならば、きっと選ばない。苦し紛れに登録したニ、三個のマッチングアプリでも、気の合う人は見つかっても結局長続きしなかったくらいだ。プロフィールに持病は書いていたが、直接やりとりするようになってその事を確認すると、見落としていてすみません、他行きますと言われたこともあった。

 けれど、それ以前の私を見てくれて、苦労の末のこの状態だと理解してくれる人が居たのならば。中学の時からの文通相手だったならば? そうやって、存在しない期待を抱いてしまう。実名登録するSNSで一時期検索していた彼の名前が、本当にその名前だったかもわからないのに。もう彼が家庭を持っていてもおかしくない歳なのも判っているのに。彼の顔すら、もう思い出せないのに。



直線距離100キロの壁は大きくて君の顔さえ忘れてしまう。もしも君に会うことがあったのならあの時の気持ち伝えよう。もしも奇跡が起こるのならば、君に会って話したいよ。

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