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少ぉしお聞きしたいのですけど


 地上から約200メートルの高さにある一室で、私はじっと椅子に座っていた。


「ぼー……」


 何だろう、この心にぽっかりと穴が空いてしまったような気分は。


「はぁ……どうしちゃったんだろ、私」


 だが、こうなったきっかけはハッキリしている。数日前にヴェールからきたRINEメッセージである。


 私はスマホを操作し、その文章をもう一度確認した。




――サリーさん。明日から遠出するので、早速で申し訳ないんですが料理を教えていただく件はしばらくお休みさせてください。また帰ったら連絡しますね!




 それに対し私は、クマが敬礼しているスタンプを返している。


「う〜〜〜!行き先くらい聞いとけよ過去の私いいいいい!!!」


 あのときの私は何故そこで会話を切ってしまったのだろうか。


「あ……そうか。私、寂しいのか……」


 私はやっとこの気分の正体に気が付いた。


「いやいや、何考えてんの!?」


 可愛い見た目のせいで忘れがちだが、ヴェールはこの国で一番偉い人なのだ。寂しいとか、そんな個人的な感情を向けていい人物ではない。


「はぁ、ダメだな……何か気分転換でもしよう」


 こんなときはお風呂だ。お風呂しかない。


 早速お湯を張り、入ることにした。


「ん~~〜!極楽極楽……」


 体が温まり、思考がクリアになっていく。


 そして、ふと思い出した。


「あれ?そういえば、最近師匠のところ行ってないような……」


 最後に行ったのは……一ヶ月以上も前だ。


「――っ!やばっ」


 ブワッと冷や汗が吹き出る。


 せっかく温まったのに台無しだった。


 私は急いで支度し、師匠のいる店の近くに転移した。






 ☆★☆★☆






「……あれ?」


 店の前に立つと、違和感に気付く。


(何か……凄い静かだな)


 日はとっくに沈んでいる。いつものこの時間であれば繁盛していて、店内から客の話し声が聞こえてくるはずだ。


 疑問に思いつつも、中を覗いてみると――


「――何ごとっ!?」


 この惨状を一言で表すとするならば、死屍累々という言葉が適切だろう。


 客たちが全員テーブルに突っ伏し、ピクリとすら動いていなかった。


「ゲホッゲホッ……何これ空気が辛い!?」


 立ち込める匂いに、喉や鼻腔が刺激される。何なら目も開けられない程だった。


 私が悶え苦しんでいると、近くに誰かがやってきた。


 そして私の顔に何かが着けられる。


「ゲホッ、なに……ん?」


 あんなに苦しかった息が、急に楽になった。


 恐る恐る目を開けると――




「――シュコォォォ」




 目の前にガスマスクを着けた不審者がいた。


「……」


 衝撃のあまり無言になる。


 異様な静けさの中、お互いの息遣いだけが聞こえてくる。


 そして……


「……あははっ、サリーちゃんガスマスク似合うねぇ」

「へ?」


 話しかけられて、ようやく目の前にいる人物が誰なのかわかった。

 

 彼女はセツカという。不審者ではなくここの店員で、私の知り合いだ。


「いやぁ久しぶり!二ヶ月ぶりくらい?何にしても、いいところに来てくれました!」


 セツカはそう言って、私の両肩をガシッと掴んだ。


「ふっふっふ、逃さないよぉ!」

「え、なにっ!?」

「リヨちゃん今日当たり強くてさぁ。身代わりヨロ!」

「えええええ……」


(うわぁ、来るタイミング間違えた……最悪だ)


 恐れていた事態が起きてしまった。


 うんざりした顔をガスマスクで隠しつつ、私はセツカに先程から気になっていることを聞いた。


「と、ところでセツカさん……この惨状は一体?」

「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれましたサリーちゃん」


 待ってましたと言わんばかりに胸を張る。


「伝説が誕生したんだよ」

「伝説……?え、まさか――」


 この単語を聞いて、連想できるものなど一つしかない。


「――そう!なんと、“イフリート討伐者“が現れたんだよっ!」

「な、なるほど……」


 これで納得がいった。


 この者たちは皆、その討伐者とやらに触発されて迂闊にも挑んでしまったのだろう――


 ――あの人外料理に。

 

(まさかあれを食べきれる人間が存在するなんて……)


 あまりの現実味の無さに、私は戦慄した。


 一口食べたことがあるが、あれはおよそ人間が口にしていいものではない。許容していいレベルを遥かに超えているのだ。


 それを一皿丸々完食するなど……


(……ん?)


 そこで私は首を傾げた。


(あれ?なんか……既視感(デジャヴ)?)


 私は――この展開を知っていた。


 そして思い出す。




「――あ゛っ!!!」




(この前ヴェールちゃんが完食してたっ!!!)


 あまりにも簡単にペロリと食べきっていたため、印象に残らず完全に忘れていた。


(――はっ!?まさか!?)


 私はある可能性に気付き、周囲の壁を舐めるように見回した。


 そして見つけた。


 ――完食者の記念写真を。


(いた……ヴェールちゃん、こんなとこにいた)


 まさかモンステラに来てるとは……でも、これで所在はわかった。


 私の心の穴が少しだけ塞がる。


「ん、どしたのサリーちゃん?」

「――え!?えーと、あんな小さな子が本当に?って思って」

「わかる!わかるよその気持ち!凄すぎだよね!」


 咄嗟に誤魔化すと、思いの外セツカが乗ってきた。


「13歳くらいなのに、もう異名がついちゃったよ」

「……へ、異名?」

「うん!“ホワイトイフリート“だって!」

「は、はは……」


(へ、陛下に変なあだ名が付けられてるううう!?)


 ダサい。絶妙にダサい。


(嫌がってないといいんだけど……)


 そんな風に少し心配になっていると――


「――あ、師匠」


 厨房奥からひょこっと姿を現したのは、何故かニワトリの着ぐるみの上からガスマスクを着けている師匠だった。


 そして、私たちを見つけると……空気が重くなった。


(やっば、激おこじゃん……)


 顔が見えないため表情を読み取ることはできないが、この重圧が師匠の感情を示唆していた。


 セツカの両手に力が入る。


「あの……セツカさん、肩痛いんだけど」

「サリーちゃん、怒られるときは一緒だよ」

「……あ、私用事思い出した!じゃあねセツカさん!」

「ちょっ!?絶対嘘じゃん!待って、私を一人にしないで!」


 私は引き止めるセツカを無視し、容赦なく自宅に転移した。


 去り際に「この裏切り者おおおおお!」と聞こえた気がしたが、恐らく幻聴だろう。


「ふぅ、危ない危ない」


 機嫌が悪い時の師匠は本当におっかないのだ。


(うん。数日置いてから様子を見に行こう……)


 そう決めて、もう一度お風呂に入り直してから寝ることにした。






 ☆★☆★☆






 数日後……


「うーん、まさかお店が閉まってるなんて……」


 私は再びモンステラを訪れたが、店の扉に店休日のプレートが掛けられていた。


 なのですぐに自宅へと戻ってきている。


 記憶が正しければ今日は休みじゃなかったはずなのだが。


「うぷっ、やっぱこの距離の連続転移は結構きついかも」


 大量の魔力を消費してしまい、軽微な酩酊感が襲ってきた。


 今回もこの前も、一泊してから帰るつもりだったのに……うまくいかないものである。


「はぁ……ままなりませんなぁ」


 さて、どうしようか。予定が丸々空いてしまった。


「お父さんの店で仕込みの手伝いでもする?いやぁでも、この時間だとまだ起きてないよなぁ」


 思い浮かんだ内容にすぐ首を振った。


「うむむむ……」


 そしてしばらく唸りながら考えた末、丁度いい案を思いついた。

 

「……そうだ、次ヴェールちゃんに教える料理を何にするか考えておこう」 


 我ながらナイスアイデアである。


 そうと決まれば早速行動だ。


 私はエコバッグを持って出かける準備をした。どうせならスーパーで食材を見ながら考えた方が捗ると思ったからだ。


 支度を終えて靴を履き、玄関を飛び出る。


 すると――






「――うひゃあああああっ!?!?」


「ひゃあっ!?!?」






 目の前から叫び声が上がり、私は驚いた。


 そして、その声の主を見て更に驚愕する。


「――えっ!へっ!?“ミラン様“っ!?!?どうしてこちらに!?」


 何故か玄関前で立っていたミランは、私の登場に慌てふためいた。


「はわ、はわわわわ!?こ、これはですねあのそのえっと……」


 そして――


「――ふしゅぅ……」


 頭がショートしていた。


「ミラン様あああああ!?」


 顔を真っ赤に染め、石像のように固まるミラン。


 流石にこのままにしておくわけにはいかないので、一度家に上げることにした。


 リビングのテーブルに座らせ、カップにハーブティーを入れたところでミランの意識が戻ってきた。


「――ハッ!?あっ!ごめんなさい、お茶……」

「いえ……粗茶ですが、よかったら。それより何故ここに?」

「えっ!?ち、違うんです!決してインターホン押すのを躊躇って1時間くらい張り込んでいたとかそういうことはないんですっ!」

「1時間っ!?!?」

「――あっ。…………えと、5分くらいです」


 絶対嘘じゃん。


「……今の話は忘れてください」

「わ、わかりました」


 恥ずかしそうに顔を隠すミランに、そう頷く以外なかった。


「それで、私に何かご用でしょうか?」

「そうでした!サリーさん、ヴェールちゃんを見てませんか!?ここ数日家を訪ねても反応がなくて……」

「あれ、聞いてないんですか?しばらく遠出すると連絡が来てましたよ」

「……れん……らく?」

「はい。えっと……こちらです」


 私はスマホを操作し、トーク画面をミランへ見せた。


 すると――




「なっ………………」




 ――ミランは絶句した。


 口を開けて固まり、目の焦点が合っていなかった。


 ヴェールとの会話履歴を見ているわけではなく、スマホ自体を見ているようだった。


「……ミラン様?」

「…………」


 声を掛けるも反応なし、無言のままだった。


 だが、しばらくすると……




「……ふ、ふふ」




 突然笑い声を溢したかと思うと、空気が一変する。


「ふふふふふふっ」

「――ヒィッ!?……み、ミラン様!?」


 口は笑っているが、目は一切笑っていない。


 はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。


「サリーさぁん、少ぉしお聞きしたいのですけど……」

「はははははいっ!なんでしょうか!?」


 ミランの口から底冷えするような声が響く。






「――家族と連絡先交換してない人のこと、どう思いますかぁ?」


「……はい?」


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