伯爵令嬢ディアは、馬鹿だ馬鹿だと言われる辺境伯令息と婚約予定です
「お前の縁談が決まった」
執務室に呼び出された伯爵令嬢ディア・ホールスは、ついにその時が来たのだと、父の言葉に息をのんだ。
伯爵家のためになるのなら、どんな縁談だろうと受け入れる。ディアは貴族の娘として、その心構えをずっとしていた。
自分の価値を高めるために、ディアは幼いころから努力を怠らなかった。勉強、魔法、武術、礼儀作法、その他諸々、ディアに一切の抜かりはない。どこに出しても恥ずかしくない令嬢だと、ディアは自負していた。
「相手のルーヴォ・ヴァッロ辺境伯令息に関して、これだけは言える。……馬鹿だ」
父に重々しく言われ、ディアは完全に言葉を失った。
父に縁談を知らされてから、実際の顔合わせまでには猶予があった。ディアは自分なりに、ルーヴォについて調べてみることにした。婚約予定であることは伏せて、ディアはルーヴォについて様々な人に話を聞いた。
「あ~、あの馬鹿令息」
ディアが話を聞いた人のうち、九割の反応だ。残りの一割は。
「あ~、あのイケメン馬鹿」
どちらにしても、馬鹿であることに変わりはなかった。十割馬鹿だった。
これらを踏まえて、ディアは強く決意した。どんな馬鹿であろうと、自分がどうにかするしかない。ヴァッロ辺境伯家の未来は、自分の肩にかかっているのだと。
馬鹿だとしか情報を得られぬままに、ルーヴォとの顔合わせの日は間近となった。ディアとルーヴォの顔合わせは、ヴァッロ辺境伯家の屋敷で行われることになっていた。
ディア達がヴァッロ辺境伯領に向けて屋敷を出発する予定だった日、父に予期せぬ用事ができてしまい、ディアは先に一人でヴァッロ辺境伯領に向かうこととなった。父は後からディアを追って来る予定だ。
ということで、ディアは使用人達と共に何日もかけて、ヴァッロ辺境伯家の屋敷までやってきた。
ヴァッロ辺境伯家の屋敷は広大で、敷地内には広い牧草地が設けられていた。屋敷の敷地内に牧草地とは珍しい。ディアは門から玄関までの道を馬車に揺られながら、ぼんやりと馬車の外を眺めた。今日は雲一つない快晴だ。
「あれは、何?」
ディアは自分の目を疑った。青々とした牧草地の真ん中で、何かが牧草を食べている。ディアは馬車をその場に止めてもらい、何かに目を凝らした。ディアは己の見たものが信じられなさ過ぎて、馬車から降りてさらに目を凝らした。
鹿のような立派な角、馬のような長い顔、鹿のような白い斑点柄、馬のような大きな体躯、鹿のような短い尻尾、馬のような長いたてがみ。
思わずディアは叫んだ。
「馬なのか、鹿なのかはっきりしてよ!」
ディアの叫び声で、馬のような鹿のような生物はびくっとした。ぎこちなくディアの方を振り向き、謎の生物はディアに向かって急いで駆け寄ってきた。
「大変失礼いたしました。あまりの天気の良さに、つい牧草を食んでしまいました」
馬だか鹿だかよく分からない謎の生物に話しかけられ、ディアは気を失いそうになった。だが、婚約者となる予定のルーヴォにまだ会っていないのに、気を失うわけにはいかない。ディアはなんとか気合で踏みとどまった。
ディアが気合で頑張る中、謎の生物は身目麗しい青年の姿へと変化した。当然ディアは混乱した。
「僕が君の婚約者になる予定のルーヴォ・ヴァッロです。あのような姿を見せて驚かせてしまい、申し訳ありません」
ルーヴォは礼儀正しく頭を下げた。
「お顔をお上げになってください。私も失礼な物言いをしてしまい、申し訳ありませんでした。私はディア・ホールスと申します。これからよろしくお願いいたします」
ディアは混乱していても、令嬢としての条件反射でルーヴォに応対した。
「お恥ずかしながら、僕は変身魔法があまり得意ではありません。馬と鹿どっちつかずの姿にしかなれない、不出来な僕を嫌わないでいただけますか?」
ふにゃりと弱弱しく笑うルーヴォが、ディアの混乱に拍車をかけた。黙ったままではまずい。何か言わないといけない。混乱したままのディアは、思いっきり本音をぶちまけた。
「馬鹿だろうが何だろうが、イケメンなら全然オッケーです!?」
世の中そんなものである。