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メスガキのバカな大人観察日記  作者: ニドホグ
少女文学

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98/99

八百長、八百万、嘘八百

 宮下なる女が保健室を後にし、ようやく俺は詰まっていた息を吐き出す。

 それは緊張から出た溜息だった。


 あの宮下という女は、名倉さんと瓜二つだ。

 いや、両者の容姿は似ても似つかないのだが。名倉さんの方が身長は高いし、宮下という女の瞳は闇色でもない。

 しかし話し方や動作、言葉選びに至るまで……滲み出る細やかな所作が、夏休み前の名倉さんと異様な程にそっくりなのである。

 まるで、教室で友人たちと空虚な会話をしていた名倉さんが、そのまま俺に話しかけているようだ。


 もしかすると宮下……アレもまた、怪物紛いの孤独者なのだろうか?

 だがそれにしては違和感がある。

 その違和感の正体については、まだ辿り着けていないのだけれど……。


 気が付くと、俺の手は汗でびっしょりと濡れていた。

 どれだけ怯えているというのか。

 宮下に「浅野くん」と呼ばれたときには、名倉さんを思い出して教室で嘔吐までしてまった。


 情けないと自分でも思う。

 だが、どうしても受け入れ難かった。

 名倉さんは死んだのだ。

 それなのにあの宮下という女は、俺を「浅野くん」と……名倉さんと同じ呼び方で呼んだ。


 まるで悪夢が、現実になったみたいだった。


 いっそ不登校にでもなってしまおうか?

 ……なんて、笑えないな。

 今俺の家には、本物の不登校の小学生が入り浸っているのだから。


 思えば、あゆみが俺の新居に寝泊まりするようになってから、もう一週間くらい経っただろうか?

 実家にも、学校にも、もう行っていないらしい。

 あゆみに、帰るよう言った方が良いのだろう。だが、あゆみは居場所が無いと言う。


 ……このままだと、誘拐か何かの罪で俺は逮捕されるのか?

 もしそうなら、あゆみを独りにしてしまうのは心配だ。


 だけれども、今の俺は学校に行って食事をして寝るのがギリギリ限界で、未来とか犯罪とか社会について考え行動する気力は無い。

 今はただ、明日もあゆみと一緒に眠れることを願っている。


「……初めましての先輩。そろそろ私をナンパする決心はつきそうですかにゃ?」


 そんな甘ったるい声によって、俺は思考の渦から現実へと引き戻された。


 気が付くと、腰が触れ合いそうな程すぐ隣に、人を食ったような表情の女が座っている。

 その黒い水のように滑らかな髪は印象的で、俺はその女が宮下と何か会話をしていたことを思い出した。

 名前は何といったか……花と猫に関する名前だった気がするけれど、よく覚えていない。


 二人が何を話していたかは記憶に無いが、初対面から横並びに座ってくる距離感に怯え、俺は少しばかり距離を開ける。


「……ナンパはしないよ、生憎と体調が優れなくてね。先ほども転校初日だというのに、自己紹介の代わりに吐瀉物を披露したばかりなのだ。それ以来、口は災いの元という言葉を肝に銘じている。だから初めましての後輩を前に、俺はナンパではなく硬派を気取った閉口を選ばせていただこう」


「おや、口を閉ざしますか。お話しして下さらないので? 口を開けたら美味しい飴をあげますよ?」


 そう言ってどこからか、女は飴玉をコロリと取り出した。


「なんなら、鞭もあげましょうか? 飴と鞭です。それとも男子高校生には、飴とムチムチが良いですか?」


 次に女は、そっと制服のスカートをたくし上げて太腿を見せる。


「なんだそのオヤジギャグは……それでは一層閉口するばかりだよ。飴も鞭もムチムチも遠慮させてもらう。そも、俺はあまり話すことが得意ではないのだ。口を開いても君のように甘言は出てこないよ。繰り返すが、俺の口からは吐瀉と溜息しか出ないのだ」


 ……我ながらあんまりな発言だが、女は大して気にした様子もなく言葉を返してくる。


「とか言って、チラチラ太腿見てるじゃないですか? スケベですねぇ。それに閉口と仰るわりにはペラペラと口が減らないご様子ですが?」


 前者の指摘は図星だったし、後者の指摘も全くもって的を射ていた。

 確かに喋り過ぎだ。

 もしかすると俺は緊張しているのかもしれない。


 今日は転校初日であることに加え、名倉さんと似た女、更には初対面から距離感が異様に近い女と遭遇している。

 どうにも、いつもの自分というものを取り戻せない。


 俺はもう、前の学校のようなことは繰り返したくないのだけれど。

 できる限り人とは関わらず、人の内情には立ち入らず、当たり障りなく生きて行きたい。

 死んだように、生きていたいのだ……。


「……まあ、口が減らないどころか、胃の中身まで減ってしまっているからね。さて、ゲロ男はそろそろ宣言通り、口数を減らして休ませてもらうよ」


 俺はあからさまに適当な返事をして保健室のベッドに潜り込む。

 が、女の方はそれを見ても遠慮する様子が無い。

 それどころかクスクスと嗤い、俺の頭の両側に手をついて、至近距離から瞳を覗き込む始末。

 怖い、というかヤバい。ヤバい女だ。


 初対面とは思えない距離感で、じっと濡羽色の眼を俺に向けてくる。

 息が詰まった。頬を撫でる黒髪はしっとりとして、くすぐるように蠢いている。


「俺は眠りたいのだ。どうか他所へ行ってくれないか?」


「私、可愛いですよね?」


 突然、女は都市伝説のようなことを聞く。

 確か、「可愛い」と答えたらマスクを外した怪人に殺されるのだったか?

 であれば対抗策は……


「ポマード、ポマード、ポマード。で良いのかな?」


 俺の返答に女の妖しい笑みが崩れ、驚いたように目を丸くする。

 そうして改めて俺の顔に焦点を合わせると、女は「にゃあ」と口角を裂くように吊り上げた。


「先輩、口裂け女は『私、綺麗?』ですよ。私は可愛いか聞いたのです」


 すると女はバフッとベッドに倒れ込み、添い寝の距離感で俺の隣に横たわる。

 俺はなんだかもう、放っておいて欲しくて泣きそうだった。


「俺には運命共同体がいるので、異性と同衾するのはあまりよろしくないのだよ」


 ぼそぼそとそんなことを言って、俺は上体を起こしベッドから逃げようとする。

 しかし、女はニヤニヤ笑いのまま俺の服を掴んで引き留めた。


「先輩、彼女いるんですね? ちょっと意外かもです」


「彼女と言われると少々疑問が残るけれど。俺の生きる理由になってくれている人がいる」


「重いですねぇ……でも私、重い人すきかもです」


「それは困るな。人と仲良くするのは控えているのだ」


 服を掴む手を払おうとすると、逆に手を掴まれてしまう。

 そうして彼女は俺の身体を引き倒し、ベッドに押さえつけた。

 俺はもう、怯えて耳を塞いで蹲るより他ない。


「そうやって逃げようとしても無駄ですよぉ? 先輩との会話、楽しいですから。逃がしません」


 耳元で囁くその言葉は、いっそ死刑宣告のように思えた。

 人がいる限り、俺の意思で独りにはなれないのだと思い出す。

 関わりたいも関わりたくないも、全ては俺の事情でしかなく、他者はそれを汲む必要など無いのだと。


「……許してくれ。もう放っておいてくれ。俺はもう、人の話なんか聞かないし、助けになろうとしないから。だからもう許してくれ」


「くふふ、なんだか分かりませんが、窮屈そうですね? じゃあ私が許さないって言ったらぁ、どうするんですか?」


 蹲る俺に毒を垂らすように、塞いだ耳から甘ったるい声が流し込まれる。

 俺はもう訳が分からなかった。

 初対面からこんな距離感で接してくるのは普通なのか?

 あの宮下という女にしてもそうだ。今日会ったばかりの俺が吐きそうなのを見て、咄嗟に自分の制服で受け止めようとしていた。どういう献身意識を内面化しているのか。


 どいつもこいつも本当に……放っておいて欲しい。

 俺は何もしていないだろうが。人の話を聞こうともしない俺なんて、何の面白味も無い退屈で陰気なだけの男だ。

 普通は興味なんか惹かれない、路傍の石みたいなもんだろう。


 優しい奴とか、可愛い奴とか、そういう誰からも話を聞いてもらえる奴らは、俺なんかじゃなくて体育会系の連中とでもつるんでいてくれ……。


 必死で耳を塞いで、小さく小さくなろうとする。

 なんだか怖かった。この女の陶酔したような声は、文化祭のときの名倉さんを思い出させる。

 どうやら俺の脳味噌は、もう何でもかんでも名倉さんと繋げてしまうみたいだった。


 もう、死んじゃったのにさ。


「ほぉらぁ……!」


 蹲っていた体を無理やり解かれ、強制的に仰向けにされる。

 そのニヤけた表情で俺を舐めるように見てから、女は更に笑みを深めた。


「泣いてるんですかぁ、先輩?」


「君からそう見えるのであれば、そうなのだろうね……」


「何がそんなに怖いんです? 私に話してみてくださいよぉ」


 そう言って俺に覆いかぶさる女は、誘惑的に目を細める。

 わざとらしく揺らされる胸を自然と目で追ってしまうが、俺はその揺らぎに恐怖と怒りを喚起されていた。

 ……だが何よりも今強いのは、諦念だ。


「俺の話は、初対面の相手に聞かせるようなことではないのだ」


 そう言うと、ふと女の目に理知的な光が宿るのを見た。


「関係ないですよ、初対面かどうかなんて。恋に時間は無関係じゃないですか。これは奸計ではありませんよ? ただ先輩の背景が知りたいだけなのです」


 俺はその言葉に堪らず言葉を返す。

 もう自分の意思で話しているのか、話すよう仕向けられているのかも分からなかった。


「関係も百計も無いんだ。恋も好意も時間ではなく俺と無関係なのだから。君こそ話したらどうなんだ、軽々に近づいて、知ろうとして、あまつさえ恋などと嘯く。これ見よがしに奸計ではないと口にするのは、これは奸計ですと口にするのとどう違うんだよ……」


 俺の言葉に、やはり女はクスクスと嗤った。

 こちらを小馬鹿にしたような悪戯な笑みは、しかしどこまでも俺を追ってくる。


「……私ね、酷いことして教室の皆に嫌われてるから、保健室登校してるんですよ?」


「っぅ……」


 その言葉に、思わず彼女の目の奥を見ようとしてしまった。

 可哀想だと思ったから。


 不味いと気が付いたときにはもう遅い。

 女は「あっ」と嬉しそうに声を上げ、より一層深く俺の瞳を覗き込んだ。

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