アサガオの観察日記
ベッドに散らばる吐瀉物を片付け、俺は改めてあゆみに向き直る。
「ごめん……色々」
「許さない、絶対」
「ああ……」
鋭い視線は憎悪さえも纏っているように思え、俺にはそれが、どこか心地良かった。
あゆみに許されないことで、少しだけ罪が軽くなった気がしたのだ。
そんな欺瞞こそ、許されないことだけれど。
「晋作……」
「うん」
真っすぐに、あゆみと視線を交わす。
いや、交わらせると言う方が適切だ。そう思えるほど、俺と彼女の視線は長いこと絡み合っていた。
やがて、あゆみは覚悟を決めてゆっくりと言葉を切り出す。
「……なんで、なんでさ、私じゃなくて名倉花香を選んだの?」
「それは」
問いに解を出そうと思考に耽る。
そして思い出した自らの思考は、退屈なほど正しいものだった。
「人殺しに、あゆみを巻き込みたくなかった。それに、あゆみにはもう……お姉さんがいたから」
「っ! バカ!」
俺が言い終える前に、あゆみは拳を振るっていた。
鈍い音と衝撃。遅れてやってきた痛みを確認するように、自らの頬を撫でる。
「お前さあ! バカ! なんで巻き込みたくないとかっ! そんな! 私のこと子供あつかいすんな!」
息を荒げ、あゆみの目はより一層鋭く尖る。
しかし、後から感情が溢れるように、彼女の瞳の奥ではもどかしく何かが揺らめいていた。
「晋作だけはっ、絶対、絶対、子供あつかいしないでよぉ……」
俺の胸に頭を押し付けて、あゆみは一層子供らしく震えている。
こんなときにどうすれば良いのか分からなくて、俺は黙って小さな背中を見つめていた。
「……お姉さんさ、私に優しかった」
「うん」
「私がひどいことしたのに、お姉さんは私のこと嫌わなかった……」
俺はもう一度「うん」と呟き、静かにあゆみの熱を感じている。
彼女の口から語られるお姉さんの在り様は、俺が小学生だったころからきっと変わっていなかった。
「お姉さんね、私に一人じゃないって言ってくれた」
「……」
俺には彼女の語る言葉が何処へ続いているのか、もう分かっていた。
「……もしかしたらさ、名倉花香も昔は、私みたいな子供だったのかもね?」
あゆみの声音は、どこか淡々としている。
彼女の表情は、顔を俺の胸に押し付けていて見えない。
けれどもその口調の平坦さこそが、彼女の大きな感情を物語っていたように思う。
「お姉さんに言われて、ちょっとだけね、考えた。晋作が私を置いて、名倉花香の方に行った理由。それで、でも、晋作のこと許さないけど。でも、でも……」
シンとした静寂が耳に痛い。
やがてあゆみは、そっと顔を上げ俺の目を見た。
「お姉さんに、私のこと相手するように言ったのって晋作でしょ」
だから、私のこと置いて行ったわけじゃないんでしょ?
そんな言葉の裏を読み取って、俺は小さく「うん」と答えた。
あゆみは黙り込んで、俺の胸にぎゅっと顔を押し当てる。
それは、長い、長い、沈黙だった。
外の明るさを拒絶するような、薄暗がりのこの部屋で、俺は一瞬時が止まったかのように錯覚する。
ぬるま湯のような太陽の熱が、部屋に充満していた夜の冷気を追い払っていた。
この部屋の中で、俺は生きているのか死んでいるのか?
停滞した思考が低い冷蔵庫の駆動音を気にし始めた頃、あゆみは短くこう告げる。
「私のせいで、お姉さん死んじゃった」
「……」
ニュースで見た。お姉さんは子供を助けて死んだらしい。
つまりは、そういうことだ。
暑くも寒くも無い、空気の動かないこの部屋で、鼻をすんすんと鳴らす音だけが響いている。
俺は割れ物を扱うように、そっと彼女の背に触れた。
あゆみがビクリと震える。
俺は、とん、とん、と誰にされたのかも覚えていないリズムで優しく背を叩く。
次第にリズムは俺の鼓動と同期して、やがてあゆみの鼓動と足並みを揃えた。
どこか一体になったような感覚の中、俺とあゆみは自然と視線を絡ませる。
「……名倉さんも、死んでしまったよ」
「じゃあ私も晋作も、隣にいた人を殺しちゃったんだ」
その言葉に、俺は思わず体を硬くする。
するとあゆみは、優しく俺の背に腕を回した。
彼女の高い体温が全身に広がるようで、自然と俺も抱きしめるように腕を回す。
「ねえ晋作。これからは、ずっと私の隣に居てよ」
その言葉は縋る手ように、纏わる蔦のように、ゆっくりと心に絡みつく。
そのときの俺にはもう、それを断ることなど殆ど不可能なことのように思えていた。
同時に直観するのは不幸な未来。
きっとあゆみの手を取ることで、俺も、あゆみも、どうしようもなく破滅に向かって走りだしてしまう。
何故ならその選択は、どうしようもなく甘く、そして運命のようだから。
人殺し同士、死にぞこない同士、どこまでも俺と彼女は似通ってしまった。
頭を過るのは名倉さんのこと。一緒に死のうとして、果たせなかった約束。
俺はあのとき死んでいるべきで、生き続けるならあゆみの手を取らなければならない。
意味も、理由も飛び越えて、俺がそう確信している。
……俺は独りで死ぬべきだろうか?
本当は、名倉さんに首を絞められて濁流に呑まれる直前にだって、俺の寂しさは消えていなかった。
どこまでも理解不可能な名倉さんの隣で死ぬのは、きっと俺にとって孤独な死と変わらない。
そしてそれは、名倉さんにとってもそうだったろう。
俺たちはあのとき、隣り合って孤独なまま死ぬことを選んだ。
だからあのとき死ねなかった俺の命は罪なのだ。
俺の罰は孤独に死ぬことか?
それとも、あゆみの手を取って破滅を迎えることか?
分からない。
罪と罰という命題さえ、どこか嘘くさく感じている。
もっと正直に、もっとつぶさに自らの感情を観察する。
ふっと、ごく至近距離にある、あゆみの瞳にピントが合った。
「もう、疲れたんでしょ?」
その言葉はピタリと俺の心に当てはまる。
真っすぐな瞳は、更に俺の内部へと侵入した。
「今のままじゃ、晋作は苦しいだけだもん。自分とにてる孤独なやつを助けても、晋作は助かんない。意味ないって」
それは全部、本当は分かっていたことだった。
それでも呑み込めなかったその考えは、しかしあゆみの口から聞くとあっさり呑み込める。
「だからさ、私のことだけ助けてよ」
あゆみは、じっと俺の瞳だけを見つめていた。
「私も絶対、どんなことがあっても、晋作を助けてあげるから」
気が付くと壁を覆っている蔓のように、彼女の指先が俺を絡めとる。
色気さえ感じるような気配に思考を鈍らせながら、俺はあゆみの言葉を聞いた。
「二人ならきっと、何があっても大丈夫だから」
それは、ずっと欲しかった言葉だったような気がした。
俺とあゆみの似通った過去と思考と罪と罰。だから心が、言葉を解さず身体で伝わる。
彼女の浮かべる瞳の色は、過去に浮かべた俺の色で。俺の瞳の色を見て彼女は、どうしようもなく全部分かってしまうから。
俺は、ほっと溜息を吐くように呟いた。
「二人で一緒に、お姉さんのお墓参りに行こう」
「うんっ!」
微笑むあゆみの顔を見て、俺は夏休みに育てた、朝露に艶めくアサガオの薄紫を思い返した。
~~~「バカな大人観察日記:3かん」~~~
今日は、おはか参りに行きました。
おはかは、お姉さんの、おはかです。
お姉さんは、とても優しかったです。
私は、けっこう、お姉さんが好きだったと、思います。
なんだか、いろんな事があって、私はたくさんの事を考えました。
例えば、私が考えたのは、人は死ぬんだなあということです。今まで、あんまり人が死ぬことを分かっていなかったけど、やっぱり、さびしいことなんだなと、あらためて実感しました。
お姉さんは、私を助けて死んでしまったので、私は、たぶん地獄いきだと思います。
でも、晋作はゆるしてあげないけど、でも、なかなおりできて、うれしかったです。
晋作とは、もっといっぱいあそびたいし、晋作も地獄いきだと思うから、私は大丈夫です。
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メスガキのバカな大人観察日記 第三部 完
読んでいただき、ありがとうございます。
『メスガキのバカな大人観察日記』は次の第四部で完結予定なので、もう少し続きます。
感想やレビュー、星評価を下さった方々、読んで下さっている方々、いつも励みになっています。
本当にありがとうございます。
第四部もよろしくお願いします。
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