疑い出したらキリがない
十三時、日が照るはずの時間だけれど、空は私の心を代弁するかのように雨模様だった。
私と綾加さんは、白川駅の改札に時間通り到着している。
尤も私の気持ちとしては、到着 して "しまった" と言う方が正しいけれど。
浅野に会いたい。会いたくない。
怖くて胃がムカムカと痛んだ。
綾加さんと話したときは、どこかスッキリとした気持だったのに、日が経つ毎に心は重くなっていく。
私が浅野にしてしまったことは許されるべきではない。でも、もう反省したから……『本当の友達』なんて重い関係も求めないから、だから私と仲直りして欲しい。
こんな私を許して欲しい。なんて、浅ましい。
「はぁっ……」
胃の違和感を吐き出すように、私は荒っぽく溜息を吐く。
チラリと綾加さんの方を見ると、平気そうな顔で仁王立ちしていた。
しかしよく見ると、しきりにピンク色のヘアゴムを指で弄っている。高校生が付けるには少し幼い印象だが、彼女なりにオシャレをしてきたのだろう。
なんとなく、自分の服を再確認する。
シャツとショートパンツにスニーカーを合わせ、全体的にカジュアル系のファッションでまとめている。加えてミントグリーンのカーディガンを羽織ることで、さりげなくガーリーさを演出。
まあ……自分で言うのもなんだが悪くはないと思う。
昨日、このカーディガンを選んで買うのに随分と時間をかけたことを思い出し、少しの罪悪感と苛立ちが湧いてくる。
浅野に会うからってカワイコぶって……馬鹿みたい。
自分を誤魔化すように空中を睨む。
雨音は淡々と、一定のリズムを刻んでいた。
「……あ」
駅の階段から、あゆみさんと知らない大人の女性が歩いてくる。
浅野と名倉花香の姿は、無い。
「浅野は?」
短く、問う。
浅野と名倉花香がここに居ない以上、二人が一緒にいると考えるのが自然。その事実だけで、脳の温度がヒヤリと下がるのを感じる。
「名倉花香と一緒に、どっか行った……」
あゆみさんは声を震わせながらも、気丈に私の目を見つめ返す。
私は思わず、目を逸らしてしまった。
……それにしても『どっか行った』なんて。名倉花香を逃がすための方便だろうか? あゆみさんは彼女の妹だと以前聞いたことがあるし、十分にあり得る話だ。
かと言って、ここで名倉花香の殺人や警察の話をすることはできない。
あゆみさんと一緒に来た大人の女性がどこまで知っているのか分からないし、何より綾加さんが殺人のことを知れば十中八九通報するだろう。そうなれば死体隠蔽に協力した浅野も罪に問われかねない。
何にせよ、今この場での混乱は避けたかった。
「あゆみさん、浅野の連絡先は知ってるわよね」
すると、彼女は黙ってスマホで通話をかけ始める。
「スピーカーで、通話内容が聞こえるようにして」
あゆみさんは、やはり黙ったまま私の指示に応じる。
1コール、2コール、3コール……電子音は空しく鳴り続ける。
場を沈黙が支配し、スマホのコール音と雨音が単調に響く。
6コール、7コール、8コール……無機質な繰り返しに気持ちが逸る。
……9コール目の途中で、通話が繋がった。
「ねぇ、今どこ?」
すかさず、あゆみさんは尋ねる。
その声は絞り出すように小さく、今にも感情が溢れ出しそうで、私は彼女も浅野に捨てられたのだと理解する。
『……海』
電話の向こうで、浅野の声。
胸が締めつけられるように痛み、私は思わず息を呑んだ。
「先輩っ!」
綾加さんが、我慢できずといった様子で勢い良くスマホに飛びつく。
「先輩! 無事っすか? 大丈夫っすか? 一人になってないっすかっ?」
しかし、返って来たのはバキッという破砕音。続けて、ボチャンと水音が鳴った。
数秒後、電話口からは、ツー、ツー、と空しい音が響いていた。
あゆみさんは焦ったように電話を掛け直すが、繋がらない。
何度も何度もリダイヤルを繰り返すが、結果は同じようだった。
「……スマホを壊されたみたいね」
「う、ぅ、どうしよ、平川さん……」
あゆみさんの今にも泣き出しそうな声。
私は、彼女と一緒に浅野を迎えに行った夏休みを思い出した。
「あゆみさん、落ち着いて。浅野が電話に出たということは、こちらと連絡を取り合う意思があるということ。つまり通話が途切れたのは何らかのトラブル、気にする必要は無いわ」
そう説明しながら、並行して現状を頭の中で整理する。
私の目的は、とにかく浅野に会うこと。それと、名倉花香の捕獲。
恐らく二人は一緒にいるはず。つまり私がすべきは、先ほどの通話内容から浅野の居場所を特定すること。
浅野は通話で『海』とだけ言った。直後の破砕音と水音、そして薄っすら聞こえた波音から察するに、浅野がいるのは硬い岩やコンクリートがある海のはず。
あゆみさんの様子を見るに、二人は行き先を告げず海へ行っている。そこから考えると、二人の目的は警察への通報を匂わせた私からの逃亡。
……しかし何故、浅野は通話で居場所を告げたのか? それはきっと、逃亡が名倉花香によって主導されているから。そして通話がバレた浅野のスマホは、名倉花香によって破壊されたと考えるのが自然。
すると浅野は、名倉花香の逃亡に無理やり着き合わされている……?
焦りがジワリと脳を侵す。
このままでは、浅野が名倉花香に何をされるか分かったものではない。
いや、やめよう。今は必要なことだけ考えないと。
ブレた思考を、頬を叩いて切り替える。
今、一番気になるのは、逃亡先に海を選んだ理由……
「あゆみさん、少し二人で話したいの、良いわよね?」
「……分かった」
その場から少し離れると、無言で綾加さんと大人の女性がついてくる。
「あの、二人だけで話したいから」
「イヤっす! 綾加だって先輩のこと助けに来たんすよ?」
「ぁわ、わ、わたしゅ、私もぉ……あの、あ、あ、あゆみちゃん、ししし心配でしゅっ、か、からぁ……」
……面倒だ。でも、二人とも簡単に引き下がる様子は無い。
できれば、あゆみさんに死体遺棄の進捗を確認して、海に行った目的が死体遺棄なのかを確定させておきたかったけど、仕方がない。
脳裏に過る無理心中の可能性を無視して、私は努めて冷静に言葉を紡ぐ。
「はぁ、分かったわ。二人とも聞いてて良いから」
私は脳内で用意していた質問を無難な内容に切り替え、あゆみさんに尋ねる。
「ねぇ、あゆみさん。二人と直接最後に会ったのはいつ?」
「えっと、今日の朝、たぶん五時くらいだと思う……」
それだけ聞くと、私はスマホの地図アプリを起動した。
二人の金銭事情を考えると、主な移動手段はバスか電車。そして、朝五時から出発して十三時現在には海に辿り着いている。
そこから死体遺棄に向かない人の多そうな海や、砂浜に面した海を除く。更に電車やバスからのアクセスが極端に悪い海を除外したら、残る候補は三つ。
そして恐らく、二人はできるだけ早く死体を手放したいと考えるはず。
つまり、この候補の中で一番ここから近い海が、二人の今いる場所だ。
最終確認のため、私はお天気アプリを起動する。
気のせいかもしれないが、電話口から微かに雨音が聞こえたのだ。ということは……
予想通り、最終候補の海の上では雨降りマークが揺れている。
「……ここ辺りが山の多い地形で助かったわ。電車の線路がうねっている分、高速道路を使えば、たぶん二人に追いつける」
「えっ、平川さん、晋作がどこいるか分かったの?」
「まあ、ある程度予想はつくわ。候補は三つ、うだうだしている時間は無いわよ」
あゆみさんの驚いたような声に、私は小さく頷いて、そう答えた。
すると、彼女は真剣な顔で頷き返し、バッと大人の女性の方を振り返る。
「ねぇ、運転してよ」
「わ、わ、わかた。が、ががガンバ、りゅ!」
そう言って、女性はカクカクとした動きで進み始める。
駅の外ではパラパラと小雨が降っていた。
私は少し躊躇した後で、そっと駅から一歩踏み出す。
小雨がカーディガンのミントグリーンを濡らし、少しばかり色を濃くする。
今更そんなことを気にする自分が、どうにも腹立たしかった。




