たのしい、穴ほり
そのとき、スマホが鳴った。
ただでさえ変なお姉さんのことで頭がパンパンなのに、電話の音まで鳴り出してわけわかんなくなる。
なんかもう全部イヤなんだけど、スマホがぜんぜん鳴りやまない。その間にも、変なお姉さんはどんどん小さくなっていくような気がした。
意味わかんなかった。なんか怖かった。
電話を切ってやろうと思った。
スマホの画面を見たら、平川さんからだった。
ドキリとする。
晋作のやったことがバレたのかも。
ぐらぐらと視界が揺れるようで、部屋がさっきより暗くなっている。
「……もしもし」
ふつーの声を出そうとした。
でも、緊張はすぐにバレちゃう気がした。
「もしもし、あゆみさん。私、平川です。今、少し良いかしら?」
良くない。
そう言いたかったけど、何でって聞かれたら上手く答えられる気がしなかった。
「……なに?」
「その、浅野がどこにいるか教えてもらえないかしら」
「ぐぅ……」
思わず息を飲む。
やっぱり全部バレてる気がした。
晋作がタイホされたら、もう本当に終わりだ。
ドキドキと心臓がうるさい。
焦ってるみたいに息が上手く吸えなくなって、手足がしびれてるみたいになってくる。
「し、晋作がどこにいるとか、知らないし」
「そう?」
「あ、て、ていうか! 部活の人とお別れ旅行するって言ってた! 晋作が!」
私は、晋作に言われていた口裏合わせを思い出し、あわててそれを口にした。
平川さんは、電話の向こうでしばらく黙っている。
「……」
とにかく、しずかで、それが怖かった。
足元から聞こえる変なお姉さんのうなり声で、通話の向こうに全部バレてしまう気がした。
「……浅野、酷いことに巻き込まれてるわよね」
その言葉に、頭がヒヤっとした。
とっさに通話を切ろうとした。
でも、切れなかった。
「あゆみちゃんが教えてくれないなら……私は警察を頼らないといけないわ」
「まって! なんでっ! なんでよ!」
晋作がつかまったら、本当に一人きりになっちゃう。
意味わかんない! 意味わかんない! 意味わかんない!
絶対いやだ……。
でも殺人のことがバレてるなら、もうヒミツにしておけないことは確かだった。
「い、今……晋作が、小学生の頃に住んでたとこ、来てる。水上山っていう、山があるとこ」
「そう、分かったわ。明日の十三時に部活の後輩とそっちに行くから、水上山の最寄り駅は……えーと、白川駅かしら? うん、白川駅の改札で待ち合わせましょう。浅野にもそう伝えてもらえる?」
「わ、かった」
それきり、通話は切れてしまった。
どうしよう、考えないと。
晋作に相談して……でも、それで晋作が名倉花香と2人で出てっちゃったら?
それなら平川さんに話して名倉花香だけつかまえてもらえば……
「はぁ……」
晋作とは、ちゃんと話そう。
晋作なら、ちゃんと聞いてくれるはずだもん。
+++++
「けっこう掘ったね~」
「ああ、そうだね」
穴を掘る手を止め、改めて自分たちの成果を眺める。
地面に突き立てたシャベルに寄りかかると、ジンとした疲労感が体を走った。
悪くない感覚だ。筋肉痛に悩まされた最初の二日からすると、見違えるようだった。
穴を掘り始めてから五日、もう穴は人をすっぽりと埋められる程度に深くなっている。
尤も、野生動物に掘り返されないようにするためには、まだ少し掘らないといけないが……。
このまま掘り進めていけば、恐らくあと二日か三日もすれば十分な深さになるだろう。
当初の予定からは一日ほど遅れているが、仕方がない。素人ながら山に穴を掘れているだけで御の字だ。
これも、名倉さんの体力や膂力が想像以上だったおかげである。
「そろそろ日が昇る。名倉さん、帰ろうか」
「うん……」
名倉さんは伏し目がちに俺を見る。
その表情はどこか寂しそうで、俺は少し意外に思った。
「どうかしたのかね?」
「あっ、えっと……あと少しで終わっちゃうな、って」
そう言って、名倉さんは人間大の穴をチラと見やった。
淡い朝焼けに照らされたそれは暗くて深い、冷たい穴で……俺と彼女の罪の証だ。
だから終わりを寂しく思うなんて随分おかしな話だけれど、名倉さんの言いたい事は、俺にも少しだけ分かってしまった。
学校生活というものは、色々なことが煩わしい。
人間関係、勉強、劣等感……それらと比べて今すべきことは、ただ二人で穴を掘るだけ。
単純作業しかやることが無いこの場所では、異常も正常も無かった。ただ、俺と名倉さんが居るだけ。
それは確かに、心のどこかが落ち着く時間だったのだ。
「……これが終わったら、どうなるんだろうな」
薄明の下でもなお穴底は暗く、まるで闇が溜まっているようだ。
「私はね、ずっと浅野くんと一緒に居たいな」
素直に、そんなことを言うのだから。
俺は答えに窮してしまう。
「うん……」
曖昧な返答。
流されて、流されて、俺はこんなところまで来てしまった。
頭に浮かぶのは、あゆみと、お姉さんの顔。
次に浮かんだのは、平川と綾加の顔。
全て隠し通せたとして、俺の転校の手続きはもう終わっている。
たぶん俺は、新しい学校で新しい人間関係を作らないだろう。
かと言って、物理的な距離が離れてしまえば、今ある関係もそこで終わる気がした。
お姉さんと偶然再会するまで、何の連絡も取り合っていなかったのがその証明だ。
俺はどこかで、それでも良いと願っていた。
+++++
アパートのドアを開けると、あゆみが一人で小さくなって座っていた。
玄関の内に早朝の日は届かず、薄暗い。彼女が座っていたのは、そんな冷たい廊下だった。
「な、え……待っていたのか?」
いつもなら、あゆみは眠っている時間のはずだ。
俺の戸惑った声を聞き、あゆみは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ねえ、もう逃げよ」
「え?」
予想外の言葉に、思わず間抜けが声が漏れる。
だって、あと二日か三日もすれば掘り終わるのだ。
そんなことは勿論あゆみも理解しているはずで、だとしたら……
あゆみはジッと、俺を睨んだ。
「明日の昼、平川さんがこっちに来るって」
「えっ?」
再び、間抜けな声が漏れた。
何故、平川が?
そもそもどうやって平川がここを知った。あゆみが話したのか?
だとしたらやはり、何故?
俺の頭は混乱している。
その一方で、次に俺が吐いた疑問はシンプルだった。
「何故?」
「知らない。でも、名倉花香が人殺したの、平川さん知ってたよ」
息を呑む。あゆみが口にした言葉が頭の中で繋がる。
そうして導き出されたのは、やはりシンプルな結論。
これで、罪を隠し切るのが非常に難しくなった。
……というより、不可能なんじゃないか?
「つ、通報は? 平川は通報しているのか?」
「たぶんしてない。でも、明日の十三時に白川駅に行かないと、つうほうされるかも」
これは良くない状況だ。穴は十分に掘れていない。
それに穴が十分深くとも、警察に調べられたら死体は見つけられてしまう気がする。
少なくとも、プロの目を誤魔化せるような隠蔽工作をできる気はしない。
改めて実感する。
もう、ほとんど詰んでいるのだ。
「……っぉ!」
ぐっ、と体が後ろに引かれた。
「名倉さん!?」
振り向いて声を掛けるが、名倉さんは止まらない。
俺は彼女に引っ張られるまま、半身を外へと引きずり出された。
「ねえ、もう全部捨てて逃げちゃおうよ?」
名倉さんの笑顔は、まるで迷いなど無かった。
もしかすると、ずっとこうなることを覚悟していたのかもしれない。
更に引っ張られて俺が完全に玄関から連れ出されそうになったとき、あゆみがグッと俺の手を掴む。
「勝手しないでよっ!? 逃げたいなら、お前ひとりで逃げろバカ! これ以上、晋作を巻き込むな!」
しかし、名倉さんはあゆみの言葉を無視して俺を引っ張り続ける。
あゆみも必死に引っ張り返してはいるが、小学生の力では抵抗しようも無かった。
何だかこういうとき、俺はいつも手を引かれるままに付いて行っている気がする。
文化祭の日だって、綾加に告白されたのに、俺は平川に手を引かれるまま連れ去られた。
たぶん、抵抗した方が良いんだろうな。
抵抗して、自分の意思を伝えて、しっかりと優先順位をつけて、なんというかもっと……ちゃんとした方が良いのだろう。
全員の話を聞いて、自分の考えを述べて、それを人に聞いてもらおうだなんて、この社会では通らないのだ。
「はぁ……」
気が付くと、溜息が漏れていた。
ずっとこうだ。
自分なりにできることをしたいだけなのに。
色々なことを諦めてきたのに、まだ諦めないといけないのか?
……助けて欲しかった。
死体を、母親をどうにかしないといけなかった。
本当は、あゆみをお姉さんに任せきりになんてしたくなかった。でも名倉さんを独りきりにもしたくなかった。久しぶりに会ったお姉さんと、もっとゆっくり話したかった。
綾加の告白にだって、しっかり考えて、落ち着いて返事をしたかった。平川とは喧嘩をしてしまったけれど、もう少し落ち着いて、それで、ちゃんと話を聞きたかった。
……でも、全部はできないんだろう?
できないことばかりだ。
最近思うのだが、俺は遅すぎるのだと思う。
心で思って、それを考えてから話したいのに、人は、社会は、どんどん答えを求めてくる。
それに必死でついて行こうとすると、自分のことなのに自分の思っていることとズレていく。
だからいつも、心の何処かで一人になりたい。
助けて欲しい……。
心の中で、もう一度呟いた。