不審者情報
「ふぅ……ふぅ……」
穴を掘るのは大変です。
シャベルを地面に突き刺して、掘り上げて、突き刺して、掘り上げて、その繰り返し。
季節と標高も相まって最初は少し肌寒く感じたものですが、十数分もすれば首元が汗ばんできました。
シャベルを使った穴掘りは随分と体力を使います。
でも、私はこの作業が嫌いではありませんでした。
浅野くんと向かい合って穴を掘るのは、なんだかとても心が近く感じるのです。
浅野くんの汗が、穴の中に滴り落ちました。
私はシャベルを深く地面にさして、掘り起こします。
ミミズがいました。私は何となく、意味もなく、無意識にシャベルをミミズへと突き立てました。ミミズは液体を漏らしながら二つに分かれます。そして、いつもそうなのですが、全てが終わった後でやってしまったと気がつくのです。
私は反射的に浅野くんの様子を伺いました。
「う、ぐっ……」
浅野くんが地面に手をついて蹲ります。
私はふと、その白い首にシャベルを突き立てたら──
「あ、ごめんね浅野くん。み、ミミズ殺しちゃって、びっくりしちゃった? あの、無意識で……」
「……いや、違う、腰が」
「腰?」
「ちょっと、何だろう、痛いというか、過剰な疲労というか、どうあれ少し休ませて欲しい」
そう言うと浅野くんは仰向けに寝転がります。
ちょっとの間、穴堀りはお休みみたいです。
私も浅野くんの隣に寝転がりました。
それだけで、何故だかホッとするのです。
あゆみちゃんはお姉さんと家でお留守番。
静かな早朝の山で、2人きりの時間は特別素敵に思えました。
夏休みの頃と一緒です。もしかすると、浅野くんは状況がまるで違うと言うかもしれませんが。
でも、私にとってはやっぱり同じなのです。
私はふと、猫のようなイメージで浅野くんに寄りました。
そのまま彼の胸に耳をつけます。とくん、とくんと、振動や音が頬に伝わります。
生きているのだなぁと、素朴に感じて嬉しくなりました。
同時に、私もまた生きているということが、何とも恐ろしくなるのです。
「浅野くん……」
「何かな」
声と一緒に、浅野くんの肺が膨らむのを感じます。
「このまま、逃げちゃわない?」
「……どうして?」
浅野くんは、ダメとは言いませんでした。
いつもそうなのです。だから好きなのです。
「なんだか浅野くん、死体のことばっかりで辛そうだから」
「……名倉さんは逃げても良いけれど。俺はあゆみちゃんに死体を残していくつもりは無いよ」
よく意味が分かりません。
まあ、私に浅野くんの言うことが理解できることの方が少ないのですが。
「どうして? 殺したのは私だから、死体を残していくのも私だよ?」
「まあ、そうだろうね」
果たして、彼は小さく笑いました。
「それなら浅野くんは、死体のことなんか何も気にしなくて良いんじゃない?」
私はじっと、浅野くんの口元を見ました。
けれど、目元を見るべきだったのかもしれません。
私はきっと、変なことを言っています。
頭の中のお母さんは、私に向かってダメだダメだと繰り返します。
おまえが殺したんだと、頭がおかしいと騒ぎ立てます。
でも、やっぱり私には関係が無いのです。
私が殺しただけなのに、何故私が死体の面倒まで見なければならないのでしょう?
蚊の死体は、ゴミ箱に放るだけで良いのですから、人間もそのようにすれば良いと思います。
そちらの方が楽ですし、ルール上も死んでいるものより生きているものを優先するのが良いとされていた気がするのですが。
「……」
浅野くんは私を見て、深く息を吸いました。
「なんだか、法律で決まっているから駄目なのだと簡単に言ってしまえれば楽なんだけれど。俺にはね、それでは説明のつかない事があるように思うんだ」
「どういうこと?」
「名倉さんのような人が社会や法によって罰されて、それを見た人々は罰を受けたくないから反社会的な行動を控える。法の理念なんかは別にあるのかもしれないけれど、治安や社会の維持というのはまあ、そういうシステムによって成り立っている面が少なからずある」
浅野くんは、何か難しい話をしています。でも、どうやら大切なことを伝えようとしてくれている。
それが分かったので、私はちゃんと聞いていました。
「でもそこには、罪を犯した人が自ら罰を受け入れる理由が存在しないように思うんだ。社会でなく個人の視点に立つのなら、罪を犯してしまったら逃げ切るのが一番良い」
浅野くんの話は、むつかしくて……でも、声は優しいなと思います。
それが嬉しいのです。
「……たぶん、名倉さんは社会のために罰された方が良いのだと思う」
「うん、そうだね」
これは分かりました。私もそう思います。
浅野くんに会えなくなるのは、嫌ですが。
「でも、俺は社会の一員である前に俺自身だ。名倉さんが名倉さんらしく在ろうとした結果罰されるのが社会なら、俺は君の味方で在りたい」
「じゃあ、やっぱり一緒に逃げる?」
浅野くんの胸の上から、その瞳を見つめます。
綺麗な瞳でした。暗くて、私のせいで疲れていて、私を見てくれる瞳でした。
「……分からない。最初に言った、あゆみに死体を残すとか残さないとか、そういう話ではないかもしれない。申し訳ないが、でも、ちょっと、埋め終わるまで待って欲しい」
「えへ、わかった」
そっと手を伸ばし、浅野くんの頬に手を触れ、首筋まで撫で下ろします。愛おしくて仕方がない。
独り占めしたくて、全部殺してしまいたくなります。でも浅野くんに嫌われたくないので、今日は我慢できました。
浅野くんと話して、文芸部で過ごしてから、少しずつ大きくなっている気持ちがあります。
全部、分かって欲しいという気持ちです。
当然それは無理なのですが、浅野くんと平川さんの会話を見てから、羨ましくなってしまったのです。
互いに理解して、気持ちを話して、二人は喧嘩していたようでしたが、何故だか同じ気持ちを共有できているようでした。私には分からないナニカで、二人は繋がっているようでした。
私も同じになりたいのでしょうか?
けれども私に分かる皆と同じことは、痛いとか、苦しいとか、そういうことで……そうしてみると、例えば浅野くんと同じところに傷をつけて押し付けあったら、痛みとか苦しさとかが一緒になって、そういうのも共感と言えるのではないかと思うのです。
……でも、駄目ですね。
きっと私は痛いとか苦しいとかよりも嬉しさが大きくなって、感覚を共有することなんかできないでしょうから。
私はやっぱり、分かり合うことなんかできないのです。
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「あ、ふ、ふふっ、お、あ、あ、あゆみ、ちゃん? えと、ふひっお菓子食べる?」
「いらない」
家で、この変な女とお留守番。私が子供だからだ。
子供は自分で何もできない。それがとにかく、嫌だ。
でも、やらなきゃいけない。
私が晋作を助けないと。
晋作は放っておくと、すぐ死んじゃいそうに見える。
バカだから、自分のためか人のためかしか生き方が分かんないんだ。
私は最初から言ってた。私だけで良いって。
どうせ私しか晋作の話を聞いてあげらんないって。
実際、今そうなってる。
名倉花香は最悪だし、詳しくは分かんないけど平川さんのせいで晋作が転校しそうになってる。
屋上で晋作と話してた女もダメそうだった。
「……」
チラっと、私の横でちまちまポテトチップスを食べてる変な女を見る。
コイツは論外。
……でも私も、子供だから晋作を助けられない。
それでも、私は自分でなんとかする。なんとかしないと。大人なんか頼れない。
警察とかも、しょせん大人だからダメ。
どうせ勝手な都合で、先生とか親みたいに意味わかんないことすると思う。
私が晋作を助けないと。
私が晋作を助けないと。
でも、どうすれば良いんだろ?
「あ、あ、あゆみちゃん、あのっ、ち、チョコ、チョコレートすき、好き? あ、ふ」
「……」
「えと、えっと、へ、へへへへっへ……あー、いやー、チョコぉ、は、あ、あんまり、ねぇ? ねぇ~」
変な女の視線があっちこっちに動いてる。
でも、絶対にこっちは見ない。
なんか私にビビッてるみたいでムカついた。ていうかキモいし、ちょっとかわいそうに見えた。
クラスのイジメられてたヤツもこんな感じだった気がする。
そいつバカだから、ウザいヤツに絡まれてた私に話しかけて、それでイジメられるようになったんだっけ? 私のこと同情するみたいに見て来て、どいつもこいつもキライだった。
「……」
一つ、チョコを食べた。
「あ。あ、あっ! ちょちょちょチョコチョコっ、あ、ふ、あ、も、もっとあるあうあうあるよぉ、お、おっほ」
変な女は大騒ぎしながら、くねくねと台所まで走ってった。
ダメな大人。晋作とも名倉花香とも平川さんとも違う、何だか見ていて痛々しい。
死んでるみたいに、生きてるみたいで。
でもたぶん、晋作はああなる前に死んじゃう。
ちょっと間違えたら、すぐにそうなる。
だから私が、助けないと。