大喧嘩!
「平川先輩! いつまでそうやってヘコタレてるんすか!」
浅野先輩がいなくなってから、平川先輩は部活中ずっと机に突っ伏している。
あんなになんでもデキてカッコ良かったのに、ちょっとゲンメツ。
「そうやって部室にいるだけじゃ、部活動してることにはならないっすよ!」
「はぁ、うるさいわね……」
平川先輩は適当に本を開き、また机に頭を乗せて顔をふせる。
ゼンゼンやる気ない……浅野先輩が、いないから。
「詩の続きもゼンゼン書いてないし! そんなんじゃダメダメっすよ!」
平川先輩が綾加を見る。その目が、すっと細くなった。
それを見てウザがられていることに気が付く。
ノドの奥が、きゅっと狭くなるのを感じた。
でも、ウザがられたからって綾加は変わらない! そんな気持ちで平川先輩を見返す。
「……」
結局、その目はタメ息といっしょに綾加から逸らされた。
本当は言いたいことがあるくせにダマりこんで、逃げてるみたいな態度にイライラする。
きっとホントは平川先輩も謝りたいんだ。
でも、なんでか謝らない。
「平川先輩、綾加は怒ってるんすよ! 頑張ってみんなで準備した文化祭も、文芸部も、平川先輩が全部めちゃくちゃにしたんじゃないっすか!」
瞬間、バンッと部室に大きな音が響く。
平川先輩が、強く机を叩いたのだ。
「……るっさい! 知らないわよそんなの!」
大声に一瞬ひるんでしまう。
でも、綾加は負けない、負けたくない。
「私が言ったこと全部事実じゃないっすか! そんな無責任なこと言っちゃダメっす!」
「はぁ?! 勝手に文芸部に入り込んできたのはそっちでしょ!? 私だってわけ分かんなくて、アイツが頭のおかしい女ばっか贔屓するからっ! 私も何かアプローチしないとって! アイツだけいれば良かったのに! なんで! なんでっ、なんでよ……もぉ」
爆発し、しぼんだ風船のように平川先輩はうつむいた。
先輩の言っていることの意味は良くわかんなかったけど、浅野先輩に会いたがってることだけは分かる。
「下向いてても仕方がないじゃないっすか。行きましょうよ、浅野先輩のとこ。綾加も行きたいっすから……」
そう言いながら隣に座り、うつむいた横顔に語りかける。
でも、平川先輩は顔も上げずに「無理」とだけ言った。
「無理じゃないっす、行くんすよ!」
「私が、どの面下げて会いに行くのよ……」
腕を引っ張っても、平川先輩はグネグネとして自分の力で立とうともしない。
そんな姿に綾加はまたイライラしてくる。
「そんな変なこと言ってないで、謝るんす! そうしないと、何も始まらないじゃないっすか!」
「……もう終わってんの」
「だからもう一回始めるんすよ!」
綾加がもう一回強く腕を引くと、平川先輩は乱暴に手を振り払う。
そのまま大きな音を立てて立ち上がると、先輩は早足で教室から出て行った。
綾加は一瞬あっけに取られたが、すぐに走って追いかける。
元陸上部の綾加から平川先輩が逃げ切れるわけもない。
廊下に出ると、窓が赤い夕陽で光っていた。
目の前には平川先輩の背中。
冷えた空気を蹴散らして、勢いをそのままに押し倒す。
「浅野先輩と、ちゃんと話すんすよ!」
とにかく、平川先輩にちゃんと話を聞いてほしくてゼロ距離から言葉をぶつける。
それでも平川先輩は目を瞑り、耳を塞いでイヤイヤと頭を振った。
こんなときに浅野先輩がいてくれたらって思うけど、いないんだ。いなくなってしまった。
綾加が浅野先輩の辛さを分かれたら、浅野先輩はまだ、この場所にいたんだろうか?
屋上で、今にも泣きだしそうな顔をした浅野先輩を前に、綾加は何も言えなかった。
それなのに、突然現れた知らない小学生は浅野先輩のことを分かってて……
浅野先輩は、綾加に言わなかったことを、小学生に言った。
二人が何で通じ合っているのか、綾加にはゼンゼンわからない。
一人で帰ったあの日から、ずっと後悔してる。
綾加は助けられてばっかりで、浅野先輩が好きなのに、浅野先輩のことを何も知らない。
バカな自分がキライだ。
人の気持ちが分かんない自分がキライだ。
でも、あの小学生じゃダメだ。
あのとき「一緒に飛び降りる」なんて言ってしまえる人と一緒にいたら、浅野先輩はきっと辛くなる。
だって浅野先輩は、すぐ一人になろうとするから。
全部一人で、やろうとするから。
綾加は、綾加にできることをする。
文芸部にいたとき、浅野先輩は楽しそうだった。
……だから!
「ねえ、平川先輩!」
綾加は、平川先輩の塞がれた耳をこじ開ける。
+++++
惨めだった。
涙が零れた。
私に馬乗りになった後輩は全て正しくて、私はどうしようもなく弱かった。
弱くて、卑怯で……その正しさに、甘えてしまいたくなる。
「ちゃんと話すんすよ!」
真正面からぶつけられた言葉。
聞くまいと耳を塞いでも、きっとそんなのはフリだけだ。
浅野に会うことなんて、してはいけない。
でも会いたかった。全部、私のせいなのに。
本当に全部、全部私のせいなのだ。
私は目撃した。名倉花香が、人を殺す瞬間を。
殺されたのは浅野の母親。しかし、浅野はそれを知りながら死体の隠蔽に協力した。
分からなかった。何故、浅野は名倉花香を警察に突き出さない?
頭がおかしくなりそうだ。或いは、おかしくなった方が良いのだろうか?
きっと、それこそが名倉花香と私の一番の違いなのだから。
文化祭の日に浅野を傷つけたのは、名倉花香も私も同じ。
でも、彼女は受け入れられ、私は拒絶された。
私に何が足りなかったのだろう? どうすれば良かったのだろう?
……いや、そんなこと今は重要じゃない。
そう、事件の顛末が、浅野を頭のおかしい女に盗られたというだけだったなら、きっと私は被害者意識の赴くままに殺害計画を完遂できたはずだった。
タイミングなんていつでも良い、私は殺すことができる。だって浅野は受け入れるから。
私は弱くて卑怯なまま、全てを浅野に押し付けて殺すはずだった。
それなのに私は……私の起こした事件によって救われてしまった。
文化祭の日、私が事件を起こしてから、両親が喧嘩をしなくなったのだ。
ちゃんと話し合って、二人は私に向き合ってくれた。
ぎこちなくとも、これまでの十数年間が嘘のように、母と父は歩み寄っている。
実際に、二人がこれからどうなるのかは分からない。「……なんで今更」なんて思ったりもする。
それでも今、私の家には居場所ができようとしていた。
浅野は、私のせいで母を失ったのに。
名倉花香は浅野に告げていた。引き離されるのが嫌だったから、浅野の母を殺したのだと。
私の起こした事件のせいで、浅野は家族を失い、私は家族を取り戻した。
本当に全部、私のせいだ。
「ねえ、平川先輩!」
耳を塞いでいた手を無理やり剥がされれる。
目は瞑ったまま、それでも音は防げない。
「いつも言ってたじゃないっすか! 浅野先輩は私がいないとダメだって! 今じゃないんすか!? このままじゃ浅野先輩、本当にダメになっちゃうっす!」
煩い、煩い、煩い。
耳に響く、暴力的で正しい言葉。
そのまま流されてしまいたい。
自分の罪と、その赦しまで理由にして、浅野に会いに行きたい。
でも、駄目だ。全部ウソだ。駄目なのは浅野じゃなくて私の方だから。
浅野がいないと駄目だった。そんな事、本当は自分でも気が付いていた。
浅野は何も悪くない……
最近、私は幸せになれそうだ。家に怒号が飛び交わないだけで心が軽い。
そんな環境の変化で心が冷静になってきて、初めて自分の気色悪さを自覚した。
私はただ、可哀想な浅野に、可哀想な自分を重ねて……
中学の頃からずっと、そうなんだ。
人を救えば、自分も救われる気がしていた。
本当の友達が欲しかった。自分は両親のようにならないという証明が欲しかった。
そういう自分の弱さを、行き場の無い気持ちを、浅野に押し付けていた。
浅野は全部、受け止めてくれたから。
そういう私の卑怯さはバレていたのだろう。
だから友達にすらなれず、拒絶されたんだ。
私はまだ、名倉花香が人を殺したことを誰にも話していない。
話したらきっと、死体隠蔽に協力している浅野も捕まってしまうから。
浅ましくも、私は自分で壊した日常を取り戻したいと願っている。
浅野が捕まってしまったら、あの日々には戻れないと思っている。そう思うことで、まだ取り返しがつくと言い聞かせている。
嗚呼、どの面を下げて、また会いたいなどと願っているのだろう?
全部壊してしまったのも、背負わせてしまったのも、救われてしまったのも、私なのに。
浅野を拒絶したのは、私なのに。
「……もう全部、遅いのよ」
「じゃあ、全部あの小学生に任せるんすか!? 諦めるんすか!? 私が告白した直後に、浅野先輩を連れ去った癖に!」
……小学生?
「あゆみさんの事? 良いじゃない、聡い子よ。全部、任せれば良いのよ……」
どうせ私じゃ、浅野の友達にすらなれないし。
なる権利も、無いのだから。
「ダメっす! いい加減、いつまで拗ねてるんすか! 綾加はバカだから、浅野先輩の言ってることもゼンゼン分かんないっすけど、平川先輩は分かるじゃないっすか! 名倉先輩は優しいっすけど、浅野先輩より前に行こうとはしないじゃないっすか!」
何が言いたい。
知らない。
綾加さんはずっと必死そうで、涙を零しながら訴えかけてくる。
「浅野先輩は、いつも綾加のこと助けてくれたっす。きっと名倉先輩も私と同じ。あの小学生も、たぶん同じっす。皆、助けられちゃうんす。そういうの、分かるじゃないっすか! 弱い人の感じ、分かるじゃないっすか! だから、だから! 平川先輩じゃないとダメだって、なんで分かんないんすかっ!」
「分かんないわよ……何が言いたいの」
「だから!」
耳に響く大声が、尚も発せられようとする。
私は、綾加さんを睨みつけた。
「……」
じっと睨み合い、空気を探り合う。
張りつめていた。互いに埒が明かないと分かっていた。
それでも私が口を開いたのは、この状況に飽き飽きしていたからだ。
自分の醜さを、諦めていたからだ。
「私は文芸部の誰より昔から浅野のことを知ってるの。一番長く隣にいた。それでも友達にすらなれなかったんだから、もう放っておいて」
淡々と、冷静なフリをして、言葉を並べきる。
もう終わりなのだと、綾加さんに理解させるために。
瞬間、鋭い痛みが頬に奔る。
振りぬかれた手、綾加さんは涙で光を反射させながら、真っすぐに私を見つめている。
張られた頬は鈍く痛んだ。あの日から続く胸の痛みと、同じだ。