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メスガキのバカな大人観察日記  作者: ニドホグ
人生行路は疑似科学

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家族ごっこ

 ふっと影が落ちた。

 お姉さんは俺に押し倒された体勢のまま、俺を抱きしめている。

 あやすように背を擦るお姉さんの頭上で、名倉さんがキャリーケースを振り上げていた。

 位置関係上、お姉さんはまだ名倉さんに気が付いていない。


 数秒、或いは数瞬後にお姉さんの頭部は殴打されるだろう。

 考えている暇は無かった。

 名倉さんの中で、お姉さんを『死体を見た人』から『匿ってくれる人』に変えなければならない。


 俺は名倉さんに聞かせるように、ハッキリと声を上げる。


「お姉さん、お世話になりますっ」


「ぉほぉ、うんっ、だ、だい大丈夫、お姉さんに任せてくだっ、くだしゃい……ひひ」


 名倉さんは躊躇なくキャリーケースを振り下ろした。


「ぅぉ……!」


 押し倒していたお姉さんを咄嗟に抱き上げ、ギリギリで回避させることに成功。

 お姉さんの体が軽くて助かった。


 お姉さんは腕の中でぶつぶつと独り言を呟いている。どうやら抱き上げられたことに意識が行っており、自分の髪をキャリーケースが掠めたことには気が付いていないようだった。


 ……さっきから綱渡り状態が続いていて、精神が持ちそうにない。

 名倉さんの攻撃性が、明らかに上がっている気がする。

 それとも、死体を見られたということについて俺以上に重く捉えているということだろうか?


 いや、冷静に考えてみれば名倉さんから見てお姉さんは初対面の人間。

 俺だって最初は殺害を真面目に検討したし、攻撃性が過剰ということは無いのか?

 どうあれ、お姉さんの知り合いとしては勘弁して欲しいものだが。


「名倉さん、とりあえず死体をキャリーケースに詰め直そう」


 二撃目を放たれる前に釘を刺す。

 名倉さんは「うん」と頷いたが、心なしか返事に元気が無いように思えた。


 こんな状況で元気いっぱいでも困るのだが、とはいえ少し気になる。


「色々あって疲れたかな?」


「そうじゃなくて、その……これからも浅野くんのことが必要な女の子、増えていくのかなって。夏休みのときみたいに、二人でゆっくり過ごすことって、もうできないのかなって」


 名倉さんは死体の足を押し込みながら、小さな声でそう言った。


 俺はそんな言葉の裏に、大きな問題を認識する。

 文化祭で露呈した、俺がずっと騙し騙し誤魔化して来た問題だ。


 どうやら俺の人との関り方は、深入りしすぎてしまっている。

 相手の本心を知りたがり、嘘みたいな言葉を嫌うせいで、人間関係の終わりが破滅か依存にしか帰結しない。

 たぶん、誰彼構わず居場所の無い人間と見れば心の内を知りたがるのは、俺の悪癖なのだろう。


 では、さっさと付き合うなりして、深く関わる相手を固定すべきなのか? 事実、俺は文化祭の直後、もうあゆみ以外との関わりは断とうとしていた。


 一番大切な人を一人決めて、他とは一線を引く。それはきっと、上手く人間関係をやる上で必要なことなのだ。


 であれば名倉さんと一緒に死体を埋めに行く場合、あゆみは置いて行くべきなのだろう。それに、お姉さんの自殺は止めるべきじゃない。

 何故なら名倉さんも、あゆみも、俺と二人きりになりたがっている。平川だってそうだったし、綾加もそうだったから俺に告白したのだろう。


「……」


 けれども俺は、友人の誰が母を殺しても、一緒に死体を処理する気がする。


 度々脳裏を過るのだ。

 夏休みの終わりに、全ての関係を切り一人きりになろうとしたあの選択こそが正しかったのではないかと。

 けれどあゆみは窓を割り、名倉さんは死体と共に呼び鈴を鳴らす。そうなれば俺は成す術なく彼女らを家に招き入れざるを得ない。


 俺はきっと、一人を選べない。

 他の誰でもなく俺自身が、俺の話を聞こうとしないから。


 でも、このままではいけない。

 きっと文化祭の事件を繰り返す。


 しかし、どうすれば良いのか答えは出ないまま、気が付くとキャリーケースに死体は収まっていた。


+++++


「よ、ようこそぉ、ぁ、あのあのあの、く、くつろいでいってくださっ、へ、へへ」


 お姉さんに連れられ辿り着いたのは、アパートの一室だった。

 2LDKの部屋は広々として、良く言えば綺麗に片づけられている。悪く言えば寒々しく、殺風景だった。


 家の中は薄暗く、電気は点かない。

 お姉さんが言うには偶然LED照明が今日切れたとのことだったが、事実どうなのかは分からない。


 部屋には四角いちゃぶ台が一つ。その上にはノートパソコンが乗っており、クッションのような物は無く、椅子や棚も見当たらない。

 布団は床に敷きっぱなしで、押し入れには掃除機や洋服など、最低限の物がしまってあった。

 もう一つの部屋には燃えるゴミの袋が整然と並んでおり、部屋を半分ほど埋めている。


 全体的に生活感が無く、なんとも不気味な家だった。


「ぁ、えとえと、とりあえずっ、あの、れ、冷凍庫空けますねっ。しょのぉ、れ、冷凍食品っ、う、ぃ移動させるのでっ、すすす少し待っててくださっ」


 お姉さんは焦った様子で、大きな冷凍庫からポイポイと中身を取り出している。

 しかし、その量が尋常ではなく、床にはどんどん冷凍食品が積み上がっていく。


「あ、お姉さん。俺も手伝うから、少し奥へ行ってくれないかな」


「ぇあ……」


 突然、お姉さんがポロポロと涙を零し始める。


「ご、ごめっ、な、泣いてない、泣いてないでしゅ……ただっ、な、なんかっ、浅野少年がいると、お、思ったら、なんかっ、か、うわって、なんかぁ……」


 お姉さんはしばらく泣き続けた後、突然立ち上がって冷蔵庫を開ける。

 そのまま何かの薬を取り出し、一気に水で流し込んだ。


「ふぅ……ふぅ……ここっ、これでっ、だ、だ、そのうち、大丈夫に、ななななる、なります、からねぇ」


「あ、うん……」


 お姉さんの日常に、死体なんて物を持ち込んで良かったのだろうか?


 そんな不安を抱えつつも、二人で冷凍食品を出し切り、名倉さんと一緒に死体を冷凍庫に入れる。

 ちゃんと入るか少し不安だったが、膝を抱えさせることで余裕をもって収めることができた。


 普通の冷凍庫に死体が入っている光景は、ハッキリと異様だった。

 そこで、パタンと冷凍庫を閉めてしまえば、死体がすっかりと存在感を消す。そのことが俺の頭をより一層混乱させたが、同時に心が軽くなったのを感じる。


 ……けれどもこれは、お姉さんに重さを移しただけなのだ。


「へ、へひ……じじ、じゃあ、遅くなる前にぃ、ぉふ、お布団買いに行きましょうか? い、1枚しかっ、ぃ、家にぃ、な、ないですからぁ」


「ああ、そうか、わざわざ申し訳ないな……」


「ぃいいいい、だふっ大丈夫っ、ふ、お布団高いから1枚しかっ、買えないですけどぉ、ふふ二人ずつで添い寝ぇ、すれば良いれしゅよねぇ? ほほ」


 お姉さんのじっとりとした視線。それは俺の身体を這いまわり、しかし絶対に目は合わない。

 勘違いなのであれば良いが、しかし性的な視線を向けられている気がする。


 それは、文化祭の日に名倉さんがしていた目と良く似ていた。


「……っ、こちらにも少しはお金があるから、布団は自分たちで何とかする。ありがとう」


「ぁぅ……」


 俺は半ば逃げるようにして、悲しげに小さく手を伸ばすお姉さんから離れる。


 今だって俺は、文化祭の日に名倉さんからされたことを割り切れていないのだ。

 またあの時と同じように、俺の話を聞かず一方的に蹂躙されるようなことがあったらと思うと笑えない。


 チラリと横目で名倉さんを見る。彼女はボンヤリと俺の方を見つめていた。


 自らの首筋を撫でる。

 傷は治っているけれど、自然と身が竦んだ。


 今更名倉さんを見捨てはしないが、俺は名倉さんを前にどんな気持ちでいれば良いのか分からない。


 彼女は孤独な人だ。

 善悪の呵責なく人を殺してしまえる、俺が知る中で一番孤独な人。

 それは分かっているけれど、それでも俺の心は蟠っている。


 なんで彼女は、俺のことを好いているはずなのに、俺の話を聞こうとしてくれなかったのだろう? この疑問は、かつて母に対しても抱いていたものだ。

 母については、俺のことが好きなのではなく、子供を支配したいだけだったのだと理解したが……名倉さんも同じなのだろうか?


 死体のことを一時的に考えなくて良くなった今、きっと俺は改めて名倉さんと向き合わなくてはならない。


「……名倉さん」


「あっ、うん! どうしたの?」


「布団、一枚しか無いらしくてさ。あんまり高いものをお姉さんに買って貰うわけにもいかないし、名倉さんに買ってもらえないかなって……」


「分かった〜、どうせなら良いお布団買いたいね? えへ、他にも欲しいものあったら言ってね。何でも買うからっ!」


 そう言って、名倉さんはニコッと笑いながら三万円を手渡してくる。


 ……なんか俺、ヒモみたいだ。

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