飛んでっ!
「よし、着いた」
凝り固まった体を、うんと伸びをして解す。
バスの長期移動は堪えたようで、あゆみは何も言わずぐったりしていた。一方、名倉さんの方は特に変わらず平常通りだ。
俺は二人の確認を終え、改めて景色を眺める。
見渡す限りの田畑と山は、秋の暮れらしく少しずつ冬の様相に移り変わっているようだった。
気持ちの良い冷たい空気を大きく吸い込む。
俺達がバスを乗り継ぎ乗り継ぎ辿り着いたここは、俺が小学生の頃に住んでいた場所だ。
「懐かしいな……」
特に会いたい人など思い浮かばないが。
無論、俺が逃亡先にこの場所を選んだのは過去を懐かしむためではない。
言うまでもなく、死体を埋めるためである。
ここらの山にはかつて防空壕として掘られたトンネルが数多く放置されており、数年前から高齢化の影響で人も居なくなったと聞く。
確か子供の頃に秘密基地として使っていた防空壕の奥に縦穴があった。
あそこに死体を埋めれば、偶然発見される可能性は低いだろう。
「二人とも、これから山を登るが、飲み物はまだ残っているかね?」
「あ、私、全部飲んじゃった……」
「じゃあ近くに自動販売機があるから買っておくと良い。ここから先には店やそれに類する場所が無いからね」
名倉さんは「はーい」とゆるゆる返事をしてから自動販売機の方へ歩いて行く。
一方あゆみは、しかめっ面で黙っていた。恐らく、まだ飲み物は残っているのだろうが、随分お疲れのようだ。
「あゆみ君、疲れているのなら俺が一人で埋めるから、先にホテルへ行くと良い」
「うっさい、私も行く」
「……そうか。分かった」
「……」
黙って二人で景色を見ていた。
天気は、まさに秋晴れといった様子で、死体を持った俺には酷く不似合いだ。
「……晋作」
「何かな?」
「あんまりさ、独りで行こうとしないでよ」
あゆみはポツリと呟く。
俺はその言葉に答えられぬまま、静かに押し黙った。
+++++
「おー、すごいね〜。私、山って始めて登ったかも」
「え、確か一年生のときに学校のイベントで登った記憶があるけれど……その日は休んでいたのかね?」
俺の問いかけに名倉さんは少し考える素振りを見せ、それから照れくさそうに笑う。
「私、あんまりそういうの覚えてくって、えへ……」
「あぁ、そうか? 何となく名倉さんは記憶力が良い印象だったが」
「うーん、お勉強したこととかはちゃんと覚えてるんだけどね。ほら、学校行事の日って、何も起こらないから」
そんなことは無いと思う。
俺の微妙な顔を見て何を察したのか、名倉さんは慌てたように手を振って言葉を続ける。
「あっ、でもでもっ、浅野くんと一緒にしたことはちゃんと覚えてるから! 今年の運動会もね、ちゃんと覚えてるよ!」
……当然だ。俺の首を嬉々として裂いておきながら、忘れました、なんて言われたら困る。
そんなやり取りで足を止める俺と名倉さんを、あゆみはジロリと睨んだ。
「……話してないでさ、さっさと、うめる場所いこ」
確かに少し気が抜け過ぎだ。
今、俺たちは死体を運んでいるのだから。
気を引き締めて、周囲を伺いながら舗装された道を逸れる。
山道に入ると、途端に周囲は木々に囲まれ薄暗くなる。
葉が太陽を遮るだけで、ここまで暗くなるのか。
小学生の頃に何度も通ったはずの道は、すっかり記憶と異なっている。
落ち葉や小枝をパキと踏む音も、どことなく不気味に思えた。
記憶が正しければ、このまま進んだ先に廃屋があったはずだが……
薄暗い山の中、自然と俺たちは無言になっていた。
どことなく時間の流れが遅く感じる。
死体入りのキャリーケースを引く音が、足音と比べて嫌に大きい。
もし、警察が既に殺人に気が付いたらどうしよう?
あるいは、既に捜索が始まっているかもしれない。
いや、もしかすると今まさに警察が追って来てはいないだろうか?
考えないようにしていた不安が再び大きくなり始めた。
どうにか会話をして自分の気持ちを誤魔化したかったけれど、肝心の言葉が出てこない。
「……」
カラスが鳴いていた。
ガサガサと鳴る足元が気になる。
死体を埋めるより、鳥や虫に食べさせる方がバレないのではないか?
いや、どうせ骨が残るか。
「……っ!」
ビクリと肩が震える。
遠くで誰かの声が聞こえた気がした。
けれど、あゆみと名倉さんは反応していない。
耳を澄ましても何も聞こえない。
気が立って、感覚が過敏になっているのだろう。
落ち着くために大きく息を吸う。
……キャリーケースから、薄っすらと嫌な臭いがした。
自然と早足になる。
早く埋めて、死体から解放されたかった。
「ねえ晋作、まだ歩くの? 疲れたんですケド」
「ごめん、あと少し」
獣道を抜け、倒木を乗り越える。
どこからか虫の声が聞こえた。
大きな木の隣を抜けて、道なき道を曲がる。ここは記憶通り。
小さく土が盛り上がっている地面を踏み越え、また倒木。
そこを更に超えた先には、目的の廃屋が確かにあった。
それは記憶以上に荒れ果てていて、壁は苔むし、窓は割れ、昔は持ちこたえていた柱も折れている。
それでも俺は懐かしさを覚えていた。
ここは小学生時代の秘密基地、この街で唯一心の安全地帯だ。
「……よし、じゃあ死体出して。防空壕の中に運ぼう」
「えー、キャリーケースで中まで運べば良くない?」
「いや、防空壕の中は暗いから、あんまり内部でする作業を増やしたくない」
俺とあゆみが話している間に、名倉さんは躊躇なくキャリーケースのチャックを開けていた。
ずるり、と、氷水が入ったビニール袋が地面に投げ出される。
続いて白い手が、見えた。まるでカエルのようだと思った。
ビニール袋が水漏れしていたのか、死体は薄く濡れている。
まるで流れ出すように、胴、腰、足……ひっかかっていたのか、最後にボトッと頭が出て来た。
……生臭い。
濡れた死体の髪の毛は、酷く汚らわしいもののように思える。
「……じゃあ運ぼう、名倉さんは足の方を持ってくれる?」
「うん!」
やはり躊躇なく、彼女は死体の足を掴んだ。
俺も覚悟を決めて死体の腕を持つ。冷たく、ぬるりとした感触がした。
肉は、死んで時間が経っているからか想定よりも柔らかく、弾力が無い。
俺はその感覚だけで吐きそうだった。
涙が滲む視界で、死体を運び防空壕を目指す。
黙って佇んでいるあゆみを見て、やっぱり連れてくるべきでは無かったと後悔した。
一歩ずつ、防空壕の入り口に近づく。
まるで洞窟みたいだ。そんな感想は、小学生の頃から変わっていなかった。
防空壕の入り口は記憶よりも狭い。
俺は入り口に背を向けて、後ろ歩きで防空壕の中へと進んで行く。
数歩進むと、すぐに外からの光は届かなくなった。
「あゆみ君、ライトで奥を照らしてくれ」
「……」
あゆみは、黙ってスマホのライトを点ける。
「ひゃっ!」
瞬間、あゆみは叫びスマホを取り落とす。
俺は反射的に死体を離し、背後を振り返った。
「……っ!」
人だった。
いや違う、こんなところに人が居るわけない。
視線は、自然と上から垂れるロープに移る。
それはライトの光を白く反射し、人の首元で輪を描いていた。
「自殺……?」
それはどう見ても首吊り縄だ。
しかし、俺は死体とハッキリ目が合っていた。
「……ま、まだっ、じ、じ、自殺じゃっ、な、ない、ですよ~、ぁふ、ぉ、へへ」
死体が喋った。
否、良く見てみれば、その女性は首に縄をかけてこそいるが、足元の台から降りていない。
……要するに、自殺直前。 まだ生きているということだ。
「ふぅ……」
俺が状況を理解し一息ついた次の瞬間、名倉さんは動いていた。
真っすぐに、迷いなく、女性の足元の台を蹴飛ばそうと。
「ひ、ひぃっ!」
「名倉さん待って!」
女性が掠れた悲鳴を漏らすのと、俺が名倉さんを静止するのは同時だった。
……果たして、名倉さんはピタリと止まる。
そして、こちらを振り返った。
「でも死体、見られちゃったよ?」
その一言で、俺は改めて現状を理解する。
なるほど、この状況は限りなく詰みに近いらしかった。
1月5日に、同人音声を発売する予定です。
詳細は活動報告に記載しましたので、ご確認いただけると嬉しいです↓
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3386269/




