知らない人に付いて行ってはイケマセン
「いや、それは……」
何故、名倉さんに手を貸すのか?
改めてあゆみから問われ、俺の脳は客観的に現状を評価し始める。
「……」
名倉さんの隣に居たい。それは彼女が孤独だから。
真っ先に思い浮かぶのは単純なロジック。
名倉さんの怪物的な精神は、この人間社会においてあまりに孤独だ。
そんな彼女が夏休みに俺の隣で束の間の癒しを得られたというのなら、その暴力性を受け入れられなくとも、ただ隣に居るくらいのことはしたい。
責任は取れないし、俺の孤独は癒されないけれど。
……いや、どうだろうな?
俺が名倉さんの隣に居ようとする理由は、そんなに綺麗な物ばかりではない。
罪悪感、間違いなくそれが俺の胸で蟠っている。
名倉さんが、俺の母を殺した。
本当は俺が殺したかった。でも俺は「常識的に殺せない」、「殺すほどのことはされていない」なんて言い訳をして、今まで母に首を垂れて生きて来た。
そんな、ずっと自らを縛り付けてきた鎖を、名倉さんは俺と離れたくないなんて理由であっさりと振りほどく。
母を殺すのは、本当は俺の役目だった。
「あゆみ君、俺は名倉さんの暴力性を受け入れられない。彼女を変えてしまったことに対して責任も取れない。それでも、隣に居続けようと思えるくらいのことを彼女はしてくれたんだ」
「……なにそれ」
女子小学生は口をへの字に曲げた。
「私もついてく」
「え、でもそれは、その、何故……?」
「ほっとくと死にそうだから」
それだけ言うとあゆみは背を向け、俺の手を引き歩き始める。
街灯に照らされた小さな背中は、不釣り合いに大きく見えた。
それでも、あゆみはまだ小学生なのだ。
「……」
俺は少し小走りであゆみの隣に並ぶ。
彼女はチラと俺を見た後で、黙ってそのまま前を向いた。
夜道に二人分の足音が響く。
月明りに照らされたこの時間は、いつものあゆみを家まで送る時間と似ていて、けれども行先は逆方向。
本当は、家に転がっている死体を想うと今にも逃げ出したくてたまらなかった。
「……晋作さあ、もっと自分のこと大切にしなよ」
「何だ、急に。俺は十分自分を大切にしているよ」
「……」
あゆみは俺の目を見る。
口に出されずとも、彼女の言いたいことは伝わった。
「大丈夫だよ」
自分で呟いたはずの言葉は、しかし自分に言い聞かせているようで……
「大丈夫じゃなくても、もうどうしようもなく俺と名倉さんの人生は交わってるんだ。今更、置いて行けないよ」
結局のところ、それが本音だ。
ふと、あゆみが立ち止まる。
誰も居ない夜道は酷く静かだ。
「私のこともさ」
あゆみは足元の小石を蹴る。
「おいてかないでよ」
転がる小石は側溝に落ちる。
カンと乾いた音が響いて、小石は闇に呑まれた。
「……」
続けて蹴った俺の小石も、同じく側溝に落ちる。
ぼちゃん、と。水の音がした。
それ以降、俺とあゆみは黙ったまま帰路を進んだ。
+++++
「あ、予約していた山田です」
夜行バス出発の十分前、係の人に偽名を告げる。
名倉さんの高身長が功を奏したのか、俺が老け顔だったのかは知らないが、特に身分証を求められることは無かった。
あとはバスに乗り込むだけ。
しかし、どうやらキャリーケースは大きすぎて車内に持ち込めそうにない。
一時とはいえ死体を手放すのは不安だったが、バスの下の荷物入れに預けるしか無さそうだ。
「すみません、お、お願いします」
緊張で口の中が渇く。
死体が入っているのは鍵付きのキャリーケースだが、それでも開けられたらどうしようと不安になった。だが、今更荷物を持って引き返すわけにもいかない。
俺は震える手を抑え、担当のおじさんに荷物を渡す。
「あー、はいはい。お、これ重いねえ、なに入ってんの」
ドキリとする。
何か言って誤魔化さなければ。頭は真っ白だった。
どうしよう、どうしよう。
「はい、じゃあもう乗ってもらって大丈夫でーす」
俺が黙っているうちに、おじさんは荷物をバスの奥に入れ終えていた。
ほっとする。
危なかった、焦って変なことを口走るところだった。
名倉さんが死体を持ってきてから、俺は冷静になれていない。もっとそのことに自覚的になるべきだ。
「……ふぅ」
「大丈夫、浅野くん?」
名倉さんが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
頭を切り替えよう。ひとまずバスに乗ってしまえばゆっくりできる。
あぁ……でも、時間があるうちに死体をどうするか考えておかないと。
悩みは尽きない。不安は募るばっかりだ。
「……とりあえず、乗ろうか」
「うん~」
バスのステップを上がり、予約していた席に向かう。
長期休みという訳でもないので、乗客はそう多くない。
「じゃあ、予約したのはそこの二席と、そっちの一席だから。二人はそこに固まって座って」
そう言いながら俺が一人席に座ると、黙ってあゆみが膝の上に乗ってくる。
「あゆみ君、今日は……」
「やだ」
あゆみはツンとそっぽを向く。
すると、続けて名倉さんまで席に体を詰め込むように無理やり隣に座ってくる。
「二人とも、今はどういう状況か考えてくれ。変に目立つことはしたくない」
「やだ!」
説得も虚しく、二人は堅くなに動かない。
あゆみに関して、こういうときにワガママを言うことは無いと思っていたのだが……
「何故、嫌なんだ?」
「ふつーに考えて、夜行バスって寝るのに女子二人だけの席だったからヤバいじゃん。晋作がちゃんと考えろ、ばーか!」
あゆみに額を指でハジかれる。
痛みに額を擦りつつ、確かに早計であったと反省した。
「あー、いや、ごめん。じゃあ二人席に俺と名倉さんで並んで、ちょっと揺れたら危ないけどあゆみ君には膝の上に乗っていて欲しい」
果たして、あゆみはフンと鼻を鳴らすと膝から降りた。
俺は予約していた二人席の通路側に座り、あゆみを膝の上に乗せる。
「よし、じゃあ俺はバスの移動中起きておくから、二人は眠たくなったら好きに寝てくれて構わない」
……今日はどうせ眠れそうもないしな、と心の中で付け加える。
二人は車内の静けさを見て空気を読んだのか、無言のまま各々眠る体勢に入った。
あゆみは俺からコートを奪い、胸に顔を埋めて丸くなる。一方名倉さんは、俺の肩に頭を乗せて目を瞑った。
三人で寄り集まっているからか、そこまで寒さは感じなかった。
ドキリとする。
ふと名倉さんの髪の匂いが鼻腔をくすぐったのだ。
それにコートを毛布のように被ったあゆみとの距離感は、俺にキスの感覚を思い出させる。
なんだか恐ろしかった。
母の死体、あゆみの体温、名倉さんの香り、脳の中でぐちゃぐちゃに混ざって、まるで風邪を拗らせたみたいに頭がグラグラする。
これが現実だと思えなかった。
怖い夢みたいだ。悪い夢ではないけれど。
気が付くとバスが動き出していた。
知らない夜の道路を進んで行く。窓の外を見ても通る車はまばらで、月だけが俺と並走していた。
過行く道路標識とガードレールが、今までの日常と俺を切り離していく。
これからどうなるのだろう?
体であゆみの鼓動を感じる度に、彼女を巻き込んでしまったことは間違いだったと自覚する。
名倉さんの安心したような寝顔を見ると、本当に悪いのは俺なのではないかと思えてくる。
全部、全部が、狂ってしまった。
俺はどこへ向かっているのだろう?
文芸部のみんなも、クラスのみんなも、間違わずに将来へと向かっているのに。
俺は進路なんか考える間もなく、気が付いたら明後日の方向へ移動中だ。
不安だった。
諦めて、孤独な人と傷を舐め合うような生き方は、やっぱり間違っているのだろうか。
平川も、綾加も、名倉さんも、あゆみも、みんな俺のせいで傷ついたのではないだろうか。
……夜は思考が暗くなる。
とはいえ、今感じている黒い泥のような感情が、見当はずれに暗いだけだとは思えなかった。