かーごめ、かごめ!
「……朝だ」
文化祭当日、俺は酷く陰鬱な感情と共に目を覚ました。当然である。何せ、俺は今日殺されるかもしれないのだ。
文化祭、サボっちゃダメかな? 普通に殺されたくないし。
とはいえ犯人が文芸部の人間である可能性が高い以上、今日サボるのは寧ろ悪手だということは俺も理解している。
いつ殺されるか分かっている方が攻撃は避けやすいし、一度避けることができたら犯人の特定ができるのだ。更に言えば、犯人が特定できれば説得の余地が生まれる。
今日、学校をサボる理由がない。
……いや、本当は俺だって分かっている。死にたくないのなら警察に任せれば良い。そもそも俺が本気で犯人を特定しようとしていたのは最初のうちだけだった。
何故、俺は警察を頼りもしなければ、本気の犯人探しもしないのか? 答えは酷く単純で、疑うのが嫌だったから。
なんだか面倒くさいんだ。結局のところ何が真実かなんて当事者にしか分からない。例えば俺が中学の頃、モザイクアートを7割作ったのは生徒会長でなく俺だと主張しても、誰も信じはしなかっただろう。
人間は物事の成否を妥当性によってしか判断できない。俺は生徒会長のように信頼というものを積み重ねていなかったから、誰も俺の発言に妥当性を感じない。逆に、生徒会が今の文芸部メンバーで構成されていたのであれば、きっと俺の発言はある程度留意されたことだろう。それは俺が、曲がりなりにも会話を積み重ねて文芸部員たちの信頼とやらを勝ち得たからだ。
……ああ、馬鹿馬鹿しい。真実を求めるという行為が、酷く馬鹿馬鹿しくて仕方がない。妥当性によって真実と判定された嘘を跳ね除ける方法は、全ての発言を等しく受け入れて、人を信じる事も疑う事も止める他にないのだ。
そもそも『浅野晋作殺害計画』の犯人が文芸部員であるという結論だって、妥当性による推論だ。そんなものに基づいた犯人探しなど、妥当性によって透明化された経験のある俺にはできる筈もなかった。
はぁ、学校に行きたくない。
殺すなら予告なしに殺してくれ。俺の人生上で心配事のある時間を長引かせないでくれ。
グダグダとした思考は巡る。ベッドでゴロゴロしていれば、時間だけは経過した。その時である、玄関から機械的なブザーの音が聞こえてきたのは。
「……来客か」
だんまりを決め込む。
迎えに来たのか? 名倉さんか? 或いは、あゆみの可能性もある。だが、あゆみとは先日のキスの一件以来顔を合わせていない。やはり名倉さんだろう。
「……」
ベッドで小さくなっていると、もう一度ブザーが鳴る。
結局のところ誰が玄関にいるのかは分からないが、もしあゆみだった場合またベランダの窓を割られかねない。
俺はもそもそとベッドから出て玄関に向かう。恐る恐る覗き穴を覗いてみれば、立っていたのは平川だった。
「なんだ平川か……」
少し安心してドアを開ける。
「私で悪かったわね」
「聞こえていたのか。まあ、悪い意味じゃない。外にいたのが平川で少し安心しただけだ」
「は、はあ? なんで私だと安心すんのよ?」
平川は朝から腰に手を当ててご立腹だ。
「いや、勝手な印象論なのだがね、平川は比較的殺人から遠そうだと思っただけだよ」
「……なにそれ」
「いや、こちらの話だ。忘れてくれ」
平川は一瞬微妙な顔をしたが、特にそのことについてはコメントせず、早く制服に着替えてこいと俺を急かした。
結局、サボるという選択肢は無くなってしまったな。
俺はダラダラと身体を動かして、制服の袖に腕を通した。
+++++
「よしよし、みんな揃ってるね〜」
時間通り部室に集合した面々を見て、芥屋先輩は満足そうに頷く。
「さて、綾加後輩! 本トーナメントの準備は結局終わったのかな?」
「終わったっす! 昨日、家で遅くまで起きて頑張ったっす!」
「いいね! じゃあ一緒にラミネートしに行こう。他の三人は、飲み物の準備をたのんだよ〜」
芥屋先輩は珍しく場を仕切りながら、綾加後輩を連れて部室から出ていった。
昨日の平川の様子を見て、負担を減らそうとしているのだろう。
良い人だと、そう思う。
俺は紙コップとプラスチックのスプーンを並べながら、飾り付けられた部室を眺める。
大正ロマンと言うのだろうか? 全体的に落ち着いた雰囲気は文芸部にマッチしており、なかなか悪くない空間に仕上がっている。
「……平川、うちの店、結構良い感じじゃないか?」
「まあ、悪くは無いわね」
そう言って腰に手を当てている平川の声は、心なしかいつもより弾んでいるように思えた。
俺も学校に来て文化祭の空気に当てられたのだろうか? 『浅野晋作殺害計画』への恐怖は、気がつけば薄くなっていた。いや、それどころか俺は文化祭というものにワクワクしてさえいる。
「客、来るかな?」
俺の質問に、平川はふんと鼻を鳴らすと自信ありげな様子で語り始める。
「飲食店は例年のデータを見ても、一定数の顧客が見込めるわ。ウチは立地が悪いけど、そこまで忙しくしたいわけでもないし丁度良いくらいの客入りになるはずよ」
「なるほど、前回の二の舞いにはならなさそうだ」
俺は安心して頷くが、一つだけ気になることがある。
「でも、本トーナメントのときはできれば多めに客を呼びたいな……」
「そうね、綾加さん頑張ってたもの」
「……まあ、うん」
改めて、頑張っていた綾加のために客を呼びたいと言うのは少々小っ恥ずかしかったが、俺が言いたいのはつまりそういうことだった。
「大丈夫、本トーナメントの30分前に呼び込みでもすれば、ちゃんと盛り上がるわよ。景品だって用意してるんだし」
「そうだな、そうだと良いな」
「まだ不安なら、アンタがメイド服でも着てみれば? 物珍しさに少しは客入りが増えるかもよ?」
平川がイタズラっぽく笑う。俺は勘弁してくれと手を振るが、そこに予想外の伏兵が現れた。
「浅野くん、メイド服着るの? 私、メイド喫茶をやってるクラスの人からメイド服借りてくるよ?」
「いやいや、勘弁してくれ名倉さん。俺は滑稽を売りにした見世物になるつもりはないよ」
俺が苦笑しても、名倉さんは引き下がらない。
「あ、でもね、変な感じにはならないんじゃないかな? メイド服、似合うと思う。あの、ヨーロッパの御屋敷の本格的なメイドさんみたいな感じで、どうかな?」
「いや、どうかな? と言われても……」
何が嬉しくて女どころの多い文芸部で、わざわざ俺がメイド服を着なければならないのか? 甚だ疑問である。
「名倉さん、用意してくれたら着るから、二人のときにこっそり見せるのでは駄目かね? 俺はあまり交友関係が広くない方だから、学校で恥を晒すと被害が致命的に大きいのだよ」
「えっ! あ、ふ、二人? うん、うん、分かったよ。えへ、ありがとう」
「いや、待ちなさいよ!」
俺と名倉さんの合意が形成されたというのに、平川の方から待ったが入る。
「なんでそんな、いかがわしい話を進めてるわけ!? 着るなら普通に文化祭で着なさいよ!」
「嫌だよ、普通に」
「じゃあなんで名倉さんに見せるのは良いのよ!?」
すごい剣幕である。ヒョロヒョロとした眼鏡男のメイド服姿にどれほどの価値があるというのか?
「別に、そんなに見たいのなら平川にも見せるよ……」
若干引きながらそう返答すると、平川は腕を組んでそっぽを向く。
「なら良いわよ……」
なら良いのかよ……
「後輩くん、メイド服を着たまえ」
「次から次へと何なんですか……」
ようやく平川を説得できたと思ったら、いつの間にか帰ってきていた芥屋先輩と綾加が背後に立っていた。
「文芸喫茶にクラシカルメイド、実に大正ロマンで店の雰囲気にも合っている」
「だったら芥屋先輩が着れば良いんじゃないですか?」
「いやいや、借りられたメイド服が一着しかなくてね。だったらバランスも考えて、唯一の男子である後輩くんが着るのが妥当なんじゃないのかな?」
芥屋先輩は、さも当然という顔で俺にメイド服を渡してくる。
「……この服、女性用だしサイズ合わないんじゃないですかね?」
「小柄な後輩くんなら大丈夫だよ」
「そうですか……」
致し方あるまい、せめて堂々としていよう。
俺は渋々メイド服を受け取り、近くのトイレの個室に入る。着替えてみると、心配していたサイズについては肩幅が少々張っている程度で問題はなかった。
さて、鏡を見てみれば下手な女子より可愛い、なんてこともなく、当然のような顔でメイド服を纏った陰気な男がそこにいた。
ラノベなんかでたまに見る展開だから少しだけ期待したのだが、まあ現実なんてこんなものだ。
クラスの騒々しい連中が文芸喫茶に来ないことを祈るばかりである。
俺はいつもより数割増しで背を丸めながら部室の前に戻る。そこで扉に手をかけ、ふと動きを止める。
どうせなら堂々としていよう。と、心に決めたことを思い出したのだ。
姿勢を正し、ガラリと扉を開ける。
「わあっ!」
わあっ! って、本気だろうか?
しかし、好感触だと存外に嬉しいもので、俺は調子に乗ってスカートを軽く持ち上げ上品にお辞儀をしてみたりする。
「ロングスカートであれば、そこまで恥ずかしくもないな」
「あ、浅野くん、写真撮ってもいい?」
「構わないが、それは放課後にしよう。そろそろ開店の時間だよ」
「あ、うん、そうだよね。じゃあ、放課後にね、えへへ」
名倉さんがカウンターへ戻ったのを皮切りに、各々がスケジュールに合わせた行動を取り始める。
俺は午後の本トーナメントまでホールとキッチンの担当で、それ以降は自由時間だ。
朝一番からメイド服などというイレギュラーは発生したが、努めて冷静にいこう。殺害計画の全容は掴めず、文化祭はまだ始まったばかりなのだから。