勇気を出しても空回り
俺は何故、殺されなくてはならないのか?
帰路の途中、公園の化け蛸遊具に引き籠った俺は、しゃがみ込んで考えていた。
心当たりが無い訳ではない。
俺と文芸部の面々との関係はそこそこに拗れているし、何より感覚として殺されそうになっていることに違和感が無かった。
結局のところ問題は動機である。
これは圧倒的に俺とルーズリーフの持主の問題であり、憎悪にせよ執着にせよ、何らかの形で向き合いたい。
もしかしたら名倉さんとの関係のように、無責任な形で終わってしまうかもしれない。
それでも、付き合いきれないなら付き合いきれないで、そのことをしっかりと伝える。
名倉さんに対して、そうしたように。
……いや、それはそれで無責任か。
やりたいようにやって全てをぶっ壊したあゆみに俺は救われたが、俺がやりたいようにやればきっと何かを腐らせる。
ずっと、腐ったものばかりが目に付いたから。
もしこれが俺によって引き起こされた腐敗や捻じれだったとしたら、向き合わなければならない。
母とも、先生とも、クラスの皆とも、違う人間がいる。
そう信じてみたいから。
俺は覚悟を決めて、ノソノソと化け蛸の腹から這い出す。
やることは沢山だ、文化祭の準備も含めて。
だから竦む足には、気がついていない振りをした。
+++++
「おはよ」
ぎょっとする。
玄関から出ると、控えめに手を振る名倉さんがいた。
一緒に登校しようと言外に誘うその行動は、今の俺を否応なしに警戒させる。
「えっと、おはよう名倉さん」
俺は平気な顔をして彼女の隣を歩き始めた。
条件反射の強がりである。
まあ、彼女とも知らない仲ではない。
何より家も知っているのだから、朝一緒に登校するというのも決しておかしな話ではないのだ。
そうやって自分を落ち着かせるが、鼓動だけはどうにも操りようがない。
「名倉さん、今日は何か用でもあって来たのかな?」
「あ、えっと、お家近いし、その、い、一緒に学校、行きたいなって……思って」
彼女は不安そうにこちらを見る。
「なるほど」
俺は名倉さんの言葉や表情が本心か分からなかった。
故に鎌を掛けてみる。
「そういえば、今日の数学の課題は教科書の54ページで合っていたかな?」
正しくは56ページ。
拾ったルーズリーフの内容から、恐らく大本のメモ帳は普段遣いしているものだと予測できる。
ここで、確認のために名倉さんがメモ帳を取り出せば、筆跡なども含めて所有者か否か特定できるという寸法だ。
果たして、名倉さんはふわりと微笑む。
「56ページの、Q1から6だよ? でも私、難しくて理解するまですごい時間かかっちゃった」
「あー、そうだったかな。ふむ」
ぬかった。
今日の課題内容であれば、覚えている可能性も十分にあり得ると分かった筈なのに。
俺はなんだか面倒になって、普通に聞いてみることにした。
「そういえば名倉さん、昨日部室にルーズリーフを忘れなかったかね? 予定が色々とメモされているような」
「え、メモ? ん〜、私じゃないなぁ。ルーズリーフ使ってないからね~」
「そうか」
嘘か真か知らないが、名倉さんとは同じクラスだし少々観察していれば分かることだろう。
それ以上の追求は止めておいた。
名倉さんが無関係の他人だった場合、ルーズリーフの持ち主はあまり計画を知られたくないだろうし。
「ところで最近、あゆみ君とはどうなのかね?」
「……えっと。あんまり顔、見れてないかも」
少し言い淀みながら名倉さんは応える。
まあ、予想通りではあった。
俺と話すときの、あゆみの話題に上がる事と言えば、専らゲームか学校であった事ばかりだ。
けれど一つだけ、あゆみから聞いた名倉さんの話題を思い出す。
「そういえば、読んでると聞いたよ? よだかの星」
「あぅ、うん。そうだね、読んでる。……あ、あ、返したほうが、いーかな?」
名倉さんの表情が少し固くなる。
彼女にとってのよだかの星が、どういった位置づけなのか察しがついた。
「や、気に入ってくれたのならあげるさ。元より俺は、何度も読み返すタイプではないからね」
「そ、そっか」
ぎこちなく、名倉さんは口を噤んだ。
その後は何度か口を開いたり閉じたりして、俺の事をチラチラと窺っている。
「どうかしたかね?」
「あぅ、うん、えと、ゃ」
歯切れが悪く、もにょもにょと口ごもる。
そうやって名倉さんは視線を宙に彷徨わせていたが、覚悟を決めたのか俺の目を伏し目がちに見つめた。
「首、ちょっと、撫でさせてほしいな?」
「首?」
「う、うん。絞めたりしないから。撫でるだけ」
唐突な話題の転換に、思わず硬直する。
名倉さんは俺の様子を見ると、誤魔化すように手をわたわたと動かした。
「……あゎ、ごめんなさい。やっぱり大丈夫っ!」
「そうかね?」
俺は訳が分からないという顔でそう言った。
無論、訳は分かっていた。
絞めたいのだ、彼女はまだ。
脳裏に浮かぶのは未だ鮮明な『浅野晋作殺害』の文字。
彼女は俺を殺したいのだろうか?
思わず自分の首を摩った。
思い起こされるのは圧迫感。
アレは随分、苦しいものだ。
本当に向き合わなければならないのか?
俺は殺されるだけの因果を積み重ねたか?
呼吸が浅くなる。
息を深く吸っているのに、肺にはまるで届かない感覚。
死の恐怖はハッキリと異質で、日常とは到底交わらない。
俺の目指す在り方は、簡単に揺らいでしまいそうだった。
「浅野くんは、どうだった?」
その声で、意識がハッと浮上した。
「申し訳ない、聞き逃した」
「あっ、えっと、よだかの星の話」
「あぁ……そうだったか」
よだかの星。醜く迫害されていた夜鷹が、逃げて逃げて逃げた果てで、最後は星になる話。
「ちょっと、眩しい。それが俺の感想だよ。逃げ続けるにも、根気がいるものだから」
「逃げる?」
名倉さんは不思議そうに首を傾げる。
「ほら、夜鷹が。鷹に殺されたくないから逃げるだろう?」
「うん……」
彼女は少しだけ困ったように眉を動かした。
続く言葉を待つが、一向に口は開かれない。
「その様子を見るに、名倉さんは違う解釈をしたのだろう? 聞かせてくれないかね」
「え、でも、間違ってると思うから……」
「間違えたって良いとも。よだかの星の作者が考えた架空の地名に、イーハトーブというものがあってね。小学生の頃に読んだ国語の教科書では、作者が岩手県出身だという理由と、イーハトーブと岩手の響きが似ているからという理由で、イーハトーブと岩手の関連性を主張していた。子供ながらに無理があるだろうと思ったが、確かに教科書にはそう書いてあったんだ。だから思うに、解釈なんてそんな感じで良いのさ」
俺は講釈を垂れる。
名倉さんはまだ、曖昧な表情をしている。
「あとはまあ、名倉さんと本の話をしてみたい。夏休みには、あまりできなかったからね」
「そ、そっか。そうだ、ね?」
名倉さんは小さく微笑んだ。
「そういう普通のこと、私もしたいな」
「うん」
半歩こちらに寄った彼女に、俺はどう対応すれば良いか分からなかった。
体育祭をサボった日、彼女は俺と普通の事をしたいと言ったけれど、やはり首も絞めたいと言ったのだ。
故に、あの日から今日まで彼女は彼女だ。
けれど夏休みでは考えられないような笑顔を前に、俺はどうにも勘ぐってしまう。
これから沢山普通の事をして、文化祭の日に首を絞めフィナーレ……そんな身の竦む段取りを。
地面を踏みしめる感触が、どこか他人事のようだった。
「浅野くん、私が思うに……」
名倉さんはどこか危うい距離感で、上から俺の顔を覗き込む。
彼女の身体は、明確に俺より高かった。
「よだかは居場所を探してたんじゃないかな?」
「それは逃げるのとどう違う?」
「逃げてるだけじゃ、ずっと独りきりのままだから」
居場所を探していようが逃げていようが、結局は周り次第じゃあないかと俺は思った。
けれども口にするのは止めておく。
そのときは何故だか、間違っているのは自分の方だという気がしてならなかったから。
そうとも、人には間違っても良いなどと嘯いて、俺はまるっきり間違える気など無いのである。
これは俺の浅ましさだ。
助けられる気が無い癖に、人の力になりたいと宣う。
自分は間違えたくない癖に、人の間違いにはまるで興味が無い。
そも、俺の思想は根本的に嫌いな人達へのアンチテーゼに過ぎない。
自分の正しさによって、嫌いな人間の間違いを証明しようとしているのだ。
けれどもそれだって少しずつ変わっている。
まあ、変わった今を肯定できても、未来もそうとは限らないのは悲しいところだが。
人生における責任の所在は――
「あの、浅野くん?」
「ん?」
「あ、えと、ぼーっとしてるみたいだったから。さっきも、なんだか、そんな感じだったし。疲れてたら、その……」
彼女は心配そうに俺を見ている。
そんなに分かりやすく疲れていたのだろうか?
拉致監禁されても動じなかった俺としては、少々不本意かもしれない。
「大丈夫、問題ないとも」
「そっか。じゃあ、その、あの、文化祭っ、の、こと、なんだけ、ど」
「ああ、何か聞きたいことでも?」
俺がそう問い返すと、名倉さんは言葉を詰まらせながらも口を開く。
「い、一緒に文化祭、回りません、か……?」
蚊の鳴くような声。
赤面した彼女は、顔を伏せながらそう言った。




