ふやしおに
「あゆみちゃんおかえり~。ちょっと遅かったね、あんまり浅野くんに迷惑かけちゃだめだよ?」
運悪く、帰った瞬間に名倉花香と鉢合わせした。
ちょうど風呂上りだったみたい。
「……ん」
私はいつもみたいに無視して自分の部屋に行こうと思ったけど、今日は晋作にめいわくかけちゃったから、思わず足が止まった。
そこで、少し気になったことがふと口をついて出る。
「お前、晋作の首なんで絞めたの?」
名倉花香の表情がこわばる。
名倉花香と私は、一瞬だけ見つめ合った。
「…………」
返事はない。
私は興味を失って、階段を上ろうと足を上げる。
「待って」
「……なに?」
「わ、私、私は、浅野くんの首を絞めると、ドキドキするの。夢中になって、安心する」
私はちょっと気になって聞いただけなのに、名倉花香は重くとらえてるみたいだった。
でも私には関係ないから「ふーん」とだけ言って階段を上る。
「でも、もう絞めないよ」
背後から聞こえた声を無視して、後ろ手にドアを閉める。
ちょっとしたら、一階の方から楽しそうな声が小さく聞こえてきた。
私はふと。指に触れた晋作の唇の感触を思い出す。
色んなモヤモヤを追い払うようにゲームを起動した。
光る画面を見つめるうちに、全部昨日のできごとだったみたい。
今日はもう、終わり。
~~~「バカな大人観察日記:PART2」~~~
今日は、まちがえて晋作の口の奥にアイスの棒を入れて、吐かせちゃいました。
わざとじゃなかったけど、信じてもらえないかなと思ったけど、分かってるって言ってくれたので、うれしかったです。
大人って私の言うことなんにも聞く気ないけど、ほんとに晋作はちゃんと聞いてくれるんだと、あらためて感じました。
でもなんか、最近はだから、学校でも家でも一人でいれたけど、すぐに晋作に会いたくなります。
さびしくてつまんないのって、どうすれば良いのかなと思いました。
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「先輩! なんで昨日の運動会来なかったんすかっ!」
「おぉ……」
突然部室に現れた綾加に、俺は思わずよく分からない声を漏らす。
芥屋先輩も平川も、俺と同じく驚いたように綾加の方を見ていた。
「えっと、綾加君。取り敢えず廊下で話そうか。あ、芥屋先輩と平川は、先に文化祭の話し合いを進めておいてもらって……」
「いいわよ、ここで話しなさいよ」
「いやでも部活関係ないし」
俺は困惑して平川を見る。
そしてそんな状況はお構いなしに、綾加は物珍しそうに部室を眺めまわしていた。
「ここって何の部活なんすか?」
「文芸部だ」
「へー、綾加も入りたいっす! 入部届けとか書けば良いんすかね?」
綾加の思いつきのような言葉に、平川は反射的に声を上げる。
「は? いや、ちょっと待ちなさいよ! アンタ別に文芸に興味ないでしょ!? というか急にそんな……うぅ」
勢いよく話し始めた平川だったが、元来彼女はかなり人見知りをする方だ。
綾加から真っすぐに見つめられ、言葉は尻すぼみになって消える。
「なんすか? 入部資格とかあるんすか?」
「いや、その……」
平川が視線を逸らしてモジモジしているところに、ガラリと再び部室の戸が開いた。
「あの、文芸部ってここで良いのかな? 入部届け、持ってきたんだけど……」
名倉さんだった。
こうなってくると、いよいよ部室は混沌の様相を呈してくる。
平川は唖然とした顔で綾加と名倉さんを見比べており、芥屋先輩はニコニコと笑っている。
俺は、なんとかしてくれという意思を込めて芥屋先輩を見るが、彼女は呑気にお茶を啜るばかりである。
俺も諦めることにした。
「芥屋先輩、俺にもお茶下さい」
「いいよ、ダージリンティーとカモミールティーどっちが良い?」
「麦茶しかないでしょうが」
「はっはっ、気持ちの問題だよ。何事もね」
意味深に笑む芥屋先輩は今日も掴めない。
俺は受け取った冷たい麦茶を飲みながら一息ついた。
「結局、文化祭なにやります?」
「そうだねえ、去年は部誌作ったけど」
「あれ結局、俺らみんなお客さんに声かけできなくて一冊も持って行ってもらえなかったじゃないですか」
「いや~、部室の立地が悪いよ。今回はこっそり玄関とかに置いてさ」
「怒られますって」
「え~、それは嫌だなあ。じゃあお化け屋敷とか?」
「文芸関係なさ過ぎるでしょう……」
「頭が固いよ、後輩くんは」
そう言って芥屋先輩は笑い、猫のように伸びをする。
先輩はいつも変わらない。だからどこか、俺の中で日常の象徴のようだった。
気が楽だ。
しかし、どれだけ日常を気取ろうと、背後では新入部員という明らかな非日常が存在している。
綾加も名倉さんも嫌いではないけれど、今は少し考えないようにしたかった。
結果として平川に応対させているのは、申し訳ない限りだが。
チラと横目で彼女らを見る。
今は机に向かって入部届けを書いているようだ。
なんだかんだ言っても平川は面倒見が良いため、必要事項の記入について説明している。
そうやってしばらく待っていると、ようやく書き終わったようだ。
平川は二枚の入部届けを持ってこちらに向かってくる。
「芥屋先輩、新入部員の入部届けです。後で柳先生に渡しておいて下さい」
「あ~い、りょーかい。でもあの二人、普通に入れちゃって平川ちゃん的に大丈夫だった?」
「別に、良いです。まあ見るからに浅野目当てですけど、入部は自由なので」
目を逸らしてそう言った平川に、芥屋先輩はグッと目を合わせる。
「ほんとに、良いの? 今なら部長権限で追い返してあげても良いよ?」
「っ!」
その問いに平川は逡巡するように視線を泳がせる。
だが、最終的にはキッと先輩を見つめ返した。
「しつこいです。だいたい、この部活は私のものでも先輩のものでもないじゃないですか」
「そ、まあ、平川ちゃんはそう言うよね。良いところだよ、うん。よし分かった、この入部届けは先生にわたしとくね~」
そう言って先輩は入部届けをクリアファイルにしまい込んだ。
平川はそれを、じっと睨みつけるかのように見つめている。
「……それじゃあ改めて、文化祭出し物の話し合いをするわよ」
彼女はパッと振り返り、新入部員も交えて仕切り始めた。
様子は至って普通に見える。けれど内心が読めない彼女に対し、俺はいつもどこかズレていたように思う。
今だって俺は、彼女に許されているのかさえ分からない。
以前、綾加と一緒にいるところを見られたときに少し話したけれど、彼女の反応は薄かった。
俺はどうすれば良いのか? 彼女は何を求めているのか?
今一度観察してみるけれど、やはり分からないままなのである。
窓の縁に、死んだ蝉が転がっていた。
新たな季節の到来は、未だ半袖の制服に少し肌寒い。
けれど確実に秋の文化祭は迫っている。
体育祭と文化祭は違うけれど、やはり俺の気分は浮かないままだった。
今日もまた、コオロギの声が聞こえる。