会話、失敗
名倉花香は話し続けた。
「浅野君って学校だとあまり話したこと無かったけど、ずっと仲良くなりたいと思ってたんだっ」
「へ~、浅野君っていっぱい難しい本を知ってるんだね! 私も興味でてきちゃった。何かオススメの本とかあるのかな?」
「え? 私、私なんて全然だよ~。あ、でも、前に 島村さんが面白くて——————」
「えっと、テレビで見たんだけど、あの女芸人さんが出てる番組、え~と、名前、名前何だっけ? 浅野君、覚えてる?」
「う~ん……私は、みんなが幸せになれれば良いなって思ってるよ?」
名倉花香は話し続ける間、コロコロと表情を変え、声音を変え、話題を変えた。
しかし、喋る速度だけは変わらない。そして少しの無言さえ恐れるように、質問と共感と話題提供を繰り返した。
きっと、名倉さんはコミュニケーション能力が高いのだろう。
しかし俺は、コミュニケーション能力の高い人間と会話する能力が著しく低かった。
自分と無理して会話しようとしている人間とそれとなく楽しく会話できるほど、俺は嘘が得意ではなかったのだ。
故に、この気まずい沈黙は予定調和だ。
それでも、この気まずさをなんとかしようと名倉さんは口を開く。曖昧な笑みを浮かべる。身振り手振りをしようとする。
しかし、全ての手を出し尽くしてしまったのだろう。
結局、名倉さんは辛そうな顔で黙り込み、小さく縮こまった。
「…………ごめんね」
「いや、別に」
俺にはその謝罪が何に対する謝罪かも分からず、返答に窮してそう言った。
「…………」
再び流れる沈黙。
「あのっ」
その沈黙もやはり、名倉さんによって壊された。
「私の話って、つまんないかな……?」
不安そうな顔だ。
俺は何と答えるべきか思案した。
恐らく、ここでの正解は「そんなことないよ」だ。しかし、話の内容というか、名倉さんとの会話が「つまらない」どころか苦痛ですらある事実は無視できない。そして、これから一ヶ月間も名倉さんと同じ家で過ごす可能性が高い以上、この問題を放置する事はできなかった。
「つまらないというか、名倉さんの話は、ほとんど学校の誰かしらが名倉さんにした話をリピートしているだけだろう? 話したい事が無いのに無理して相手に会わせながら話すのは疲れないのか気になってね。あまり会話に集中できなかったというか……そもそもあれは会話なのか疑問だというのが正直なところだ」
名倉さんが目を見開く。
瞬間、俺は失敗したのだと悟った。
名倉さんはフラリと立ち上がり、力無くぬいぐるみだらけのベッドに倒れ込む。
俺はなんとも居心地が悪くなり、足枷をつけられたままペンギンのようによちよち歩き。
そっと、名倉さんの部屋を後にした。
+++++
「うわぁっ……なに、お前。名倉花香の部屋にいてって言ったじゃん」
ずっと宿題に集中していた女子小学生は、部屋の隅で体育座りをしていた俺に気が付くと嫌そうに顔を顰めた。
「や、少々会話で失敗してしまってね。自主的に名倉さんの部屋から退出した」
「……ふーん。あいつと上手く話せないって、お前ヤバいね」
女子小学生は少し嬉しそうに口元を緩めると、おもむろに立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ夜ご飯にするから。ついてきて」
そう言うや否や歩き出した女子小学生に、俺は足枷で転びそうになりながら必死で追いすがる。しかし、俺はすぐに立ち止まった。階段である。
どうしようか? 流石にここまで手足の自由がきかない状況では降りるのも一筋縄ではいかないだろう。
……よし!
俺はすごすごと部屋に引き返し、静かに体育座りをした。
どうやらこの足枷は、俺の想像以上に自由を縛っていたらしい。
脱出しようと思えばいくらでもできると踏んでいたのだが、不覚である。
俺はそこそこしっかりと、女子小学生に監禁されているようだった。
……大人として捕獲された以上は、もう少し大人の威厳というものを見せつけた方が良いのではないだろうか?
だが、改めて考えてみると大人の威厳とは何なのか皆目見当もつかない。
俺は人生に於いて、大人に威厳というものを感じたことが無いようだった。
例えば小学生の頃、学校にゲーム機を持ってきた奴がそれを無くし、俺が盗んだと言った。ゲーム機が俺の引き出しから見つかったからだ。
恐らくそいつが、間違えて俺の引き出しにゲーム機をしまった事が原因なのだが、俺の無罪を信じる大人はいなかった。俺の説明を言い訳と断じ、教師も親も、俺を囲んで責め立てる。
最後は俺も諦めて、やってもいない罪を認め謝罪した。帰りの車内で母の言った「自分の間違いをちゃんと認められて偉かったね」という言葉と、優しげな笑みは今も覚えている。
理不尽に抗うことの無意味さを、俺はそのときに学んだのだ。
これで大人に威厳を感じろなどと言われても、到底不可能である。
……うん、大人の威厳など見せなくて良い。
あの女子小学生は賢い。きっと俺の日常を観察すれば、まやかしの威厳も、大人に期待する無意味さにも気が付いてくれる事だろう。
俺はごろりと床に体を横たえる。
窓から見える夜空をぼんやりと眺めていると、部屋のドアが開いた。
「ほら、お前の夜ご飯」
女子小学生は、お盆の上からこちらにシーフード味のカップ麺と、うす塩のポテトチップスを渡す。
目の前に置かれたカップ麺はご丁寧に蓋を開けられ、きちんと割りばしも割られていた。
手枷を着けた状態で食事ができるのか少々不安だったが、存外なんとかなりそうだ。
俺は床にカップ麺を置いたまま、箸で麺を掴み口に運ぶ。
うん、普通のカップ麺だ。
「ところで、君。あまり凝視されると食べにくいのだが」
女子小学生は、ベッドの上から俺を見下ろして嗤う。
「生物観察でエサやり観察しないとか、ないでしょ」
「まあ、確かにそうだ」
俺は納得し、そのまま食事を再開した。
動物園の獣も、こんな気持ちだったのだろうか? であれば、これは管理下に置かれる者の性という事なのだろう。
「……ねえ、お前、なんで名倉花香とケンカしたの?」
「いや、別に喧嘩した訳では無い。ただ、自分の話はつまらないかと聞かれて、無理して俺と話そうとするのは疲れないか? と答えたら失敗した、それだけだ」
名倉さんはきっと、明日にはもう「私は許しましたよ」みたいな顔で何事も起こっていないかのように振舞う。そして俺は、次から当たり障りのない返答を心がける。
俺の人生経験からすれば、これで問題なく事は済む筈だ。
こういう問題の解決方法は嫌いなのだが、まあ致し方あるまい。
俺の素知らぬ顔を女子小学生はひとしきり観察した後、「……ふーん」と呟きラーメンに視線を落とした。
「…………」
沈黙が流れる。
しかし、それは名倉さんの部屋で感じたものほど気まずいものでは無い。
俺はどうやら、気を遣われるのが苦手らしかった。きっと、あの白々しくて嘘臭い言葉がいけないのだ。
「……なあ、君は大人の馬鹿さを綴った日記で、何を変えられると思っているんだ?」
女子小学生はカップ麺を啜りながら答える。
「知らない。でも、何もしないままじゃ負けになっちゃうから」
「……なるほど」
であれば、俺は負けているのだろう。しかし、俺は負けを認めていない。
そして、そのまま戦うことから逃げ続けている。
食べ終わったカップ麺の容器に、割りばしを置いた。
「戦い続けるのって、疲れないか?」
「こっちが疲れて戦うの止めても、馬鹿なやつらは勝った気になるじゃん」
事もなげにそう言い切った女子小学生を見て、やはり俺は大人で、彼女は子供なのだと思い知らされた。
俺はもう、格好悪い大人なのだ。
~~~「バカな大人観察日記」~~~
7月29日 金曜日
今日は、学校に行くための道で、大人を捕まえました。
ちゃんと捕まえられて、うれしかったです。
大人は、思ったとおりバカでした。
どんな所がバカなのかというと、ばればれのウソで、家から逃げようとするからバカです。
でも、私がバカにしたり言い負かしたりしても怒らなかったのは、少し意外でした。でも、これも私を信用させて逃げるための作戦かもしれないので、気をぬかずに頑張りたいです。
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