かくれがで、かくれんぼ
「芥屋先輩、本当にアイツ酷いですよね!」
後輩ちゃんはプンプンしながら、今日も鉛筆で原稿用紙の隅をグリグリやっている。
「う~ん確かに酷いと思うけどね、後輩くんも謝ってくれたんだろ? 先輩、そろそろ許してあげても良いんじゃないって思うけどなぁ~」
「でも! アイツ、私がちょっと言い返したら、反論もしないですぐ帰ったんですよ?! とりあえず形式上謝っただけで、アイツ絶対私のことなんかどうでも良いんです。あれから全然部活にも顔出さないし……」
ここ数日、もう何度も聞いた怒りと不安を、後輩ちゃんはまた繰り返している。
「う~ん、どうなんだろうねぇ」
私もまた、もう何度目かになる曖昧な返事を返した。
まあ、確かにちょっと後輩くんは素っ気ない。でも、形式上とりあえずで謝罪するような子じゃないと、私は思うのだ。
「私のこと、もう嫌いになっちゃたかな……うぅ」
最終的には、後輩ちゃんがこうやって机に項垂れてしまうのも、ここ数日お決まりの流れだ。
やはりここは部長として、一度しっかり介入すべきなのだろうか?
でも、うっすらと見えている後輩ちゃんと後輩くんの背景は重くて、なんと言うか、何も重いものを抱えていない私が口を出せるのか? と思ってしまう。
私は大物ぶってヘラヘラしてるだけで、空っぽだ。
「そもそも、あゆみさんのお姉さんに首を絞められたって話も全然説明してくれないし。私は、あんなに色々面倒見てあげたのに……先輩、どう思います?」
「え? うん、あー、そうだねぇ」
話を聞いていなかったことが伝わったのだろう、後輩ちゃんはムッとした表情を浮かべ、原稿用紙に目を落としてしまった。
私の方も大人しくキーボードを叩く作業に戻る。
「…………」
放課後の部室には、鉛筆を走らせる音と打鍵音だけが響いた。
こういう時、音はしているのに静かだと感じるのはなんでかな?
後輩ちゃんの表情を見る。良い詩を書いているのだろうと思った。
先輩としては、ここに後輩くんも居てくれると嬉しい。
せめて文化祭までには三人で揃っていたいものだ。
でもやっぱり、皆が自由でいた結果、三人で集まる場所がここであって欲しいなあと、そう思う放課後。
先輩らしく後輩を導く覚悟も決められないまま、打鍵音を響かせた。
+++++
「そんなの、おかしいっすよ!」
一年生を交えた応援練習は、なかなかに地獄のような滑り出しだった。
後輩が全員揃っても駄弁っている団長、それを指摘する昨日の声がデカイ後輩、揉めるそいつらを置いて応援指導を始める副団長、そんな状況で落ち着きを失った一年生。
正しく烏合の衆である。
名倉さんは、素知らぬ顔で副団長の方に行って後輩の指導を手伝っていた。
そこからは流れで練習が始まったが、揉めている団長連中が練習に合流する様子は無い。
結果、グラウンドの隅には複数の男子対、一人の後輩女子という見ていられない状況が出来上がる。
「だから、団長なら皆のお手本になるような行動をするべきっす!」
「や、そーゆーのは副団のきしもっちゃんの仕事だから。俺はほら、役割分担的にどっしり構えてるっつーか、アレ」
「サボってるだけじゃないっすか! なんでやる気ないのに団長になったんすか!」
後輩はデカい声をグラウンド中に響かせる。
すると団長は、嫌そうに顔を顰めてボソリと小さく呟いた。
「ちっ……っせーな、後輩なんだから大人しく先輩のゆーこと聞いとけよ」
「なっ! なっ! なんすかその態度! そもそもっ、こういう人を指導するのは副団長さんの役目じゃないんすか!」
練習組に飛び火した。
面倒くさそうに振り返る副団長。その態度を見て更にヒートアップする後輩。
「……空気読めよ」
一年生の誰かが一言。
それを皮切りに、嫌悪は連帯によって皆の間に蔓延する。
……昨日、俺が適当なこと言って後輩を焚き付けたことも、明らかにこの状況を形作った要因なのだろう。
俺は些か以上のいたたまれない気持ちと、責任感に苛まれる。
声がデカくてアツい奴だったから、てっきり体育会系のパワーで何とかするものかと思っていたが、何てことは無い。彼女もまた、俺と同じく皆の中から浮いた存在だったのだ。
後輩は今、歯を食いしばって泣きそうな顔で立っていた。
俺は責任感によって足を駆動させ、渦中の人物にいそいそと近寄る。
「あー、と、ちょっと、綾加君」
「あ、先輩。綾加は……」
何かを言おうとする彼女を制し、俺は副団長に視線を送る。
「副団長、一年にも振り付けの紙を配った方が教えやすいと思うので、二人でコピーとってきます。一年の団員って何人ですかね?」
「え、ああ、ちょっと待って……三十八人だ。よろしく頼む」
「っす」
俺は軽く会釈し、後輩に目配せしてその場を離れる。
背後で副団長はその場を上手く収め、団長も交えて全体で練習を始めたようだった。
+++++
「なんか……まあ、頑張ったね」
紙を吐き出し続けるコピー機を見ながら、後輩に話しかける。
「っ、申し訳ないっす。力不足で。先輩は昨日、応援してるって言ってくれたのに……」
彼女はそう言って拳を握りしめた。
真っすぐなその生き方は、随分と息苦しいことだろう。
「綾加、いつもこうなんす。何にも上手くできなくて、ウザがられて。でも、間違ってるのは皆の方じゃないっすか。何で皆、正しいことをしようとしないんすか。おかしいっすよ、絶対」
「…………」
何も言えなかった。
俺はこの場で彼女に同調してあげられるようなコミュニケーション能力に優れた人間ではなく、かと言ってすぐに反論できるほど意思の強い人間でもなかったからだ。
すると無言に何を見出したのか、後輩は握りこぶしを緩めて呟く。
「綾加が、おかしいんっすかね」
用具室で、俺と後輩は二人きりだった。
だから漏れた弱音なのだろうと、俺は思った。
「人は正しくなければならないと、綾加君は思うのか」
「そりゃそうっすよ。何事にも真面目に真剣に取り組まないと、ダメじゃないっすか」
「何故駄目なのかね」
「ダメだからダメなんす。先輩も、あっち側っすか?」
後輩は、睨むように目を細める。
「落ち着き給え、俺は誰の側でもない。ただ、自分の正義を貫こうとした綾加君の態度は立派だと思ったよ」
「そ、そっすか? へへ、そすか。へへ……」
コロコロと表情を良く変える。
名倉さんは意識的にこういう態度を取っていたが、後輩のこれは自然と出てくるものなのだろう。
彼女の表情が、俺にそう思わせた。
「それで、綾加君はこれからどうするのかね?」
「変わらないっす。何度だって同じことを言うっす」
「また同じ結果になるのでは?」
「それは……」
後輩は少し怯んだ様子を見せて、俯いた。
しかし、彼女はすぐに顔を上げる。
「それでも、同じっす」
「そうか」
彼女の意思は固そうだ。
諦め続けて来た俺と違って、きっと彼女は大衆と戦い続けてきた人間なのだろう。
だからこそ俺には、茨の道を自ら進むことなど無いと思えてしまうのだ。
他者に何かを求めても、得られるモノなんて何も無いから。
「…………」
コピー機が、最後の紙を吐き出し終わる。
俺は紙束を取りながら、どうしようかと考えた。
やっぱり俺は、皆の側に入れない、誰にも話を聞いてもらえない人間の話を聞ききたい。
けれどそれで、俺は名倉さんを傷つけたのだ。
今、あゆみとは上手く行っているけれど、それは彼女が特別だから。
それにその関係だって、あゆみの気分次第でいつ崩れるかも分からない。
だから俺が後輩にできる限界は──
「俺は、これから毎日応援練習の時間、図書室でサボっていようと思う。我慢できなくなったら注意しに来ると良い」
それだけ言って、俺は紙束を後輩に渡した。
「じゃあ」と言って用具室から出た俺に、背後からは「あっ……」と声を掛けられる。
俺は首だけ後ろに向けたが、後輩は何も言わなかった。
俺は再び前を向き、一人静かな廊下を歩く。
積極的に人を受け入れるのでは駄目だ。俺には他人の全てを受け入れられる器が無い。
だが居場所くらいは、俺でも作れる。
どうしても大衆から逃げたいときに、後輩はサボっている俺を注意しに来れば良い。
……全然、俺の意図が伝わっていなかったらどうしようか?
その不安は、後輩が翌日一人で図書室に来たことによって解消される。
俺は安心すると共に、彼女の正義はやはり大衆によってねじ伏せられたのだと、少し悲しく思った次第であった。
ともあれ放課後の図書室で、騒々しい後輩の声が少し小さくなったのは想定外の喜びである。
体育祭まであと一週間。
危ういバランスのまま浮足立った校舎の熱は、少しずつ大きくなっている。
~~~「バカな大人観察日記:PART2」~~~
最近、晋作の帰りがおそいのでヒマです、運動会とかどうでも良いのにと思います。
あとなんか、名倉花香が落ち込んでて、こっそり部屋を見たら、晋作が忘れていった、よだかの星を何回も読み返していました。あとたまにウーウー言ってて、こわかったです。
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